あすなろ

塾長日記

ホームレスにならなかった

2015-05-22 20:29:49 | Weblog
ホームレスにならなかった。事務所の隣が代々木公園でホームレスはたくさんいたけれど、自分には関係のないものと思っていた。それが1015年脳出血を起こし入院した。退院して仕事はなくなった。30年やってきた塾の廃業である。そして足が溶解しだして2度目の入院をした。さすがに金が尽きた。借金とか友人にして退院して3か月、本当に貧乏だった。駅までのバス代もなく歩いていくと大切な脚は血だらけだった。渋谷まで行って不動産屋までタクシーで行くお金がなかった。






生まれ変わり

2015-05-20 07:43:37 | Weblog
映画のぽっぽやを見ながらそう思った。わが身の上にもいろんなことがあったなぁとね。それぞれの身の上にそれぞれの人生。が一つありました。なんであの時塾を始めたかなぁ。その後30年も続くとは思わなかった。そしてそれも突然終わった。30年やってきた仕事が終わってもわが身が死にそうになってもまだ生きているんだから、復活しか道はない。5月24日、私は洗礼を受けます。


強く生きていく

2015-05-17 23:07:49 | Weblog
あれだけの経験そうできるものではないし、もうしたくないがとにかく学んだものは多かった。とにかく考えても分からない問題は、自分の頭で考える。考えても分からないときは、聖書を読む。聖書の中にヒントを得て自分で考えて結論を出す。入院中に朝4時から目を覚めてどうしようかどうしようかと考えてやってきたからこそ、退院3か月目にして、夢を見ていたものが一つ一つ実現していくのは楽しい。人生にも自信がついてくる。例えば足の治癒が遅い遅すぎる、自分の問題だから、毎日考えていた。昨日、ギブスを作るとき先生の話にヒントを得て治癒の方法を突然思いついた。後は実行するだけだ。
ニュートンは引力のことばかり考えていたからリンゴが木から落ちるのを見て引力を発見したのだという。何も考えていなければリンゴをおちるのを見た人はたくさんいるのだから。私は足を治す。決めたことは実行する。そういう強さもまた信仰から得たと思う。





人間関係を育てていく。

2015-05-17 06:48:49 | Weblog
今日は日曜日である。日曜日のたびにこれから一週間が始まると教会でお祈りしながら、退院して3か月が過ぎた。退院したらこんな風に生きて行こうという夢が気が付いたら一つずつ実現している。
何とか、収入を確保して自分としては趣味の『物書き』をして生きていけたらいいなと思っていた。
昨日のことだ、出版社の子がその後どうですかとやってきた。玉川学園の山を下りて駅前にできたイタリアンレストランで、たまにはこんなこじゃれて店で待ち合わせをするのもいいなと思っていると本物の作家森村誠一さんが店にいた。あんなふうな大作家になれなくてもいい、こじんまりと老後を過ごせればいいと思っている。出版社の彼女は高校がぼくの後輩だった、彼女は入院した時病院に来てくれた。人間関係というものは大切に育てて行けばずっと続くと思うね。





今日も生きていてありがとう

2015-05-11 22:40:59 | Weblog
退院したら老後はどうやって生きて行こうか、考えた今退院3か月目に結構うまくいっている。それは教会で教わった、愛と信仰と祈りを実践していたからかもしれない。
愛というのは、人間関係がうまく言ってない人のことをその相手の身になって考えること、相手も大変だという視点で見直してみること。人は敵意を持たずに話せば心を開くものなのだ。まず信じてみる。今回不動産の整理にあたってまったく知らない人の協力を仰いだ。大丈夫なのその人は信じられるのと随分第三者に言われた。とにかく信じてみようは教会で学んだことだと思う。『ああしろこうしろというだけの第三者』
というところか
そして祈りである。病院では朝4時に起きてやることがない。お祈りの言葉は知らないけれど、一日の終わりに今日も一日の糧に感謝しますという言葉が好きだった。今日も食事をいただけまして感謝します。
とくにあんな病気をした後では、今日も生きていてありがとうという感じだった。




言わないさ

2015-05-10 22:53:28 | Weblog
母の日だから街で高いお茶を売っていた。緑茶を買って飲むのは初めてかもしれない。この緑茶にセットで高い羊羹も売っていた。家に帰ってこの羊羹を食べてお茶を飲んでみるとこんなにうまいものはない。本当おいしかった。退院して3か月たつので介護の人が全員集まって会議があるけれどこんな話をするといけないわねという話になるだろう。だから何にも言わない。大人になると言わずが花ということを経験する。
こんな羊羹の話を振る必要もないしね。なんでも叱られるのはおかしいと最近思う。アッシも大人なんだからさ。


危機一髪

2015-05-10 08:04:50 | Weblog
何より困ったのが朝起きていくところがない。仕事がない。そんな時思い出したのが大学の先輩のいる近くの教会。そんなわけで近くの教会に通うようになりました。後の洗礼準備会で学習したことですが、教会とは建物のことを言うのではない、信仰を共にする人が集うところだと聞きました。そうして3か月目、今度は足が腐るというか溶解を始めました。救急車で3軒たらいまわしにされてたどり着いた病院の先生が緊急手術をしてくれたので、敗血症にならないで危機一髪のところで又命を取り留めました。
心や入院したのに朝、牧師さんがみんなの応援メッセージや歯ブラシや本を持ってきてくれたのには驚いたとともに感動しました。






わたしの告白その1

2015-05-10 07:36:43 | Weblog
2015年1月脳内出血により突然入院しました。病院の同じ部屋では死んでいく人、退院でもマヒが残る人。経験をしたことのない恐ろしい世界が広がっていました。大雪の日退院しましたけれど2時間待って乗ったタクシーも途中でダメ。家までの道を一人では歩けない。助けてといっても誰もいない。食べ物もない寒い夜はまた再発するのかと心身ともに震えていました。
高校ごろより人はなんで生きるのかとか人生は何かとか考えるのは好きでした。だから文学部にいったくらいです。必死にリハビリをして教室に戻ったけれど、生徒は復活しませんでした。今度は失業です。
そんなうち、塾の近くの取材が来るくらいに爆発的に込んでいるノルウェーの喫茶店が教室を売ってほしいといってきました。30年やってきた塾ですが渡りに船と30年間のごみを処理して片づけていました。しかし30年間朝起きて行けばよかった仕事がない。どうやって生きていいかわからない。脳外科で隣のベッドの人は退院するとき四国の遍路をやってきますわといっていた。こういう時に宗教が出てくるのですね。どう生きていいかわからない。



拾い物

2015-05-06 21:17:14 | Weblog
ゴールデンウイークはメールが来た人と次から次へ食事をしたりして過ごした。3日は横浜国際仮装行列。
4日は南町田で食事、5日はもうどこかと決めるのもめんどくさくなんとつくし野で下車これが結構きれいで面白い町だった。拾い物

元気なふりをしなくても

2015-05-06 21:10:54 | Weblog
ゴールデンウイークが終わる明日からは仕事を始めないとね。何しろ1年間に2回救急救命病棟に入院したんだから死にそうとはこのことだった。退院してさぁ復活だなんて言っていたけれど、もう塾がないとそんな風に元気を装う必要もないなと思った。