ならなしとり

外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。

書評 環境問題のウソ3

2008-06-29 23:23:25 | 池田清彦
 突っ込みどころが多すぎて批判が終わんねえ・・・
>P96自然の中でともに懸命に生きている生物を、生物多様性をまもれというあやしげな理念のために、お前は生きていてよいが、お前は死ねという。
ここで池田氏は生物多様性をまもるということがあやしいといっています。彼の矛盾を見つけるのに重要なので覚えておいてください。
同じくP96でアライグマについて言及してますが、基本的に駆除した外来生物の扱いはこのようになっていますので池田氏のいっていることはいもしない仮想敵を相手にした戯言、わら人形の類です。
>P98文化や伝統は時代とともに変わるのだ。生物相も同じだ。
さて、これは何を言いたいのやら。意図が図りかねますね。確かに生物相も時代とともに変化しますけど、だからといって人間が次々に新たな生物を持ち込み、もといた生物を排除してもかまわないんでしょうか?
>P100「特定外来生物法」の基になる理屈は、「ダイオキシン法」と同じくらい論理的に底の抜けたものだと思う。
ふ~ん。で、その根拠が
>P100~101ある地域に今まで存在しなかった種が、どこからか侵入してくれば、その時点においてその種を外来種と呼ぶのは、極めてまっとうかつ素直な外来種の定義であろう。在来の生態系や種にとって、自然に侵入しようが人為的に侵入しようが、同じ時期に同じ種が侵入したのであれば、同等の攪乱要因となるのは明白だからだ。
なるほど・・・ってなるわけないでしょ。この理論が成り立つのは上の条件に加えて最低でも侵入した個体数が同程度でなければ成り立ちません。たとえば、人為的に100個体入った場合と自然に1個体入った場合とじゃたとえ同時期でも影響は違いますよ。必要とする資源の量が違いますから。
さらに言えば池田氏が想定するようなケースは今現在問題となっている外来種のほとんどに当てはまらないでしょう。たとえば、ブラックバスにしてもノヤギにしてもそれらが同時期に人為的要因の他に自力で入ってきたという証拠はありません。
池田氏は極少数の事例に当てはまるかもしれないことを無理やり一般化させているにすぎません。これは悪しき相対論者と呼ばれる人が使う手です。

ここも参考になるのでどうぞ。

書評 環境問題のウソ2

2008-06-26 22:17:59 | 池田清彦
 読んでると池田氏の無知っぷりに腹が立つやら脱力するやら。この人本当に保全生態学について知っているのか?
>P95~96淡水魚や蝶の中には個体数が減少して、絶滅しそうなものもたくさんいるが、それらのほとんどは人間が生息環境を破壊したのが原因であって、外来種のせいではない。
ここで池田氏は人間による環境の改変を問題にしているのはわかりますよね?そして在来種からみれば外来種が入ってきても環境が改変されたことになるんですよ。なぜなら今までいた環境に新たな種が入ることはその種にとって周りの環境が変化したことになるからです。たとえば、いままで捕食者がいない環境で生活してきた生物にとって捕食者が入ってくるということはいままでとは環境が変わることになります。なぜなら、捕食者が入ってくることによって、その生物は食われないための努力をしなければならないからです。これを簡単にあらわすと以下のようになります。
捕食者がいない環境(食べられないための努力をする必要のない環境)
         ↓
     捕食者が入ってくる
         ↓
捕食者のいる環境(食べられないための努力をしなくてはならない環境)
池田氏は僕から見たらダブスタをやってるようにしか見えません。
疲れているので今日はここまで。

書評 環境問題のウソ1

2008-06-22 14:44:12 | 池田清彦
 とりあえずページにそって批判します。まあ読んでくとわかるんですが氏のいってることは単に知らないまま発言しているか知っていてもわざと無視しているケースがほとんどです。
>P91外来生物が生態系に影響を与えるとしたらただひとつ、生態系の種類構成を変化させることだ。しかし、系すなわちシステムは要素が変化するからこそシステムなのであって、生物相すなわち種類構成が変化しない生態系などはない。
後半はわかり難いんだけど要するに生態系内で生物相が変化するのは当たり前ということかな?さて前半ですがこの時点で池田氏は己の無知をさらしてますね。外来生物が生態系に与える影響として生態系の循環を崩すあるいは生態系を変えてしまうというのがあります。日本ではノヤギによる土壌流出と裸地化が有名です。ここでも前に書いたメラルーカなんかもそうです。実際、外来生物の専門家たちが作った外来生物ハンドブックには4.3 生態系の物理的な基盤を変化させるとあります。まあ上で池田氏は無知と書きましたが、外来生物問題に長く首を突っ込んでいる氏がこんな基本的なことを知らないわけがないので本当は都合が悪いから無視したんでしょう。
>P92ある地域の生物相を現時点で固定しようというのは不可能な妄想である。
なんかこの前後の文脈から保全生態学者が生物相を固定させようとしているかのように聞こえるんですが?コリドーや進化可能性という言葉に表されるように、保全生態学者は変化をすべて否定するようなまねはしていませんが?
>P92~94外来生物との生存競争や混血により消滅する生物があったとしても、それは生物進化の当然の帰結であってそれにより生態系が破壊されることなどあり得ないのである。
どっちかというとこの人の論理展開こそありえね~。ここまで無知にあぐらを書いた論理展開も珍しいのではないでしょうか?外来生物問題というのは言い換えれば人間が生物を使って起こした環境破壊です。それを進化の帰結と言い、生態系の破壊ではないというひとが何故、富栄養化や工事などを問題視するのでしょう?これらの違いは人間がどの手段を使って環境破壊を起こしたかの違いしかないはずです。さすがに池田氏もこれをストレートに言うのはやばいと思っているのかこのあとに外来生物のオレ様定義を展開することで境界線を曖昧にしてごまかそうとしていきます。

書評 環境問題のウソ 前振り

2008-06-21 18:20:17 | 外来生物
 今更といえば今更なんだけどいまだに池田清彦が環境問題の権威面してそれを崇める人が多いようなんで冷や水をぶっかけてみます。結論からいうとこの本に対する僕の評価はよくこんなヘボいものを世にだせたなです。ダブルスタンダードや専門用語の勝手な再定義とかひどいものです。
 じゃあなんでこんなものが広く受け入れられたかというとそこは池田氏のレトリックによるところがありますね。彼の文章は親しみやすい表現を使うことで読者に親近感をもたらし批判的思考を鈍らせているようです。また、親しみやすいということと解りやすいということを間違えているのではないかというような書評もアマゾンにありました。
ぶっちゃけノリで読ませて解ったと錯覚させているわけです。

遺伝的多様性の意味

2008-06-15 15:20:30 | 保全生態学
 生物多様性の説明はしたので、その中でも遺伝子の分野いわゆる遺伝的多様性というものがなぜ重要視されるのか説明してみようと思います。
 まずよく知られた一般論として遺伝的多様性の高い個体群は絶滅しにくいというのがあります。またこれを応用してある個体群がどれだけ絶滅しやすいかという絶滅リスクの評価を可能とします。さらに遺伝的多様性が高いということは進化的可能性つまり環境の変化に対応して子孫を残しやすくなることを保証します。
 ここまでは保全の立場からの説明でしたが、今度は人間の利益の立場から説明してみます。個体群の遺伝的多様性が高いということは人間がその生物を利用しやすくさせます。どういうことかといいますと、遺伝的多様性が高いということは個体の特徴にも様々なものが現れます。そしてその中には人間に都合のいい特徴を持った個体が現れることがあります。例えばコムギの祖先種は穂が熟すると地上に落ちてしまいますが、この中に穂が熟しても落ちないものが現れこれが野生型から栽培型への一つの重要な要因となりました。そしてこの特徴を決定したのが一つの遺伝子の突然変異でした。つまり突然変異で遺伝的多様性が増したことで、人間はコムギを利用できるようになったのです。このように人間は遺伝的多様性の恩恵に昔からあずかっているのです。そしてこの恩恵をこれからも受けていくために遺伝的多様性を保つ必要があります。

生物多様性をなぜ保全する?

2008-06-07 00:31:20 | 保全生態学
 そりゃあ私たちが生物多様性から様々なサービスを受けているからですよ。


・・・。え~これだけだとなんとも味気ないし具体例に欠けますのでもうちょっと続けます。例えばホタルや花を見ることでリラックスする人は多いと思います。こういった精神に関わるサービスが生物多様性からはもたらされます。
 次はより物質的なサービスです。衣食住のなかでも「食」はとりわけ生物多様性と関わりの深いものです。私たちが食べるものはすべてその起源を生物多様性の中に持っています。山菜などは言うに及ばず農産物もそうです。なぜなら栽培作物にしろ家畜にしろもともとは野生のものを品種改良してつくったものだからです。例えばトウモロコシは世界で6億トンの生産量をほこる作物ですがもともとはテオシンテという野生の植物を元に作られた作物です。
 またエネルギーにしてもやはり生物多様性の産物です。石油、天然ガスといった化石燃料はもとを辿ると大昔の生物ですから。
 このように私たちは生物多様性からの恩恵で生活しているのでその恩恵が得られなくなることを回避する、すなわち保全する必要性があるわけです。