ならなしとり

外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。

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特定外来生物同定マニュアル

2009-06-29 21:46:08 | 外来生物
今日は超短いです。ゆーにさんのところで知ったのですが、特定外来生物同定マニュアルというものができたそうです。教育現場で外来生物のことを扱うのに結構参考になると思います。環境省の方GJです。

動物園だけでは不十分

2009-06-27 20:50:17 | 保全生態学
 ごくたまにネット上で見られる意見に“動物園で飼えば野生絶滅しても問題ないのでは?”といったニュアンスの意見が見られます。確かに絶滅だけに注目し問題視するのならこれでもいいかもしれません。しかし、現実的な意見とは言えません。今日はこれついて飼育上の問題と資源へのアクセスの二点から説明します。
 まず、飼育上の問題として絶滅危惧種すべてに十分な環境が整えられないことがあげられます。陸上の脊椎動物に限定しても今後200年間に2000~3000種が絶滅回避のために飼育繁殖を必要とするとされていますが、動物園などで絶滅危惧種に使われているスペースは世界規模でみた場合5~10%ほどとされています。
さらにそもそも飼育方法が確立していない種も存在します。シロナガスクジラなどの大型クジラ類をイメージしてもらうとわかりやすいでしょうか。こういった動物を動物園などで飼育するのは現状不可能です。
 そして、資源へのアクセスという点からも動物園などではなく野生で繁殖してもらったほうが人間にもメリットがあります。かりに動物園で野生絶滅した種が保全されていたとしても元々の生息地でその種を利用していた人たちがその種を利用することはできません。つまり資源へのアクセスがごく一部の人に限定されてしまうわけです。まあそもそも絶滅しないようにするのが肝心ではありますが。
 動物園だけでは生物を保全するのに不十分です。あくまで動物園はもしもの時のための保険と認識しておきましょう。

守る・増やす渓流魚 感想

2009-06-25 22:45:33 | 書籍
 結構面白く読めました。この本は近年問題になっている内水面漁業の放流に関するマニュアルという側面もあります。
この本は2部構成となっており、1部では渓流魚の生態や現状、漁協の役割などの基本的な解説をし、2部で渓流魚の増殖や釣り場づくりのハウツーとなっています。
僕が特に興味をひかれたのは2部7章の「天然魚の絶滅を回避する方法」です。生息地が分断され、遺伝的多様性が低くなってきている渓流魚の遺伝的多様性を回復させるための手段が記されていました。ただ一つ不安になったのが遺伝的多様を回復させる方法の多くが人による移植(同一の水系のものを使用)であることです。正直ちょっとかじった程度の素人がよく確かめないままこの本に書かれている方法を試したら善意の自然破壊になりそうで少し心配です。そうならないためにもいっそう遺伝的多様の保全について理解を広げる必要があると思いました。

独善的で嫌になる(五月蠅いハエに我慢が出来なくなった)

2009-06-21 23:47:58 | 熊森
 環境省の獣害パブコメに対する熊森の見解を見ながら。相変わらずの内容。ついに頭の中で何かが切れました。
ええ、もう熊森なんぞにしたり顔で環境問題に首を突っ込んで欲しくありません。生命尊重を掲げながら在来生物の命はまるでないものとして扱うこんな連中に環境保全を語ってほしくないので一度集中的に熊森のおかしなロジックを批判します。
内容としては外来生物をメインに余力があれば獣害その他も入れるつもりです。やるとしたら8月あたりからを予定しています。あまり期待しないでお待ちください。

文化というほどのものだろうか

2009-06-17 21:40:16 | 進化生物学
 文化と条件 を読んで。

リンク先でもふれられていますが、どうも文化と結びつけるのには違和感があるかなと。
これってスタンダードな進化生物学で説明すると

1.普通の歌がある(雌に好まれる歌)。

2.雄を隔離して歌を初期化。

3.粗雑な歌の中でも雌に好まれる旋律を含む歌を歌う雄が配偶者として選ばれる。

4.世代を経ていくごとに歌が洗練(雌に好まれるようになる)されていく。

5.やがて雌によく好まれる歌(普通の歌)が出来上がる。

遺伝子に組み込まれているのは確かとしてもそれを文化と言ってしまうのはどうも違和感があります。先にレール(雌の好み)があってそれに沿って歌が変化してきただけなので「卵が先か鶏が先か」という問題の解決にはなっていないというのが僕の見解です。



コメント (3)

分子進化のほぼ中立説 感想

2009-06-13 20:14:23 | 書籍
 かなり勉強になった。それがこの本を読んでの僕の感想です。この本は分子進化の中立説をつくりあげた木村資生氏とともに日本の分子進化をリードしてきた太田朋子氏が書いた本です。中立説誕生当初ではわからなかったところ、新たな知見の積み上げで誤りであったところなどを紹介し後半では分子レベルの進化と形態レベルの進化のつながりについて述べています。
 後半はともかく前半の説明はかなり参考になりました。たとえば著者は中立説では突然変異の起きる確率と進化速度は等しいとされていましたが“ほぼ中立説”では集団が大きいほど自然淘汰が有効に働き、集団が小さいほど遺伝子浮動つまり偶然の要素が大きく絡んでくるといっています。
例えると大きな集団はオリンピックのようなトップアスリートのあつまる厳しい世界。小さな集団はややゆるめな町内の運動会といったところでしょうか。
オリンピックでは少しコンディションが違うだけで記録が大きく変わってライバルにメダルを取られてしまいますが、町内の運動会ではたまたま足の速い人が出なかっただけでさして足の速くない人が一等賞をとれるようなこともあるということです。
巻末やページの下に用語の解説も付いているので分子進化の基礎的な部分を知るという目的ではいい本なのではないでしょうか。後半はちょっと難しいので二度三度と読む必要があると思います(僕も読み返す予定)。

生物多様性と数が多いことの違い

2009-06-09 23:29:38 | 保全生態学
 生物多様性についてのよくある誤解として数が多い=生物多様性も豊かであるというものがあります。典型的な例としては外来生物を入れたことによりその地域の種多様性が増したという主張でしょう。しかし、単純に“種の数”が多いだけでは生物多様性が多いとは言えません。なぜならば、生物多様性の文脈で持ち出される多様性は数の多さだけでなくどれだけその地域に“固有の要素”があるかというところも含まれているからです。ここでいう固有の要素とはその地域にすむ生物がたどった歴史や周りの環境との関連性などのことです。
つまり{生物多様性=数の多さ+固有の要素}となっているわけです。

 ここで話を外来生物と種多様性の関係に戻します。外来生物はほとんどの場合生物多様性の増加に寄与しているとみなされません。むしろ程度の差はあれど生物多様性の減少要因であるとみなされることが多いです。これはなぜかというと第一に外来生物は別に侵入先で保全しなくても元々の生息地にいるものを保全すればいいからです。
第二に外来生物がいることで固有の要素が壊されることがあるからです。たとえば食物連鎖に介入して在来生物を絶滅ないしは存続に不利な状況に追い込むことがあげられます。わかりやすい例としてはブラックバスと日本の淡水魚の関係でしょうか。ブラックバスがいることでその地域から固有の魚種が絶滅したり数を減らすといったケースは多々あります。この場合ブラックバスによってその地域の種多様性が脅かされているわけです。ブラックバスを入れた瞬間だけを見ればその地域の魚種が増えているように見えるけれど時間が経つにつれブラックバスに喰われて在来魚は減ってしまっています。仮に絶滅した魚種が一種もいないとしても、固有の要素が脅かされてしまっています。
このことから考えると数が多い=生物多様性が豊かであるとはならないことがわかります。
つまり外来生物を入れたことによりその地域の種多様性が増したという考えは物事を断片的に切り取っただけの見方であり時系列を追って物事を見据えるという視点がないのではないでしょうか。

どの口でいってるんだ!?

2009-06-07 00:28:44 | 熊森
 熊森の二枚舌もいい加減にしてほしいと思う今日この頃。
 
6月7日「鳥獣害対策マイスター育成スクール」学習会  熊森の傍聴拒否

熊森が県の鳥獣対策の学習会への傍聴を断られたそうです。まあ行政としてはいつでもどこでも自分たちの主張しかしない最近の言葉でいえばKYな熊森の参加なんてやめてほしいのが本音でしょうねえ。以下は熊森の外見を取り繕うとする言い訳とそれに対する突っ込み。

>マスコミの参加は認めて、なぜ自然保護団体には見せていただけないのか、これはきっと熊森が、傍聴と言いながら何かするのではと誤解されているのではないかと考え、安心していただこうと、森山会長は、すぐ本庁に出向きました。

誤解ではなくきわめてまっとうな事実判断かと。最近でも外来生物のシンポで的外れな主張を繰り返したようですし。

>熊森青年スタッフが何回も傍聴させてもらってきたが、皆おとなしく聞いて勉強しているだけで何ひとつ問題になったことはないという事実を、西川所長に伝えていただけるようにお願いしました。

え~とこれはジョークとしてとるべきでしょうか?ここあそこで起こったことを覚えていないとでも?

本庁責任者:熊森さんの傍聴希望を許すと、われもわれもと大挙して人々がつめかけて大変なことになる恐れがありますのでお受けできません。

森山会長 :傍聴希望は熊森以外になかったそうですから、ありえない恐れを出されるのはどうかとおもいます。熊森は、本庁で何度も傍聴させてもらっているのですから、豊岡農林でもさせてください。

同じく熊森のHPのここを見るとありえないと言って笑い飛ばせそうにないんですけど。

>名古屋といえば、日本熊森協会の愛知県支部です。会員数もかなりになっています。「CBD市民ネット」に入ったからといって何ができるのかわかりませんが、参加を検討してもらいましょうか。

こんな数に任せたごり押しする気満々な文章を見た後で熊森が大挙して押し寄せないなんてとてもじゃないけど怖くて言えません。

しかし向こうの責任者と思われる人の直通電話番号をわざわざ載せるって文句言ってこいって会員を煽ってるようなもんでしょ。クレームが大量にくるであろう相手の迷惑考えろよ。ほんとに人のことはどうでもいいとしか思っていないような団体ですね。

肩書きで見分けるのは難しい

2009-06-06 22:29:01 | Weblog
 今回素人も同然の記事を書いてひんしゅくをかった元村氏ですが、氏は数年前に科学ジャーナリスト大賞という賞をとったこということは多くの人がご存じだと思います。科学ジャーナリスト大賞というなにやら権威がありそうな賞をとったから元村氏の言うことを信頼していた人もいるかもしれません。では一歩進んで科学ジャーナリスト大賞をとったひとの言うことは信用できないのでしょうか?これもちょっと極端な見方です。そうすることでもしかしたら有益な情報を見落としているかもしれません。
 ここで元村氏との比較対象として2009年度の科学ジャーナリスト大賞受賞者である北村雄一氏を見てみましょう。北村氏が科学ジャーナリスト大賞を受賞したのは氏の著作の『ダーウィン『種の起源』を読む』がダーウィン誕生200年、『種の起源』出版から150年たった年にふさわしい労作と評価されたからです。科学報道に関して貢献したという面からは元村氏と受賞理由は似ています。では、元村氏と同じく北村氏も信用がおけないのでしょうか?
 僕が『ダーウィン『種の起源』を読む』を見たところ少なくとも進化生物学の初歩的な部分の記述はしっかりしておりここについては信用できそうです。また、北村氏のHPを見るとオッカムの剃刀や仮説演繹などの論理や科学哲学についての話も多くこの人が今回の元村氏のような間違いを犯す可能性は低いと考えられます。
ということで、同じ科学ジャーナリスト大賞受賞者ではあるが元村氏より北村氏の方がその言説に信頼をおけそうであるということになりました。

結局、過度の一般化や何々賞受賞といった肩書それだけでその人の論理や発言に信頼を置くのはリスクが高いというごく当たり前の話です。

これならむしろいない方がいいんだが

2009-06-04 22:24:36 | Weblog
 先日の続きです。元村氏について調べていたら、こんなものを見つけました。

科学記者は敵か味方か?

>もっと本質的な共通点は「真実を追いかける職業」であることだと私は思う。科学者は、真理を追いかけて寝食を忘れることができる人種だ(これも個人差はある)。

ふ~ん。真理ね。それよりも問題なのは次の一文。

>記者も似たような使命感を持っている。取材対象について少しでも多くのことを知りたい、少しでも多くの事実を集め、真相に迫りたいと思っている。そのためには手間と時間を惜しまない。

どの口で言ってるのだろうかと思います。こういうことを言っておきながら先の記事を書いたりゲーム脳を肯定的に紹介するのでは説得力がまったくありません。時間と手間を惜しまないなどと大ぼらを吹くのはやめた方がいいですよ。

>つまり科学記者は研究者と「是々非々」で向き合っている。味方ではないが抵抗勢力でもない。緊張感のある友人関係、あるいは、対立することはあっても同じ方向を向いて歩く同志のような関係とでも言ったらいいだろうか。

その同志とやらの一人は一見中立な風を装いながら科学について無知と偏見が丸出しの記事を書いていましたね。こういう文章を書くのも安心させて寝首をかくつもりかと疑いたくなります(さすがにこれはうがち過ぎか)。

>よい科学報道は、科学記者と研究者の健全な共同作業の上に初めて成り立つ。科学記者は努力を怠らず、研究者は限界を知って賢く付き合う。根気のいる作業だが、やらないことには、よりよい将来もないのである。

最初の一文は同意。ただ、あんな低俗な科学批判をやる人にわざわざやってもらう必要性はどこにもありません。