貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

瀬田の夕照(勢田夕照) 搦み橋

2020-02-15 09:11:38 | 日記

瀬田の夕照(勢田夕照) 搦み橋

令和2年2月15日(土)

 瀬田の唐橋は、瀬田-唐橋町の

瀬田川に架かる橋。

 全長223.7 mで、滋賀県道2号

大津能登川長浜線がこの橋を

渡る。 

 京都の宇治橋、山崎橋と

ならんで日本三大橋(日本三名橋・

日本三古橋)の1つとされてきた。

 また、近江八景の1つ

「瀬田の夕照(勢田夕照)」

として有名。

 かつて架けられた橋は、丸木舟を

横に何艘も並べ、フジの木を利用

し、その蔓(つる)を絡めた橋で

「搦橋(からみばし)」とも

称される。

 この「からみ橋」から「から橋」

に転訛し、また、架け替えられる中、

中国や朝鮮半島の様式を模した

唐様が取り入れられたことに

より、唐橋の他に辛橋、韓橋

とも記された。

 橋の色は、最近市民の投票かで

決めたという話。

 ちょっとおとなしい感じ。

 夕照に映える色がいいなあ!

 東海道・東山道(中山道)方面

から京都へ向かうには、

琵琶湖を渡るか南北いずれかに

迂回しないかぎり、琵琶湖から

流れ出る瀬田川を渡る必要が

ある。

 明治22年(1889)まで、

瀬田川に架かる唯一の橋で

あった瀬田の唐橋は、交通の要衝

かつ京都防衛上の重要地であり、

古来「唐橋を制する者は、

天下を制す」といわれる程。

唐橋を舞台として繰り広げられた

壬申の乱、寿永の乱、承久の乱、

建武の乱など、橋は昔からさま

ざまな戦乱に巡り合う。

 そのため、何度も焼き落された

とされるが、その度に当時の浅瀬

の位置に橋が架けられる。

 また、『日本書紀』など数多く

の文献にこの地が登場する。

 
 芭蕉も何度か訪れ、貞享5年の

夏の句。

「五月雨に 

 隠れぬものや 

   瀬田の橋」

   琵琶湖やあたりの気色の全てが、

五月雨に霞む中、瀬田の唐橋だけは、

雨にも隠されることなく、

長々と横たわって見えているの意。

 

 瀬田川に屋形船。

 網定の舟。

その入口に句碑が。

 やっぱり、いいなあ!

 


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