ならなしとり

外来生物問題を主に扱います。ときどきその他のことも。このブログでは基本的に名無しさんは相手にしませんのであしからず。

遺伝子組換え反対理由に遺伝子汚染を持ち出す疑問

2011-09-21 20:48:41 | 遺伝的多様性
 ひさびさに記事を書く気がしますし、なにか大切なことを忘れている気がしますが置いておいてと・・・(いいのか?)。
 「もうダマされないための「科学」講義」という本を読んで考えたことです。この本は、震災以降の科学と人との関係を考えていこうという趣旨で、執筆陣も(約1名除き)非常に豪華です。僕が今回書くのは、著者の一人である松永氏の遺伝子組換え植物反対に対する見解を読んで考えたことです。
さすがに鵜呑みもどうだろうと思い、反対派の見解も探して読んでみたのですが、やっぱり片手落ちの印象を受けました。
それは、“遺伝子汚染”を問題にしているのに“遺伝子組換え作物との交雑のみ”問題にしているからです。
ここを見ている人には今更かもしれませんが、遺伝子汚染について簡単に説明しておきます。遺伝子汚染というのは交配可能な種、亜種が人間によって持ち込まれることで起きる外来生物問題の一種。ちなみに“同種でも生息地が隔離されて交配が無い場合”に人間が別々の生息地の個体を持ち込んで交配しても遺伝子汚染。
次に、遺伝子汚染がなぜ問題か。僕が重要度が高いと考えているのが、生物種の歴史を攪乱するからです。生物多様性というのは進化の歴史の中でできたもので、人間の世界で例えるなら、奈良の大仏やキトラ古墳みたいなものです。なくなったら取り返しのつかないものです。観念的なものを省いて、もっと具体的に言えば、遺伝子汚染で生物は絶滅します。たとえばニホンバラタナゴとタイリクバラタナゴなどのように。
では、遺伝子汚染に対して、本文中で松永氏が言うように「種や個体群の存続に影響を与えなければ影響するとは言えない(梨の意訳)」というのはもっともではありますが、難しい。影響が出るまで何世代あるいは環境が変化して初めて影響が出るということも考えられるので、すぐに目に見える形で現れるとは限らない。そもそも影響が確認されるころには手遅れと言えるほどに危機的な状況に置かれることが多々ありますから、原則的には、遺伝子汚染を起こさないか、早期に駆除なり隔離なりの対応をした方が絶滅につながる不可逆的な影響を抑えられます。
そして、遺伝子組換え反対の理由に遺伝子攪乱を用いることについてです。僕からすると、遺伝子汚染を問題にするなら“組換えのみ”をターゲットにする理由がよくわかりません。
遺伝子汚染が問題にされるのはその種(個体群)の固有性や歴史性が攪乱されるからで、攪乱の源が遺伝子組換えであろうがなかろうが関係ありません。事実、外来生物問題の多くでは遺伝子組換えでない生物による遺伝子汚染もまた問題になっています。
遺伝子汚染を問題とするならば、非組換えで起きる交雑についても問題としなければ片手落ちでしょう。よく持ち出されるアブラナにしても、アブラナ科の植物は別種間でも容易に交雑します。容易に組換え作物と交雑してしまう環境では、品種などの異なる非組換え作物とも容易に交雑してしまうでしょう。
本当に在来種(品種)の保全をする気があるのか、そもそも“何を何のために守りたい”のかも遺伝子汚染を持ち出す人からは読み取ることができません。 

・言いたいことを3行でまとめてみた
遺伝子汚染に対して、組換え、非組換えで対応を変える論理的な理由はない
組換えのみに絞るのは問題を矮小化させてしまうのではないか?
何を何のために守りたいのか?という部分が曖昧になっている

参考文献
「もうダマされないための「科学」講義」
広がる遺伝子汚染 誰が保証できる「非遺伝子組換え」

ニホンバラタナゴとタイリクバラタナゴ

2011-08-02 22:35:58 | 遺伝的多様性
 今回はいつもと文体を変えてみました。知識のない人にもわかりやすくを意識しています。

 ニホンバラタナゴという淡水魚がいる。かつては、九州、四国、近畿地方に生息していたんだけど、今ではほとんど見られなくなっちゃった。現在確認されているのは、北九州、香川、大阪、奈良の4か所。環境省のレッドリストでは、イリオモテヤマネコと同等の絶滅危惧ⅠA類にランク付けされてる。野生絶滅を除き、もっとも絶滅の危険性が高いランクにいるわけ。どうしてこうなったかというと、一番は、近縁な種であるタイリクバラタナゴが侵入してきたから。タイリクバラタナゴはその名の通り、中国大陸に生息し、日本には戦前頃にソウギョなどの移植に交じってきたとされる。
ダーウィンの進化論の中で有名なキーワードに「自然選択は同種の間で最も激しくなる」というのがある。噛み砕いて言うと、餌や住処など生きるのに必要なものが重なり合うほど、それらをめぐる競争が激しくなるわけ。ニホンバラタナゴとタイリクバラタナゴは亜種という関係にあるんだけど、ほとんど同じ環境で暮らしている。つまり、著しく生きるのに必要なものが重なっているわけ。餌や住処だけならともかく、お互いに交配することができ、配偶者を巡って争うことにもなった。ここで問題になったのが、ニホンバラタナゴとタイリクバラタナゴが交配すると、世代を重ねるごとにタイリクバラタナゴの遺伝子ばかりが増えてくるということ。つまり、最終的にニホンバラタナゴの遺伝子はほとんど残らないわけ。これはニホンバラタナゴという種の絶滅を意味する。こういうのを専門用語で遺伝子汚染や遺伝子かく乱と言う。どちらを使うかは専門家によりけりで、統一された見解はない。
この交配はとてもひそやかに進行していく。ニホンバラタナゴとタイリクバラタナゴを見分けるわかりやすい特徴に、タイリクバラタナゴは腹ビレの縁が白いという特徴がある。ほかにも特徴はあるけど、これが一番簡単でわかりやすい。じゃぁ、タイリクバラタナゴの遺伝子を持っていれば皆ヒレが白いかといえばそうでもない。ニホンバラタナゴとの交配で生まれたF₁世代以降でもヒレが白くないやつもいる。つまり、一度、タイリクバラタナゴがニホンバラタナゴの生息地に侵入すると、専門家でも遺伝子を見なければ、どちらなのか確実なことは言えないということ。
そういうわけで、ニホンバラタナゴの保護をしているところではタイリクバラタナゴの侵入にとても神経をとがらせている。入ってしまったらお終いなのだ。

タイリクバラタナゴのオス


ヒレの前縁部が白い

遺伝的多様性に関する私見7 交雑問題2

2010-04-11 22:36:55 | 遺伝的多様性
 さて、前回の書いたことを踏まえて遺伝子撹乱はどうして問題視されるのか整理していきます。その前に前回書いていなかった重要な前提について書きましょう。それは“生物多様性は歴史的遺産としての側面を持つ”です。なぜこういうことが言えるのかというと、生物多様性というのは長い年月をかけて出来ているからです。たとえばヒトとチンパンジーが種分化してから500~700万年経つとされています。けしてヒトとチンパンジーがある日突然はっきりと分かれたわけではありません。気の遠くなるほど長い年月をかけて少しずつ遺伝的な違いが積み重なった結果、現在のヒトとチンパンジーがあるわけです。ここから言えることは、生物は個々に固有の歴史を持っているということです。
実際、古墳や貝塚から当時の生活の手掛かりが得られるように遺伝子からある種AとBがいつ別れて行ったのか、過去にどのような分布の広がりを持っていたのかなどを調べることができます。
そして、僕たちの社会というのはこういった歴史的遺産にある程度価値を認め、それをむやみに傷つけるのは慎むべきという風潮があります。たとえば、イースター島のモアイに傷をつけた日本人が逮捕されたという事件がありましたし、国内外の文化財に傷をつけて御用ということはままあることです。こういった人たちはまず好意的な見方をされません。裏返して言えば、歴史的遺産は個人がむやみに傷つけていいものではないということです。これは、遺伝子撹乱にもほぼ当てはまります。遺伝的多様性を含む生物多様性は歴史的遺産の側面を持つからこそ、それをむやみに傷つける行為は慎むべきということです。
これに対して異論もあるでしょう。たとえば「保全生態学でも外部から人間が遺伝子を持ち込むことを推奨する場合もあるじゃないか。個人の持ち込みで遺伝子撹乱が起きるならそれだって遺伝子撹乱だろう?」というものです。これは半分正しくて半分間違っています。まず、保全生態学でそういうことをやる場合は類縁関係を考慮しています。歴史的遺産のたとえで言うならボロボロになった歴史的遺産を修復するようなものです。つまり、なるべく元の形は残そうとしているわけです。これに対して、遺伝子撹乱とよばれるものはそこら辺を考慮していません。わけのわからないつぎはぎ。たとえて言うなら東大寺の大仏をしゃちほこの代わりに大阪城の天守閣に移動させたようなものです。
たとえ傷ができてしまったとしても、修復と落書きを同列に論じることはできませんよね。ただし、その修復が本当に適切であるのかについての議論はありでしょう。
ここでのまとめとしては、僕たちが歴史的遺産の価値を重要視するのであれば(大切な前提)、それをむやみに傷つけるような行為は慎むべきで、それは遺伝的多様性にも当てはまるということです。次回は交雑によって保全の上で不利益を被った例を紹介したいと思います。

遺伝的多様性に関する私見6 交雑問題1

2010-04-08 23:41:16 | 遺伝的多様性
 かなり遅れてしまってすみません。コメント欄のほうはしばらく凍結しますので、不便かもしれませんが我慢してください。
 遺伝的多様性にかかわる問題の一つに遺伝子撹乱ないし汚染と呼ばれるものがあります。これがどういうものか簡単に説明してしまうと、外来生物が在来生物と交雑することによって在来生物の集団内に外来生物の遺伝子が侵入してしまうことです。
たとえばタイワンザルとニホンザルの交雑やニホンバラタナゴとタイリクバラタナゴとの交雑がこの例としてあげられます。ここで例に挙げた生物たちはいずれも分類学上別種ないし亜種の関係にあります。
これだけ見ると、異種間同士の交雑だから問題視されるかのように見えます。でも、異種間での交雑そのものは人間が関与していなくても起こるんです。たとえば、ヨシノボリという淡水に主に棲むハゼ科の魚がいます。ヨシノボリは色や生態的な特徴に基づいて現在13種に分類されています。核DNAを見ても個々の種ははっきりと分化しているようです。しかし、こいつらはミトコンドリアDNAを見る限りでは過去にお互いに交雑していた形跡があるようです。どうしてそんなことがわかったかというと、同じ場所に生息するいくつかのヨシノボリのミトコンドリアDNAを調べてみたら、種ごとではなく地域ごとにまとまった特徴を示す系統になりました。つまり、ミトコンドリアDNAを異種間で共有しているわけです。ミトコンドリアDNAは母系遺伝といって母親のDNAのみが子供に伝わるという特徴があります。ミトコンドリアDNAを調べれば多種間で交雑があるのか知る手掛かりが得られるわけです。もしかしたら、今でもヨシノボリたちは異種間で交雑しているのかもしれません。
もうちょっと身近な魚でいえばメダカもそうです。メダカは遺伝子により大きく分けてきた日本集団と南日本集団、さらに南日本集団内のいくつかの集団に分類されています。そして、一部の地域では北日本集団と南日本集団という異なる二集団の間にハイブリッド集団と呼ばれる交雑集団が見られます。もっともメダカの場合は異種間ではなく異遺伝集団間ではありますが。このハイブリッド集団の形成にヒトは関与していません。
さらに言えば生物学的種概念という生物学に広く受け入れられている定義からみれば、交配して子や孫ができる時点で同じ種とみなすことも可能です。同種内の交雑のいったい何が問題になるんだ?と思う方もおられるでしょう。事実、そういう見解を示す大学教授なんかもいます。

すでにおわかりの方もいらっしゃるかと思いますが、実は僕は生物多様性の保全を論じるうえで重要な前提を書いていません。
次回は交雑問題の何がどうして問題視されるのかここで書かなかったことを踏まえて説明します。

参考文献
淡水魚類地理の自然史 渡辺勝俊・高橋洋編著 北海道大学出版

遺伝的多様性に関する私見5 遺伝的多様性を回復させるには?

2010-03-28 20:54:04 | 遺伝的多様性
 前回は遺伝的多様性が減った場合に集団はどうなるかという話でした。遺伝的多様性が減ることは集団が絶滅しやすくなることを意味します。では、それを回避するにはどうすればいいのでしょう?答えの一つとしては遺伝的多様性を回復させるということですね。・・・当たり前すぎてすみません。
では、遺伝的多様性を回復させるにはどのような手段があるのでしょう?大きく分けて2つあります。
1. 突然変異によって回復するのを待つ
2. 別の集団から遺伝子が入ってくる
1はその集団の自動回復を待つとでもいいましょうか。以前にも書いたとおり突然変異には有害なものが多いですが、まれに生存などに有利なものもあります。この有利な変異が集団に広まることで遺伝的多様性を回復させようというものです。ただし、この方法は非常に時間がかかります。そもそも、有利な変異というものがまれにしか起こらず、なおかつ集団内に広まる前に消えてしまうということもあり得るからです(たまたま有利な変異をもった個体が捕食されるなど)。
2は人間が外部から遺伝子を導入するのと集団間の遺伝的交流を回復させるの2つがあります。遺伝的交流を回復させるというのは、人間が分断してしまった生物の通路(コリドー)を復活させることがあげられます。たとえば渓流魚では堰堤に魚道やスリットをつけて下流と上流で魚が移動できるようにします。
外部からの遺伝子の導入というのは外部の集団から個体を導入するというものです。
こういった遺伝子を入れることはかなり効果があることが多いです。たとえばメキシコに生息するデザートタップミノーというカダヤシの仲間では、干ばつによってある淵に生息していた集団が激減し、近交弱勢に陥りましたが、下流の淵にいる健全な(近交弱勢に陥っていない)集団と個体をそれぞれ交換したところヘテロ接合度が回復し、寄生虫に対する耐性も取り戻しました。
このように遺伝的な交流は集団が近交弱勢に陥るのを防ぐ効果があり、とくに人間が導入するのは手っ取り早く思えますね(人間側から見て)。
ただし、人間が外部から遺伝子を導入するということは大きな問題になっています。一例をあげると渓流魚の放流があります。これは次に。

参考文献
保全遺伝学入門 西田睦 監訳
守る・増やす渓流魚 中村智幸・飯田遥 編著

追記3/29
デザートタップミノーはメダカではなくカダヤシの仲間です。昔は同じ仲間として扱われていましたが、現在はダツ目とカダヤシ目という異なる分類になっています。凡ミスでした。すみません。


遺伝的多様性に関する私見4 遺伝的多様性が低下するとどうなるか?

2010-03-22 23:27:22 | 遺伝的多様性
 前回は遺伝的多様性が低下してしまう話でした。では、遺伝的多様が低下すると、どのようなことがその集団に起こるのでしょうか。
・近交弱勢
 この用語そのものを知らなくてもこれが差す内容をご存じの方は多いと思います。血縁が近い者同士で交配を繰り返すと、ホモ接合で発現する有害遺伝子によって病気に弱かったり奇形の個体が生まれることが多くなります。ヒトの場合でも近親婚では子供に異常が出やすくなることは昔から知られています。たとえば最近の研究ではツタンカーメンは両親が兄と妹の近親婚であり、その結果、虚弱な体で遺伝病を患っていた可能性があるという報告がなされています。
ハリーポッターでもヴォルデモートの先祖のスリザリンの一族は従兄婚を繰り返した結果、遺伝的な障害が出たという描写があったと思います(確か6巻か7巻)。
近交弱勢は、その集団内における有害遺伝子の頻度が高まることで起こります。ここでいう頻度が高まるとは多くの個体がその有害遺伝子を持つという意味です。
しかし、生物も基本的に近交弱勢を回避する仕組みを持っています。たとえばサクラソウでは、雄しべの短く、雌しべが長いタイプの個体と雄しべが長く、雌しべが短いタイプの個体があり、花のタイプの異なる個体間で花粉のやり取りをし、有性生殖をおこなう際には自家受粉を極力避けるようになっています。ただし、十分に個体数が確保されていれば近交弱勢は起こりにくいのですが、個体数が少なくなるとそうもいかなくなってきます。なぜなら、個体数の少ない集団では配偶者になりえる個体が限定されてくるためです。
・遺伝的メルトダウン
これは近交弱勢とも関連しておきる現象です。近交弱勢が起こると集団の個体数が減少します。その結果、ますます近交弱勢が進み遺伝的多様性が劣化してしまうことをこう呼びます。
これは遺伝的多様性との話とは若干ずれますが、たいていの絶滅危惧種というのは個体数が少ないか他の集団から孤立しています。そういう場合、遺伝的多様性を抜きにしても絶滅しやすくなっています。詳しくはこちらに昔書いたものがあるのでご覧ください。

参考文献
サクラソウの目 鷲谷いずみ著 地人書館
保全遺伝学入門 西田睦監訳  文一総合出版

遺伝的多様性に関する私見3 遺伝的多様性を低下させるものは?

2010-03-15 00:23:37 | 遺伝的多様性
 当初予想していたより分量がかなり多くなりそうで少しビビっている梨です。前回は遺伝的多様性が生まれる話でしたが、今回は遺伝的多様性が低下する話です。遺伝的多様性は基本的に集団の大きさ(個体群サイズ)に比例して大きくなります(あくまでも基本的にはです)。大きなプール(集団)には大量の水(遺伝的多様性)が溜めこめるようなものです。では、遺伝的多様性はどのような時に低下するのでしょう。ここでは一部しか書くことができませんが、以下のような時には遺伝的多様性は低下します。
 生息地が分断される
 急激に個体数が減少する
 集団間の交流が妨げられる
生息地が分断されると、そこに住める個体数の上限が減りますから個体数は減ります。プールの大きさが小さくなってしまったようなものです。急激に個体数が減少するというのはプール内の水がいきなり抜かれてしまったようなものです。集団間の交流が妨げられるのは水道管が壊れてプールに水が入ってこない、ないしいつもよりずっと少なくなったようなものです。
さらにこれらによって遺伝的多様性に偏りが出ることもあります。集団の大きさが小さくなってしまった結果、一部の遺伝子のみが残り他の遺伝子が失われてしまった状態です。
ちょうどビンの口から出てくるものは全体の一部であることになぞらえてボトルネック効果と呼ばれます。また、これと同じく集団の遺伝的多様性に影響を与えるものにその集団の成り立ちがあります。創始者効果と呼ばれるもので、その集団の創始者たちの持っていた遺伝子の影響をその子孫たちが強く受けることからこう呼ばれます。たとえば、キタゾウアザラシは一時期に乱獲で20~30個体まで減少しましたが、現在では10万個体以上に増えています。しかし、ミトコンドリアDNAやたんぱく質(アロザイム)の分析では近縁のミナミゾウアザラシよりはるかに低い遺伝的多様性のままです。たとえばミトコンドリアDNAでは23の変異がミナミゾウアザラシから見つかるのに対しキタゾウアザラシは2つしか変異が見つかっていません。これは乱獲から100年弱ほどしか経っておらず突然変異による遺伝的多様性の増加があまり進んでいないためと、個体数が減った際の遺伝的多様性の低下をその後も引き継いでいることとが考えられます。ここでは別々に説明していますが、厳密には創始者効果は一世代でのボトルネック効果ともいえます。
こういった遺伝的多様性への影響はもちろんヒトも受けています。アメリカ先住民族にはO型が多いですが、これはベーリング海峡を渡った集団にたまたまO型が多くその影響が現在も続いているためです。
参考文献
保全遺伝学入門 西田睦監訳 文一総合出版



遺伝的多様性に関する私見2 遺伝的多様性はどうやって生まれるか

2010-03-10 10:49:20 | 遺伝的多様性
シリーズ2回目です。前回は遺伝的多様性とヒトとの関係に触れましたが、今回は遺伝的多様性がどうやって生まれるか、生物にとってどのような役割を果たしているか説明してゆきたいと思います。
 遺伝的多様というのは突然変異によって生まれます。突然変異というのはおおざっぱにいってDNA配列やRNA配列が変化することです。この突然変異にも種類があり大きく分けて3種類に分かれます。

1. 有利な変異 その突然変異を持つ個体にとって生存などに有利な変異。例としてはある病気に強いなど。

2. 不利な変異 その突然変異を持つ個体にとって生存などに不利な変異。ヒトでいえば血友病などが有名。

3. 中立な変異 有利でも不利でもない変異。環境の変化によっては有利になったり不利になったりすることも。変異速度が一定であることが多く、種分化を探る目印(マーカー)として使われる。

変異の起こりやすさでいえば有利な変異より不利ないし中立な変異のほうが圧倒的に多いです。これは生物が精巧な機械のようなものであり下手に手を加えると壊れる(死ぬ)ことが多いからです。ごくごくたまに改良につながる変異があり、それが有利な変異と呼ばれます。これらの突然変異による遺伝的多様性は個体や集団に反映されます。たとえばヒトでは個人レベルではアルコールへの耐性や血液型、集団レベルでは鎌形赤血球などがあります。
 遺伝的多様性が生物保全で重要視される理由の一つに遺伝的多様性は生物が環境の変化に対応する原動力になることが挙げられます。専門用語で進化的可能性といいます。たとえばガラパゴスフィンチでは干ばつの際の生存率はくちばしのわずかな長さ、厚さが左右しています。仮にフィンチの集団に遺伝的多様性がなく単一の遺伝子しか持っていなければ、干ばつなどの環境変化に対応できず絶滅するということもありうるでしょう。集団内に様々な遺伝子がある(遺伝的多様性がある)おかげで環境の変化に対応し集団が存続できているわけです。このことから、遺伝的多様性が高いほうが基本的に環境の変化に対し生き残りやすいので、遺伝的多様性が高い集団は近縁のそうでない集団より生き残りやすいといえます。

参考文献
フィンチの嘴 ジョナサン・ワイナー著 早川書房
進化とはなんだろうか 長谷川真理子著 岩波書店
保全遺伝学入門 西田睦監訳 文一総合出版

遺伝的多様性に関する私見1 遺伝的多様性と人類の関係

2010-03-04 23:40:54 | 遺伝的多様性
 新シリーズです。かねてから、遺伝的多様性についてのわかりやすい事例の紹介等が一般に向けてあまりなされてないのが不満でした。じゃあ自分でどれほどのものができるかやってみよう。遺伝的多様性についてなるべく一般の人にもわかりやすく知ってもらおうというのがこのシリーズの趣旨です。わかりにくいところがありましたらコメント欄までお願いします。
念のため断わっておきますと、これは遺伝的多様性に関する僕の私見です。僕がこう考えているからといって実際の保全生態学者がこう考えているとは限りません。そのことに注意して読んでください。
 まず、遺伝的多様性とは種ないし個体群内の遺伝的変異の大きさです。たとえばヘテロ接合度、対立遺伝子数などであらわされます。
単純に言えばある集団の中にどれだけ遺伝子のバリエーションがあるかということです。
では、遺伝的多様性は私たち人間とどういった関係にあるのでしょうか。ここでは遺伝的多様性を人間がどう利用してきたかという点から説明します。最も密接な関係にあるのは農耕、牧畜です。たとえば野生のコムギは栽培されているコムギと違って、熟すと穂からすぐに実が落ちてしまいます。しかし、栽培コムギは熟しても実が落ちることはありません。この違いは一つの突然変異によるものでこの変異が野生種から栽培種への大きな転機とされています。また、パスタの原料となるマカロニコムギはそれまでの品種から突然変異によって生じたようです。つまり、今日私たちが食べているコムギは過去に突然変異によって遺伝的多様性が増したことで食べられるようになったのです 。
つまり人間ははるか昔から遺伝的多様性の恩恵を受けて生活してきたということです。

追記3/22
コメント欄での指摘に伴い“人類”の部分を“人間”に変更しました。
また、このシリーズでは生物学的な話では“ヒト”を文化、社会的な話では“人間”を使っていきます。



遺伝子撹乱を進化生物学から考える

2009-05-17 22:11:22 | 遺伝的多様性
 まだまだ未完成ですが試験的に公開します。
 外来生物問題のひとつに外来生物とその外来生物に近縁な在来生物とが交雑することで起きる遺伝子撹乱というものがあります。全国的に有名なものに和歌山県のタイワンザル問題があります。近年では渓流魚の放流なども問題視されています。では、この遺伝子撹乱は何故問題視されるのでしょう?遺伝的な固有性が失われるというのがよくある説明ですがかなり具体性がなくわかりにくい気がします。単純に考えれば交雑したことにより遺伝的多様性は増すように思われるし事実そう思っている人も見受けられます。この疑問に進化生物学的な視点から答えてみようというのが今回の趣旨です。
 まず、交雑するほど近縁ということはその外来生物は在来生物とほぼ同じ資源を必要としている場合が多いです(ここでいう資源には餌や生息地だけでなく産卵場所や配偶者といったものも含みます)。タイワンザルとニホンザルはほぼ同じものを食べますし、ニホンバラタナゴとタイリクバラタナゴは同じような餌や環境、産卵場所を好みます。この結果、外来生物と在来生物の間に強い自然淘汰が働きます。自然淘汰とはおおざっぱに言って、自身の生存と次世代に残す子孫の数で争う生物間の競争です。この競争には、餌や住処をめぐる争いのほか、配偶者をめぐる争いも含まれます。自然淘汰に敗れた場合、敗れた方は子孫の数が少なくなってゆき、やがて絶滅します。絶滅すれば、遺伝的多様性も失われます。これらのことから、在来生物のことを考慮しない近縁な外来生物の侵入は、在来生物を絶滅しやすくさせているだけといえます。
 交雑するほど近縁な外来生物を持ってくるということは在来生物が遺伝子を残しにくい環境をわざわざ作っているということです。たとえばシナイモツゴでは近縁種のモツゴが侵入したことでシナイモツゴのオスが遺伝子を残す機会が失われています。モツゴのオスがシナイモツゴや同種のメスと交配できるのに対し、シナイモツゴのオスはモツゴのメスと交配することはほとんどありません。つまりシナイモツゴのオスが遺伝子を残すには同種のメスと交配するしかなく、さらにその配偶者はモツゴにとられて数少なくなっているのです。
 遺伝子撹乱の問題は“何を残すのか?”という視点をしっかり持っていないと誤解しやすいのかもしれません。また、生物多様性という言葉の“多様性”という部分も誤解を招いている一因なのでしょう。ここについてはまた今度。