あすなろ

塾長日記

メルシー私の人生

2014-07-31 17:11:15 | Weblog
昨日K君からメールが来た。それで思った
退院してから2月、3月をどういう風に生きてきたかのメモが出てきた。悲しいまでに焦ってはいるのだけれども何にもできていない。
そりゃあそうだ。生死の間をさまよう大病だものな。人生の一大事、これで人間変わらなくちゃな。と思う。
退院してからやっと元気になった最大の理由は、やっぱり2(ツー)K君とSちゃんだろうな。以前も書いたけれど、あすなろを詳しく記録しようと思っているからね。ここであの日のことを書く。退院してきて事務所についた3週間の新聞が散りばまっていてゴミ屋敷,(もともとだけれどもね)その新聞の中に座っていたら中年のおじさんが来た。これがK君でうちに入ってきたときはほとんどオープンしたころだった。あの時は彼は中一。30年たっていた。これも何かの縁。とにかく一般人と初めて話した。病気の話ばかりだったものね、昔話をしているうちに僕もオープン当初夢中で生きていた日々を思い出した。その後4人で会った日は楽しかった。こんな楽しい日があるならまたやってみるかという気になった。正確に言うとまた生きてやるかと思った。そして塾は最下位といっても集まらなかったけれど、いくつか塾ではない話が舞い込んできた。人生はこうして音を立てて変わるんだよね、K君に相談すると彼はもう社会人として大きなビジネスで修羅場をくぐってきている。的確なアドバイスね。すごいなと思った。僕は阿波踊りが好きだけれども夜笠をかぶってしかも動きの速い阿波踊りを撮るのは難しいとカメラマンになっているもう一人のK君に聞くと(彼はスポーツ紙のカメラマンだからね)的確に教えてくれた。彼らといた時代私は先生として偉そうにしていたが、彼らは社会の前線で走り回っている。負けないぞと思ったときから私は元気になった。アドレナリンが噴き出た。メルシー人生だ。

そしてその先には

2014-07-29 19:34:25 | Weblog
そしてその先に
まったくね。どうなるもんかと思ったよ。でもさ一つ一つ片付けてきて、こんな日が来るとは思わなかった。夢も希望もある穏やかな日々だね。
自分の努力だと思っているよ。そういうとすぐもうみんなに世話になったこと忘れてとか言う人がいるけれどわすれるわけないじゃん。だけど自分の周りにはそういう人たちがいたということもフォーチュンだけれども、そういう幸福性を引きよせたのもアッシだろう。だからょそういう人たちに報いるにも今までより、病気前よりもっともっと幸せにならなくちゃね。と心からそう思う。最後はニコニコして死のうと思う。


みんなみんないい奴だった

2014-07-27 18:53:48 | Weblog
朝、起きて映画を見ながら、いろんなことを考える。そして一つ一つ片づけてきた。不自由な体でね。塾を復活すると思ってやっては来たけれどうまくいかなかった。それでなくてもあんな大病をすると自分に自信がなくなっているときに生徒が戻ってこなかったことは自信をさらに失った。けれど時は静かに流れてね。全く違う方向から仕事が入ってきた。そのうちに同時に未来の塾はこうなるという話も舞い込んできた。そのためには法的整備もしなくちゃならない。病気静養中におぼえた、朝5時から、映画をヒントにあれこれ考える。習慣はこのまま死ぬまで続けようと思う。
だから体が戻ってくると、その後は行動だ。と思って昨日はちょっと休憩と思って東京阿波踊りの旅に行ったけれどこれは失敗だった。暑すぎて疲れすぎる。しかし行動は動いているよ。仕事なんか今や休んでいてもメールでやってくる。新しい仕事が軌道に乗ったら、私はね。湘南かなんかの小さい公団住宅にでも住んでさ、朝は映画を見て,(これだって家で全部の映画を見れる時代なんか昔は想像もできなかったろ)昼間は海岸なんかを散歩してさ。後はブログで知り合った人たちと会ったりしてな、酒が飲めなくなったのも運命だろうし、死にそうな大病したのも運命だ。今度半年検診があるけれどおかげで定期的に脳ドックも保険で受けられるしな。この不幸な出来事をよい方向に転嫁して生きて行こう。いつ死んでもいいようにな。人は死ぬんだぜ。真剣に考えたことがないだろう。僕は誰より考えたぜ。よく考えたらあすなろを作って30年涙が出るほど楽しかったぜあのままサラリーマンで終えなくてよかった。みんなみんないい子だったモンな。なんで知り合ったかといえばあすなろを作ったからだろう。

いけませんや

2014-07-27 18:48:23 | Weblog
残された時間で人生を取り戻す。
東京阿波踊りの旅は失敗だったね、まず、新宿のエイサー、エイサーはやっぱりのらない。1チーム1踊りを見て撤退。神奈川県大和まで阿波踊りを見に行ったが、徳島まで日本一とかの踊りを見るともういけませんや。1踊りも見ずに撤退、ただ神奈川県大和市は小田急と相鉄の乗換駅だから、ものすごい乗降客数、これは中央林間も同じで小田急と田園都市線だもの、すごい人数の乗り降りだということだけはわかったのがこのたびの収穫か。下北沢やのぼりと以外にもこんなに小田急線に集まってくるんだものね。


僕たちはどこへ行くのだろう

2014-07-25 16:38:17 | Weblog
僕たちはどこへ行くのだろう。
若年性アルツハイマーを描いた明日の記憶を見てしまった。だから19日待ち合わせを間違えてしつこくメールしたのは、あの明日の記憶での見せ場、訪問先の会社へ行く道がわからなくなるシーンを連想した。もうすっかり良くなっても脳内出血の後遺症に書いてあった小さい出血を繰り返して痴呆になって行くという文字がよみがえってきて震えた。これだけ暑いといろいろ障害が起きてくるけれど、昨晩はなんとクーラーのリモコンを無くしてパニックになった。室温は35度、朝までに死んでいるのではないか。と本気で思った。さぁ阿波踊りが始まるね。
これからは言葉のあやではなく、死ぬ気で生きる。
阿波踊りは
7/25.26神楽坂、新宿でえいさーもあるね。
  同日神奈川大和でも阿波踊り
7/26、27小田原提灯まつり、海老名市民祭り
8/2,3中目黒祭りだね。
XPの様子を見ながらupしました。

一生懸命、まっすぐに

2014-07-19 16:01:20 | Weblog
脳内出血して入院してから半年がたった。医学書によれば脳内の細かい故障も修復されるとある。毎日一生懸命生きていれば必ず誰かが助けてくれると長淵剛の歌にある。本当にそうだった。最初の生徒が来てくれたり、今日は生徒と経堂で阿波踊りだ。雨かな。とにかく一生懸命生きてきました。学校説明会の招待だって今までの30年、実績を上げてきたからだよね。最近の高校からの学習支援センターのオファーだってそれなりの立ち位置を作ってきたからだ。生徒の身の上相談なんか得意の分野だし、一緒にやれば物理でも数学でも教えられる自信もあるよ。4月ごろ金も話し相手もなくてつらかったなぁ。あのつらさを忘れてはいけないと思う。まっ忘れないよ。一番自信を取り戻した理由は病気は俺のせいじゃないということ、摂生が足りないとか自分の人生だものね、残された人生を一生懸命生きていくしかないよ。新しい仕事もできてわれこの道を一生懸命生きるしかない。


まるで中学生のように

2014-07-18 14:35:58 | Weblog
最初に最初の生徒Sちゃんからメールが来て二人のK君がやってきて、4人で食事して感動した。ここからは全く新しい人生だと思っていた。であすなろが塾でなくなるというのを読んでメールをくれたから返信をしたのに返信が来ない。今まで30年も会わなかったのに、メールの返事が来ないだけで中学生のように心配してしまった。恥ずかしい    

あすなろは不滅です

2014-07-18 14:32:13 | Weblog
あすなろは塾をやめるけれどあすなろはあります。不滅です。塾をやめるとブログを書いた瞬間にメールで問い合わせがあったけれど、高校生の学習支援センターになるということで、今までと変わらず存続しますから遊びに来てくださいな。
15日は碑文谷でした。学校説明会、暑かったですね。大鳥神社を経て目黒まで歩きました。おいしいとんかつ屋さんがあるはずなんだけれどもさすが暑くてとんかつなんてねという感じでした。次の日は鶴見、もう京浜工業地帯そのもの、やはり暑くてね。駅からバスで25分とか、真っ白な道路しか記憶にない。
少子化でしょ。どの説明会へ行っても生徒募集の決定打がないのだよね。学費無料にするとか、AOで誰でも入れる大学名が合格実績にのっていてもふーむという感じだったけれど、昨日話した高校はもう規模が違う、こんな高校もあるんだなと思ったけれど同日、九州の高校からもオファーがあった。そして全国の塾と提携して、本当の進学を目指す、個別で学習支援だよねこれからはこんな風になるんだろうなと思っていた。後僕の考えだけれども進学先は、これからは留学が主流になると思うね。インターネットで無料予備校もあるし、代々木に1万人も予備校生が集結した時代もなくなったと思う。先日か織田裕二がカリスマ予備校の講師をやってドラマそのものが終わっていたのは今カリスマ講師なんか今やいないのだから、内容が時代遅れ。
というのは今年脳内出血で倒れてからやっと復活したけれど時代が音を立てて変わっていた。もう塾でもないなと思っていたからです。じゃあどうなるのかわからないまま悩んでいた。


というわけであすなろは学習支援センターになった

2014-07-17 15:51:54 | Weblog
と言う訳であすなろは高校になった
 詳しくは書けないけれどね。さらに来年あすなろの前を通った人はここにあすなろがあったのかと言うサプライズも用意しているけれどね。これも詳しくは書けないけれどまっ期待してくれ人生はふしぎだよね。
脳出血で倒れたことで、ブログ発信していたの読んでいた人から話が広がって言ったのさ。特にこの学習支援センターは僕のやりたかったことだからね。うれしいよ。