他人を動かしたければ、道理をもって示すか、動きたくなるように働きかける必要があります。自らそういったことをしていないのに他人に対してああだこうだ言うのは、他人からすれば余計なお世話であり、他人を動かせない自分の無能さを他人に転嫁しているだけです。
まさかとは思いますが、御用学者批判者ってきっことか東海アマとかエア御用のレッテル張りでいい気になってる連中じゃないですよね?
一例をあげるなら、きっこは数年前の外来生物法のおりにまったくモノゴトの本質の見えていない発言をしていました。
ザリガニの日
環境省の議事録などを読めば特定外来に入れる根拠は十分だけどバス釣り業界がごねるから半年延ばしたのがわかりそうなものですが。
そもそもパブコメが人気投票でないことを理解していれば反対の割合など無意味なことがわかっているでしょう(ついでに言っとくと、外来生物法時のパブコメは一人で何通も送れたから件数=反対人数と言う単純な図でもない)。
この後も池田清彦の「底抜けブラックバス大騒動」に感化された文章を書くので、きっこのリテラシーについてはお察しくださいとしか。
貴方がそう思う分には貴方の自由。でも、あなたの価値観をそのまま他人が受け入れるとは限らない。
・批判するのも結構大変
時折、書いてきたと思いますが、批判と言うのは大変な作業です。どこがおかしいのかわかるだけの知識、論理的思考は当然要求されますし、それを第三者がわかるように説明するだけの能力も必要です。僕は最初は外来生物関係で熊森を批判していましたが、それは僕が獣害について語るだけの力量が無かったからです。手慣れた論者なら自分の言えること言えないことの区別はつけており、力量がないのに批判などしません。さらに、力量をつけるために資料を取り寄せるお金も読みこなす時間も相応にかかります。僕は去年の熊森批判シリーズでざっと200~300時間は使いました。下手したらもっと多かったかもしれません。精神的にも疲れました。それでもやってきたのは“ただ文句を言うくらいなら少しでも他人を動かせる努力をした方がまし”と判断したからです。文句を言うだけの人間なんてこの世の中は一顧だにしないわけですから。
・何に時間を割くかは個人の自由
ぶっちゃけ、何の利益も得ていない一個人がなにを批判しようがその人の勝手でしょう。読者はあくまで読者であって顧客やスポンサーとは違います。
熊森を批判するのであれば原発も批判しなくてはならない論理的な必然性があれば別ですが、獣害問題と原発問題は基本的に異なる領域の問題です。環境問題と言うかなり大きなくくりで見れば同じものとみなせないこともありませんが、その場合は逆に原発を批判しておきながら熊森を批判しないのはおかしいなんてことも言いだせてしまえます。加えて、環境問題は獣害と原発だけではありませんから外来生物や気候変動、砂漠化などを入れろという声も出るでしょう。一個人がすべて過不足なくカバーするのはほぼ不可能です。「~を批判するなら、アレも批判すべきだ」というのはその必然性を示せなければ無意味で、領域の離れたもの同士ならなおさらでしょう。僕はこの手の論法を無敵論法(笑)と呼んでいます。
ツキノワグマに興味を持ち、熊森に疑問を持った時に頼りになった人たちが、原発事故以降はそろって原発に優しい。なんで??御用学者批判をする人たちを批判するとか、被曝のリスクを証明しろとか言ってる。なんでだろう??
まさかとは思いますが、御用学者批判者ってきっことか東海アマとかエア御用のレッテル張りでいい気になってる連中じゃないですよね?
一例をあげるなら、きっこは数年前の外来生物法のおりにまったくモノゴトの本質の見えていない発言をしていました。
ザリガニの日
今年の1月31日に、モノゴトの本質がまったく見えてないニポンイチのバカ女、小池百合子の独断で、「特定外来生物被害防止法」の第1次指定の中に入れられたブラックバス。初めは、「国民の意見を聞いたうえで閣議決定する」と言って、一般からのパブリックコメントを募った。そして、集まった11万3792件のうち、9万5620件もの反対、つまり、84%もの反対があったため、1月19日の会議では、「とりあえず、ブラックバスについては、半年間は見送りして、もう少し実態を調査しよう」と言う結論になった。それなのに、厚顔無恥なバカ女王、小池百合子は、2日後の21日に、専門家を加えた正式な会議での結論や、多くの国民の声を完全に無視して、たった1人の独断で、「ブラックバスは害魚です!」って叫んで、大臣特権を使ってリストに加えたのだ。
環境省の議事録などを読めば特定外来に入れる根拠は十分だけどバス釣り業界がごねるから半年延ばしたのがわかりそうなものですが。
そもそもパブコメが人気投票でないことを理解していれば反対の割合など無意味なことがわかっているでしょう(ついでに言っとくと、外来生物法時のパブコメは一人で何通も送れたから件数=反対人数と言う単純な図でもない)。
この後も池田清彦の「底抜けブラックバス大騒動」に感化された文章を書くので、きっこのリテラシーについてはお察しくださいとしか。
原発マフィアとフクイチ3機メルトダウンに比べたら、熊森なんて可愛いもんでしょう
貴方がそう思う分には貴方の自由。でも、あなたの価値観をそのまま他人が受け入れるとは限らない。
・批判するのも結構大変
時折、書いてきたと思いますが、批判と言うのは大変な作業です。どこがおかしいのかわかるだけの知識、論理的思考は当然要求されますし、それを第三者がわかるように説明するだけの能力も必要です。僕は最初は外来生物関係で熊森を批判していましたが、それは僕が獣害について語るだけの力量が無かったからです。手慣れた論者なら自分の言えること言えないことの区別はつけており、力量がないのに批判などしません。さらに、力量をつけるために資料を取り寄せるお金も読みこなす時間も相応にかかります。僕は去年の熊森批判シリーズでざっと200~300時間は使いました。下手したらもっと多かったかもしれません。精神的にも疲れました。それでもやってきたのは“ただ文句を言うくらいなら少しでも他人を動かせる努力をした方がまし”と判断したからです。文句を言うだけの人間なんてこの世の中は一顧だにしないわけですから。
・何に時間を割くかは個人の自由
ぶっちゃけ、何の利益も得ていない一個人がなにを批判しようがその人の勝手でしょう。読者はあくまで読者であって顧客やスポンサーとは違います。
熊森を批判するのであれば原発も批判しなくてはならない論理的な必然性があれば別ですが、獣害問題と原発問題は基本的に異なる領域の問題です。環境問題と言うかなり大きなくくりで見れば同じものとみなせないこともありませんが、その場合は逆に原発を批判しておきながら熊森を批判しないのはおかしいなんてことも言いだせてしまえます。加えて、環境問題は獣害と原発だけではありませんから外来生物や気候変動、砂漠化などを入れろという声も出るでしょう。一個人がすべて過不足なくカバーするのはほぼ不可能です。「~を批判するなら、アレも批判すべきだ」というのはその必然性を示せなければ無意味で、領域の離れたもの同士ならなおさらでしょう。僕はこの手の論法を無敵論法(笑)と呼んでいます。
「他人を動かす」ということができるでしょうか?、他人には他人の意思で動く訳で、いくら私が他人に働きかけても、その人自身が納得をしなければ動くことはない思います。
つまり人は「納得」をして初めてその行動を取るのあって、「働きかけ方が無能だから動かないのだ」という見解は、結果論であり、個々の主観の問題だと思います。故に、「他人が動きたくなるか」は「正しいか」とか「合理的か」という事とは関係なく、最終的にはその人自身が「納得をしたか」ですべてが決まると私は思います。
>批判と言うのは大変な作業です。
私は「批判をする」というのは至極簡単な作業だと思います。
なぜなら、この世に「本当に正しいこと」というものは存在しないからです。歴史的にも「絶対に正しい」とされていたものでもほとんどが間違っていましたし、今でもまだよく分かっていないことだらけです。
人間は「真理」に近づくことは出来ても、それに到達することは出来ないと思います。
「人間は優秀な存在ではない」と自戒することで、真理に近づくことぐらいは出来る、その程度の存在だと私は思います。
sasakinetさんのコメントを見て、一体何を言わんとしているのか、全く解りませんでした。
何で、真理がどうこうという話になっているのでしょうか。どうして「なぜなら」で繋げられているのかもさっぱりですし。
「他人を動かす」も「批判」も、全体の書き方から、どういう意味が込められているのかは明らかでしょう。
まるでsasakinetさんは、自分は文脈を全く無視して語を適当に取ってきて違う話に持って行く事を積極的に行う、というのを宣言しているかのようです。
こんばんは
ご返答ありがとうございます。
私の意見に対して何を言っているかが全く解らないのに、なぜご返事を書かれたのですか?なぜ「文面の意味が明らかです」ということを私に示されたのでしょうか?それが私には理解できません。
isitinoと申します。
このたびはとてもお手数をかけてしまいました。
「原発マフィアとフクイチ3機メルトダウン云々・・・」
に関してはtwitterで申し上げた通り、『熊森』と『原発』を一つのツイートにあげてしまったこと、そして『熊森』の活動が「たいした事がないのではないか?」と誤解を生みかねないと言う点で、完全に私の過ちだと認識しておりますので、改めてお詫び申し上げます。
熊森の活動にほとんど興味がなくなったいまでも、熊森の活動は間違っていると思っています。加えてならなしとりさんやアサイさんの熊森批判は、真摯で真剣なものだと認識しています。
ここにお邪魔したのはならなしとりさんのブログの内容に返信するためです。
>まさかとは思いますが、御用学者批判者ってきっことか東海アマとかエア御用のレッテル張りでいい気になってる連中じゃないですよね?
きっこさんと東海アマさんはつい最近フォローしました。
まぁなんと言いますか、ほとんど「エンタメ」として見ています。しかし、地震や原発事故に対してたまに緩みそうな私の気持ちを引き締めてくれます。
>批判するのも結構大変
ここに関しては一読者としてならなしとりさんのブログは読ませていただいたので、ある程度分かると思います。読んでいた頃は「少しは休んでください」と思っていました。
>何に時間を割くかは個人の自由
繰り返しになりますが、私は原発の問題と熊森という名詞を一つのツイートで呟いてしまいました。個人的には他愛もないと思っていたツイートは人様に不快を感じさせるものとなりました。重ねてお詫び申し上げます。
以上、大変失礼いたしました。
>「他人を動かす」ということができるでしょうか?、他人には他人の意思で動く訳で、いくら私が他人に働きかけても、その人自身が納得をしなければ動くことはない思います。
もちろん、実際に動く、動かないは相手次第です。
しかし、動かすためには働きかけが必要で、梨さんが言われているのはそういう事でしょ。
御自覚が無いのかな、実際あなたは梨さんの言葉で動いています。
>なぜなら、この世に「本当に正しいこと」というものは存在しないからです。歴史的にも「絶対に正しい」とされていたものでもほとんどが間違っていましたし、今でもまだよく分かっていないことだらけです。
逆です。
「本当に正しい」、「絶対に正しい」事であれば批判なんて至極簡単なんですよ、正しいとされる事以外は全部間違ってるんですから。
通常はその時その時の選択肢の中から比較的ベターな物を選ぶしかないのでそれ以外の物を批判するのは難しいのです。
>sasakinetさん(2011-11-23 00:30:34)
えっと、やはり、他人の書いた文章を真面目に読もうとする気が無いみたいですね。
やり取り自体が不可能のようなので、私はこの辺で。
お騒がせし、失礼しました>梨さん
いや違います。「なしさんの言葉」で動いたのではなく、なしさんの言葉を見て、「これは動こうかな」と私の意志で動いたんです。なしさんがどうのというのはただの「原因」とか「きっかけ」というものであって、私の意志を操作した訳ではありません。その理屈が通るなら、なしさんは私の行動をコントロール出来ることになります。
他人の意志をコントロール出来るならそれはゲームの世界の話です。
>正しいとされる事以外は全部間違ってるんですから。
ちょっと難しいかもしれませんが、「本当に正しい事」というのはまだ分からないんです。「大よそ正しい」ことは世の中に沢山ありますけど、それは人間が「仮決めをした」に過ぎないんです。
これはつまり、「間違っていること」も「本当に間違っていること」かどうかは分からない訳です。そういう意味でわたしは「真理」という言葉を使ったのですが、これはめちゃくちゃ深い話になりますので、またの機会にしたいと思います。
もちろん私が言ってるのはそういう事なんですよ。
梨さんが言われてる
>他人を動かしたければ、道理をもって示すか、動きたくなるように働きかける必要があります。
も同じ事ではないでしょうか。
梨さんが働きかけてあなたが動きたくなった、そして動いた。
他人の意思をコントロールするなんて誰が言ってるのですか?
>ちょっと難しいかもしれませんが、「本当に正しい事」というのはまだ分からないんです。「大よそ正しい」ことは世の中に沢山ありますけど、それは人間が「仮決めをした」に過ぎないんです。
>これはつまり、「間違っていること」も「本当に間違っていること」かどうかは分からない訳です。そういう意味でわたしは「真理」という言葉を使ったのですが、これはめちゃくちゃ深い話になりますので、またの機会にしたいと思います。
そうですよ、しかし、その時その時の選択肢の中からその時点で最良と思われる選択をする必要に迫られる事があります。
結果、それが間違っていたとしても「何も選ばない」という選択が許されない事もあるのです。
>梨さんが働きかけてあなたが動きたくなった、そして動いた。
「働きかけた」時点では、「私が動くかどうか」はまだ分かりませんよね。
私が動いて初めて「働きかけた結果」が分かるんです。いくら働きかけても、その結果が出なければ、「必要だったかどうか」も分からない訳です。人間が「未来を予知出来る超能力」があるならその理屈は通るかもしれませんけど・・・