貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

悲恋の偲ぶ摺と芭蕉!

2022-09-08 10:06:53 | 日記
令和4年9月8日(木)
  その悲恋物語とは・・・・・・・・・
 「遠い昔の貞観年中(9世紀半ば過ぎ)
のこと。
 陸奥の地を訪れた源融は、
村の長者の娘・虎女と出会う。
 日ごとに二人の情愛は深まり、
融公の滞留はひと月にも及び、
再会を約し、
遂に都へと戻る日がやってくる。
 再会を待ちわびた虎女は、
慕情やるかたなく
「もちずり観音」に百日参りの願をかけた。
 満願の日を迎えたが、
都からの便りはなし。
 嘆き悲しんだ虎女がふと目を遣ると、
「もちずり石」に
慕わしい融公の面影が彷彿と
浮かんで見える。
 しかし、近づくとそれはすぐに消えてしまう。
 虎女は遂に病の床につく。
 その後、一辺の歌が都の使いの者により
虎女のもとに届けられる。
 届いた歌には
「みちのくの 
   忍ぶもちずり
      誰ゆえに 
 みだれ染めにし
     我ならなくに」
と、
融が遠く都で恋の思いに心乱れている
様子が記されていた。
 故事にちなんでもちずり石は
別名「鏡石」とも呼ばれている。 
 境内の奥には、
虎所と源融(京都嵯峨の清涼寺より土を移す)
の墓が建立され、
当時の歴史を今に伝えている。
 元禄2(1689)年、
芭蕉と曾良は福島町に宿をとる。
 翌朝二人は岡部の渡しを渡り、
文知摺観音を訪れる。 

 この地で芭蕉は一句詠んでいることが、
曾良の「日記」でわかる。
「五月女に 
  しかた望ん 
    しのぶ摺り」
(この句はふくしま南幼稚園南側の
句碑に残っている)
とあり、それが
「早苗とる 
   手もとや昔 
     しのぶ摺り」
となり、
「ほそ道」の句になったという。

 若々しい芭蕉の立像も生きているよう
だったが、
周囲が工事中でゆっくり偲ぶことは
できなかったのは残念。





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