ミューのガーデン日記

八ヶ岳南麓清里高原のペンション「ゲストハウスミュー」のブログです♪
庭の薔薇たちや猫のこと、清里暮らしの日々を・・・・

152キロ

2006年11月30日 | 日記・エッセイ・コラム

39bann Hennro 雨の中を歩き靴も靴下も濡れて、やっと見つけたブロックで囲われたバス停でひと休みしていると、お大師3が現れた。「暖かいお茶でも飲んで休んでいってください」と声をかけてくれた。人家も人影もない道を2時間ほど休むこともなく歩いていたので有り難かった。トイレを借りてお茶と夕べの残りというおでんの卵やみかん、バナナを頂いて人心地がつき元気が出た。こんな風に歩きお遍路旅は色々なお大師に助けられて今回は152キロを歩いた。清里に帰ると木の葉もすっかり落ちて寂しい庭になっていた。


弘法水

2006年11月18日 | 日記・エッセイ・コラム

山頭火が「なんとここらの 水のうまさは」と詠んだ弘法水は、その昔弘法大師が念場ヶ原(清里)を通った時、三里もある長い原に水が無いため、旅人の難儀をあわれんで、持っていた杖で大地を突いたら、たちまち清水がこんこんとわき出たと伝えられている。清里も弘法大師に縁がある場所のようだ。お遍路するには健康、ひま、お金、お大師様のお招きの四つがそろわないとできないそうだ。なんか、お大師様のお招きを感じるので、お金とひまは何とかしてお遍路の続きに出かけます。


山頭火

2006年11月15日 | 日記・エッセイ・コラム

Sanntouka Sanntoukakuhi 弘法坂の旧道を登りきったところに、「山頭火の句碑 風の丘公園」とあって、いつも気になりながら通り過ぎていた。この丘は新緑や紅葉が優しくきれいなのでいつもいいなあと思っている風景だ。思いきって車をとめて句碑を探した。「行き暮れて なんとここらの 水のうまさは」昭和11年5月信州佐久へ向かうと書いてあった。弘法坂旧道の途中に「弘法水」という湧き水があって、山頭火もこの水を飲んで句が浮かんだんだろうと思いをはせた。


同級生

2006年11月07日 | 日記・エッセイ・コラム

Otoba  庭のイタヤカエデの葉がはらはらと舞い散っている。掃いても掃いても玄関先は落ち葉のお客様でいっぱい。高校の同級生達が、毎年もう6年も貸切りにしてゴルフに来てくれている。飛騨、名古屋、東京からちょうど集まりやすい距離なのかもしれないが、心優しい同級生。卒業して数十年、それぞれに色々な人生を歩んできて変わってはいるが、元の所というかその人の素の部分は高校生のころと変わっていないな~と感じる。いや、そのときに戻っているのかもしれない。人はいろいろな自分を持っていて、その時々にあった自分を出しているのだとも思う。明日は、はじめて飛騨在住の女子同級生達が来てくれる。