ならなしとり

外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。

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理解できないカオス状態

2009-02-26 22:28:17 | Weblog
 先日の記事から数日が経ちましたが、ニセ科学関連の話がさらにこんがらがっている気が。「ネット右翼と疑似科学批判は似ている」とまで言うお方まであらわれ、それに同調する人も。
とりあえずこの二人に感じた違和感を書いておきます。
ニセ科学批判の人たちとは議論ができない

>ニセ科学批判の人たちとは議論ができないんです。人によって言うことが違い過ぎて。

ここでも議論にならなかった具体例は出ていないというのは置いといて・・・・・・
議論できない云々以前にコメント欄つけたら?勝手にニセ科学批判者をひとくくりにしておいて、いざ議論となれば人によって言うことが違うって、かなり恣意的に一般化と個々の事例を混同してませんか?
あと別のエントリでは国籍法での天羽氏批判がないとか言ってるけど、国籍法関連では地下に眠るM氏のほかにも天羽氏を批判しているニセ科学批判者がいるんですけど。ブクマコメでも、よく知られたニセ科学批判者は天羽氏を擁護なんてしてない。むしろ失望したといったコメントがあるくらいなんですけど。
ほかにもリスクについて少しは勉強しろボケとか言いたいんですが止めておきます(はじめにを読んだら壮大な釣りに釣られたとわかった)。もうひとりについてはまたあとで。
 


ニセ科学批判に期待しすぎてはいけない

2009-02-23 19:44:55 | Weblog
 最近、よく見るブログ界隈で“ニセ科学批判”批判とそれに対する反論が盛んになっています。ことの発端はとあるブログがいろんな意味で打ち上げ花火的な言動をしたことから始まりました。いつもどうりの具体論に踏み込まないメタぶりっこで当然ながらはてブに突っ込みが来ています。それを受けての言い訳がまたすごい。

>何も考えず適当に書くだけで、はてぶホイホイが完成するとは楽で良い。
(中略)
ニセ科学信者と、それを必死で叩くニセ科学批判信者がいて、多くの人はそれを遠くから見て『暇な奴らだなぁ』と思いながら指差して笑って楽しんでいる時、自分も同じように遠くから笑っているのが楽しくて、外野から超無責任に好き勝手言える感がたまらない。

なんで「私が勉強不足でした。出直してきます」が言えないかな~?山月記に出てくる詩人みたいなものなのか。
 それらを受けて地下に眠るM氏のエントリ。エントリそのものに異論はないんだけど、そこのエントリにあがっている人たちの一部はニセ科学批判について誤解しているに思われました。
たとえば、「それで結局、ニセ科学批判って効果あったんだっけ?」

>そもそもニセ科学批判活動の効果というものは、測定したり検証したりできるものなのだろうか? 有効かどうかもよくわかっていないものを、彼らは“いいと信じて”やっている、ということなのだろうか? もしそうだとしたら、それって、彼らが批判するものたち(たとえばホメオパシー)と、その点じゃたいして変わらなくね?って思ったんだった。
 
 ニセ科学批判というのはどちらかというとリスクへの対処よりリスクの予防に重点を置いている場合が多いと僕は考えています。たとえるならライフラインの定期的な点検のようなもので、そもそも事故を起こさない(起こる確率を減らす)ことを主眼にしているわけです。だから、ニセ科学批判によってどれだけの人が助かるのか具体的な数字を出せというのはかなり難しいと思われます。

動物からの倫理学入門 補足

2009-02-20 21:24:33 | 書籍
 「動物からの倫理学入門」の感想に「移入種」ではなく「外来種」という言葉を使うのが一般的と書きました。これについて、なぜ「移入種」ではなく「外来生物」を使うのが一般的なのか理由を説明していなかったので、説明します。
 生態学では、「移入」という言葉はその生物が自力で移動してきた場合にも使われます。これが「外来生物問題」で使われた場合、送り手は人間によって持ち込まれた生物のことを指しているつもりが、受け手には自力で移動してきた生物のことも指しているように聞こえてしまう危険性があります。「外来生物問題」の場合、あくまで人間が持ち込んだ生物によって起こる環境問題なので、人間によって持ち込まれたことを強調するため「外来種」という言葉が使われます。
 このあたりのことがもっと知りたいという方は「外来種ハンドブック」を読んでください。この本のいちばん初めの方に説明があります。

動物からの倫理学入門 感想

2009-02-18 22:25:29 | 書籍
 伊勢田氏の本の感想です。と言っても第1部基礎編と第7章しか読んでいませんので全体についての感想ではありません。
 第1部は人間と動物をどこまで別のものとして扱えるかを「種差別」をキーワードにメタ倫理学や社会契約説を紹介する形をとっています。このなかで利己主義などとからめて進化論も出てきます。進化論の説明の仕方がうまいのはさすが伊勢田氏といったところでしょうか。
 第7章では野生動物問題を通して倫理学を考えるというアプローチをとっています。ここではタイワンザルの交雑問題や獣害問題がとりあげられています。
 とくにタイワンザルの交雑問題では、ニホンザルの純血性はタイワンザルの命より優先されるものなのかという疑問が提示されていました。これは倫理学の観点から見たら当然の疑問でしょうね。僕もこの問いに倫理学の観点から答えを出すことは今のところできません。
 ただ、少し突っ込ませてもらうと、この本では「移入種」という言葉を使っていますが、現在専門家の間では「移入種」ではなく「外来種」という言葉を使うのが一般的です。伊勢田氏の使っている参考文献が用語が決定されていないころのものなのでそこは仕方ないかもしれません。
 細かいところで突っ込むとこはあるかもしれませんが、「種差別」というのがかなり私たちと深い関係を持つということがわかっただけでも読む価値はありました。

池田氏の温暖化懐疑論

2009-02-16 21:28:09 | 池田清彦
 綾波シンジさんに頼まれた(なんか不遜な言い方だな)池田氏の温暖化懐疑論を「正義で地球は救えない」から引用します。僕は温暖化についてあまり知識がないので正確な判断はできませんが、それでもヤバそうに思われる部分を引用します。

P26>百年前より0.7℃高いことがどれほど問題なのだろうか。

P27>二〇世紀前半は化石燃料を大量に消費していない。したがって、当然、CO2もそれほど出てはいなかった。にもかかわらず地球の平均気温は上がっていたのだ。そして、石油の大量消費が始まりCO2がたくさん排出され始めたはずの1940年~1970年代には平均気温はむしろ下がっている。つまりCO2の排出量と気温の上昇関係はかならずしもパラレルになっていない。

P28>シュミレーションでは、パラメーターを調整することによって観測結果に整合的になるようなモデルが選ばれている。どのパラメーターをどう調整するかは人間(研究者)の恣意的な選択で決まる。過去の減少を最も説明しやすいモデルになるようにいくらでもパラメーターを調整することができるのである。

ついでにお前が言うなと突っ込みたくなる一文。

P35>CO2による地球温暖化の危機をセンセーショナルに扱ってさんざん危機を煽ってきた人たちは、科学者の論文をきちんと読んでいるわけでもないのだろうし、様々な観点や論点を自分の頭の中で整理するというようなことをまったくしていないのだろう。

さすがグローバルに物事を考えられる人の言うことは説得力がありますね。おもに負の方向に。これを書いている今もはらわたが捩じ切れそうですw)読者を笑い死にさせるつもりですか池田先生?

このほかにも池田氏は同じ懐疑論者である丸山茂徳氏や伊藤公紀氏の本を好意的に紹介しています。
コメント (11)

一冊で判断しなくてもいいじゃない

2009-02-14 23:36:46 | 池田清彦
 「環境問題のウソ」の書評の後にもやった参考図書紹介です。
論理的思考全般
詭弁論理学
入門!論理学

保全生態学全般
サクラソウの目
環境を守る最新知識

外来生物全般
外来生物が日本を襲う!
外来種ハンドブック
移入・外来・侵入種―生物多様性を脅かすもの
日本の外来生物―決定版

資源の無駄
外来生物事典

論理的思考訓練の問題集
環境問題のウソ

例によって池田氏の本の評価は低いです。だって池田氏の理論や情報なんて当てにならないもの。
 上記の本の中でも特に押さえておいてもらいたいのは「詭弁論理学」と「外来種ハンドブック」です。「詭弁論理学」は言わずと知れた名著ですし、外来生物問題に首を突っ込むなら「外来種ハンドブック」は読んでおくべきです。かなり前の本なのでいささか情報が古いきらいがありますが外来生物の定義など基本的な事柄についてはしっかり解説してあります。池田氏の言うことを支持するしないは別としても池田氏の言論の裏くらいはとってもいいんじゃないでしょうか?さもないと自分が支持するものが本当に正しいのかどうかわからないですから。

メモしておく

2009-02-09 22:53:48 | Weblog
 池田氏批判も終わり、EICネットを読んでいたらこんなことがあったようです。
H教授の環境行政時評(第72講 その2)「政策棚卸し」の行方
どうも自民党と政策シンクタンクの「構想日本」によって各省庁の予算を項目ごとに「不要」や「要改善」と仕分けしているようです。そのなかに環境省もあって「SATOYAMAイニシアティブ」や「自然公園関連」が酷評されていました。とくに「SATOYAMAイニシアティブ」は百害あって一利なしだそうで。また「自然公園関連」では

>環境省は自然保護に全力投球して、観光や開発などに関わる部分については自治体
(一部民間)などに移管・委譲していくことが望ましい。

評価者が評価シートに記入したコメント(B班)より引用

ようするに保護だけやってそれ以外はやらんでいいということです。しかしこれは現在の自然保護の主流である「保全」の考えとはかなり乖離している気がします。評価している座長たちにしても里山などについて詳しいのかいまいちわかりません。時間ができたらこれらについても書きたいです。(たぶん一ヶ月くらいあと?)
 他にも伊勢田氏の新刊についても早く感想をあげるように努力します。

正義で地球は救えない 書評その8 相手に厳しく自分にめちゃ甘く

2009-02-08 20:21:21 | 池田清彦
 長くやってきた「正義で地球は救えない」の書評もこれでいったん終わりとします。最後はサブタイトルどうり池田氏の他人に厳しく自分には甘い部分、悪く言えばダブルスタンダードなところを批判します。
池田氏はアメリカの昆虫学者が出した現在の生物種の数の推定についてこう述べています。

P76>そんな丼勘定のような推計の数値しかないのであって、今、種の数がどれくらいかということを正確に言うことは誰にもできない。
 もちろん、それが今、どれくらい絶滅しているかについても、実のところはまったくわからない。だから、「一年間に約4万種と言われる現在の絶滅のスピード」という話に確かな根拠はまったく無い。

ここから鑑みるに池田氏は以下のことを嫌っているようです。
1.曖昧な数字を出す
2.根拠のないことを言う
そんな池田氏は自説で数字を出すときにどうしているかというと・・・・・・

P85~86>生物の長い歴史の中では、亜種は、1万~2万年もあれば進化するレベルのものであり、消失と出現を繰り返してきたことを考えれば生物多様性の保全にとって根源的に重要なものだとは思われない。

(゜O゜)あれ~?
亜種は1~2万年もあれば進化するという根拠はどこですか?ここで僕が不正確な引用をしているとお疑いの方は原典を確認してみてください。少なくとも四.生物多様性という正義の中には根拠が載っていません。さらに池田氏は基本的に参考文献を巻末に載せないので仮にあるとしても第3者が検証するには多大な労力を必要とします。これではご自身が丼勘定と言っているアメリカの学者の方が根拠を示している分だけまだましではないでしょうか。
つまり池田氏は他人がやるときはケチをつける部分を自分がやるときは知らんぷりというわけです。ずいぶんと不公平な態度ですね。
 さらに突っ込むと池田氏は>「一年間に約4万種と言われる現在の絶滅のスピード」という話に確かな根拠はまったく無い。
とおっしゃっておいでですが1年間に4万種というのは化石なども使って算出された数字のはずです。割と有名な話のはずですけど、どうして確かな根拠はまったく無いとまで言い切れるんでしょうか。もしかして都合の悪い部分は無視?
ここで仮に数字が曖昧だからダメなのだというとじゃあ自分はどうなのさとカウンターが返ってきます。ぶっちゃけ池田氏は詰んでます。

琵琶湖博物館に行ってきた

2009-02-05 22:08:04 | Weblog
 昨日は琵琶湖博物館に行ってきました。どんな所か期待に胸をふくらませていったのですが想像以上に素晴らしいところでした。まず建物がとてもきれい。開封間あふれる作りになっていました。展示の方も琵琶湖固有種をはじめ国内海外の淡水魚類がメインとなっていました。おかげでタイリクバラタナゴをはじめとする欲しかった外来魚の写真がたっぷり撮れました。中には動きが早すぎて撮るのを断念したものもありましたが。誰かコアユの撮り方を教えてください。あいつらとても早いんです(ToT)
 琵琶湖博物館ということで当然ブラックバス料理も食べてきました。バス天丼が880円ということで注文してみましたが、コイ科魚類のような独特の風味がなく非常にあっさりしていました。教えられなければ何の肉か分からないですねたぶん。
 昼食のあとは琵琶湖に来る水鳥のイラストの展示を見ました。どのイラストもとてもリアルで眼福でした。
 全体を通しての感想は行くだけの価値があると思える展示ばかりでした。紹介しきれなかった展示のなかに子供向けのものもあるので親子連れで行ってもいいと思います。

自戒

2009-02-02 21:31:56 | 保全生態学
 今日は取り留めのない話をつらつらと。
 多少保全生態学をかじってきて思ったこと。保全生態学を学ぶ人ってのは大概動物好き自然好きでかなり知識の深い人が多い。極端な言い方をすればマニア。そんでもって最近はそんなマニアの言うことにも世間が耳を傾けてくれるようになった。これは保全生態学の出す物差し(見方)や情報が社会に必要とされているからであり、またそういう風になるように先人が努力してきたから。
 僕が思う保全生態学の役割とは自然と人間の間に折り合いをつけてやってくための手助けをすること。具体的には外来生物のリスクを正確に伝えたりすることなど。こういう風に社会に利益還元ができないのであれば保全生態学を学ぶ意味はないと思う。ある作家のブログでエリートとは全体を見て全体の利益を引き出す高度な判断ができる人のことだろうとあった。僕もそうなれる保証などどこにもないがそうなるための努力はしたい。