河津桜や
梅の花が見ごろの大和郡山城跡を訪れました。
帰省するたびに、近鉄電車の窓から見える郡山城跡を一度訪れたいと
思いながら数十年、やっと思いが叶いました。まあ、それほど思い入れ
があった訳でもありませんが、行ってみると、殊の外素晴らしかった!
郡山城は、洞ヶ峠で明智光秀から離反し、秀吉についたため、今も
裏切り物の汚名を着せられている筒井順慶(その生涯を見ると、一人
裏切者などと言われるのは可哀そうなほど、彼自身も裏切られ続け
だったようですが)の築城になり、その後豊臣秀吉の弟秀長の居城
となります。彼はたいそうな善政を敷いたそうです。
江戸時代になると、松平氏、本田氏など幕府のそうそうたるメンバーの
居城となり、これまたある意味悪名高い柳沢吉保の長男吉里の居城
となり明治を迎えます。
その後は荒れ放題だったようですが、堅牢な大城であった面影は今も
残り、石垣やお堀の堂々としたたたずまいは健在です。天守台付近が
今整備されていて、発掘調査も進んでいるようです。
お堀の周りを一回りしましたが、石垣が昔のままに残ります。もちろ
ん崩れているところもありますが、石は建物のように焼けたり、朽ち
たりしない分、往時のままの姿を見せてくれます。遠い戦国や江戸の
昔に思いをはせると、鎧兜のつわものが現れてきそうな気がします。
城跡は公園になっていて、桜の名所としても有名です。
奈良県内で一番古い高校、郡山高校も敷地内にあります。
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