あすなろ

塾長日記

30年間だものね

2014-08-31 17:13:41 | Weblog
やっぱりね。30年だものね。最後はちょっとつらかったよね。サプライズなんていてね。誰か花束でも持っていてくれたらとか思ったけれど代々木八幡駅まで振り返っても当然誰もいなかった。こうしてあすなろは終わった。フンだけれどさ。ブログの中で生きて行くからね。そして1年たったらこれは本当だけれども幻冬舎メディアなんちゃらから本になるからね。こうご期待と書こうと思ったけれどひっそりと生きていくさ。

あすなろ教場は8月31日に閉場いたします。

2014-08-30 17:43:52 | Weblog
あすなろ教場は8月31日をもって閉場いたします。30年間ありがとうございました。1月15日に脳内出血を起こし必死にリハビリののち5月に復活しましたけれど生徒は戻りませんでした。これは少子化だけではなく、以前は、5月と言うのは最初に高校に入って中間テストがありみんな必死に塾を探していた時期なのですが、そういうシステムも変化しており、大学は広き門となりあの代々木ゼミまで、閉教室20教室では闘いようがありませんでした。まったく違うところから問い合わせがありあすなろは9月1日から改装工事に入ります。正確にはあすなろの教室のあったところは別の店舗になります。これもまたおもしろいかもしれませんね。

俺そこにいたし

2014-08-29 15:13:18 | Weblog
今日はね。大事な契約があったからね。4日前に代々木公園でカに刺された人がデング熱を発症したと言うニュースは驚いた。まさに刺されたところにいたんだものね。4日が過ぎた。よさこいで、写真撮っていたから、毎朝、熱を計ったさ。不幸なことにとよく言うが、やはり不幸なことは緊張感が足りないんじゃないかと思う。毎朝、血圧、血糖値排便それに熱を計るのまで加わった。ニュースでは高齢者は注意って、オレ高齢者だし。

みんないらないんだ

2014-08-28 16:02:36 | Weblog
また帰ってくるよ
突然温度が低くなりましたね。楽ですね。一方で急速に温度が変わって体調はおかしい。9月から建物を引き渡すので忙しい、もう塾をしないとなると教材は全部ゴミ、いつかは使うかも、いつか使うかもといっていると老人の家のようになってしまう。期限の切れた風邪薬とかヘルパーさんが言っていたけれど一人暮らしの老人の家の冷蔵庫の中に賞味期限昭和があったなんて言っていたけれど、そんな感じ。人生と同じ、みんないらないんだよね。写真なんかでも1枚残していれば、その時のことを思い出せばいいんで何枚もいらない。思い出もね、あんまり抱えているとただのゴミさ。今、メールなんか1日2~3通、逆にねこのきたメールを大切に連絡を取っている。その日一日はその人のことばかり考えている。逆に人間関係もすっきりしているよ。ブログの中で生き抜いて、頑張って帰ってくるよ、こういうの夢っていうのだね、

さぁ新しい生活が

2014-08-27 16:28:39 | Weblog
あのころの私は、変だった。
昨年の、今日はテレビ出演した日だ。二つの教室を忙しく忙しく往復していた。今思えばわざと忙しくしていただけだった。お金がなくて、テレビ出演までに床屋にも行けなかった。売りあげが悪かったのを悩んでいたけれど、代々木ゼミが20教室閉鎖を聞いて、塾を取り巻く、事態の深刻さを知った。その間、自分の父親の介護に疲れた妻が、父親から逃げてきて今まで別居した妻と同居していたのだが、テレビに出演するというといくらもらえるのと言った。車を使うとガソリン代をよこせと言った。そういうのが積み重なって12月に私は鬱になった。その後これらのことが重なって脳内出血を起こした。以来、復活までに懸命にリハビリをして5月に教室を復活したけれど、生徒は戻ってこなかった。この時も妻は頭をやられた塾長の塾なんか誰も来ないといっていた。いくらなんでもいっていいことと悪いことがあると思っていた。悪いのはそういうセリフを言われても放置している自分の性格にあるんだけれどもね。だから、2月に離婚しているんだから、もうメールは返さないことにした。その後は毎朝、4時ごろ目が覚めていろんなことをかんがえながら、7時くらいまで過ごす日々だった。そうして、塾をやっていないからこそ来たお話を育てていて、それが昨日、締結した。
新しい新しい生活が始まる。よく夢と希望というけれど、確かに未来があると人は強くなれるね、

覚悟はできたか

2014-08-26 14:41:52 | Weblog
1964年のテレビドラマ若者たちなんか見ると受験生の自殺とかそういう話が多い、
実際競争率は50倍とか、ある大学に受けにいったらこのクラスで受かるのは一人かよと思ったことがある。そういう時は予備校に入るのさえ大変だった。2048年には人口が1億を切ると言う。これはジョーダンじゃなくて、死に方は考えておいた方がいい。認知症になって彷徨って行くえ不明になって名前も知られずなくなっていくならキチンと考えておいた方がいい

昭和が終わって26年

2014-08-26 14:28:02 | Weblog
実は、脳内出血はその前から続く鬱などの結果である。なんで鬱になったかといえば自分の周りの諸問題であったが、本当は気が付いていたけれど、認めたくなかったけれどもう塾はだめだったんだね、
昔はこんなもんじゃなかったといつも思っていたけれど、もう入試自体がなくなってしまっていたんだね。そんなわけであの代々木ゼミナール20教室閉鎖。新しい環境で生き抜くしかない。代ゼミなんかリッチの代表でたくさんの有名塾が資金難から傘下に入っていた。そこが終わった。何故だって分析したって仕方ない。


感動しまして泣きました

2014-08-25 16:43:40 | Weblog
今年は脳内出血を起こしましてスーパーよさこいの見学は無理だと思っていました。けれど昨日まで続いた気温30度以上は今日に限って27度になり、最近は表参道混んでしまって見れないんですが、突然地下鉄の駅をあがったら、『いなん』一人で先頭を踊っている踊り子さんに目が釘付けになってしまって
文字通り元気祭り、元気になりました。ずっとオッカケしました。すごい迫力でしたね、最近youtubeで見られるから、自分はもっぱら裸眼で踊りを見るだけです。撮影はしません。最初にこのよさこいを10年前見たときは驚きましたよ。以来高知まで見に行ったりしていましたけれど、見ると元気になるからね。まだまだ新しい強力なチームが生まれるんですね。人生も新しい出会いがあるんだと強く思いました。youtubeで『いなん』がデビューの時土佐清水で踊っているのを見て、土佐清水とは全く知らない世界なので今度行ってみようと思っています。こうやって世界は広がっていくんだとも思います。ありがとう。