あすなろ

塾長日記

叱らない親

2009-04-30 14:34:58 | Weblog
ゴールデンウィーク休むことにした。と書いた。
部屋を貸しているおばあちゃんが、家賃を持ってこない。
まつ持ってこないなら、しばらくしたら部屋を撤去してもらうだけのことで何度も督促して、いやな顔をして持ってこられる今までのスタンスを突然変えた。今回は一回も請求していない。今までは休日でもかまわず持ってくるとかいうのでそういうこともあって休めなかったんだ。家賃なんか振り込みで頼むと言っているのにやり方が分からないとか。もうそういうの現代社会で無理だよ。このまま部屋で倒れられてもどうするんだということだね。ずっと一人暮らしというのも私の関与する問題ではないしネ。嫌われないように気配りすることがたんに相手をあまやかしていくんだろうな。
人間関係って常にそうだと思う。子供を叱らない親とかね
筍堀をして自然の中は気持ちがいい。さつきやつつじが乱れ咲いて、藤の花が香ってね。やっぱりゴールデンウィークというものは人並みに休んで英気を養うべしと思った。


白洲次郎と武相荘と筍堀 その2

2009-04-29 20:18:35 | Weblog
白洲次郎と武相荘と筍堀 その2
ゴールデンウィークはいつも仕事をしていた。でもそんなの少しも自慢になることではないし、なにより、今の状態は
そんなに忙しいものではない。親戚の不動産屋が一日も休まず事務所に行っていて、ただ時代劇の再放送を一日中事務に雇った女のことテレビで見ていたようなものだ。奥さん激怒していたけれどね。今年からとにかく休める時は休むことにした。人生はいつも生き方の問題だ。というわけで今日は早朝から筍を求めてさまよって、早朝の喫茶店でコーヒーを飲んで、その店では全部のスポーツ新聞を読んで元をとろうとしているおじさんがいたな。これも生き方の問題だ。
そして白洲次郎さんの家、武相荘(ぶあいそう)を見つけて
そして帰って、録画してあった街道テクテク歩き、中山道と甲州街道を見ているうちに寝てしまった。3年前はボクも東海道を歩いたな。


白洲次郎と武相荘と筍堀

2009-04-29 19:21:52 | Weblog
白洲次郎と武相荘と筍堀
筍でも掘って、大名焼きというのにして食べたいと思っていたけれど、偶然見つけた筍農家は予約で一杯だというから朝自動車でフラフラ捜し求めてみた。あなたは知らないかもしれないけれど川崎は竹藪がたくさんある。昔居酒屋のおやじが筍堀をしていて1億円拾ったというのも川崎は宮前区の話だ。そんで里山を見つけては近づいて行ったら、朝取り筍を売っていたから買った>
で、でだよ。ふと見たら白洲次郎さんの家武相荘なんだよね。『ぶそうそう』だと思ったら『ぶあいそう』と読むのだそうだ。ゴールデンウィーク結構充実したスタートだったね

すごい価格。これじゃね

2009-04-28 17:12:54 | Weblog
驚くべき価格 これじゃね
滅多に行かない歩いて7分なのにね。渋谷に行った。フォトフレームというのが欲しかったからだ。もう写真も現像するものでもなくSDカードのまま、フォットフレームに入れて音楽とともに流しておくものらしい。2GBで988枚写真が入っている。1万円前後だね。それで見ていたらDVDのプレーヤーもみんなフォットフレームと同じことができてDVD、CDも再生できる。周りがブルーレイだ地デジ対応だと8万とか13万のテレビに混ざっていたから、でも7万かなんて見ていたらなんと、pioneer、sonyで7980円なんだよね
ICレコーダーのウォークマンが、なんと、なんと2980円なんだよ。この前近所の電気屋で騙されて買った蛍光電球が1980円だったからね。(その後メーカーに電話で調べてこれは980円だった)なんか嬉しいけれどメチャクチャ
以前川崎横浜にあったワットマンという量販店はコーヒーメーカー980円とかFMラジオ280円とかやっていて潰れちゃったけれどね。SDカードだって980枚も写真を記憶して1280円なら、写真屋でCDに焼き付けてもらう必要もないしね。


ボクの生活守ってよ

2009-04-28 11:55:55 | Weblog
ゴールデンウィークいつも働いていた。
ある日、ゴールデンウィークだからね。郵便局も開いている日がなくて、5月1日だかな。国民金融公庫に金を借りてその書類に印紙が必要で、渋谷の街を走っていたんだ。公庫は3時までだよ。必死に走っていたらメーデーで『生活を守れ
なんて暢気なこと言いやがって、デモ隊が通るまで渡れないんだよ。ばかやろう。やっていられるかって富ヶ谷交差点を赤信号で突き抜けてさ。もう警官にピーピー笛を吹かれた
じゃあボクの生活守ってくれるのかさ。なっ。

暗闇の中の中学受験

2009-04-25 14:00:11 | Weblog
暗闇の中の中学受験
それはボクの母校のことらしいのだけれども、『ある有名私立中学の理事長が発言した内容に大手塾の社長が激怒して生徒たちをその私立中学に推奨しないという手段に出た。そうするとその中学は偏差値が70から40になってしまった。』というものだ。週刊新潮でもこの私立は東大合格が
120名から今年は、10名を切ったと書いてあった。
私は、塾の力はこんなにすごいのだとここで書く気はない。
それは私も気が付いていたけれど学校によってはある塾のために一般の受験と別の枠を設けているところもある。
落ち着け。そろそろ中学受験ブームは終わる。

みんなも大変と知ること

2009-04-24 13:14:14 | Weblog
今度久しぶりにゴールデンウイークに遠足をやります。生徒も少なくなったけれど
生徒もみんな問題を抱えていて、中には行くのを躊躇している生徒もいます。あんまり学校へ行っていないで家に籠っている子にとって、そんなのめんどくさいかもしれませんね。今度ボクの事務所の上に学生時代の友人が越してきます。長いこと一人でやってきたボクにとって、彼は朝も7時には事務所に来てしまうしねボクのことグチグチ文句は言うしね。めんどくさい存在です。でもねそれが生きていくには必要だと賢明なボクにはわかるんですね。人は人に影響を受けていろいろ学んでいくのです。ですからね。家に籠りがちであんまり人と会わないキミこそ、こういうのに参加しなくちゃいけないんです。なぜなら参加する他の子もみんな悩みを抱えて生きているんです。ぜひ参加してみんなも大変なんだと学んでほしいですね。

反省ポイント

2009-04-22 16:47:19 | Weblog
昨日のことだった。生徒と授業を終って話をしていた時のことだ、いつも明るいこの子がこんなにも人間関係に悩んでいることを知らなかった。そしてこの子が最後に言うのだよ
『話を聞いてくれてありがとう』とね。
勉強をしないグループからいい加減そういう連中が嫌になって勉強をするグループに移ったらイジメを受けて勉強するグループはやさしく迎えいれてくれたのに、以前のグループがいつまでも嫌がらせをしてますます嫌になったというものだった。
昨年の2月のことだった。ボクはこのあと 『きりたんぽ』のパーティがあった。白菜を持ってそこへ行くところだった。6年もいた生徒が感が良くも『どこへいくんだよ』と聞いてきた。『仕事を終えてどこへ行こうと勝手だろう』ボクは本当に怒っていた。思えばこのあたりからボクは生徒の面倒を放棄し始めていたんだと思った。ボクが仕事を終えたら何をしても勝手だろうと思ったのは正しいと思う
しかしこの世には正しいことが好いことではないということもある。ボクが仕事に関心をもたなくなったら、成果もそれだけのことだと思う。仕事以外でもいろんな事をしたい。それと同じくらい仕事にも情熱を注ぐ、したがって今までの2倍の人生を歩み始めればいいのではないかと思った。

ぼくたちはどこへ行くのだろうか

2009-04-21 14:39:13 | Weblog
ボクたちはどこへいくのだろうか
例えば老人ホームに入ったとする。温泉が引いてあろうが、窓から海が見えようがね毎日快適に『お迎いが来る』のを待っているだけだ。会社で毎日のように飲んだり、休日までゴルフで一日を一緒にしていようが、会社を辞めてその男と毎日仲良くはしないだろう。あのボーダイな時間は何のために費やしたのだろう。
男と女が知り合っても結局は結婚するか別れるかしか選択の余地はない。いくら二人で過ごした時間が楽しくて長かろうがね。

ボクは自分ではずっと変わらないつもりでやってきた。昨日いつもの居酒屋に行ってここのママは釣りバカ日記の作者のお姉さんだから、とっても魚料理がうまい。で隣に座った人が突然僕の顔を見て、3年前いつも疲れた顔をしているひとがいる塾があったというのだよ。その後その人は郵便局の中で転勤になったけど一度その塾を見てみたら休講という張り紙がしてあった。という話をした。
ここは板橋で彼は赤羽に住んでいるといった。でどこの郵便局と聞いたら代々木局だという。『それ俺だよといった。』『えっ1-○-8の●●さん?』というのだよ。さすがフルネームで全部暗記している。
まさかこんなところで3年前入院する間際の僕の顔色を覚えている人がいるとはね。そしてそんな話をする機会があるとはね。
自分では変わらないつもりでいたのにね。さて僕たちはどこへ行くのでしょうかね。