ならなしとり

外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。

僕らは無価値ではない1円玉だ

2012-09-30 14:31:53 | 議論
 もう半年近く記事のないブログなのになぜか300~500PVを稼ぎ出すのが不思議な梨です。半年前に倒れた身内は軽い後遺症が残ったものの元気になりました。ここを閉めると宣言した時は清々したものですが、書かなきゃ書かないで溜まってくるとは難儀なものです。
さて、今回は「勉強」ということについて。
要点だけ先にまとめると
・価値を見余った要求は意味がない
・教育や啓蒙は一個人をケアしません
・情報を求めるなら対価は払え

私たちは勉強がキライです

僕が上記のまとめを見て思ったことは「だったら勉強しなくてもいいよ」です。モチベーションが上がらないならやらなくたっていいでしょう。幸か不幸か今の日本は放射線の知識がないくらいで即死するような修羅の国ではありません。為政者など社会的責任のある立場なら話は変わりますが、一般人がやらなかったところで大勢に影響ないですし。だったら手間のかかる勉強などせずに楽しいことやって過ごすのも人生の戦術としてありでしょう。所詮僕らは1円玉です。大量に失われることがあれば社会に大きな影響を与えますが、大多数はいくらでも替えが効く。そんななかで1円玉を磨くのに100円や500円玉と同じだけの扱いを求めるのがどだい無茶な話。
例えば僕がいなくなろうが梨の代わりなんてそのうち出て来ますよ。4年か5年自然に触れ、保全生態学や論理学を大学レベルの教科書できちんと勉強すれば僕以上の人間になれる。
逆説的に言えば僕程度になるにも習熟に数年を要するということでもありますが。
僕は勉強は最初に教科書3冊読むだけの根性を出せるかが分水嶺と見てますし、そこを越えない人には何をやっても無駄とも思ってます。教科書を蔑ろにして勉強しない人間なんてたとえそれらしいブログ記事を読んだところでわかったつもりどまりです。どうせここを2年近く見ていてなお熊森の何が問題かもわからなかった人間も2人は確認してますし、昔ほど啓蒙に夢は見ていません。
そもそも教育や啓蒙というのも“なるべく”大多数に理解してもらえるのがいいのは確かですが、その中で一個人が理解しなかったところで大して影響ないわけで。とことん自分を磨いてもらうつもりなら端から大多数に向けた教育や啓蒙に頼らず家庭教師を雇った方が早いですよ。
そしてそういった個別のケアなど高度な要求をするのなら最低限対価は払わないとだめでしょう。善意の専門家の手弁当に甘んじていないで情報に対してお金を払うくらいはしないと。僕の場合はこれはいいと思った本はなるべく購入しています。それが著者への支援になりますからね。タダでできることには限界があります。一声支持の声を上げた程度で教える側のモチベーションが続くと思うならおめでたいし、個別の応対まで求めるならそれは情報弱者を隠れ蓑にした社会的強者の搾取というのですよ。現実を見ても武田邦彦などデマを流す側は強力な支持者勢の確保とそれによる資金源の確保を成功しています。そこが崩れない限り奴らは平気な顔でデマを流すでしょう。

徒労

2012-03-16 10:42:38 | 議論
 この前の記事にこういう反応が返ってきました。ご丁寧にはてなidコールの呼び出し付きで。

誰が「正しく怖がれ」といったのかという問題

誠意

これだけでもコメント欄を含め相当長いので読むには根気が要ります。時間をどぶに捨てる覚悟のある方だけどうぞ。

id:salmo氏はわかりにくい比喩と評しているが、むしろ比喩だからこそ現実の何を置きかえたものか理解を要求されるため、わかりにくく感じているのではないかと思う。


そもそも、わかりにくいないし誤読されまくる比喩ってなんの価値があるのでしょうね?端的に比喩として失敗ということでしょうに。わかりにくいだけならまだしも現実にあてはめようとすると具体的にどこを指すのか玉虫色の解釈ができるようではモノサシとして役に立たないんじゃないですかね。 僕の指摘のキモは「その言葉の指す範囲が不明瞭で現実のどこに対応しているのか分からない」に尽きます。誤読だなんだの言ってる割にはあの文章からは現実におけるこの範囲であることが厳密に示されているとか論証するわけでもなくひたすら比喩としては面白いだのいったい何がしたいのか。


たとえば「正しく怖がる」の発案者が菊池教授ではないこと、原義の御用学者が多用する表現と菊池教授自身が語っていたこと、それぞれ改変ジョークそのものとは別個に指摘できることです。前者は「正しく怖がれ」を肯定しつつDr-Seton氏を批判した言説が「正しく怖がれ」の用法を一部領域のそれでしか知らなかった証拠ですし、後者は「正しく怖がれ」が御用視されやすい背景があることを一人の科学者が認めたということです。
つまり「正しく怖がれ」という発言者のモデルを菊池教授と特定することは早計にすぎるだろうし、菊池教授個人の態度で「正しく怖がれ」論全般を擁護するのは無理筋ではないか、ということです。

そして雑誌記事の例を示し、改変ジョーク以上に戯画的で見当違いな要求をつきつける「正しく怖がれ」論者が存在することや、その論者が一定の影響力を持っているだろうことも、私は指摘できたつもりです。


ああ、うん。つもりでしかないですね。
説明するまでもないかもしれないけど、DHMOってニセ科学批判とかで有名な逸話。元の記事からしてDHMOネタを持ち出しておいて、その批判対象にニセ科学批判界隈やそこの有名人を連想しない方がよほど文脈読めてないでしょうね。他の人の事例を挙げてはいますが、それで?としか言いようがないです。むしろ発端となった記事の切り分けが好意的に見ても大雑把な証拠にしかならないでしょう。「正しく怖がる」というワードだけで切り取ればいろいろな立場がごちゃ混ぜになるのですから。


間違いが厳然としてある場合、批判してはならないとはいえませんよね。せいぜい、その間違った論者を特定できるように記述するべき、つまり批判を一部にとどめるべき、といえる程度です。
そして、不明瞭という問題はあったとしても現実の一部を切り取った表現であるということは、改変ジョークに風刺として一定の意味があることを示し、私が前回エントリで書いた「一面しか切り取っていないこと自体は何も悪くない。もともと寓話とはそういうものだし、究極的には全ての表現がそういうものだ」という主張に直結し、さらには過去に書いてきたドキュメンタリー感想などのエントリとも繋がっています。


その切り取り方が問題なんですけどね。どこまで当てはまるのか分からないのようなものを持ち出されても合意形成ができるとは思えない。


つまるところ私がしていることは、過去にも下記のような放射能にまつわる寓話を書いた一人としての、徹頭徹尾ポジショントークというやつです。
(中略)
>法華狼さんはシートンさんのエントリを理解できているので反論可能ってことなんですかね?

もちろん私自身の意図、ポジションとしてはそうなります。私の方が正確に改変ジョークの問題点を洗い出せる、と。むろん客観的にそうかはわかりません。


ハァ・・・・・・・。だったらあなたで一人でやってくださいな。貴方のポジショントークにこっちが付き合う義理なんてない。ポジショントークのダシに他人を使った挙句、わざわざ呼びつけてまで自己顕示するというのはよくわからないですね。正直、そんなものに他人を巻き込むなんていい迷惑だなと思います。「誠意は伝わらない」なんて言ってますけど、他人をダシにするような人間がなにおかいわんや。仮にそれを抜いても、こっちは具体論に踏み込んで論を述べているのに、一人だけのらりくらりと躱す状況でどこが“誠意”なんですかね?加えて言っておくと、徹頭徹尾、元の記事が現実のどこら辺を具体的にカバーしているのかには触れようともしないようですし、僕の最も重要な論点である「指の入ったラーメンとは何か?」は他の人に質問されても無視を貫くと。読めているというならさっさと開陳すればいいのに。
僕としてもこれ以上、この人は相手にしません。やってることがかまってちゃんと何ら変わらない。こうして返答の記事を書くこと自体、相手の自己顕示欲を満たしてやってるようなものでしょうし。今後はidコールされても無視します。この人からのコールが僕にとって有益と思えませんから。むしろ嫌がらせ。ああ、そうそう。昔、熊森関係で噛みついたのは軽率でした。そこはこちらの落ち度として謝っておきます。
ここまでグダグダ書いてきましたが、あの人たちに抱いている疑問を1行で言うと「なんでシンプルに具体例に切り込まないの?」に尽きます。
・・・・・・正直「現実をうまく切り取ってないからあれ使えないね」で済む話がなんでここまでこじれてんのかわけわかんない。

比喩なのにわかりにくい 訂正あり

2012-03-04 11:33:50 | 議論
 2月末にこのような記事が反響を呼びました。

「正しく怖れよ」な人には水を引っかけちゃいな

この記事の比喩に対して不適切という声が多数ありましたが、僕が気になったのはそこじゃないんですね。比喩というのは、“わかりやすく”するために出すもので、適切かどうかはさほど重要でない。
それよりも問題なのは“比喩なのにわかりにくい”ということ。まず「指の入ったラーメンを出した店員」は現実において誰なのか?ということ。放射性物質をまき散らしたのは国と東電に責任があることはいまさら議論の必要があるとは思えません。そういう意味では店員=国や東電であるならば一応理解できます。しかし、正しく怖がれと言っている人は国や東電ではないですよね?僕が記憶している中では、「正しく怖がれ」というフレーズを使いだしたのは菊池誠氏あたりが去年の夏ごろから使い始めたと記憶しています。しかし、菊池氏は原発推進に加担していたわけでもないし(だからエア御用なんて言われる)、被災地への補償はちゃんとやれと言っています。

つまり、言及先で水をぶっかけろというのは、実際にいるかいないかよくわからない領域(←追記にて訂正)の人であるわけですよ。それ以外の「正しく怖がれと言っている人」に対してまで水をかけろ(うちのこの記事では非難しろ、まともに取り合うなの意)というのであればそれは状況を加味しない理不尽な行為なわけです。
言及先では店員=正しく怖がれと言っている人な図式ですが、正しく怖がれと言っている人があの震災で放射性物質をまき散らしたことに加担していた事例でもあるのでしょうか?複数の立場がごちゃ混ぜにされていて実にわかりにくい。具体例の一つもあれば理解が進んだろうにと思います。
そして何よりも重大だと僕が思うのは「指の入ったラーメンとは果たして何を指しているのか?」ということです。指の入ったラーメンとはガレキを指すのか農作物なのかそれとも“被災地の人間”なのか。この比喩が現実に示す範囲も言及先では明らかにされていません。実際には被災地の人間が避難者であることを理由に遊ばせるなと言われたり保育園への入園を断られる事例が発生しているわけで。
「原発」理由で入園を断る、山梨

子供にとって遊ぶことや保育園などで人間関係を構築していくのって将来に向けての重要なステップですよね。それすら受けられないのは“指の入ったラーメン”だからで片づけることは可能なんですかね?
そして最後に。お客様であるのはいったいどこまでなのか?ということですね。これが被災地の人=お客様で彼らが国や東電に対して補償を求めるのは当たり前。でもね、実際に大きな声、それも復興への害になる声を上げているのは必ずしも被災地ではないわけで。そういったものに対するカウンター言説としての「正しく怖がれ」をベースにした情報提供なども駄目なんですかね?
このように、言及先の比喩を現実にあてはめようとすると良く言っても大雑把な切り分けしかされていないため“比喩なのにわかりにくい”ということになるんですよね。まぁ、そこらへんは言及先の次の記事で明らかにされるのでしょう。

おまけ

“正しく怖れよ”だの“「放射脳」”だの、放射性物質汚染被害を小さくみせたい人たちには、とりあえず水鉄砲で顔に水引っかけてやるのがいいんじゃないかな?


この発言を文字通り解釈すると菊池氏にも水をかけるのもこの人は肯定するのでしょうが、過去にバードストライク問題で文献ひとつ碌に読まず文字通り風車に突っ込んだ御仁が批判や異論にもきちんと耳を傾ける菊池氏より被害を正しく把握しているとは過去に相対した身からはとてもとても。あとは正しく怖がれに同意していても放射脳には賛意を示さない人もいるからそういう部分でも切り分けが大雑把ですよね。
社会生物学論争でのずぶ濡れウィルソンを思い出しました。
参考
風力発電とバードストライク 追記あり

幻想に揺蕩う

追記
TAKESANさんのご助力で検索してみたところ、このようなものを見つけました。

ケース解説 [放射線を正しく怖がっていますか?]

このようにどちらかと言えば国側でこのように発言しているケースもありますね。というわけでいるかいないかわからないというのは訂正します。それを割り引いてもなお、言葉の範囲が明確でないという部分は変わりませんが。

追記3/16
「正しく怖がる」というフレーズのもとは国立循環器病研究センターの説明によれば物理学者で随筆家の寺田寅彦氏だそうです。また、菊池氏でもないようです。僕の記憶違いで失礼しました。

ヨーグルトで学ぶ情報リテラシー

2012-02-18 01:08:45 | 議論
 最近、このようなまとめを読みました。

乳酸菌風呂

もう端からおかしいですよね。ちょっと画像も探してみましたが・・・・・・うわぁ、探さなきゃよかったorz
初めに断わっておきますと、梨は発酵については実家でカスピ海ヨーグルトを作るくらいの知識しかないですし、詳しいメカニズムも大してわかっていません。微生物系の勉強なんて大学で2単位分しか取っていません。それでもあの話がおかしいことは自分の経験からわかります。まず、ヨーグルトの作り方を見てみましょう。

ヨーグルトのタネを用意する。
清潔な密閉容器(←重要)にタネを入れる。
牛乳を500mlほど注ぎ込む。
保温(このとき魔法瓶やお湯を張った浴槽を使うこともあります。実家だと風呂に密閉容器ごと入れていました。無論、しっかりふたはしてます)
1日ほど置くと発酵してヨーグルトの出来上がり。

詳しい作り方は専門のサイトでも見てもらうとして、ここで重要なのは清潔な容器や器具(スプーンなど)を使うことです。ヨーグルトの作りの失敗の一つに雑菌の混入・繁殖があるからですし、そんなヨーグルトを食べたらお腹を壊しかねません。熱湯消毒などで容器や器具を清潔に保つのは基本中のキホンでしょう。
さて、ここで乳酸菌風呂というものを考えてみましょう。お風呂というのはカビが生えて掃除に手間取るくらい雑菌のあるところです。各家庭で差はあるでしょうが、熱湯消毒した密閉容器>>>>越えられない壁>>>>お風呂くらいの差はあるでしょう。日本で乳酸菌の代名詞とすら言えるヨーグルトでも乳酸菌の働きやすい環境を整えるために雑菌の混入に注意するのに、そんな注意も払わない雑菌だらけのお風呂で都合よく乳酸菌が増えるわけないでしょう?そもそもそんなに雑菌だらけの場所で乳酸菌が手間をかけずに増えるのならヨーグルトづくりに雑菌の存在なんて考慮されませんよ。
目新しく魅力的に聞こえる話は誰もが目にする機会があると思います。ただ、それを信用するしないにしろ、その前に考えてみたいのが「その話が本当だとすると現実にどんなことが起こるのか?それほど素晴らしいならなぜ今まで広まっていないのか?」ということです。逆に言えば、「その話が本当ならばこういうことが起きるはずだが実際は起きていない。ということは眉唾物なんじゃないの?」ということです。貴方の時間もお金も限りあるものなのですから、頭の中でちょっとシュミレーションしてから大事な時間やお金を投資した方が有意義だと思いますよ。

参考資料
プレーンヨーグルトの作り方

カスピ海ヨーグルトの作り方


醜悪

2011-11-21 21:38:07 | 議論
 他人を動かしたければ、道理をもって示すか、動きたくなるように働きかける必要があります。自らそういったことをしていないのに他人に対してああだこうだ言うのは、他人からすれば余計なお世話であり、他人を動かせない自分の無能さを他人に転嫁しているだけです。



ツキノワグマに興味を持ち、熊森に疑問を持った時に頼りになった人たちが、原発事故以降はそろって原発に優しい。なんで??御用学者批判をする人たちを批判するとか、被曝のリスクを証明しろとか言ってる。なんでだろう??


まさかとは思いますが、御用学者批判者ってきっことか東海アマとかエア御用のレッテル張りでいい気になってる連中じゃないですよね?
一例をあげるなら、きっこは数年前の外来生物法のおりにまったくモノゴトの本質の見えていない発言をしていました。

ザリガニの日


今年の1月31日に、モノゴトの本質がまったく見えてないニポンイチのバカ女、小池百合子の独断で、「特定外来生物被害防止法」の第1次指定の中に入れられたブラックバス。初めは、「国民の意見を聞いたうえで閣議決定する」と言って、一般からのパブリックコメントを募った。そして、集まった11万3792件のうち、9万5620件もの反対、つまり、84%もの反対があったため、1月19日の会議では、「とりあえず、ブラックバスについては、半年間は見送りして、もう少し実態を調査しよう」と言う結論になった。それなのに、厚顔無恥なバカ女王、小池百合子は、2日後の21日に、専門家を加えた正式な会議での結論や、多くの国民の声を完全に無視して、たった1人の独断で、「ブラックバスは害魚です!」って叫んで、大臣特権を使ってリストに加えたのだ。


環境省の議事録などを読めば特定外来に入れる根拠は十分だけどバス釣り業界がごねるから半年延ばしたのがわかりそうなものですが。
そもそもパブコメが人気投票でないことを理解していれば反対の割合など無意味なことがわかっているでしょう(ついでに言っとくと、外来生物法時のパブコメは一人で何通も送れたから件数=反対人数と言う単純な図でもない)。

この後も池田清彦の「底抜けブラックバス大騒動」に感化された文章を書くので、きっこのリテラシーについてはお察しくださいとしか。


原発マフィアとフクイチ3機メルトダウンに比べたら、熊森なんて可愛いもんでしょう


貴方がそう思う分には貴方の自由。でも、あなたの価値観をそのまま他人が受け入れるとは限らない。

・批判するのも結構大変
時折、書いてきたと思いますが、批判と言うのは大変な作業です。どこがおかしいのかわかるだけの知識、論理的思考は当然要求されますし、それを第三者がわかるように説明するだけの能力も必要です。僕は最初は外来生物関係で熊森を批判していましたが、それは僕が獣害について語るだけの力量が無かったからです。手慣れた論者なら自分の言えること言えないことの区別はつけており、力量がないのに批判などしません。さらに、力量をつけるために資料を取り寄せるお金も読みこなす時間も相応にかかります。僕は去年の熊森批判シリーズでざっと200~300時間は使いました。下手したらもっと多かったかもしれません。精神的にも疲れました。それでもやってきたのは“ただ文句を言うくらいなら少しでも他人を動かせる努力をした方がまし”と判断したからです。文句を言うだけの人間なんてこの世の中は一顧だにしないわけですから。

・何に時間を割くかは個人の自由
ぶっちゃけ、何の利益も得ていない一個人がなにを批判しようがその人の勝手でしょう。読者はあくまで読者であって顧客やスポンサーとは違います。
熊森を批判するのであれば原発も批判しなくてはならない論理的な必然性があれば別ですが、獣害問題と原発問題は基本的に異なる領域の問題です。環境問題と言うかなり大きなくくりで見れば同じものとみなせないこともありませんが、その場合は逆に原発を批判しておきながら熊森を批判しないのはおかしいなんてことも言いだせてしまえます。加えて、環境問題は獣害と原発だけではありませんから外来生物や気候変動、砂漠化などを入れろという声も出るでしょう。一個人がすべて過不足なくカバーするのはほぼ不可能です。「~を批判するなら、アレも批判すべきだ」というのはその必然性を示せなければ無意味で、領域の離れたもの同士ならなおさらでしょう。僕はこの手の論法を無敵論法(笑)と呼んでいます。

教科書を読んでテストに挑め

2011-09-28 21:15:53 | 議論
 きっかけは産経新聞のこの記事。

世界遺産とトンデモ科学


「生物の同一種が同じ形態になるのは、形態形成場に時空を超えた共鳴現象が起きることによる」
十数年前に英国の生物学者ルパード・シェルドレイクが提唱した「形態形成場仮説」だ。外部の集団と教えあったり真似(まね)しあったりしなくても、どこかでいったん「形の場」ができあがれば、他の同一種は時間や空間を超えた「形の共鳴」というプロセスで導かれていくという仮説である。

 例えばロンドンの実験室でラットの集団にある行動パターンを学習させると、まったく交流のないニューヨークの別のラットはもっと短い期間で身につけるという。これは進化には科学の力をもってしても解き明かすことができぬ、何やら大きな力が働いているというオカルト風な発想であり、このためシェルドレイクの著作は科学誌から「焚書(ふんしょ)もの」と糾弾された。しかしこの仮説、小笠原の固有種をみるとあながちホラ話と決め付けられないような気もする。


・・・・・・わけがわからないよ。小笠原と同じく大陸から離れた海洋の島であるガラパゴスでダーウィンが進化論のヒントを得たのは有名な話ですが(ほかにも育種学などからもヒントは得ている)。これくらいは進化生物学の初歩的な教科書に書いてあることなんですが・・・・・・。
 僕自身が常々考えていることに「何か問題に取り組むなら、まずその分野の大学1年レベルの教科書を読め」というのがあります。特に科学的なことなら、誰もが論文を読める必要はなくて、大概の事は教科書にある基本を押さえておけばなんとかなります。僕の経験も含めた身近な例を挙げれば熊森や池田、武田に代表される疑似専門家たちの言うことは基礎を抑えておけば最低限、違和感くらいは得られます。
無論、教科書を読んでなお、おかしな方に向かう人もいますので、基準としては目の粗いところはあります。とはいえ、教科書も読まずにおかしな情報に嵌る人の方が多いので、教科書で基礎を抑える時点でかなりのアドバンテージになります。
逆に言えば、教科書を読もうとするかはあなたのやる気を可視化する方法となります。
 ここで一つ問題があります。それは「あなたの妥当性は誰が保証するんですか?」ということです。自分で自分のことを妥当と思っていても、それ単体ではどうしようもないですよね。妥当な考えと自分で思っていても、他人からは妄想にしか見えないかもしれない。他者からテスト(評価)されることで初めて集団(社会)内での位置づけが決まりますよね。
僕にしてもブログに何か書くというのは自分の発言の確からしさを読者にチェックしてもらおうとしているわけで(たとえばこの前のGMO記事とか)。その結果としてここがおかしいんじゃないのと言われることもありますが、逆にそういう評価(否定にしろ肯定にしろ)をされないとテストの意味がありません。
科学なんてテストの連続で生き残った仮説が現状の主流なわけで。テスト(論文、実験を含む行動に対する妥当性、説明能力の評価)をするってのは科学の根幹ではないでしょうか?
教科書を読まずにテストに挑むと引用した記事のようになるわけで、悲惨な結果になりたくなければ教科書を読んだ方がいくらかましな見込みがありますね。




・・・・・・ここに書いたことって誰もが学生時代にやることやん。

適切に絶望して次に繋げよう

2011-07-14 20:15:46 | 議論
 今日はニセ科学批判などに梨が思うことです。きっかけになったのは、この記事なんだけど、前々から梨の中にたまっていたものです。

・「ニセ科学批判って詰んでるよね?」
 ニセ科学批判に限らないのですが、誤った情報の批判の多くは長続きできないと考えています。何故なら、適切に評価し支援する体制がないから。個人のモチベーションで続けるなんて、その個人のモチベーションが切れた時点で終わりなわけで。志を持った人は新たに参加してくるかもしれないが、やがて擦り切れる。支援体制もないのに戦い続けろってのも無理な話ですからね。保全で例えるなら、希少な生物がいる土地があったとして、今の管理者は保全しようと頑張っているが、その後継者がいない状態なわけで。
次に、情報へのリソースの注ぎ方が圧倒的にニセ<批判なわけだけど、情報の広まり方はニセ>批判がほとんど。つまるところ、単純に見た費用対効果がとても悪い。支援体制もなく効率も良くないって、ありていに言ってきついですよね。

・コミュニケーションの専門家の参入ってメリットがあるの?
 科学者と一般人をつなぐ存在として、サイエンスコミュニケーターとかリスクコミュニケーションの専門家が橋渡ししたほうがいいなんて話を聞くのですけど、彼らの参入にメリットはあるんでしょうか?はっきり言って、メリットが絶無というのが、僕の今の認識。ツイッターとかでたびたびリスクコミュニケーションを専門としている人の議論を見るんだけど、何の役に立ってるのかわかりゃしない。むしろリスクコミュニケーションの専門でない人の方がデマまとめなどを作ったりわかりやすく解説しようと四苦八苦していて、よほど役に立つことをしている。コミュニケーターはそういった情報を紹介する程度はやっているんでしょうか。それすらもやっていなければ、逆説的に役立たずですが。彼らの参入で事態が改善された事例ってあるのですかね。
やる気があるのかすらわからんコミュニケーター様はほっときゃいい。どうせ戦場に来ても役に立たん。役に立たないのはましな方で、下手すると特大級の地雷だけおいて逃げ帰りやがる。

・無い無いづくしでどうするか?
 僕の認識としては、今は支援もねぇ、援軍もねぇ、モチベーションは削れてく、無い無いづくしの状況ですが、ここから何を目指すのかは人それぞれでしょう。僕としては、誰もに伝えることはとっくに諦めました。聞く耳がある人に伝わればいいよねというある意味投げやりな状態です。じりびんになるのはわかってるけど、起死回生の一打なんて便利なものもないから、できること、やりたいことを地道にやるだけですね。でも、真面目にやってる人を嘲笑うこんな人にはなりたくないかな。

手間をかけない情報の取捨選択法

2011-06-30 08:01:19 | 議論
 今回は、情報の取捨選択について書きます。ここで紹介するのは簡単にネットに潜む雑音を排除して確からしい情報を判別する方法です。簡易的なものが多いので、多少例外はありますが、線引きの基準としてわかりやすく手間がかからないのが利点です。引き合いに出しているのは武田邦彦氏です。
1. 権威を判断基準とした場合
 一般的に論理的思考に関する本では権威に頼った論理展開を避けるように勧められています。しかし、医者が診察するのと素人がするのとでは病気や怪我の判断の精度に差が出ます。逆に、その人が権威を持つ理由と言っている内容の間に相関がない場合(例:文学が専門なのに生物学のことについて発言する)はその人を権威として信頼するのはやめた方が良いです。とりあえず、その人を権威として信頼する前にどのような分野で業績があるのかくらいは調べましょう。その人のプロフィールでも見れば多少はわかるでしょう。
これを武田氏にあてはめますと、そもそも彼の専門分野は資源材料工学であり、生物多様性にかかわる保全生態学や進化生物学、分類学の専門家ではありません。

2. 自分の専門分野で妥当なことを言っているか
誰しも、自分の得意な分野、言い換えれば専門分野を持っていると思います。自分の専門分野においてその人がどういう発言をしているか観察してみましょう。あからさまに間違ったことを言っている場合はほかの分野でも同じ過ちを犯している可能性もあります。
武田氏は・・・・・・お察しください。これからさらに明らかになっていくと思いますが・・・・・・。

3. 根拠は明確に示されているか
 発言をするときに根拠が示されているか注意しましょう。具体的には「この人はどういう理由でこう言っているのだろう?」と念頭に置いておくとよいです。 
他者が検証しやすいよう出典を明らかにしている発言は確実性が高い傾向があります。出典をたどられて誤った引用をしていたりすれば、それが明るみに出る可能性が高いからです。普通はそういったことは論者としての信用を下げるのでまともな論者ならやりません(少なくとも頻繁に意図的に起こすとは考えにくい)。さらに訂正できる形で情報提供していれば、仮に間違ったとしても訂正を通じて確かな情報を広げることに貢献できます。
逆に、根拠のない発言はただの雑音です。無視しましょう。あくまで梨個人の経験ですが、根拠を問われてきちんと明示できるかが建設的な議論をできる人とそうでない人の境になっている気がします。
科学書であるならば、最低限グラフなどの出典の明記と巻末に参考文献の記載くらいはしてほしいものです。
ちなみに武田氏の「生物多様性のウソ」にはグラフの出典どころか巻末に参考文献すらありません。
参考文献
「哲学思考トレーニング」伊勢田哲司(2005)

信頼できる発言と信頼できない発言を見わける基準、バスビー教授のTVインタビューへの疑問

批判者が求められてしまうもの

2011-06-10 22:28:07 | 議論
 いろいろ要求されると疲れるよねという話です。梨の暗黒面が噴出しているのでそれでもいいという方のみ推奨。
このまとめを読んで思ったことです。

Togetter - 「科学者への信頼は失われたのか?科学者達の努力と疲弊」

僕には関心のある数少ない科学者、サイエンスライターにこんなことを言っても彼らをより疲弊させるだけにしか感じられません。
大体、科学者の欠如モデル(一般人には科学的知識が不足している)では全然だめだという平川氏からして科学者にはコミュニケーション能力が不足しているという欠如モデルを使う始末。
コミュニケーションの専門家らしいですが、科学者側に伝える気あるんですかねぇ?相手はダメでも自分は使うなんてダブルスタンダードに見えますが。モチベーションの維持は科学者にゆだねてバックアップする気は疑わしく見えます。そもそもきちんとバックアップできる人なんて宝くじの一等より稀有で、無能が大手を振っているのが現状ですが。

 僕は科学系の議論は批判側(専門知を持つことが多い)にいろいろ高いものを求められるのが前々から不満でした。事実関係はともかく、交渉スキルに高潔な人格まで備えろと?人を聖人君子にでもする気ですか?聖人君子扱いってのは早い話が人として扱われなくなることだと僕は解釈していいます。不躾な質問にも答えろとか、懇切丁寧に説明しても「やっぱ感性優先させますw」な対応に耐えろとか、相手を自分と同じ人として見る気がないですよね。自分がそれをされたらという視点があるんですかね?
わかりやすい例でいえば火山の人(青プリンとも)。あの人なんか、専門資料、書籍を1Pも読む気はないけど俺に理解させてみろと言わんばかりの態度ですよ。あんなの相手にどうしろと。
科学者ないし相当する知識のある人って無償の場合ですらどんな相手もお客様と思わないといけないんですかね。大体、ニセ科学批判やる人は優しいから(梨はどうだか知らん)そこらへん(わかりやすさ、表現方法等)ある程度は汲んでくれるけど、批判者の善意に頼るしかないのであれば早晩崩壊しますよね。はっきり言って、現状の批判者は体のいいサンドバックでしかないのでは?とすら思う時があります。不満は聞いて、わかりやく教えて、でも理解させるのはそっちの責任だからねw(私が理解できないのはあなたが悪い)・・・・・・アホかと。社会的な問題を個人のモチベーションにゆだねられても息切れしますよ。聖人君子という名のサンドバックに誰が好き好んでなるか。で、このところの科学コミュニケーションの議論を見ていても、科学サイドを聖人君子化させようとするように見えて仕方ないです。

 僕としては、事実関係について厳密さを要求されるならそれなりに理解できるのですが、言葉尻を取り上げられて延々関係ないことを喋り散らされてもうんざりします。苛立ちが溜まってガス抜きすると今度はお作法のご注進が来ますしね。
よりよい方法云々いう人には「じゃあ、あなたが始めてください。無論、成果も出してください」でいいのではないですかね。いちいち真に受けていたらこちらの精神が持たない。使えそうなとこだけつまみ食いでいいでしょ。

 こういうことを言う書き手は嫌われるんでしょうが、わかりやすさや自分の世界を守るためでしか物事を判断しようとしない読者は成長しないと言っても差し支えないでしょう。わかりやすさは客観的な基準ではないし内容の妥当性と無関係に存在しうる。極端な例でいえば、小説ですよね。あれの面白さは科学的な事実とは別のところにありますし。科学的に見たら荒唐無稽だろうと面白さがそこで決まるわけではありません。自分の世界を守るためというのは逆に視野を狭める危険性があります。自分の世界観に合わなければ無視するなりその場しのぎの言い訳を重ねる場合がありますから。



幻想に揺蕩う

2011-05-22 21:05:16 | 議論
 前回、問題点を指摘した記事ですが、トラックバック後に見直してみたら追記がありました。なんともひどい言いぐさで、こちらが呆れるほどです。

5/13 追記

バードストライクに噛みつく人が多くて驚きました。皆様、それほど鳥類保護に関心があったとは。

いきなり皮肉ですか。バードストライクについて指摘した幾人かは戯れで指摘したわけではないのですが。さらに言えば、噛みつかれたのはあなたのわきが甘かったせいですよ。皮肉の前にやることがあるのでは?

はっきり云っておきます。本文中にあるように、無視すべきでは無いと思ってはいても、もともと低周波問題もバードストライク問題も大した障害とは考えておりません。

問題点(認識の甘さ)を指摘されたら逆切れしているように見えるのですが・・・。たいした問題じゃないから、ああいういい加減な解決策という名の思い付きを口にしたわけですか?その割には初歩的な部分で躓いていましたが。


風車のバードストライクに詳しいらしい方々はこうした話を知ってます?
高尾山天狗裁判

中略

別に圏央道に限りません。我が静岡県では第二東名の建設で山間部が切り開かれていますし、静岡空港建設ではオオタカ生息地が失われました。「(オオタカなど)追っ払ってしまえばいい」と発言した県議もいましたし、実際、空港建設後オオタカはいなくなりました。日本全国、野生動物は開発に伴う環境破壊で生息地を逐われましたが*7、「風力発電はバードストライクがあるからダメ!ゼッタイ!!」と云う人が、その状況にどれほど注意を払ってきたか。まったく注意など払ったとは思えませんね。原発被災後でさえ、「経済のために原発やむなし」と云う人たちが、野生動物保護のための環境保護(開発放棄)を認めるとも思えませんから。

無論、裏は取っているのでしょうね?ご自身が無知という名の風車に突っ込む鳥ではありますまい。皮肉を言ったつもりでしょうが、あなたが無知であったという現実は微塵も揺らぎません。話をすり替えずに問題点と向き合ってください。
皮肉抜きで言うと、日本野鳥の会がトンネル建設撤回の要望書をだしているのですが。
それにしても「ダメ!ゼッタイ!」というのはどこのどなたのことでしょう?僕にしてもやるなら現状認識をちゃんとしてくれ(そのうえで議論するのは構わない)という立場なのですが。藁人形でないことを祈ります。

ですから、バードストライク問題は“ためにする難癖”に過ぎない。低周波問題も同じです。それほど近隣住民の健康問題が気になるなら、鉄道、道路、空港、工場周辺住民はどうなのよ?という事になる。
この問題に関しては(原子力消極的賛成派に対し)まともに取り合う気などありません。本当に、バードストライクや健康問題を本当に気にする人なら、原子力に賛意を示す、なんて事はありえませんから。

自分の間違いを指摘されると、逆切れして論点をずらした挙句、現状認識なんてどうでもいいとうっちゃる人間のようですね。一つ言わせてもらえば、“そんな人間のほかの発言は信用できません”
現状認識をおろそかのままで良しとする人間がきちんとほかの分野でも情報収取をしているのでしょうか?
ある人間のいうことを信頼できるかどうかの簡易判定法に“自分の知っている分野で的確なことを言っているか”というものがあります。今回の一件、僕から見れば、この人は論者として信用できないと考える根拠が一つ積みあがりました。