あすなろ

塾長日記

あすなろ再開のお知らせ

2011-03-29 13:39:36 | Weblog
皆様、お元気でしょうか?
3/11から始まって大変な日々でありましたね。この記録を自分なりに書いておこうと、ブログの『あすなろ塾長の日記』に書いていたんですけれど、あっという間に3週間経ってしまいました。しかしこのブログを読むとこの18日間いろんなことが起きていて、私の考え方もこの3週間で随分変化してきましたね。
今日初めて、普通にコンビニで牛乳が売っていました。うれしかったです。2週間前からあすなろは一応やっていましたが、
もともと受験が終わって年間で一番出席率が低い時でしたから、
あすなろは様子を見ていました。
その間にも春は確実に来て、忘れていた桜までいきなり咲き始めましたね。4/1を期して、毎日4時~7時まで、あすなろはスタートいたします。これから、いろいろな事が、この震災を期して社会は大きく変わっていくと思います。どんな時代でも自分の頭で考えて行動できる。そういう人間になるためには基礎学力充実ですね
あすなろは再開いたします。よろしくお願いいたします。

本当にチャリティだろうな

2011-03-28 16:24:34 | Weblog
こんなことがなければ、4時間もテレビドラマまして金八先生なんか見ることもなかった。金八先生32年だそうだ。ワタシ前の予備校勤務含めれば30年だ。武田鉄矢とボクは同じ年だ。ボクも講師になり立ての時は、何でも金八先生を意識していた気がする。どちらかと言うとおせっかいな事までしていた。
テレビドラマ金八先生終了の理由は、見ている視聴者から無理があると言われたこともあると聞いた。そうなんだ、困った生徒を自宅に泊めて心臓に持病のある金八先生が食事までその生徒のために作ってあげる。お涙ちょうだいもののドラマも、ここまで行くとちょっと嘘なきがする。教育か愛か知らないけれど、そこまでお人よしには人はなれないと思う。まして、61歳にもなってそんなことやれる人はいないと思う。
関東東北大震災、チャリティとか言って歌手が歌っているけれど、もちろん無料なんだろうな。
オイっ。

人にどう言われようとも

2011-03-26 14:15:57 | Weblog
仕事での受験も終わって、仕事も個人も、少し来し方、行く末を考えようと思っていた、その時大震災がやってきた。電車も動かないし、たまっていた本を読んで毛布をかぶって寝るだけ寝てやろうと思ったけれど、あまりにもテレビでショッキングな映像を繰り返し見ているうちに、寒さも加わって、今度は睡眠不足の日々になった。
頼んでもいないのにトイレットペーパを買ってきたわよとイチイチ届けてくれる人に不快感を覚え、真っ暗で暖房も入っていない小田急で、いつまでも、相手も聞いていないのに、地震の時のカレの話を繰り返す女学生のキンキンした話声に殺意を覚え、ファミレスで政府が悪い人災だとどこかの週刊誌で仕込んできた話をお笑いを交えて話すジジィたちに、殴ってやろうかと本気で思った。
『みんなうるせぇ』
さて、この2週間、まだ高校未定者もいて、何にもする気がしなかったけれど、『仕事でもプライベートでもすることだけはしよう』と決めた。高校とも連絡を取り合い、とにかく落ち付かせた。その他プライベートでも、福島で(地震と関係なく)お葬式。計画停電の折、脳梗塞で入院している人もいるし、ワイワイとお見舞いや葬儀に福島へ行ったりは、しなかったけれどどうなっているのかは全部抑えておいた。震災後、この後、見たこともない混乱が生じるだろう。その時、すべきことできることは確実に全部しようと決めた。
しかしね。勝手にパニックになって、右往左往することだけはやめようと思った。これは自分の生き方になると思った。


信じあう喜びを

2011-03-25 17:14:34 | Weblog
信じあう喜びを大切にしよう

大震災が日本を襲って2週間がたちました。
3月は受験も一段落して、少しのんびりしようと思っていました。
久しぶりに進級進学祝いの遠足をして、そろそろ春の講習の準備と言うところで
この大震災となりました。
遠いところの災害ではなくて、
そのテレビに映っている
原発が使えなくなって、
いきなり首都圏停電です。真っ暗で暖房も聞いていない小田急線
いつ動くかも、このまま動かないかもわからない、不安。
こういう時は、駅員にくってかかって、しかも『何時に動くって言ったじゃないか』と人の言葉尻を取っては、大声をあげていた
オッサンも、放射能が水道に含有されていたって?
どうなっているんだというマスコミも、人を責めていても今回は
解決はしないと悟りました。今までの災害、事件、事故とちょっと様子が違う。規模が違う。

本日3/25、横綱はカップヌードル100万個、義援物資として送るそうです。しかし震災から14日、カップヌードルなんか被災者は食べたいのでしょうかね?何でこんな時に芸能界なのか知りませんけれどしきりに、『歌ぐらいしか歌えないので』とプロモーションビデオも流れています。被災者の70歳や80歳のおばあちゃんの心にそんな歌が届くのでしょうか
いつのまにか、いつのまにか、被災者の義援が宣伝にすり替わってしまいましたね。まぁそういう是非は個人が考えることですね
これは大変だ、から、この先どうなるんだろうにシフトしました。

この間、うちでもまだ高校に決まらない生徒がいたから、毎日は
渋谷に出てきました。昨日辺りから、渋谷あたりはものすごい人出となっています。震災を乗り越えて、頑張ろう
と言うこと自体、もう個人が個人が考える時だと思います。

もう二度とそんな日は来ないよ

2011-03-24 18:02:31 | Weblog
本当の恐怖は静かにやってくる
 何でも、放射能の話じゃないよ。今日ねあの地震の日以来初めて渋谷の街に出たんだよ。センター街なんかるものすごい人出で、みんなどうなるもんかと家でテレビを見ていただろうね。別にまだどうにもならないんだけれど、勝手にもういいかと繰り出してきたんだろうね。どどっと出てきた。別にいつでも被災地の人のことを考えてなとは言わないけれど、バカ騒ぎしている若者と言うか、学生たちがいる。何で今、あんなにおかしいのだろうか。もう一度言う別にいつでも被災地の人のことを考えてなとは言わないけれど、もう明日からは今までのような日々は、オレタチ来ないと思うよ。自分の明日を考えると、想像力のある人ならば、とても笑ってなんかいられないと思う。
あの日以来、ボクは酒を飲まない。そんな気分じゃないものね。さて、いろいろなものが静かに、確実に形を変えていくと思うよ。
その時自分なりの答えを持っている人だけが生き延びられるんじゃないかな。ユメユメ通信販売で出始めたペットボトル12本8千円なんて買わないようにね

私はここにいます

2011-03-23 18:11:31 | Weblog
私はここにいます
映画ならね。原発の何号機が危険になって、
やっと危険が去ったと思ったら、次は何号機が危ないと手に汗を握る展開なんだけれど、最後は必ずヒーローが現れて八ッピーエンド
になるからね。見ていられることで、現実の世界はこの先一体どうなるのやら、うちの生徒の学校の同級生の大使館員の家など帰国命令が出て、サッサッともう帰国してしまったなんて言う話を聞くと、一体放射能の事実はどうなっているんだと思う。どうなっているんだと、怒りを政治家に向けたところで、そういう論調の皮肉をきかせた文のマスコミも散見するが、むなしい。天災だし、お前もそんなことを書いて、飯を食っているのかと思う。もう覚悟はできていると言いながら、牛乳一本手に入らないとパニックになっている自分がいる。ガソリンスタンドで並んで買った。テレビはがれきの中で泥にまみれたアルバムなど写しているけれど、現実の遺体は死んでもなお、泥だらけで、体一つ拭いてもらえない。天を仰いで硬直している。遺族は悲しく、情けないだろうと思う。
こんな時こそ、手を握り合い、助け合っていこうねと、キャスターは言う。それはそうなのだけれども、頑張れって言われても、頑張らなくてもいい時もあるんじゃないか。もう頑張らなくてもいい。今のお気持なんか何で言わなくちゃならないのさ。
地震発生から、個人的には、受験も終わったし、家で何日も寝転がってテレビを見ていようと思った。電車も動かないしな。しかし、
あまりにも長く、24時間、繰り返し悲惨な映像を見て、感情移入しているうちに体調を壊した。

雨を汚したのは誰

2011-03-22 17:36:29 | Weblog
雨を汚したのは誰
 と言う曲が昔あった。人のせいにしても仕方ないじゃんか。自分が生き延びる道を探せ
面白がっているとしか思えない、買いだめしては一つずつ人のうちに持ってくる人の話は昨日書いた。自分だけトイレットペーパーを大量に買ったってトイレが断水したらどうするんだと言う話も昨日書いた。自分だけという料簡が気にいらねぇ。そもそももう二度と以前の生活なんかしばらくは望めねぇーよ。東北だけじゃなくて、日本すべては。何が野球で世間を明るくするだ。これからはパンなんて送ってないで、カネは後払いでパン屋を再建させて、市民には全国から集まったおカネをどんどん送って地元のパン屋や家具屋や洋品店でどんどん買えるようにしろ。町の食堂は、海岸沿いにはたくさんあったじゃないか、どんどんトン汁やご飯を作って、(もちろんみんなが材料を送って)市民はおカネを持って押しかけるようにしろ。無料なものばかり配ったって経済なんか活性しないよ。
個人的にも腹たつ話たくさんあるけれどな。ちょっと書けないけど、なんて馬鹿なんだろうと言う話さ。レンボウがコンビニに行って何もないのに驚いているニュースだってそんなの前の夜に一人で行って調べておけって言う話だ。同じく、総理大臣、みんながあんたの言うこと聞かないのだって、普段から情報が入るようにしておかなくちゃ、命令が流れるようにしておかなくちゃっていう話なんだよ。


赤い自転車

2011-03-22 15:42:25 | Weblog
つづき。その子(当時14歳)からブログを読んだと言ってメールが来た。14歳の少女は42歳になっているはずである。子供が3人もいるそうだ。メールに添付されていた電話をすると、あの初めて塾に行くために買った赤い自転車は今は母が使っていると言った
確か父親が具合が悪くて千葉の九十九里浜の方の病院に入院していると言った。お母さんはあの赤い自転車に乗って海岸を病院に向かっていたのだろうか。『まだ赤い自転車に』と笑いながら話しながら涙声になっていた。


復活の日

2011-03-22 15:25:25 | Weblog
復活の日
空気伝染に突然変異したインフルエンザで地球上の生き物が全部死滅してしまうSF映画の大作『復活の日』と言う映画を見たのは40年前の仙台であった。いくつかのオーストラリアとかアメリカの片田舎からかすかに(当時は携帯なんかないからね)無線が聞こえてくる。なんかそのシーンが忘れられず、地震の日からブログを書いてはいたが、とっても書く気にもならない日(昨日とか)あった。
それでも塾を作って以前勤めていた塾から嫌がらせを受けていた時、27年前だ。初めて入ってきた子が来た日は忘れられなかった。その子(当時14歳)からブログを読んだと言ってメールが来た。14歳の少女は42歳になっているはずである。子供が3人もいるそうだ。

覚悟せよ。覚悟

2011-03-20 14:35:19 | Weblog
許せない人
義弟の姉が福島で病死したけれど火葬場などの関係で、葬儀が未定だ。義弟に見舞金を届けに渋谷にやってくる途中町田で異様な光景を見た。いつもはICカードで並ぶ人たちもいない券売機が長蛇の列なんだ。小田急の急行の中で、便所を探す人もいた。急行料金を聞く人もいた。東京の私鉄ではどちらもないのだ。マスコミは報じていないが、大量に避難民が出ている。そりゃあそうだ。あんな体育館に避難したって、暮らせないものな。日本全国のホテルが満員だそうだ。
 オバはいつも戦争中は食い物がなかったという話をする。そして今、車いすでスーパーへ行ってはトイレットペーパーがあったとか牛乳があったとかと言っては、ベンツでガソリンを垂れ流しながら届けに来ては、戦争中はという話を繰り返しする。ここのところ毎日だ。少しくらいものがなくてもいいじゃないかな。飯を食えなくてもいいじゃないかな
ベンツで来るな。自慢かよ。こういう人間がパニックを起こすんだよな。
どうせもうこれからは、日本中今までみたいなユルユルの生活は望めないんだ。覚悟しろよ覚悟。自分だけ、トイレットペーパーがあったってその時はトイレも流れないんだからな