ならなしとり

外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。

これはおかしいよ熊森協会11 環境カルトとしての熊森

2010-01-30 07:02:30 | 熊森
 大変遅くなり申し訳ありませんでした。熊森批判シリーズもこれで最後です。今回は熊森の持つカルトとの類似性について言及します。まずカルトとはwikiによれば以下の特徴を持っているようです。

1.精神の不安定化
2.法外な金銭的要求
3.住み慣れた生活環境からの断絶
4.肉体的保全の損傷
5.子供の囲い込み
6.反社会的な言説
7.公秩序の攪乱
8.裁判沙汰の多さ
9.従来の経済回路からの逸脱
10.公権力への浸透の試み
あとで詳しく述べますがいくつかは当てはまるないし似通っています。

・デタラメな熊森の言説
個体数把握の必要性を軽視
個体数把握というのはワイルドライフマネジメントでは基本にして最重要課題の一つですので、この必要性の理解できない人間はそもそも関わるべきではありません。熊森は岐阜県へのクレームの中でヘアトラップ法を否定した揚句、それ以上の精度が出る対案も出さずに

>生息推定数の正確に近い数など、逆立ちしても出ません。それが自然というものなのです

と言っていますし、猟友会に聞いたおおまかな数値だけで熊問題に取り組んでいることから個体数把握の必要性を理解していないのは明らかでしょう。
外来生物による被害の軽視
以前書いたように、熊森は外来生物の影響および被害を不当に軽視しています。たとえば
外来生物による農林水産においてこう主張しています。

>外来生物問題とは、外来生物が在来生態系に与える影響についての問題が本来的なものであり、農林水産業被害は、外来生物の捕殺を正当化する道具とされているにすぎない。

外来生物による農業被害を甘く見てもらっては困ります。非常に有名な沖縄のウリミバエの事例ではウリミバエが根絶されるまで作物の県外輸出ができませんでした。現場主義はどこにいったのやら。情報集めてないですよね。
ここでさらに疑問なのは人への直接被害はなぜか触れられていないことです。じゃあセアカゴケグモやヒアリへの対策も本来的なものでないのだから外来生物法の対象外にすべきとくらい言ってもよさそうなものですが。
他にもあるけど熊森のデタラメさについてはここで散々やってきたのでこれ以上はいいですよね。

・熊森とカルトの類似点
熊森とカルトの類似点を列挙しました。( )内は熊森における具体例です。
奇跡・高潔な人格の強調(会長は立派、活動は無償でやっていることの強調)
指導者の神格化(指導者が間違った見解を示しても訂正されない)
外部に敵を求める(行政や保全生態学者を目の敵にしている)
陰謀論を持ち出す(外来生物の駆除など)
批判に対して無視をつらぬく(ドングリ散布への批判が論文となっているのに無視)
公権力へ浸透しようとする(政治家への勉強会を開いたことを強調)
公秩序の撹乱(兵庫県の獣害対策講座の責任者の電話番号をHP上でさらし、全国の会員に電話するよう扇動)
法外な金銭要求(ほかの熊研究団体の2倍近い会費を取る)

組織からの抜けだしやすさや囲い込み、勧誘方法についてはよく知らないのでここでは含めないでおきます。

・熊森をカルトと見なすメリット
熊森をカルトと見なすことで末端の会員への対応にカルト対策のマニュアルが応用できるというメリットがあります。また、自治体のほうもカルトと認識しておけばそれなりの対応ができるでしょう。たとえば行政暴力への対応マニュアルを使うと言った方法です。
熊森も末端の会員は何か自然にいいことをしたいという善意の人でしょう。
だとしても、熊森という団体はデタラメな論理を振りかざし遺伝子撹乱を引き起こし外来生物問題を容認する公益を傷つける団体であることは認識しておく必要があります。実際、外来生物や獣害のシンポでは自分たちの主張のみを繰り返してほかの参加者の発言を妨害しています。そのほかにも無知なまま専門家面してマスメディアで放言をしています。これ自体は自由な発言が保障されているコストかもしれないけど、放っておいていいわけもないですからね。


オオカミを放つ 読書メモ

2010-01-28 22:51:04 | 書籍
 今は「オオカミを放つ」というオオカミ再導入を推進する人たちの本を読んでいます。以下は覚書のようなものです。まだ半分くらいしか読んでいませんが、ここまでの論理展開はかなり独善的というか目的あり気が濃く出ていますね。是が非でもオオカミ再導入に持っていきたいと見えます。
あと外来生物の定義で吹いた。まさか生態学を専攻する大学院生が池田清彦と同じ論理展開をするとは思わなかった。やっていいことと悪いことがあるでしょうに。同業から支持があつまらないのもここら辺が一因かも。

この前の荒らしがくれた情報ですが、日経サイエンス11月号になかったのでもしやと思い2010年の1月号を探してみたらそこに三中氏の「翳りゆく楽園」という外来生物の本への書評がありました。その書評で荒らしが参考にしたであろう部分を引用します。

>生物多様性が変化するプロセスは確かに科学的研究の対象となり得る。しかし、移入動植物により喪われたとされるパターン(原風景)が何かを決断し復元目標を据えることは科学の範囲を逸脱していると言わねばならい。それはヒトの認知心理特性が絡む地域合意形成の問題だからだ。

いったいどう読めばこれを

>、「何を『外来種』とするかは『科学』の範囲を逸脱し、地域共同体の主観的決定に依存せざるを得ない」という旨のコメントを残しています。

と読みとれるのか不思議です。
外来生物の侵入と言うのは生物多様性の変化するプロセスの一部ですから三中氏のいう科学的研究の対象になりますが。
三中氏が科学の範囲を逸脱していると言っているのは侵入した外来生物にどう対応するのが望ましいのかという“べき論”(=価値判断)であり“外来生物”かどうかの判定に関わる事実判断ではありません。なんで事実判断が価値判断に左右されなきゃいけないのでしょう?
文字が読めないようだからしょうがないか。フォローするなら三中氏は文章が少々複雑なので有名だから誤解したのも仕方ないのかもしれません。有名人の威を借りてなお、この程度であしらわれるというのはなかなか無様ですね。
「翳りゆく楽園」の方は面白そうなので今日書店に取り寄せを頼みました。あとで何か書くかもしれません。

熊森批判?ハイすみません。今しばらくお待ちを。

対応するよ

2010-01-27 20:38:33 | 外来生物
 名無し改めバーバーさんですか。コメントを精査してから反応してくれと言われたので、記事にして改めて対応いたしましょう。
ただし、そちらが短期間に大量の連コメをしてくれたので、こちらはあなたがどの記事にコメントしたのかすべて把握していません。もしかしてこちらのコメント欄の仕組みを知らないのかもしれないので念のために言っておくと、あなたのコメントの分量なら一回で事足ります。連コメはほかの人の迷惑にもなりますからやめてください。これも読めないようならコメント禁止です (これについて一行ですみませんとかもいらん) 。というか一行連コメを平然とするあたり確信犯的荒らしな気もしてきましたけどね……。
まずは「交雑って遺伝的多様性だけの問題じゃないんだよね」によせられたコメントについて。

>ここにはモツゴが遺伝的に多様化する可能性を考慮していない。種は常に変動し分化していくものだ

元記事をお読みいただけなかったのでしょうか?もしかして交雑でモツゴの多様性が増すとお考えでしょうか?僕は記事の中でシナイモツゴも交雑個体も純系のモツゴに生存競争で負けて消滅すると書きました。

>5.シナイモツゴ絶滅、さらに交雑個体の死亡をもってシナイモツゴの遺伝子がすべて消滅。あとにはモツゴだけが残る。つまりモツゴは交雑を通してシナイモツゴを絶滅させている(種多様性の減少)。

ここからわかるように交雑によってモツゴ集団の遺伝的多様性が増すということはないです。ここでモツゴの遺伝的多様性が増すとしたら別の集団のモツゴと交雑するか突然変異を期待するしかないわけですが。で、この記事では交雑でシナイモツゴという種が絶滅することを取り上げているわけですが、そこでモツゴが遺伝的に多様化する可能性を考慮していないからなんだというのでしょうか。はっきりおっしゃってください。

>種は変化し分化していくもの

いくつかのコメント欄で何度も使用するところからこのセリフがお好きなようですが、それであなたは何が言いたいのですか?種が変化し分化していくから人間による系統類縁関係を反映しない生物の移動は別にかまわないのではとでも言いたいのですか?あいにくこちらは事実だけからあなたの価値判断まで察するすべを持ちませんので、言いたいことがあったらはっきり言ってください。

もしかしたら続くかも……。

やれやれまたか・・・・・・

2010-01-26 18:21:35 | Weblog
 以前このブログでは名無しさんは相手にしないと宣言しました。が、しかし、また出てきましたよ。字が読めないんだか、あれを読まなかったのかしたひとが。とりあえず情報をくれたことには感謝します。日経サイエンス2009年11月号ね。図書館でさがしてみます。これ以上の対応はコテハンでまだコメントするようなら考えておきます。
でも相手にしてほしかったら名乗るくらいはしてくださいね。自分の言葉に責任が持てる人ならそうしても何ら不都合はないはずです。いい加減煩わしいんで自己紹介のところにも名無しは相手にしない旨を書いておきます。

楽な批判というものはあり得るのか?

2010-01-23 22:23:52 | 議論
 先日、あるニセ科学批判の記事を読みました。
そしてそこのコメント欄にこのような方が登場しています(全文引用ではなく部分抜粋です)。

>touhou_huhai
これは本当なのか?なんて絶望に満ちた話なんだ。

ニセ科学批判そのものも、ニセ科学批判の背景を知らなくてはできない。発展の歴史を踏まえずして、初めからやり直すとしたら、ニセ科学という進歩を続ける敵に立ち向かうとき、戦車に竹槍で突撃するようなみじめなことになる。

ニセ科学批判の新たな入門者は、先行者が学んだより何十倍も素早く、体系的に、同じ水準に達するまで学べなくてはならない。

人間が”火を起こす”とか”服を作る”ということを常に先行者と同じだけの手間をかけて学ぶとすれば、いったい教育にはなんの意味がある。

いったい元記事のどこをどう読んだらこういった結論に至るのか不思議ですが、これをネタに批判するということについて少し書いてみます。
批判することにおいて近道というものはほぼないと思った方がいいと思います。大体の場合、批判というのは相手の論理、事実認識のおかしなところをつくものですから、そもそも“どこがおかしいのか?”がわかるだけの思考能力、知識がないと成り立ちません(よしんば成り立ったとして有効な批判になりにくい)。で、思考能力や知識を身につけるにはそれなりの努力と時間がかかります。僕がやっている熊森批判でいうなら少なくとも生態学、外来生物問題の基礎知識といくつかの実例は知っておかないと批判ができません(ただしこれは熊森を生態学方面から批判するときの場合。別の切り口でやる場合にはまた違ってきます)。
とはいえ、先人たちの議論、考察の積み重ねというものは確かにありますし、それが本や論文となっている場合も多々あります。近道があるとしたらそういった積み重ねを真っ先に理解しておくことが批判することへの近道となりえるのではなかろうかと。言い換えれば基本を押さえておくということですね。ちょっと例を出しますと、素人が相対性理論や進化論批判をしてもその圧倒的多数はすでに議論済みのことであるんですね。もっと具体的に言うと自然淘汰や性淘汰、中立説も理解してないような人が「鹿の角は適応では説明できない」と言っても笑い話にしかなりません。
自分が「○○がおかしい」というのは勝手ですが、それを多くの人に共有してもらいたかったらそれなりの努力は必要というだけのことです。

 先のコメント欄の人についていえば元記事で書かれていることは「現状がどうなっているか基本を押さえたうえでニセ科学批判を批判しましょうよ」ということなのに、どういうわけか「批判には過去から現在までのすべての知識が必要」と読み替えて因縁をつけています。
勝手に藁人形をこさえて脳内フルボッコしているわけですから話になりません。

ブログ再開延期のお知らせ

2010-01-17 23:50:35 | Weblog
 すみません。2週間休むとかいってましたけどもうちょっと長く休むことになるかもしれません。ここ1週間は大阪の外来生物のセミナーに行ったり、英語の論文を和訳してました。しかし・・・・・・英語の論文を読むのって難しいですね。わからない単語がある→辞書で調べる→辞書にもなかったというパターンがあると詰みゲー状態で即座に頭が混乱してきます。専門家に聞いて事なきを得ましたがどうなることやら。オオカミの再導入に関しても記事にしようと思うのでいま関連書籍を読んでいます。

これはおかしいよ熊森協会10 若ぐま隊に入るのはよした方がいいと思いますよ

2010-01-11 22:27:52 | 熊森
 「これはおかしいよ熊森協会」もついに10回まできてしまいました。今回は若ぐま隊という熊森内のチームについてです。若ぐま隊というのは熊森の中でも学生や若い人が中心となって若い世代への自然保護を計画・立案するチームだそうです。これまでの活動としては甲南女子大での紙芝居公演や勉強会があるそうです。
こういう若い人が子供向けの環境教育を行う際の実働部隊になっているようです。個人的には何やってんの?ってこの人たちには言いたいですね。そもそも生態学を専攻している人が若ぐま隊にいないんじゃないですか?生態学を専攻しているなら会長たち幹部の発言をいさめるくらいはするでしょう。それが表に出てこないというのは発言が封じられているか、そもそも疑問に思っていないからでしょう。少し辛辣なことを書きましたが、個人的に自分と同年代の人間が熊森で無為な時間を過ごすのは見ていて忍びないのです(おせっかいと言われればそれまでだけど)。本気で生態学を勉強する気があるなら大学4年間で200冊(1ヶ月あたり4冊弱)くらい保全生態や獣害、外来生物、進化生物学の本を読んで、10冊以上論理学に関する本を読めば僕と同レベルくらいにはなります。獣害や外来生物の研究をしているという先生が学内にいるならその先生の所に行くというのも手です。論文や紀要などを快く下さる人もいますし、「先生の論文が読みたくてまいりました。」といってオフィスアワーに来れば袖にはされないでしょう。それに引き換え熊森が何をしているかというと、的外れな批判、誹謗中傷、現代生態学を実践していると言いながら具体的にどんなものなのかHPでも会報でも示されていないようですし、いったいどうすればあの内容でレベルアップと言えるのか不思議でたまりません。ボランティアの扱いはぞんざい、間違いはなかったことにされ、批判には耳を傾けず独りよがりな発言を繰り返す集団。そんな集団にあなたは青春をかけたいんですか?

追記
ちょっと最近の記事はロジックの切れ味が落ちてきているし、10回ときりもいいのでしばらくブログの更新は休みます。ブログ主自身が疲れているというのもありますし、勉強不足で稚拙な論理もさらしてしまいました(それについて指摘をいただいたのはありがたいことだけど)。2週間ほど休んでからまた再開したいと思います。あまり期待せずにお待ちを~(・ω・)ノシ

これはおかしいよ熊森協会9 ドングリは殺鼠剤

2010-01-10 17:38:55 | 熊森
 しばらく身の回りが忙しくブログの更新ができませんでした。これはおかしいよ熊森協会はもうしばらく続きます。今回は熊森のドングリ運びについてです。おそらく熊森がしでかしたことの中で生態学者内でもっとも有名なのがこのドングリ運びでしょう。一応知らない人のためにかいつまんで説明しますと、ドングリ運びとは2004年に熊森がクマの生息域にドングリをまくために全国からドングリを持ってくるよう募ったことです。これの賛否が生態学者、一般を巻き込んで起こりました。僕の知る限りではこのドングリ運びを肯定した生態学者はゼロです。熊森側の見解としてはあくまで一時的なものであり批判は杞憂、不当であるという見解を表明しました。この行為が本当に生態系に影響がないか追試した研究もあり、そこではドングリ運びに否定的な結論が出ましたが熊森の見解は変わらないままです。この組織らしいですね。
ここ最近やっている形跡は熊森のHP上を見る限りではないです。
 前置きが長くなりましたが本題です。 ドングリと森の生き物との関係を調べた研究に以下のものがあります。
堅果とアカネズミとの関係」(これにはグラフなどがなくわかりにくいかもしれませんので同じ研究者の別の報告をリンクしておきます→野ネズミにとってドングリは本当に良い餌か?)
これはドングリに含まれるタンニンという物質がアカネズミに与える影響を調べたものです。この研究によればタンニンを含まない餌(コントロール)とドングリ2種類の3グループに分けて飼育したところドングリを与えたグループではネズミの体重が減少してしまいました。
どうやらタンニンが体内の窒素を外に出してしまい、それが原因で体重の減少が起こっているようです。
これにどうやってネズミが順応しているかというと、少量ずつタンニンを摂取しながらタンニンへの耐性をつけているようです。ただしいきなりタンニンを摂るとその後死亡しやすいこともこの研究では報告されています。さらに後日の研究ではドングリごとに含まれるタンニンに違いがあることもわかってきました。これを突き詰めて考えるとタンニンの含有量に地域差がある可能性も否定できないでしょう。ということはその地域のものでないドングリをばらまくということはネズミたちにとって毒を撒くのに等しい影響を与えるリスクがあります。さらに、仮にタンニンの影響が無視できるものだとしても遺伝子撹乱の問題もあります。こういうことを考えると熊森のドングリ運びというのはいたずらにリスクだけを増やす方法です。だいたいクマがドングリを食べたと熊森は言っていますがそれがどの程度クマの生存に影響を与えたのか報告がないじゃないですか(具体的にはどれだけドングリが食われたのか、何頭のクマが利用したのか等)。地域ごとの差を考慮するというのは生物多様性の保全の基本ですが熊森はそれを軽視しすぎです。



電池が・・・・・・

2010-01-09 22:41:49 | Weblog
 ちょっと最近身の回りが忙しいのでコメントの対応ができずすみません。明日には熊森批判再開の予定です。ちょっと熊森批判も10近くなると疲れてきました。熊森批判シリーズが終わったら2週間ほど充電します。熊森批判はきっちり終わらせるつもりですので中途半端に終了はありません。

これはおかしいよ熊森協会8 責任を明らかにしない組織と顧問

2010-01-06 21:17:01 | 熊森
 熊森の特徴として責任の所在があいまいであることがあります。
例えば乗鞍岳で熊による事故が起こった際に熊森は顧問の見解を出しましたが、どの顧問の見解であるのかは伏せたままでした。その後、現場に赴いて調査した米田氏や死体を分析した信州ツキノワグマの会、岐阜大学などの調査結果によれば熊森の顧問の見解と異なることがわかりました。以下に顧問の見解と調査結果を箇条書きにします。
顧問の見解
・残飯など人間の食べ物に寄ってきたに違いない
・熊に対して殴りかかるなんてとんでもない
・土産物屋などは熊対策をあらかじめしておくべきだった
・人間におびき出された熊を殺す必要はなかった。

調査結果
・少なくともこの1,2年は残飯みたいな人の食べ物を食べてた形跡はないよ
・結果的に殴りかかったのが死者を出さずに済みました
・60年間も熊の事故がなかった場所で熊対策(武器の用意など)をあらかじめやっておくのは難しい。

最後の見解についてだけ突っ込んでおきますと、前提がすべて崩壊しているので無意味な見解ですね。さらに言えば、その見解をどうぞ被害者の前でおっしゃってください。件の熊は人がおびき寄せた可能性が低いことがわかっており、その前提で発言したところで的外れになるのは目に見えてます。にも関わらず熊森はこの顧問の見解を維持したままです。持論に相当の自身が御有りなのでしょう。しかし、それならなぜ顧問の誰の見解なのか明らかにしないのでしょうか。持論を裏付ける根拠も示さないままです。このままですと熊森顧問は論拠も示さず思い込みだけで人を非難したヤジ馬にも劣る屑と見なされてもしょうがありませんけど。社会に対して専門家として発言するならば責任の所在くらいは明確にしてもいいのではありませんか?