あすなろ

塾長日記

わっ潜水艦

2014-05-30 16:52:23 | Weblog
1/15に脳出血を起こして入院以来初めてのドライブを友達とした。僕は横須賀といって友達は足柄の温泉といって、僕たちのことだから、ぶらりと旅に出た。その日テレビで偶然見たのだが、江戸時代、大山詣でから江の島に詣でるのが大ブームだったそうだ。大山詣でが人気があったのは箱根の関所を通らなくていいからだそうだ。その混雑はすざましかったそうだ、246とは大山街道のことで江田とか溝の口とか旅館が残っている。
横須賀といえば戦艦三笠。見学しながら知ったかぶりを声高に話していたら、そこにいた係員の人が答えてきた。米軍にもいた人で
知らない話をたくさん聞いた。確かに横須賀ほどの旧軍の基地がまったく爆撃を受けていないのは理由があるなと思った。後海上自衛隊が旧軍の旗を何故今でも使われているのか疑問はたくさんあった。よくふれあいのたびとか言うが本当のふれあいの旅となった。いろんな人生があるもんだ。と思いましたよ
また知らないことを知るのはとても楽しい。楽しければいつまでも再発したらなんていう不安に駆られている場合ではなくなってきた。こんな平和だと思っている時代でもこうやって潜水艦は有事の準備をしているのだ。

わっ潜水艦

2014-05-24 18:27:19 | Weblog
1/15に脳出血を起こして入院以来初めてのドライブを友達とした。僕は横須賀といって友達は足柄の温泉といって、僕たちのことだから、ぶらりと旅に出た。その日テレビで偶然見たのだが、江戸時代、大山詣でから江の島に詣でるのが大ブームだったそうだ。大山詣でが人気があったのは箱根の関所を通らなくていいからだそうだ。その混雑はすざましかったそうだ、246とは大山街道のことで江田とか溝の口とか旅館が残っている。
横須賀といえば戦艦三笠。見学しながら知ったかぶりを声高に話していたら、そこにいた係員の人が答えてきた。米軍にもいた人で
知らない話をたくさん聞いた。確かに横須賀ほどの旧軍の基地がまったく爆撃を受けていないのは理由があるなと思った。後海上自衛隊が旧軍の旗を何故今でも使われているのか疑問はたくさんあった。よくふれあいのたびとか言うが本当のふれあいの旅となった。いろんな人生があるもんだ。と思いましたよ
また知らないことを知るのはとても楽しい。楽しければいつまでも再発したらなんていう不安に駆られている場合ではなくなってきた。こんな平和だと思っている時代でもこうやって潜水艦は有事の準備をしているのだ。

わっ潜水艦

2014-05-24 17:29:33 | Weblog
1/15に脳出血を起こして入院以来初めてのドライブを友達とした。僕は横須賀といって友達は足柄の温泉といって、僕たちのことだから、ぶらりと旅に出た。その日テレビで偶然見たのだが、江戸時代、大山詣でから江の島に詣でるのが大ブームだったそうだ。大山詣でが人気があったのは箱根の関所を通らなくていいからだそうだ。その混雑はすざましかったそうだ、246とは大山街道のことで江田とか溝の口とか旅館が残っている。
横須賀といえば戦艦三笠。見学しながら知ったかぶりを声高に話していたら、そこにいた係員の人が答えてきた。米軍にもいた人で
知らない話をたくさん聞いた。確かに横須賀ほどの旧軍の基地がまったく爆撃を受けていないのは理由があるなと思った。後海上自衛隊が旧軍の旗を何故今でも使われているのか疑問はたくさんあった。よくふれあいのたびとか言うが本当のふれあいの旅となった。いろんな人生があるもんだ。と思いましたよ
また知らないことを知るのはとても楽しい。楽しければいつまでも再発したらなんていう不安に駆られている場合ではなくなってきた。こんな平和だと思っている時代でもこうやって潜水艦は有事の準備をしているのだ。

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2014-05-23 17:04:03 | Weblog
1/15に脳出血を起こして入院以来初めてのドライブを友達とした。僕は横須賀といって友達は足柄の温泉といって、僕たちのことだから、ぶらりと旅に出た。その日テレビで偶然見たのだが、江戸時代、大山詣でから江の島に詣でるのが大ブームだったそうだ。大山詣でが人気があったのは箱根の関所を通らなくていいからだそうだ。その混雑はすざましかったそうだ、246とは大山街道のことで江田とか溝の口とか旅館が残っている。
横須賀といえば戦艦三笠。見学しながら知ったかぶりを声高に話していたら、そこにいた係員の人が答えてきた。米軍にもいた人で
知らない話をたくさん聞いた。確かに横須賀ほどの旧軍の基地がまったく爆撃を受けていないのは理由があるなと思った。後海上自衛隊が旧軍の旗を何故今でも使われているのか疑問はたくさんあった。よくふれあいのたびとか言うが本当のふれあいの旅となった。いろんな人生があるもんだ。と思いましたよ
また知らないことを知るのはとても楽しい。楽しければいつまでも再発したらなんていう不安に駆られている場合ではなくなってきた。こんな平和だと思っている時代でもこうやって潜水艦は有事の準備をしているのだ。

中学入試はオシマイ

2014-05-21 19:04:13 | Weblog
今年初めての学校説明会に行った。少し離れて見えるものもあるんだと思った。もう私立中学入試は終わったんじゃないかなと思った。バブルの余韻があったとき、ゆとり教育になってこれじゃだめだと私立に生徒がなだれ込んだ。なのにその後私立は生徒欲しさにどんどん門を広げて推薦だ、AO入試だと
誰でも入れるようにしてしまった。誰でも手に入るものに価値はない。それが現況の私立入試じゃないのだろうか。終わった後、先生方に意見を言ってみたけれど神妙に聞いているばかりで、やはり努力して入ったところに愛校精神だって生まれるわけだし、

いまからそいつをこれからそいつを

2014-05-20 16:45:51 | Weblog
最初に救急車で日赤に搬送されて10年にもなるんですね。そのあとテレビドラマの救急救命病棟24時を夢中で見ましたね。今回も退院してから続編を見ました。もうDVDは100円で借りられるんですからね。安くて楽しい時間です。無料でテレビ見てつまらないとかいう時代じゃない。ダメなもの用のないものは淘汰されていくのです。第4シリーズは市ヶ尾救急なんてまさに私の入院していた病院がモデルだね。あのドラマのように私も酸素を吸入されていたんだからね、
そのドラマの中で患者を助けられなかった医者が鬱になるシーンがあるんだけれも。『時だけじゃ解決しない。なるたけいろんな人に会っていろんなことを感じるんだ』と進藤医師が言うシーンがある。昨日教室にいたら、日赤の寄付金集めている近所のおばちゃんが来て
『ご主人脳梗塞起こしました』と僕が聞いたら、よくわかりますねといった。同病相哀れむとはこのことで歩き方でわかった。その寄付が10年目だった。その時の担当医は午前5時に質問したらメールで答えてくれて、病院を移っている今も診てもらっている。
よく医師や病院を批判する人がいるけれど、今回弁護士さんにもお世話になったけれど結局は人間なんて信頼関係だよね。こちらが相手を信頼していれば、相手もよく面倒を見てくれる。それでそのおばちゃんの旦那。脳腫瘍でレザーできるメスがあるのは日本で3つで、いろいろ探して結局日赤で手術して、また日赤のフアンになったそうだ。そういう苦労話を聞くとああ病で苦しむのは俺だけじゃないんだってそこで元気になってくるね。
後一番この鬱的気分を治すのは、『バカにしやがってふざけんなよ』という怒りだね。情けない自分にしょげているといつまでも治らない。私はね。苦労して立ち直ったんだ。立ち直りかたなんか無料で教えられるかい。もう平気。これからそいつを今からそいつを殴りに行こうかってこれはヤァヤアヤァの歌詞だねだね。ASUKA逮捕ってAKB逮捕かなって思っちゃうよ。まだカラオケでヤアヤアヤアって歌えるのかなあぁたんさん。こんどいこうね、なぁたんは立ち直りました。