ならなしとり

外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。

ものすごく素人考えに近いと思うけど

2009-05-31 23:51:03 | Weblog
地下生活者の手遊び - 言論・表現への法規制に抗するために これと関連するいくつかのエントリを読んだ上での雑感。全然まとまってないので読みにくいと思います(すみません)。
ちょうどタイムリーなことにこんな記事も(というかリンク先の記事を書いた人は読んでるかもしれんが)。
>性暴力ゲーム規制強化へ、与党が流通歯止め検討チーム

>少女らをレイプして妊娠・中絶させる過程を疑似体験する日本製パソコンゲームソフトに、国際人権団体などが抗議を行っている問題で、自民党は29日、同種のゲームが多量に流通している状況に歯止めをかける方策を検討するチームを発足させた。


 公明党も今月中旬に検討チームを作っており、与党内で規制強化をめぐる議論が本格化しそうだ。

 自民党で29日に発足したのは「性暴力ゲームの規制に関する勉強会」。先進国のなかでも性暴力関係のゲームや児童ポルノへの規制が緩いと指摘されていることを踏まえ、関係省庁からヒアリングを実施。今後も会合を重ね、規制強化の必要性を検討していくことになった。

 出席した野田消費者相は「子どもを守るバリアが日本ではきわめてルーズだ」と指摘。座長の山谷えり子参院議員も「日本のコンテンツ産業をさらに発展させていくにも、こうしたゲームで信頼を損ねてはいけない」と話した。

 公明党も性暴力ゲームの問題を考える合同プロジェクトチームを今月中旬に発足。太田代表や国会議員らで秋葉原のゲームショップの視察を行い、有識者のヒアリングも行った。

 また、自民党の会合に出席した経済産業省幹部は、パソコンソフト業界の自主審査機関によるこれまでの対応として、〈1〉問題の性暴力ゲームの販売中止を流通関係企業へ要請し、国内で購買はほぼ不可能になった〈2〉「陵辱系」と呼ばれる性暴力もののゲームソフトは製造・販売を禁止する検討を行っている――と説明した。

(2009年5月29日23時20分 読売新聞)


う~んこれいつかライトノベルや漫画にもきますよね。僕なんかはライトノベルを月に2,3冊多いときは5,6冊くらい買っているわけだけど、ライトノベルのなかにもこういう規制の対象になる作品ありますよね。すごいグロい描写があったりとか。僕は読まないんですけどロリっぽいキャラが出てくる作品とかどうなるんだろ?

ただ、ゲームというか娯楽作品の多くは非道徳的な側面はあるかと。バトル物の少年漫画とか突き詰めてくとほぼ大量殺戮やってますよね。最近は人でないモノと敵対することでそこら辺見かけ上かわしてる作品が多いですけど。
モンハンなんてドードーやリョコウバトもかくやの乱獲と惨殺ですよね。モンハンは狩ったあとの獲物から素材をはぎ取るわけだけど、あれと現実世界で対応するものって牙や角目当てにゾウやサイを殺して死体の大部分は放置という密猟が相当しますよね結果だけ見れば(もちろんモンハンはあくまで正式な依頼で密猟とは違うけど)。レアアイテム狙いだけでモンスター狩りまくるのはもろに動物倫理とぶつかりそうな気が。

 結局のところ架空は架空、現実は現実ときっちり分けて考えられる人を増やすの(または増やすための教育)がいいんじゃないかなあと思います。ぜんぜんまとまってませんけど(きちんとした論理じゃなくてすみません)。



論文掲載拒否が苦痛?

2009-05-28 22:40:20 | Weblog
産経ニュースより

論文掲載拒否で苦痛 元大学教授が気象学会を提訴
「二酸化炭素(CO2)の増加が地球温暖化の原因」との通説をめぐり、因果関係が逆と唱えた論文の機関誌掲載を拒否され、精神的苦痛を受けたとして、槌田敦・元名城大教授が27日、発行元の日本気象学会(東京)に慰謝料100万円を求める訴えを東京地裁に起こした。

 槌田元教授は熱物理学と環境経済論が専門。

 訴状によると、学会員の元教授は昨年4月、「地球温暖化が原因でCO2が増加する」との論文の掲載を申請したが、「説得力のある論拠が示されていない」と拒否された。今年2月には、学会主催の定期大会での講演を申し込んだが「学術的な発表ではない」と拒まれたとしている。

 元教授は「会員には機関誌への論文掲載や定期大会での研究発表をする権利が定款で認められている」と主張している。学会側は「訴状が届いておらず、コメントできない」としている。

読んだ瞬間「はぁ?」と言ってしまいました。
ふつうに考えると、論文が掲載拒否されるのは学問の世界ではよくあること。掲載拒否されたくらいで学会を訴えるのはどうかと思います。学会に追放された異端の科学者を気取るつもりでしょうか(というか名を売るための話題作り?)。学会の定期発表についてはよくわかりませんが、自分だけ発表時間を増やせとかいった無理な要求でもない限りは発表は認められるはずだと思うんですが。いったい何をどう発表するつもりだったのか。

ウェブに訴状が公開されないものか。

いい加減にして欲しいなあ

2009-05-27 21:13:58 | 熊森
ゆーにさんのブログより。
アライグマに鳥インフル
>内容はさまざまでしたが、最後の討論が非常に残念だったと思います。生物多様性の日なのに最後が動物福祉、特に動物愛護団体のクレームで終わるなんて・・・。


どうも先日、国連大学で外来生物のシンポがあったときに日本熊森協会がクレームをつけに行ったようです。熊森が以前兵庫でも同じことをしたということは知っていましたので、個人的にはまったく違和感がありません。むしろまたかと思いました。コメンテーターさんはご愁傷様としか言いようがありません。
具体的なことはゆーにさんのところにアップされるのを待ちますが、こんなことがあったんではなかろうかと想像。

熊森 外来生物を殺すのは良くない!(外来生物についての擁護論を展開)

その他の人 (何この人!?)

コメンテーター (ちゃんと説明したんだけどなあ、聞いてなかったのかなあ)
熊森の質問や意見に答える。

終わって次の講演

熊森 外来生物をスケープゴートにするな!!(先ほどと同じ内容の主張)

その他の人 (またですか?)

コメンテーター (さっきも説明したんだけどねえ。しょうがないなあ)
熊森の主張、質問に対応する。

また次の講演

熊森 外来生物にだって命はあるんですよ!!!(また繰り返す)

その他の人 (あ~もういいよ。時間もったいない)

コメンテーター (さっきから同じことを何回も説明させるなよ。いい加減にして欲しいんですけど(怒 )
いい加減うざいと思いつつも主張、質問に対応する。

このようなことがあったのではと想像してしまいました。コメンテーターの方々はお疲れ様でした。今回は海外からも研究者が来られたということですが、彼らにとって熊森は何だかわけのわからないものであったと思います。熊森のことを知らなかった人も同様でしょう。また、熊森のことをすでに知っていた人にとってはいつも通りの主張が繰り返されるだけのつまらないものだったと思います。今回基調講演をしたのは兵庫県人と自然の博物館館長の岩槻邦夫氏ですが、氏はこういったことに何度か会われているはずなので平然とした風を装いながらも心の中では「またか・・・」とため息を吐いていたかもしれません。


なにをメリットとして示せるのか

2009-05-24 00:24:52 | 熊森
熊森のHPからです。
●生物多様性条約第10回締約国会議COP10に向けて

>これを見て、日本には本当に自然保護団体が育っていないなあと、改めて思いました。

おやおや初っ端からよそ様を馬鹿にしてますね。他人を否定するからにはそれなりの根拠と論理を備えなければ身内向けのアジ演説にしかなりませんが。熊森がこういった方々とガチで議論したことってありましったけ?池田清彦を引用して批判もどきはやってますけどそれって池田氏の論理が崩壊したとたん無価値ですよね?

>名古屋といえば、日本熊森協会の愛知県支部です。会員数もかなりになっています。「CBD市民ネット」に入ったからといって何ができるのかわかりませんが、参加を検討してもらいましょうか。

かなりうちには人数がいるから参加させろですか?それってごり押しとどう違うの?何ができるかはわからないって自分で「現状僕が参加しても何にもできませ~ん。詳しいことは入ってから決めますね」って言ってるようなもんでしょうが。それって「おれはいつかビッグになるぜ」とかいいつつ何もしない人と変わらないじゃないですか。何でそんなのをリソースさいてわざわざ入れる理由がありますか?まずは「自分たちはこういう理念を持ってこれこれこういう事で協力できる」とかメリットを示していかないと先方も受け入れる理由がないのではないでしょうか。

ついでにある人から聞いてなるほどと思ったことを引用しておきます。
「クレームで人は動かせない」


反面教師としてのサンプル2

2009-05-23 22:22:04 | 議論
 綾波さんへのお返事も兼ねて。

>ある学問分野に深く関わるにつれて、他の学問分野への尊敬も生まれてくるものだと思うのですが、彼や、分野外の世界にホイホイ首を突っ込み、適当なことを言われる方は、どうもそう言う感覚をお持ちではないのでしょう。

ある分野を知るにつれ、その分野がどのような論理で構成されているかその論理はどのような証拠に裏付けされているかがだいたいわかってきます。そして論理性や根拠のない言葉は一顧だにされないことも。そういうことがわかってくると他分野からの引用にも気をつけるようになりひいては他分野を構成する論理や知識について敬意を払うことになります。自分の言論のネタにさせてもらってるんだから当たり前といえば当たり前ですが。

 結局あの人は知るための努力すらせずただその場しのぎの言葉を吐いて逃げ回るだけのようですね。反論歓迎とブログのトップに書いてあるにもかかわらずそういう行動をするのは自分の論と向き合う気がなく、気ままに責任を負うことなく発言をしたいという意識の表れなのではないでしょうか。ぼくもたまに突っ込み歓迎などと書きますが、これは自分の言動と行動とが一致していないと自分の株を下げるだけというのがよくわかります。そういう意味でもあのブログは参考になります。
ただ、言いたいことを言いまくる布石としてはあのように不誠実な行動は意味があるのでしょう。本人は意図していないでしょうが論理性も根拠もないことを言い続けているうちに他人からは議論の相手としては見てもらえなくなります。そうなれば(議論のコストに見合わないから)反論も来なくなりやがて自分の論に賛同してくれる人たちと好き放題言いまくれるユートピアができます。それでどういうリスクを負っても知ったことではありませんが。

 彼らのような不誠実な人と向かい合うのは結構疲れます。議論をするとしてもハイコストローリターンですが、彼らから何も学べないのかというとそうでもありません。彼らがやっているのは不誠実で議論に値しない言動ですから、彼らの言動や反論に対する対応を見ることで議論でやっちゃいけないことはわかってきます。あとは自分が同じ轍を踏まないように「自分の論理、態度に彼らと一致することはないか?」という自問自答をしていくことで自分の論者としての質を高めていくことはできます。それが最短コースかは別として。
完全には近づけなくても間違ったものから遠ざかることはできるんですよね科学も論理も。 

追記 “100%”は不適切に思えてきたので“完全”に変えておきます。あと“0%”も“間違ったもの”に変えます。

反面教師としてのサンプル1

2009-05-22 14:53:07 | 議論
 詭弁や論者としての態度を考える上で非常に参考になるブログを見つけたので紹介します。

高校情報科教員の学校ネタ・授業ネタ

最近の記事とそのコメント欄を見てもらえばわかると思いますがかなり荒い論理構成で記事を組み立て、コメント欄で突っ込みが来るとアドホックな言い訳や相対主義に走る人のようです。
その一例

<凡人さん> の言う
> 視点が異なれば、正しいものも変わってきます。
の意味は、次のようなものだと (勝手に) 理解しました。
◇ 「地球が太陽の周りを回ってる」 という見方
◇ 「太陽が地球の周りを回ってる」 という見方
◇ 「天動説よりも地動説の方が合理的だ」 という見方
◇ 「地動説も天動説もどちらも正しい」 という見方
のようにいろんな 「見方」 ができて、すべて正しい。
同意です。
2009/5/21(木) 午後 9:59 [ omori ]

自己中な視点に立てばどんな暴論でも正しいことになります。

糞は糞として正しいものです。
味噌は味噌として正しいものです。

ただし
糞を味噌だと言ったら間違いだし
糞を味噌の替りに使う人は居ないと想う。
2009/5/21(木) 午後 11:17 [ ysigle ]

<ysigleさん>
凡人さんへの返事の中で、ボクが 「正しい」 と書いたのが、誤解の元だったかもしれません。
・・・ いろんな 「見方」 ができる。 いろんな 「見方」 が成り立つ。
それくらいの意味合いだと思ってください。
それぞれの優劣を比較して 「どっちがより正しいか」 と言ったつもりはないし、
「同等に正しい」 と言ったつもりもありません。
単に 「いろんな見方がある」 ということであって、「どっちの見方がより妥当か」 は別の議論です。
2009/5/21(木) 午後 11:32 [ omori ]

<ysigleさん>
次のように考えたら、いかがでしょうか。
◇ 「事実」 の判定基準は、「真か、偽か」 、「正しいか、正しくないか」 の2択で、その中間は無い。
◇ 「見方 や 考え方」 の判定基準は、「妥当性」 で、0点から100点まで無限段階の幅がある。

ボクは、「見方 や 考え方」 に、「完全に正しい」 とか 「全く正しくない」 という判定基準は、そぐわないように思うんですよ。
「事実」 は 「オール or ナッシング」 のようなデジタル的な判定基準で良いと思うけれど、
「見方・考え方」 は 「かなりイイ線いってる」 とか 「うーん、イマイチ」 とか、そんなアナログ的な判定基準の方が良いんじゃないかと。

そういう意味で、
◇ 「地球が太陽の周りを回ってる」 という見方
◇ 「太陽が地球の周りを回ってる」 という見方
◇ 「天動説よりも地動説の方が合理的だ」 という見方
◇ 「地動説も天動説もどちらも正しい」 という見方
のどの 「見方」 も、「それなりに妥当だ」 と思ったんです。
2009/5/22(金) 午前 2:43 [ omori ]

はじめまして。
この記事を最初に見たときは、教訓的な意味で、皮肉を書かれているのかと思いましたが、どうもコメントを見る限りではomoriさんは半ば本気で書かれているようですね。

「地球が太陽の周りを回ってる」というのは事実であって、ものの見方考え方ではないです。

また、どのような見方考え方にも、ある程度の妥当性を認める考え方は、何でもアリの状況を招くのではないでしょうか。
回転椅子に座っている人が、椅子を回転させながら周りを見て、
「自分が回っているのではなく、世界全体が回っているのだ!」と
主張したとしたら、その主張に「妥当性がある」と果たしていえるのでしょうか?
2009/5/22(金) 午前 6:26 [ sky*kd6*fly ]


あの懐疑の矛先が進化論に向かえば反進化論者一人前が瞬く間に出来上がりですね。懐疑というのもおこがましい。疑うことに酔ってるだけです。
コメント欄にオッカムの剃刀の話が出てきてるけどブログ主が知ってるかどうかは個人的な見立てでは微妙。そういう論理関係の話を知っていてあのレベルの論理構成というのはあり得ないように思えます。長くなったので続きを書きます。

しかしリンク先のブログ書いてるの高校の教師なんだよな・・・・・・マジでタイトルそのままだ。

感想そしてこれから読む本

2009-05-21 20:56:26 | 書籍
 最近、ネットで知った“「おろかもの」の正義論”という本を読んでいました。著者の小林和之氏は法哲学が専門のようです。読んでみて「ああ、なるほど」と思う部分が多かった本でした。扱っている内容が多岐にわたりなおかつ不妊治療や脳死など身近なことに焦点がしぼってあるのでとっつきやすかったです。伊勢田氏の「動物からの倫理学入門」から専門用語や倫理学史を抜いて再構成した感じ。倫理学に興味を持つにはなかなかいい入門書ではないでしょうか。倫理学や哲学を暇人がやることだと思っている人はこの本を読んで考え直してもらいたいです。
 そして、これから読む予定の本がブルーバックスの「分子進化のほぼ中立説」です。著者の太田 朋子氏は“分子進化の中立説”を木村資生氏とともに作り上げた人物です。分子進化の中立説では当初生存に不利な形質は自然選択で淘汰されると考えられていましたが、現在では若干不利程度なら不利な形質でも個体群に定着することが知られています。これらを踏まえてより洗練されたものが「分子進化のほぼ中立説」です。日本では一般向けの中立説を扱った本はあまりないのでものすごく期待してます。

遺伝子撹乱を進化生物学から考える

2009-05-17 22:11:22 | 遺伝的多様性
 まだまだ未完成ですが試験的に公開します。
 外来生物問題のひとつに外来生物とその外来生物に近縁な在来生物とが交雑することで起きる遺伝子撹乱というものがあります。全国的に有名なものに和歌山県のタイワンザル問題があります。近年では渓流魚の放流なども問題視されています。では、この遺伝子撹乱は何故問題視されるのでしょう?遺伝的な固有性が失われるというのがよくある説明ですがかなり具体性がなくわかりにくい気がします。単純に考えれば交雑したことにより遺伝的多様性は増すように思われるし事実そう思っている人も見受けられます。この疑問に進化生物学的な視点から答えてみようというのが今回の趣旨です。
 まず、交雑するほど近縁ということはその外来生物は在来生物とほぼ同じ資源を必要としている場合が多いです(ここでいう資源には餌や生息地だけでなく産卵場所や配偶者といったものも含みます)。タイワンザルとニホンザルはほぼ同じものを食べますし、ニホンバラタナゴとタイリクバラタナゴは同じような餌や環境、産卵場所を好みます。この結果、外来生物と在来生物の間に強い自然淘汰が働きます。自然淘汰とはおおざっぱに言って、自身の生存と次世代に残す子孫の数で争う生物間の競争です。この競争には、餌や住処をめぐる争いのほか、配偶者をめぐる争いも含まれます。自然淘汰に敗れた場合、敗れた方は子孫の数が少なくなってゆき、やがて絶滅します。絶滅すれば、遺伝的多様性も失われます。これらのことから、在来生物のことを考慮しない近縁な外来生物の侵入は、在来生物を絶滅しやすくさせているだけといえます。
 交雑するほど近縁な外来生物を持ってくるということは在来生物が遺伝子を残しにくい環境をわざわざ作っているということです。たとえばシナイモツゴでは近縁種のモツゴが侵入したことでシナイモツゴのオスが遺伝子を残す機会が失われています。モツゴのオスがシナイモツゴや同種のメスと交配できるのに対し、シナイモツゴのオスはモツゴのメスと交配することはほとんどありません。つまりシナイモツゴのオスが遺伝子を残すには同種のメスと交配するしかなく、さらにその配偶者はモツゴにとられて数少なくなっているのです。
 遺伝子撹乱の問題は“何を残すのか?”という視点をしっかり持っていないと誤解しやすいのかもしれません。また、生物多様性という言葉の“多様性”という部分も誤解を招いている一因なのでしょう。ここについてはまた今度。


下ネタをつけられた外来生物

2009-05-14 20:28:22 | 外来生物
 すっかり春ですね。道端を見ると色とりどりの花が咲いていますね。今日はその一つである外来生物の話です。オオイヌノフグリという植物をご存じでしょうか。日本全国どこでも見られ、春に青いきれいな花を咲かせます。この植物はヨーロッパ原産で日本には百年ほど前に定着したようです。で、このオオイヌノフグリのフグリというのは陰嚢の別名。つまりオオイヌノフグリとは「大犬の陰嚢」なんですね。ただしオオイヌノフグリには犬の陰嚢と似た部分はありません。なんでこんな名前がついたかというと近縁種にイヌノフグリという植物があってそれに似ていたからです。ですから正しくは「大きなイヌノフグリに似た植物」。名前の由来となったイヌノフグリは種子が犬の陰嚢に似た形をしています。ちなみにこのイヌノフグリは環境省のレッドリストで絶滅危惧Ⅱ類となっています。名前はあれですが珍しい植物なんですね。
 このようにイヌノフグリに似ていたばかりに下ネタをつけられたオオイヌノフグリですが、wikiで調べたところオオイヌノフグリには瑠璃唐草や星の瞳といった別名があるようです。ですから今度道端でオオイヌノフグリを見つけたら星の瞳があるといってやってください。

少し反省

2009-05-10 22:41:41 | 議論
 先日のコメント欄でのやりとりを自分なりに振り返ってみて。会話がほとんど噛み合わなかったのは僕の頭が少し硬かったかもしれないと「議論のルールブック」を読み返しながら思っています。あともう少し具体的に質問すべきでした。相手に具体性を求めながらなにやってるんだか。どうも思考が相手を論破することに偏りがちだし、自分が議論をするにはまだお子様ということがわかったのはよかったかな。とりあえず「議論のルールブック」を読み終えたら「哲学思考トレーニング」でも読みますか。