貢蕉の瞑想

青梅庵に住む貢蕉の日々のつぶやきです。

何じゃもんじゃの木と蕎麦

2020-09-15 13:17:35 | 日記

何じゃもんじゃの木と蕎麦

令和2年9月16日(水)

 暖かい一日という予報。

 思い切って出かけることにする。

 二三度お詣りしている深大寺を参拝。

 車では初めてのこと。

 以前は、植物園が目的だったので、

初詣に近し。

 

 深大寺という名は,水神の深沙大王に

由来。

 奈良時代,天平5年(733)に満功上人

が開山。

 深大寺に伝わる「縁起絵巻」によると、

満功上人の父福満という渡来人は、

豪族の右近長者の美しい娘と恋に

落ちる。

 娘の両親の反対にあい、二人は仲を

さかれる。

 娘は湖の小島に隔離される。

 そこで,福満は深沙大王に祈願した

ところ霊亀が現れ,彼を島へ連れて

行ったという。

 このことを知った娘の両親も二人の

仲を許し,そして生まれたのが満功

上人。

  上人は父の深沙大王を祀ってほしい

という願いにより出家。

 唐に渡る。  

 法相宗を学んで帰国。

 733年に寺を建立。

 それが深大寺。

 縁結びの神。

 深大寺の北の大地は、米作りには 

むかず、小作人たちは、蕎麦を作り、

そば粉を寺に納めていた。

 寺では、蕎麦を打って来客を

もてなしたので、深大寺蕎麦が有名

になる。

 至るところに、食したくなる蕎麦屋

が林立という感じ。

  和名「ひとつばたご」という「

なんじゃもんじゃの木」があった。

 4月末から5月始めにかけて雪を

被ったような白い清楚な花が咲かせ

るらしい。


瀬田の長橋と国の春

2020-09-15 13:17:35 | 日記

瀬田の長橋と国の春

令和2年9月15日(火)

 広重の「名所江戸百景」のひとつに、

この芭蕉庵は二つの松と共に描かれている。

 その昔は、早稲田田園地帯であったのも

懐かしい。

 五月雨塚の芭蕉の句は、

「五月雨に 

  かくれぬものや 

     瀬田の橋」

  元禄元年作。

 五月雨に煙り、濛々たる中に、

瀬田の橋が長々と横たわる。

 琵琶湖の南端に流れる瀬田川に

長々と架かっている瀬田の橋、瀬田の

長橋とも言われていたる。

       

 伊藤松宇の句は、

「真中に 

  富士聳えたり 

      国の春」

 ゆっくりとひょうたん池を眺め、

当時の芭蕉の暮らしに思いを致す。

 

 大満足!
  
 芭蕉庵の出口で、高田馬場か

早稲田の駅へ行く道を探していると、

管理人の方が見え、高田馬場駅まで

徒歩で行く道を教えて下さる。