令和6年7月28日(日)
紀の川市粉河寺②
後日、
一夜を泊めてもらった童行者は、
孔子古の願い(庵に仏像を安置すること)
を叶えてやろうと、
七日七夜、庵に籠もり、
等身の千手観音像を刻み、
立ち去る。
<釈迦牟尼仏足跡碑など>

<釈迦牟尼仏足跡碑>

時移りその後、
河内国の長者佐太夫の一人娘が
長患い。
そこへ童行者が訪ね来て、
千手陀羅尼を誦して祈祷。
やがて娘の病は回復する。
童行者は長者がお礼にと申し出た
七珍万宝を断り、
娘が捧げるさげさや(お箸箱)と
袴のみを手に
「紀伊国那賀郡粉河の者だ」
とのみ告げ、立ち去る。

翌年春、
長者一家は粉河を訪れたが、
探しあぐねて小川の傍らで一休み。
ふと流れる水が米のとぎ汁の
ように白いのに気がつき、
粉河の証しであることを確信。
さらに、
さらに、
その川を遡り庵を発見する。
扉を開けると千手観音が安置され、
娘が差し出したさげさやと
袴を持たれていたので、
かの童行者は、
実は千手観音の化身であったことが
分かる。
この開創の由来は、
この開創の由来は、
当寺所蔵の粉河寺縁起絵巻(国宝)等
にて伝えられている。
<五橘亭と塊亭の句碑>
歌碑は、
歌碑は、
「水も嘸や
白き粉河の
山桜」
五橘亭
「風猛や
「風猛や
名に似ぬ里の
小春かな」
塊亭
と
<若山牧水の歌碑>

「粉河寺
遍路の衆の
打ち鳴らす
鉦々きこゆ
秋の樹の間に」
牧水
である。
~つづく。
~つづく。
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