ならなしとり

外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。

菊池先生、環境教育を馬鹿にしないでください

2012-10-12 09:49:33 | 保全生態学
 もう1月近く前の事ですがいまだに納得がいかないので書いておきます。
最初に言っておきますと僕は現段階でアサザ基金周りの揉め事は様子見状態ですしここでアサザ基金の是非を論ずる気はありません。コメントするならそこを理解してからどうぞ。

@kikumaco
子どもの環境教育は調査に限定すべきで、環境を変えようとするのはよくないね “@lets_skeptic: "「自然再生事業には原則として子供達を参加させてはならない」と提案"、自然再生関連は難しい。 http://htn.to/MmnWRo


リンク先でニセ科学を引き合いに構ってもらえてさぞやご満悦でしょう。だがな。貴様は俺を怒らせた。以下からは若干時系列が前後する発言もありますが話をあちこちに飛ばさないために関連性重視でまとめてあります。

@invasivespeacie
@kikumaco 環境を変えるとは具体的にどこまで想定しておられます?その理屈だと小中学生が希少魚を飼育することで環境について考えるもダメという話になりませんか?淡水魚保全だと多くの事例があるのですが。

実例を一つ上げるなら「シナイモツゴ郷の会」の例があります。ここでは保全兼環境教育の一環として小学校等にシナイモツゴという希少魚の繁殖飼育をしてもらっています。僕が関わった件でも小中学校で希少魚を飼育してもらうことで環境への理解を深めてもらおうという例があります。これらは保全生態学における保存(生息域外保全)にあたる例で専門家の監督のもと行われています。保存の必要性については教科書にも載っており実際の方法にしても僕たちは慎重に考えて妥当性の高い方法をとっていました。そんなところに「調査に限定すべき」などと言われても困ります。できることが大幅に制限され保全も教育も共倒れです。

@kikumaco
@invasivespeacie 端的には、「有効性が科学的に検証されていること」が最低限の必要条件だと思います

@invasivespeacie
@kikumaco 端的すぎますのでもう少し具体的にお願いできますでしょうか?それとあなたのべき論では学校などで繁殖させることもダメになりはしないかということはどうお考えですか?

@kikumaco
@invasivespeacie 端的には、「有効性が科学的に検証されていること」が最低限の必要条件だと思います

@invasivespeacie
@kikumaco それと、科学的にダメな保全事業があったとして、まずは「大人がそれを見抜いて関わらせないこと」が重要ではありませんか?そこを飛ばして調査に限定すべきなどと言われても大人の怠慢を子供を盾にしているなとしか。

@kikumaco
僕は大人が悪いという話しかしていません。子どもは犠牲者 @invasivespeacie

@invasivespeacie
@kikumaco なるほど。では見抜いたうえでなお、調査にしか関わらせるべきでないという見解をお持ちという解釈でよろしいでしょうか?それだと実際の保全事例とそぐわないことが多々あるというのが僕の見解ですが。

@kikumaco
@invasivespeacie いや、ケースバイケースですよ。エビデンスがあって、科学的に検証されてるなら、かまわないです

@invasivespeacie
@kikumaco ケースバイケースはいいですがそれだと「調査に限定すべき」との整合性はどのように取れるのですか?一般論に逃げないでいただきたい。

@invasivespeacie
@kikumaco エビデンスもケースバイケースも最初はおっしゃっていませんでしたよね?ただ「環境教育は調査に限定すべき」と。どうして今になって条件を付けたすのですか?

@invasivespeacie
@kikumaco 少し、こちらの説明が悪かったようですね。保全の実例として小学校などで系統保存しているケースがいくつもあります。貴方のべき論ではそれらはしてはならないことになりませんか?というのが一点。(続く
@invasivespeacie
@kikumaco 続き)2点目は環境を変えるとは具体的にどのような事例を想定してらっしゃるのか。EM撒くのはともかくあなたの中での環境を変えるとは何がどこまで含まれるのかお聞きしたかったわけです。それ次第でこちらの落としどころも変わりますので。

@invasivespeacie
@kikumaco ご質問にお答えいただけないようで残念です。あなたの口から現場軽視の言葉が出てくるとは思いませんでした。

@kikumaco
@invasivespeacie 現場軽視というか、エビデンスが最大限重要としか言いようがないと思いますが

@invasivespeacie
@kikumaco どうあってもお答えいただけないのですか?論点をずらして欲しくないのですが

@invasivespeacie
@kikumaco エビデンスの話などこちらはしていませんし、貴方の言うべき論に対して事例を出してそれは現実にそぐわないのではないですか?と聞いているわけですが。

@invasivespeacie
@kikumaco で、最初の方でした質問2点についてはお答えいただくことができないのですか?具体的にどこまでお考えかご意見を拝聴したいのですが。


エビデンスが大事だとここで言いだすなら最初の発言と整合性がなくなります。エビデンスがある事例すら菊池氏の発言に従えばよくないということなのですから。ケースバイケースと嘯くならそもそも「調査に限定すべき」理由がありませんから論理矛盾です。そもそも最初はエビデンスやケースバイケースなんて一言も言ってないわけで議論で悪手とされるアドホックな言い訳ですよねこれ。
菊池氏の失点を3行でまとめると
主語が不明瞭
現実を見ない
面子に拘泥しすぎ


kikumaco
.@invasivespeacie エビデンスの話ではないと言われると取り付く島も興味もないですが、何かを植えるのであれ放流するのであれ投入するのであれ、少なくともそれが害にならないことくらいは確認してからでないと授業に取り入れるのはまずいと思います。校内に留まるならいいですが

取りつく島がないのはいったいどちらでしょう?こちらは再三「具体的に何をどう考えているのか」聞いているのに菊池氏は話をそらして回答しないのですから。ちなみにあなたが言うことくらい保全現場の人間は理解して行動しています。そんな新聞で知った程度の知ったかぶりを披露する必要性は全くない。むしろご自身が新聞やネットの表層で知った程度で「調査に限定すべき」などと傲慢にも言っていた無知さが際立つだけですが?
「~すべき」と他者に指図するなら最低限、現場で何が起こっているか把握しなくては意味がない。その重みもわからない人間がべき論を使ってもけがをするだけです。
何も知りもしない人間がドヤ顔したいときにべき論って便利ですね。

標本に意味を見出さない生物多様性祭り

2011-06-04 23:53:43 | 保全生態学
 先日、長野県のお好み焼き屋で火災が発生し、そこに収蔵してあったカブトムシなどの標本が焼失するということがありました(参照)。これに対して、「所詮、虫採りマニアの道楽だろ」的な意見(ここのブックマークにて虫の死骸は無意味等)があるので、それに対してちょっと反駁してみます。分類や標本にはこういう意義があるよということで。
分類というのは、人間が自然界を把握するために重要なことです。極端な話、食用と間違えて毒キノコを食べたら大変なことになります。分類されていれば、食用かそうでないかを見極めることも可能になります。
梨は分類学については、分岐分類をかじった程度の素人なので、間違いがあったら適宜指摘してください。
では、標本の意義について説明をしたいと思います。
1.過去の生物相を把握する
シーボルトが持ち帰り、現在、オランダのライデン博物館に収蔵されている標本は当時の西日本の魚類について知る1級の資料となっています。それだけでなく、その標本をもとにメダカをはじめとする多くの西日本の魚類に学名がつけられています。このとき、学名をつける基準となった標本をタイプ標本といいます。タイプ標本はその種を知るための重要なものさしです。
シーボルトが集めてきた標本の価値は、200年近くたった今でもゆるぎないものです。

2.外来生物の侵入を明らかにする
事例がマニアックですまないんですが、ヒルミミズという大陸産の外来生物がいます。釣り餌のエビに紛れ込んで(正確にはエビに寄生して)日本に侵入したということがわかっています。なんでそんなことが分かったかというと、標本のおかげでもあります。
これを発見した人は、ヒルミミズの侵入時期を調べるに当たり学校に年代別に保管してあったエビの標本を調べてヒルミミズに寄生されたエビの標本を見つけ出し、いつごろ侵入したのか明らかにしています。
このほかにもチョウや植物の標本は、標本が採取された当時の気候などを知る手掛かりになります。
ここまで書いておいて、重要なこと一つ忘れていました。それは、標本は的確に分類され、適切に保存される必要があるということです。的確に分類というのは、産地、採取時期、種名が明らかにされていることで、適切な管理というのは、それらが劣化、消失しないように管理されているということです。
適切に管理された標本というのは、過去の生物相を把握したり、外来生物の侵入や気候変動の兆候をつかむのに非常に有用なんですね。
このように標本というのは公的な性質の強いものです。特にタイプ標本というのは、後々まで続く学問の礎になるものです。もしも、その種の中にいくつかの種が実はいましたなんてことになれば、タイプ標本とすり合わせてどの種がどのように分類されていたのか明らかにしなければならないわけですから。
というわけで、お好み焼き屋の上にタイプ標本があるなんてことは、社会が負う責任を個人に負わせているという意味で本来はあってはいけないわけです。きちんと博物館に分類学者を配置してそこで管理するのが筋。日本は去年、国も民間も生物多様性とはしゃいでいたわけですが、足元が見えていないようではこの先の展望は望めないでしょう。

風力発電とバードストライク 追記あり

2011-05-14 22:14:53 | 保全生態学
 先日、このような記事を読みました。その記事内の風力発電とバードストライクについての見解が非常に酷いので、バードストライクの説明(注:風車への衝突のみ)もかねて反論させてもらいます。なお、そのほかの部分については判断するだけの十分な知識がないので控えさせてもらいます。

低周波問題やバードストライクはどうする?
この問題は決して無視して良い問題ではありませんが、原子力維持に伴う夥しい犠牲を無視したがる“現実的な”方々が強調したがるのはウンザリしますね。

中略

バードストライクに関して云えば、天敵である猛禽類の姿や声を流すだけで、近寄らなくなると思いますね。

いや、風力発電で起きるバードストライクで一番問題にされるのがワシタカ類の衝突ですから。たとえば、2008年に岩手県で絶滅危惧種であるイヌワシが風車のブレードにぶつかって死亡し、日本野鳥の会が岩手県に対し要望書を出しています。
先に引用した発言は無視して良い問題でないとしながらも、出てきた案が現実とかい離しすぎていて、これだけで碌に調べていないことがわかってしまいます。
風車近くにワシタカが近づく理由の一つに、風車周辺は餌となる小型齧歯類などが集まりやすいということがアメリカではあげられています。また、地形によっても衝突リスクが増大するようです(山の尾根、鞍、縁、急斜面など)。
鳥類だけが問題となるわけではありません。コウモリ類の衝突も問題となっています。コウモリの何が問題だ?と思われる方もいるかもしれません。日本には在来のコウモリは46種いるとされています。そのうち、レッドリストに入っているコウモリは31種(ⅠA~DDまでを含む)。つまり、そのほとんどが絶滅の危険性が高いとみなされているのです。日本の在来哺乳類が約100種ほどで、そのうちの3分の1を占めるコウモリのほとんどは芳しくない状況に置かれているわけですね。
このように、絶滅の危機が高い動物が風車と衝突する可能性が高いわけです。かの記事のブックマークでバードストライクについて指摘するコメントが多いという背景にはこういう理由があったわけですよ(一部尻馬に乗ったのがあるけど)。
さて、ここまで書いてきましたが、根本的なことがまだでしたね。そもそも、どうして鳥やコウモリに配慮しなきゃならんの?という疑問を持つ人もいるでしょう。それに対して梨の答えを書いておきます。僕らの生活というのはすべからく生き物に支えられています。食べ物はもちろん、大気の調節や木材も生き物がいないと成り立ちません。よく使う化石燃料にしても、植物が長い年月をかけてできたものです。それらを支えて作り上げてきたのが生物多様性です。生物多様性がなくなるということは、僕らの選択肢が狭まるということでもあります。極端な話、晩御飯のおかずは肉か魚かという他愛ない選択も多様性がなくなれば今夜はイモのみ一択ということになるんですよね。ワシタカにせよコウモリにせよ、生物多様性を作り上げてきた一員ですから、彼らが絶滅するようなことになれば、長期的に見て確実に僕らの選択肢は減りますよね。
今現在、人類というのは「生物多様性大破壊!どこまで壊しても大丈夫かな!?」というチキンレースをやっていますが、その限界点は誰も把握してないわけでして。ただ、絶滅や減少というのがその限界点により近づくことは明らかですから、できる限り避ける方が賢明ですよね。
引用した部分の問題点はこういうところにもあります。資源やエネルギーについて語っている人が生物資源の保護に対して無頓着ということでもありますから。バードストライクについての突っ込みといのは鳥やコウモリがかわいそう云々ではなくて資源保全どう考えてるの?という突っ込みでもあります。
風力発電について語ることそのものは咎めるつもりは無いのですが、あからさまに間違った現状認識で語られても誰のためにもならないわけですよ。余りにもリスク認識が粗雑なまま語られても困ります。ありていなことを言うなら、“やるなら真面目にやれ”といったところですか。

参考資料
国内における風力発電施設が与えた鳥類への影響の事例
レッドリスト 哺乳類
島田泰夫 2006「風力発電とバードストライク」生物科学第57巻第4号
バードストライク

追記5/15
コウモリについての部分を手直ししました。
訂正5/22
現在の日本のコウモリは亜種含め46種のようです(第三次生物多様性国家戦略参照)。ご指摘いただいたホルモン氏ありがとうございます。

追記6/9
 ついに真打が登場しました。
「風車と翼 」
なぜバードストライクが問題視されるのか、その背景である生物多様性を守る意味とは何か非常に丁寧に書かれているので一読をお勧めします。

メダカを戻すためにすることは無農薬か?

2011-03-04 20:50:34 | 保全生態学
今回は、梨が無農薬や冬水田んぼに思うことです。もしかしたら梨の勉強不足故、おかしなことを書いているかもしれません。その場合はご指摘をお願いします。
内容は日本産淡水魚の保全に関わる方には当たり前であろう話です。
 メダカを田んぼに取り戻せという動きは結構見かけますが、納得がいく活動を見ることは少ないです。無農薬や冬水田んぼといったメダカの保全上必ずしも必要でない物とセットで語られるからです。むしろ無農薬や冬水田んぼの成果としてメダカが持ち出される場合もあります。
 ここで、ちょっとメダカをはじめとする日本の淡水魚の繁殖について説明します。日本の淡水魚の多くは、氾濫原を棲家としていました。氾濫原というのは洪水により窪地に水がたまるなどしてできた一時的水域というものが出来ます。メダカなどはそうしてできた水域で繁殖していました。洪水によって本流と一時的水域は離れたりつながったりしていたわけですね。
さて、人間が稲作のために氾濫原を整備し、水田のために利用していくと、一時的水域はその数を減らしていきました。洪水で水田や家屋が流されては人間が生活できませんからね。メダカたちは氾濫原の代わりに人間の作り出したため池や水田を利用するようになりました。水田が一時的水域の役割を果たすようになったわけです。
メダカは水が入ると共に水田に入り、春から夏にかけて水田内で繁殖し、秋に水がなくなる頃にはまた水田から出て行きました。
 ここで重要になるのが水路の存在です。ため池や河川といった場所からメダカは供給されるわけですが(もちろん水路そのものも棲家になりますが)、当然、供給源と水田をつなぐ道(コリドー)が必要です。圃場整備によって水路と水田に落差が生じたり、コンクリで固められて流速が速くなったことで、メダカなどは水田を利用できなくなりました。
メダカが減ったのは供給源であるため池などにブラックバス等、外来生物が放されたこともありますが、このように生息環境がぶつ切りにされたというのも大きいです。

 繰り返しますが、水路によって田んぼ、ため池、河川間のつながり(水系ネットワーク)が存在することが重要なんです。農薬だなんだのはその次。利用可能であっても、そこにたどり着けなきゃ意味がないですから。そういった水田の構造的な話に触れずに無農薬や冬水田んぼでメダカが戻ってきたというから疑問に思うのです。
最近のメダカを取り戻そうという運動を疑問に思うのは、水田と水路とのつながりにふれず、無農薬や冬水田んぼがメダカを取り戻すのに重要であるかのように語られることが多いからです。保全の本では農薬などにはあまりページが割かれずに水路の重要性について書かれることが多いのですが。冬水田んぼもそれほどプッシュしないのですが。
あくまで魚類保全から見た場合の話なので、植物や昆虫の保全から見たらまた違う結論になるかもしれません。

オオカミ再導入に関しておまけ

2010-09-17 17:24:28 | 保全生態学
 前回の「僕がオオカミ再導入を支持しないわけ」は思いもよらず多くの人に見ていただきました。アクセス数が過去2番目でした。ちなみに1位はカステラの作り方。
・・・・・・保全や進化の情報を発信するブログとしてどうなんだろう。
今回はオオカミ再導入に関して「オオカミを放つ」を書いた日本オオカミ協会について少し調べたことを書きます。まず、この協会のHPに「オオカミと日本人」の書評がありました。正直、なんと言っていいのかわかりません。

書評「日本人とオオカミ」

詳しくはHPの書評を読んでもらうとして、問題と思った部分を引用します。

以下引用
個人的には、江戸後期の幕臣が書き残したという、江戸市中でのオオカミ騒動の逸話が面白かった。「麻布や青山にオオカミが出て、これはオオカミに違いないと・・」実際のオオカミを知らない都市住民だからこその、大騒ぎ。オオカミ協会の会員として、「えっ、オオカミ?あんな危険な動物を?」という偏見に日々接している身としては、人の心の根底はオオカミがいた時代も絶滅後の現代も大して変わらないのだと肩の力が抜け、まぁ気長にやっていこうか・・という気分になれる、微笑ましいエピソードである。
引用終わり

言いたいことはこれで全部なの?あなたが書評している本には長野や石川や鳥取でオオカミに襲われて喰われた人たちの記録があるんですけど?そこは無視なの?この書評を書いた人は「オオカミを放つ」で6章(ポーランドのオオカミ)と9章(日本人のオオカミ観)を担当しており、修士を取っているそうです。
さらに、この日本オオカミ協会には公式ブログがあるようです。

シカと森toオオカミ

ん?ここどっかで見たよ?何かと思えば以前、国内外来生物問題を無視した牽強付会の外来生物観にブチ切れてブクマしたとこでしたよ。あのときは感化されちゃった素人かと思ってましたけど、まさか公式ブログとは。
この「シカと森toオオカミ」には前回の記事をトラックバックしておきました。

僕がオオカミ再導入を支持しないわけ

2010-09-16 18:47:47 | 保全生態学
 オオカミ再導入という話があります。簡単に説明すると、増えすぎたシカ、イノシシなどをオオカミを使って個体数をコントロールしようというものです。まあ生物農薬とおんなじ理屈です。
結論から言うと、僕はこのオオカミ再導入を支持していません。仮に認めるとしても、その優先順位はかなり下のほうに来るとも考えています
支持しない理由の一つは、再導入を推進する人たちが自分に都合の悪い情報は無視しているからです。たとえば彼らの著書「オオカミを放つ」では参考文献に「日本人とオオカミ 世界でも特異なその関係と歴史」が挙げられていますが、その中にこういう記述があるんですね。

以下引用
P66
信州の狼害は、「信州高島藩旧誌」のうち、元禄15年(1702)5,6月、二人の藩士が描いた手記に出ている。
5月11日、これが初見で、狼がまた北大塩村・塩沢村に出て人馬を害したので、目付吉田仁右衛門に手勢を付けて鉄砲を差しゆるした、ということを書いている。その中のまたは、どうもふたたびというニュアンスがある。つまり、このころになって狼が近郷に出没するようになったと考えていいようである。ところが、6月になると、いよいよひどいことになる。
中略
そうした被害は、現茅野市の八ヶ岳西麗の村々、山村から平野の村、さては街中の横内・矢ケ崎・塚原・上原いまの諏訪市街の真中、小和田にまでおよんで、16件、16人の男女、男子は10~17歳、女子は10~24歳までが喰い殺されている。被害の総数は入っていない。そして、次の悲惨な記事で、この狼事件はぷつんと切れたまま、長い江戸時代を通して、もう顕著には出てこない。
22日 新井新田彦左衛門1人息子12歳が、昼庭にて遊んでいると、狼が飛来して噛みつき、昼間故、家中総出で、棒や鋤を持って格闘するや、狼は倅をくわえ山林に遁走した。家人はあまりの悲惨さに首をつって相果てた。
引用終わり

このほかにもオオカミが人を襲ったという事例は延々30ページ近く続きますが、あまりに多いので割愛させていただきます。
ここで突っ込みがあるかもしれません。「それって狂犬病じゃね?」しかし、この時点(1702年)では狂犬病が日本中に広がってはいません。記録上では、狂犬病が最初に日本で流行したのは1732年のことです。
この本の著者も狼害が増えた理由の一つに狂犬病が日本で流行したことをあげています。しかし、この本のP90ではここまでに紹介した事例は明らかに狂犬病にかかっている場合は外してあるとあります。これが正しいとすれば、狂犬病に罹っていないオオカミでも集中的に人を襲うことがあるということです。とりわけ子供なんかを。
もう一つの理由に森林伐採や耕地造成など開発が進んだことが挙げられています。つまるところ人とオオカミの棲み分け(ゾーニング)ができていなかったわけで、餌となるシカやイノシシが人里にホイホイ出てくる今の状態で棲み分けができるわけもないですね。江戸時代でもできなかったのに何をかいわんやですね。
オオカミが人を襲うことはまずないというのが彼らの見解ですが、では、どうしてこれに反論をしないんでしょうね。
「オオカミを放つ」を書いた人たちはほぼ全員が修士以上ですから、参考文献くらいきちんと読みこなしているはずです。にもかかわらずどうしてこれに対して検証や反論をせず、オオカミは人を襲わないなんて楽天的なことを言っているのでしょうか?

以下引用
P91~92
最後に簡単ではあるが「人食いオオカミ」に関する心配について触れておくことにする。詳しくは第10章をお読みいただきたい。結論を言えば、通常は、人間はオオカミの獲物のリストには入っていない。オオカミは人間に対する捕食者ではないのである。
中略
健康なオオカミは人を襲わない。
引用終わり

ぶっちゃけ10章でも日本であったこういった事件のことは触れられていません。どういうわけか反論もせずにスルーを貫き通しています。いったいどういうことでしょう?自説と矛盾する記述が30ページ近くもあるのに見落とすなんてことがありえるのでしょうか?それなのに反論もせずにスルーというのは自説に不利な情報は無視するという解釈の余地が多分にあるんじゃないでしょうか。
まぁ、地域社会がリスク・ベネフィットもろもろ考え合意をしたなら口を出す気はないんですが、そのための判断材料を提示しないというのは駄目でしょう。いざ人身事故があったらそれは不信につながるわけで誠実とは言い難いですね。彼らは極小のリスクと思っているのかもしれませんが、クマに襲われて大騒ぎになる今の日本で「リスクは極小ですから説明しませんでした」じゃ、まず済まされないわけで。今回はここでお終いですが、オオカミの再導入について生態学方面から考察してみた「チコにラット・コントロール・エージェントが務まるわけ」という記事があります。こちらはネコを例えに捕食者の採算についてわかりやすく論じており、非常に参考になるのでお勧めです。その2を書くことがあれば、有効個体数の確保について論じると思います。

イタセンパラの再確認に思う

2010-07-10 14:36:21 | 保全生態学
 先日、淀川で絶滅危惧種イタセンパラの稚魚が5年ぶりに確認されました。

イタセンパラの稚魚、淀川で5年ぶり確認… 読売新聞

イタセンパラというのは日本固有のタナゴの仲間で、氾濫原を主な生息環境にしています。タナゴとしては大型の種類で、最大種のカネヒラほどではありませんが、10センチ越まで大型化する個体もいます、繁殖期になるときれいに薄紫に色づいて見ごたえがあります。タナゴのなかでも特に腸が長く、植物質に特化した食性をもつと言われています。寿命は1,2年ほどです。環境省レッドリストではⅠA類。つまりヤマネコと同等のやばさというわけです。減少したのは外来魚もあるでしょうが、河川が整備されて氾濫がおきなくなり、産卵場となる一時的な水たまりができなくなったのがでかいですね。
 今回確認された稚魚は昨年放流された成魚が繁殖したものとされています。
今回のこの再確認は、遺伝子や個体群の一部を非難させておくための水産試験場や水族館などの重要性を再確認させられるともに、そろそろ河川や治水の概念にパラダイムシフトが起こってもいいんじゃないかと思いました。
そもそも、日本の淡水魚というのは氾濫原の環境に非常に適応した生態を持っています。河川の氾濫により一時的にできた水たまりで産卵して、また洪水などで氾濫したら本流に帰っていくという生活史です。メダカなども稲作が広まる前は河川の後背湿地で暮らしていました。治水、利水による水系ネットワークの分断と破壊は日本の淡水魚の減少要因のひとつです。
河川の生物の保全という観点からすれば、河川敷くらいまでは大雨で水が来てもよいのではと思います。少なくとも河川敷をつぶしてゲートボール場などを作る必要はないんじゃないのと言いたいです。
まとまりがないんですが今日はこれで。

さっぱりわからない

2010-06-10 20:59:44 | 保全生態学
 Togetter - まとめ「わかったつもりを問い直す 生物多様性って何?」を見て思ったことです。

まず、まとめとしては拙いです。文脈を考慮せずに発言だけを断片的に抜き出しているので意味を取りづらいです。いきなりポンと発言が出ても、前後の文脈が書かれていないので意味が非常に取りづらく、推測で補ってゆくという感じです。その推測にしても、結構な知識レベルを要求されるので、素人さんがこれを読めというのは無理でしょう。正直メモ書きと同レベル。まとめた人が後から読み返す分にはメモでも構わないんですけど、第三者に見せるものとしては失敗しています。言葉というのは文脈に意味を依存する側面があるので発言だけを抜き出されてもわかりません。せめて、誰の発言かくらいは明確にしてもらわないと。

講演者を見る限りでは獣害で相当に知られた人もいるので、講演の中身そのものは悪くなかったと思いますが、いかんせんまとめが・・・・・・。
これから何か有益な情報を得ろと言われても無理です。次があるならもっと第三者の視点を考慮したまとめを期待します。

皇居の蛍について(調べ中)

2010-03-13 20:08:21 | 保全生態学
 先日の記事の続きです。皇居周辺には昔ホタルがいたようですが、それははたして在来種で現在のホタル復活はそれらを踏まえた理のあるものなのか不透明でした。
今まで調べた中では、ここ5,60年の皇居周辺のホタルは在来のものがいたという証拠はなさそうです。それどころか人為的に持ち込まれた可能性の方が濃厚です。

献上蛍(ホタル)の追跡
>陛下も皇后陛下とお出かけになった。そして確かに自生しているのを確認された。はじめて池や小溝にシジミ貝を放たれてから10年振りのことである。皇居にはずっと以前は山吹の流れ(乾門の近く)に蛍が自生していたと語り伝えられていた。陛下は皇居の何処かに蛍をいつかせたいと念願しておられた。季節になると京都や岐阜、遠くは九州から献上される蛍があったので毎年御苑に放しておられた。しかし、いつも自滅していた。何とか自生できないかと事務官や侍従にも相談され、そして蛍の幼虫が寄生するというシジミ貝を池や溝に初めて放たれたのは昭和7,8年の頃であった。貝の放流は毎年のように続けられたが一向に成功の様子はなかった。

>ところが調べると赤い背中の中央に十字形の紋があるゲンジボタルではなく帯状の紋を持つヘイケボタルで体調も1センチでした。ゲンジの幼虫とカワニナを放していたのに、なぜヘイケが出たのか誰にもわからぬまま毎年少数のヘイケボタルが御苑に飛んでいたのです。

おそらくヘイケボタルが飛ぶようになったのは皇居にゲンジホタルを搬入する際に混ざったのではないかと思われます。江戸時代以前にさかのぼればともかくとして昭和時代にはすでに皇居周辺に在来のホタルはいなかったのではないでしょうか。こちらの文献のタイトルを見てもそう思います。

皇居にホタル飛ぶ--定着までの試み

定着と言っていますからもともといた可能性は薄いのではないかと。もちろんこの文献の中身を確認しないと説得力は低いですけどね。
 これらを踏まえて考えると、やっぱりあのホタル復活活動は問題ありという可能性の方が高いのではないでしょうか。そもそもホタルに関する問題をしっかりと知っている人なら在来、非在来について調べるはずですし、増殖という手段にも安易には踏み込まないでしょう。ヘイケボタルの繁殖にわざわざカワニナを持ってきていることからもこの方があまりそういったことを考えていない可能性を示唆しています。ヘイケボタルはサカマキガイなどカワニナに限らずそのほかの巻貝も捕食するホタルです。汚水にも適応するサカマキガイなど皇居周辺にいる可能性の高い貝がいるかどうか調べているならまだいいのですが、個人的な感じでは「ホタルの餌=カワニナ」としか考えていないように思えます。
ここまでの僕の考えをまとめると
・皇居周辺のホタルは人が持ち込んだものである可能性が高い
・ホタル復活の人が生態系のことを理解したうえでやっている可能性は低い
・出自の不明なホタルを復活させようとする意義は薄い
同じ種であってもよそから持ってくることの何が問題なのかは今書いている「遺伝的多様性に関する私見」シリーズの中でやろうと思います。

乗鞍岳クマ事件その後

2009-11-28 23:42:45 | 保全生態学
9月に起きた乗鞍岳でのクマ事件で現場に赴いた米田氏の報告がupされていましたので御報告します。それによると、今回の事件で事故にあわれた方は計10人、死者が出なかったのは周囲の方々がクマに襲われた人を助けようとクマの注意をそらした結果によるものだそうです。また60年間この地域ではクマによる事故がなく、クマに対応できるような武器を持っていなくとも責めることは難しいとのことです。
・・・ほんとはもっと早く紹介する予定でした。遅れてすみません。

ここからは愚痴になりますが・・・
なんで熊森はこうしたレポートを出さないのかな?あれほど噛みついておいて何もしないというのはもはや専門家を騙った悪質な野次馬に見えるんですけど。実践主義のようですけど現場に人を送って調べなかったのかな?ほんとにクマ保全やる気あるの?