あすなろ

塾長日記

第5話 美しい言葉の羅列の果てに

2011-12-25 12:00:30 | Weblog
第5話美しい言葉の羅列の果てに
 手をつなごうとか。君は一人じゃないとか
3.11のあと、マスコミを中心に美しい言葉の羅列がありましたけれど、もうその日くらいから、津波で流れた自動車のナンバープレートや緊急車両のステッカーなど盗まれまくって、建設車両なんか本当、キーをつけたままだから盗まれて泥だらけだからね。わからないんだよ。その他、原発避難地区とか土地買いまくっている奴もいて、みんなこの後補償金さ。何でも不正を追及ばかりする報道体制もあんな時は見たくないのだろうけれど
でもさ。やっぱりそういう問題もあるよねということは認識してもいいのじゃないかい。

第四話 どうしてあの頃は

2011-12-24 17:23:12 | Weblog
第四話 どうしてあの頃は
クリスマスイブに仕事をしていました。(今日もしているけれどね)どうしてあの頃はそれがあんなに惨めだったんだろうね。1992年、バブルの真っ最中かな。ひとりで事務をしていると、インチキっぽいセールスレディがやってきた。NTTの方からやってきて、もうそういう電話機は使えなくなると言ってリース契約をしてくれというものだった。
一カ月3千円で合計は30万円くらいになるものだった。なんかインチキっていうことはわかっていたのだけれど契約をした。こんな日も働いているのはかわいそうと思った。
今考えれば、少しもかわいそうではないのにね。そういう時代だったんだね
フランス料理屋とか1年も前から予約しなくてはいけないとかね。
そのリース契約をした会社は、1年くらいで消滅して、クレジット会社にだけ残債が残って、会社も機械も故障していてと裁判所に支払いは無効と認めてもらった。5万くらいかかった。誰も得をしなかった。あの女の子だって1万くらいは報奨金をもらったのだろうかね。

第三話 間抜けな文房具や

2011-12-23 15:36:46 | Weblog
間抜けな文房具屋
 年賀状ソフトを買ったけれど、今ね480円でDVDも二枚もついているからね。うまく起動しないからお客様相談室に電話したけどいくら電話しても出ない。思えば去年もそうだった。相談室なんか最初から誰もいねぇのじゃないの。Lumixなんかさ。わかんないことがあって電話するとすぐ出るぜ。結局日本郵便から無料で年賀状作成キッドが出ているしね。そっちで十分。まっこっちはNHKらくらくデジタル塾を見て作っちまったけれどな。こうなるとあのプリントごっこで年賀状なんて言う人はいるのかね。それよりもさ
あの間抜けな近所の文房具屋、年賀状のスタンプなんて売っているんだぜ。例年それで7日まで休みでさ。店を開けるとまだ年賀状のスタンプうっているんだ。龍年なんか売れ残ったら12年後にまた売るのか。間抜けとか言ったけどA4って何ですかとかこっちに言うんだぜ。後そんでさ消費税端数1円までとって、その分まければいいのによ。お年玉なんて言ってボールペン二本も配るんだよ。ボールペンなんて使う癖があって要らないのは要らないのにね。
 (この文房具屋はフイックションで近所にそっくりな文房具屋があってもそれは偶然です)

第二話 かあさんは夢の中

2011-12-22 18:16:17 | Weblog
 母さんは夢の中
  母親は戦時中、高千穂光学に勤めていた
海軍の潜望鏡を研究していたところの事務員だった。この会社こそ、今問題のオリンパスだ。経営陣が俺のかぁちゃんも働いて頑張って留保してきた金を勝手に100億とか無くしやがって、その高千穂の時同期の友達が介護老人ホームにいると言うので見学がてら、伊豆に行ってきました。温泉付き介護ホームというやつです。しかし母親は、その目的で向かっているのに行きたくないと突然言うのです。それでこの前行った伊東のホテルにまだ昼だけど行くことにしました。次から次へ ご老人がやってきます。ホテルまでの送迎バスは満員です。午後1時なのに、もうチェックインいいですよって入れちゃう。みんな浴衣は同じだから、お風呂に行ったら母親は自分の浴衣がわからない。女湯に入れないし本当大変だった。やっと風呂から出てバイキングを食べたら母親は眠くなって、寝てしまった。今がチャンスと露天風呂にゆっくり浸かって居酒屋で金目鯛を食って飲んで、ホテルの中を歩いていたら、きょろきょろして歩いているおバァちゃんがいる。母親だ。起きたらボクがいないので探していたという。もう赤子帰り。しょうがないな。面倒見る人は結局他人じゃ無理だわと思った。もう毎日が夢の中なんだね。かつては潜望鏡の開発のお手伝いしていたのにね。今は今は夢の中で生きているんだからね

第一章 きれいな爺ジィになろう

2011-12-22 17:21:34 | Weblog
第一話、きれいなジジィになろう。
 免許書の更新に行ったら、シートベルトをしていない違反があって、講習を聞いてきた
。あらゆる階層のあらゆる年代の人間が100人くらい同じ部屋でというのも、めったに経験できないね。普段は口もきくこともないこれらの人が、さすが日本はすごいね、字が読めない人はいないんだね。しかしトロイ人はいる。文句を言う人もいる。検査が終わって
俺もらっていないと言う人もいる。サッサと済まして早く帰りたいじゃん。携帯を講習中は見るなと言っているのに、覗いていて退出を命じられる奴もいる。相手は警察官だぜ。
素直に従えよ。やっぱりなこういう時、人は服装を見るよね。スポーツ新聞なんか、小脇に抱えていたんじゃそんな奴は大抵ダメだね
物事に緊張しろって言うんだ

ホームの階段を駆けのぼれ

2011-12-18 19:59:00 | Weblog
昨晩はね。終電になってしまって、もうこういうのダメでAPAホテルに電話したけれど、喫煙でツインしかあいていないというのだよ
一人で泊って12000円はないよと、最終埼京線で池袋まで、ホームをはしってよ。山手線で、またホームをはしって新宿から小田急最終0時25分、玉川学園午前1時10分、文字通り午前様、問題それからだ。ボーナス後の土曜だもんね。タクシーはいつもは20台くらいいるのに3台だよ。何故か、回送と表示してタクシーはどんどん目の前を過ぎていく、後ろでブスのわけのわかんな女がずっとずっと誰かに電話している。だから言ったことは許すって(お前に許されたってよと突っ込みを入れたくなった)でもあの後が許せないのよと絶叫。まったくね。お前がうざい
タクシーに乗れたのが午前2時。年には本当に効いた。こんなの何年振りだろうか。
タクシー回送の理由は玉川学園だとみんなワンメーターだけれども、町田だとみんな長距離横浜だの多摩センターだのね。なるほど

さびしくて息もできない

2011-12-16 20:57:44 | Weblog
淋しくて息もできない
 まったくね。今は不幸でもないですよ。やっぱりね。あの時はみんなそうだったのだろうけれど、バブル崩壊後は大変だったね。バイトは仕事がないからみんなうちの仕事を辞めないし、それでボクに文句ばかり言うのだから、あの頃は生徒もたくさんいたけれど講師も13人もいてね、ダラダラそれで講習ごときをしているふりをして残業代を稼ぐんだよね。まっ今なら帰って欲しいってきっぱり言えるんだろうけれどね、そういうことも含めて経営者未熟だったんだよね。大晦日全部を払ったら5千円しかなかった年もある。浅草橋まで5カ月くらいの滞納者の家に15万円集金に行ったこともある大晦日集金に行っても取れないよね。そういうところも未熟者だったね。ここのつらさは孤独ということだね。相談する人がいないのだから、親しくしている人はみんな講師や生徒なんだからね
それにつけても電車や飲み屋で相変わらずサラリーマンは会社の愚痴を言っているよね。ならその上司に言えばいいじゃんと突っ込みたくなるけれどね。
ボクが今年の暮、不幸じゃないと言っているのは愚痴を言う相手はこの世にいないと知ったからかもね。ひとりなのさ。人間は
孤独だからこそ、だから半端な知り合いではなく心許せる友達もいるよ。最近なぁタン泣かせるよね

来年はどういう風になるのかな

2011-12-15 15:30:45 | Weblog
今年も終わりますね。正月より年の暮のがなんかそわそわしますね。10年以上、大晦日にはその年の受験生と映画ゴジラを見に行ってました。正月は2日から三浦半島の油壺で合宿していました。自分が年だからやらなくなったのか。不況だからやらないのかと考えれば結局すべてのことは時代なんですね。

今年はと言えば、3.11大震災。それ以前に録画した番組を見るとCMとかまったく今と違うんですね。あの頃はテレビも自分自身を持て余していた感じ、お笑いタレントが浮気したとかしないとかずっといじっている番組に非難が殺到したのがね。もうそういうことさえ話題に登らなくなった。何故ならみんなテレビそのものを見ていなくなっちまったからね。3Dだ。地デジだと言っても、テレビを見る習慣そのものがなくなってしまった。平成も24年、私なんか昭和24年生まれだぜ。
これからもあらゆるものが変わっていくだろうね。電車の中では新聞ゃまして週刊誌など読んでいる人は皆無。みんな携帯を見つめている。変わっていくことを懐かしんだり、不安がるよりさぁどういう風になるのかなと考えましょうや

新婦の挨拶

2011-12-14 19:00:19 | Weblog
新婦の挨拶、
 その子は昔からユーモアのある子だとは父親から聞いていた。『お父さん、いつも寝坊した私を駅まで車で送ってくれてありがとう』というスピーチでみんな大笑いを取っていた。しかし段々スピーチは進行して、『雨の日は私を送ってくれたあと、自分は自転車を駅まで漕いで行った』辺りになるといけませんや。みんなうるっときて、ボクも学生時代から40年も知っている彼は家ではそんなお父さんなんだと不覚にも、ウルッと来た。名スピーチだね。その後は話は母親の話に移って、奥様号泣、ドキュメンタリータッチで写真を撮っていてよかった。ずっとニコニコしていたけれど、今日を迎えた本当の気持ちが
その写真には写っていた。今ね。写真集を作ってますからね