あすなろ

塾長日記

8/27特別な日

2011-08-29 17:24:52 | Weblog
夏も終わった。今日は朝からずっと授業。最後だから、みんな疲れるまでお勉強
高円寺の阿波踊りを見て感動した僕は、ついに徳島まで見に行くようになった。
そして今年は徳島まで行ったから、高円寺の阿波踊りははやめようと思ったけれど、久しぶりに行ってみたら
東京だね。とくに読売新聞とかのスポンサーが入ってからもう人出がすごすぎる

写真を見てね。何にも見えないのだよ。何にも。東京ってこんなものだね。来年も徳島へ行こうと決めた。

同じく原宿のスーパーよさこい。
初めてよさこいを見た時はびっくりしたな。「商売繁盛」なんて言って恵比寿のカッコして踊るんだから
これも高知まで見に行くことになった。

これも東京で変化したね。
もうダンス教室などの発表の場になっているね。

時代とともにあらゆることが変化していくとつくづく思った8/27だった。


よさこいと阿波踊り

2011-08-27 20:29:54 | Weblog
1270話 8/27は特別な日
 ブログを書き始めて1269話だそうだ。
15年以上前の今日初めて高円寺で阿波踊りを見た。このことがその後の人生を変えていくとはその時はつゆ知らず。アッハッハ。毎年付き合ってもらっていた友人とも、学生時代のように路上でコロッケを食べながら缶ビールで随分、人生を語ったりしたな。その後この会場からの帰り道救急車で救急救命病棟に運ばれた。このことも随分、考え方や生活、生き方を変えたな。10年前原宿でスーパーよさこいが始まった。ここで十人十彩を見てその後高知や神戸まで追っかけをした。10年も見ていれば随分いろんなことがあったな
初期の頃なんかNHKなんかあまり人がいなかったぜ。雨で全然人がいなくなった時もあった。はるばる高知からきたグループなんかねかわいそうだった。そうして今日、今年は徳島へ行ったから行くの止めようかと思ったけれど、行ってしまったね。むこうから十人十彩が来るとね。涙が本当出て来ちゃう。みている人もわかっていてね。彼らのあとからはゾロゾロ人が付いてくる。

夏の終わり

2011-08-24 17:46:51 | Weblog
夏の終わり、一日で元生徒が4人も別々に遊びに来た。なかでも一人は、最初にうちに来たのは小学校3年生だった。やがて新潟に転校し、北海道に転校し、夏休みだけうちに来たりして東京の大学に入って今は3年生だと言う。この子が21歳なんて、と思う。

徳島の阿波踊りってば その10憂き世だからこそね

2011-08-24 14:43:50 | Weblog
初めて、徳島まで阿波踊りを見に来た時、街のあちらこちらで突然阿波踊りが始まってすごく興奮していた時、携帯が鳴った。E先生からだった。他の塾の塾長だ。その前の年彼の依頼で大手の出版社から問題集を私は書いていた。一年フルにかかって140万円くらい彼を通してもらったけれど、本当はもっと200万円くらい払われているはずだと噂で聞いた。だからもう彼の依頼は聞きたくなかった。それに今度の依頼は大手出版社じゃなくて、もとそこにいた人だという。怪しい。さらに問題集を作ってからどこかへ売ると言うもので、事務所もなくて、喫茶店で打ち合わせだった。こんな人に印刷料とか払えるものなのか。胡散臭い話だった。ボクはもうこんな仕事をしたくなかったし、何より徳島に行くお金とか時間を捻出するのは大変だった。折角、やっと徳島まで来たのに、日常の生活は緊張して生きていくけれどね。貴重な時間、こんな話をしたくはなかった。バブルだった時は合宿と言えば、どこかへ行くお金はすぐ用意できたけれど、あくまでもそれは仕事であり、自分のために、自分のお金で自分の時間を使うことは本当に貴重だった。今、感動してみているその時にそこへこの何回も断った話の電話だった。彼の考えているように仕事といえば人生何でも最優先というわけではない。戸少なくても私は思う。本当に腹が立った。笛や太鼓の音で(ぞめきの音で)その電話はよく聞こえなかったからまた電話すると言っても何回も何回も仕事だ仕事だと電話してきた。思うに彼はこの依頼分も実はカネを受け取っていたに違いない。そんなことを徳島で突然思い出した。結局この仕事は、彼は数学の部分を書いて、お金はもらえず、ボクの分(英語)を他の人に依頼してその人もおカネをもらえず彼を訴えたと聞いた。その彼はそしてこんなことばかりに首を突っ込んで、過労で倒れてさらに病室から原稿の締め切りと言って抜け出して、交通事故で死んだ。
徳島に行くのは毎年大変だ。おカネも時間もね。でもさ。仕事ばかりが人生じゃないと教えてくれた気がする。『踊る阿呆にみる阿呆同じあほなら踊らにゃソンソン』

徳島の阿波踊りってば その9 さよなら2011阿波踊り

2011-08-23 12:26:30 | Weblog
あわぎんホールでの舞台が終わって演舞場は夜8時からだから、街をぶらぶらしたと言ってもあらゆるところで阿波踊りが突発的に始まる。いくつかは東京のチームで下北沢阿波踊りとかでおなじみなんだ。最終日は総踊りがある。全員で1万人近い人が踊るのだけれども、高松行きの臨時列車、指定券は買ってあるけれど22時38分。駅まで普通だと10分くらいだけれど、到着できる自信がない
残念だけれども、10時には演舞場を後にした。

徳島の阿波踊りってば その8 同じ時間は二度ない

2011-08-20 17:03:09 | Weblog
まっ(ふれあい)というのは、平日の昼間からのんびり店中の人を相手に話しながらコーヒーなんか普通の生活ではめったに飲めないからね。旅ゆえの醍醐味でしょうね。
さて、舞台です。これは何回か見ているんですけれど、今年は、S席だからね。じっくり見た。来年こそ一眼レフを買って、もっと撮りたいと思いました。もうこの踊りは芸術です。なかなかいい写真を撮るなんて言うチャンスが現実生活ではありません。ちなみに今回は8GBで980枚撮りました。
以前にね。横浜の子供の国で写真教室があったんですよ。阿波踊りも一連来たんだけれど
全然違う。モデルの連が静止していたり、やっぱりね。写真の極意は決定的瞬間で同じ時間は二度と流れないと言うところじゃないかしら。

徳島の阿波踊りってば その7まるで眉山のように

2011-08-19 17:33:15 | Weblog
まっ本当は大した距離じゃないのだろうけれど、暑いしね。舞台を見る前に食事をしておこうと思いましたが、駅を離れると途端にお店なんかない。喫茶店というのがあって,(何偉そうに書いているんだとお思いでしょうが、東京はもう家賃高騰の折からスタバとかドトールみたいな店しかないんですよ)こういういわゆる喫茶店というのはいいなぁと思って入りました。地元の常連と、美人のママがさばいていると言う感じのいかにも、映画かなんかに出て来そうな客が『可奈ちゃんまたきれいになっちゃって』みたいな。入ると連の人がいて、『じゃあ後で見に来なよ』なんてやっている。まっいいかとコーヒーミルク。アイスね。『お客さん汗びっしょり』
『阿波踊りTシャツ買っているんだけどね』
と私。隣の席のおばあちゃん、『着替えておいで、風邪ひくよ』美人ママ『こちらの部屋使ってください』と自分の部屋を『そんな、でも』部屋借りちゃう。『どこから来なさった』『東京です』『私も東京に24年いた』そこからは、回想に入る。まるで眉山の映画だよ。

徳島の阿波踊りってば その6 旅番組が好むふれあいの話

2011-08-19 17:33:15 | Weblog
その6、されど我らが日々
 次の日の朝、高松から朝早く徳島に向かう列車は、さすがに空いていた。到着してすぐ路上で踊りこみが始まった。本当に踊りこんでくると言う感じでしょう。今日は昼の舞台も席を取ってあるし、向かった先で、テレビの旅番組の大好きなテーマふれあいがありましたよ。

徳島の阿波踊りってば その5観光と旅は違うんやで

2011-08-18 17:31:50 | Weblog
徳島で踊っている連は1000、一つの連で
500人とか言うのもあるし、阿波踊りは鳴門でも阿波池田でも踊られているし、観光客は135万人だそうだ。その連が踊りこんでくる、次から次へさすがに熱狂的な私だから飽きは来ないが2時間も見ていると疲れてくる。22時38分の高松行きで帰ることを理由に席を立つが途中でも東京の顔見知りの連が踊っているから見とれてしまう。
観光客のお年寄りたちは飛行機で来て1時間も見ているとお疲れで席を立っていく。
まったく観光客ってば
 かつて体を壊して、東海道を一人で歩いていたことがあった。観光地でないところは
例えば東海道線田子の浦なんていう駅は、全くお店がない。よるところがないのだ。富士山なんか本当にきれいなのにね。ところが箱根なんていうところは、私は3日かけて走破したんだけれど、本当にすごく険しくてやっとたどり着いたら、観光バスで大量のじいさんばあさんが降りたって、競ってかまぼこなんか買っていやがるんだ。確かに箱根に行ったんだろうけれど、それと同じで阿波踊りを見たと言うのと、私の旅とは違うと思う。エッヘン。