ミューのガーデン日記

八ヶ岳南麓清里高原のペンション「ゲストハウスミュー」のブログです♪
庭の薔薇たちや猫のこと、清里暮らしの日々を・・・・

四国旅日記8

2009年03月30日 | 日記・エッセイ・コラム

3月11日(水)曇り2009031112500000

昨日、お接待と言ってお金をくれた人が、朝出発前に近くのご利益のあるお寺に連れて行ってあげるから何時がいいかと言われ6時半に宿の前と約束した。今日がいちばんの難所で距離も歩かねばと思ったせいかあまりよく眠れなかった。少し早かったが早めに来るようなことも言われたので6時15分支度をして宿の前で待つ。車が2台通り過ぎ、自転車でやってくる女の人が見えたので約束した人?と思ったら、新聞配達の人だった。35分まで待ったが現れなかったのでごめんなさいをして出発した。宿から60番横峰寺まで16.4K。5~6時間かかると宿でもらった地図に書いてあった。2009031112490000 ひたすら歩く、集団登校する小学生に何度か会う。朝食はおにぎりを作ってもらってきたので、食べるところを探しながら歩くがなかなか座って食べれるようなところが見つからない。9時半ごろやっと神社の境内で食べることができた。人家もなくなり舗装された林道を行く。険しい山道を覚悟してきたのにこんな調子でいけるのかと思ったら大間違い。険しい山道が待っていた、1Kがなかなか進まない。もう少し・もう少しと自分を励ます。山門が見えた時はうれしかった。2~3日前から見かけていた外国人の歩き遍路にここでも会う。ちゃんと般若心経を読み、尺八を吹いて奉納していた。後は61番香園寺まで10K。今日はそれで良しとしようと思ったが、明日は帰る日だからなるべく頑張ろうと62番宝寿寺まで大急ぎで回った。宝寿寺は伊予小松駅のそばだったので列車の時間を見によったら、駅舎が公文の教室になっていたのには驚いた。もちろん無人駅だった。 駅前の和菓子屋さんで桜もちを買う。宿の夕食は牛しゃぶ・牛刺し・牛の佃煮と牛ずくし。今夜は初めて11人ものにぎやかな食事。明日は2寺を回って帰る日。


四国旅日記7

2009年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

3月9日(月)雲りのち雨2009_021

6時50分お弁当をもらって出発。脱サラして遍路宿を始めた人は5回八十八か所を回ったと言っていたが、番外の鎌大師に是非寄るよう勧められたので寄ってみることにした。宿から30分ぐらいのところで「花へんろ第一番 鎌大師」と出ていて朝早かったせいもあろうが、清々しく行き届いたところだった。感じの良い住職。お寺を回っているといろいろなお寺があり、考えさせられることもある。海沿いの国道を歩き54番延命寺・55番南光坊を目指す。海が美しい。海の中に赤い灯台が見えた。どうやって海の中に造ったんだろうと思う。お遍路は遍路地図と要所要所にある遍路マークを頼りに歩く。山の中より町中でマークが少なく迷うことが多い。南光坊も町中のお寺だったが迷ってしまった。

3月10日(火)晴れ

久しぶりに明るく気持ちの良い朝、今治駅近くの宿を出発。今日は4寺を回る予定で、58番仙遊寺が楽しみ、宿坊が良いと聞いていたが12時頃に着くので今回は諦めた。56番泰山寺の参道でいろいろなタオルを売っていて今治はタオルの産地と書いてあった。通ってきた町で瓦の町もあった。色々な鬼瓦が並べてあった。仙遊寺に向かう道でつくしを取っている人に会う。今日は3度もつくし取の人を見た。つくしの日?。仙遊寺は山門からきつい石段の道だった。山門の後ろに誰かがリュックを置いていたので私も置いて身軽にしてのぼった。59番国分寺をお参りして宿に向かう。あと11K。宿のある町で2人の人からお接待と言ってお金をもらう。明日は標高745mにある横峰寺、険しい道と聞いたので少々緊張気味。


四国旅日記6

2009年03月25日 | 日記・エッセイ・コラム

3月7日(土)晴れ                                             

昨日は雨の中を目いっぱい歩いたので足が痛く、夕食後湿布薬もなくなったので道後温泉の商店街に買いに行った。色とりどりの浴衣を着た若い人たちにあったが、有名な温泉街にしてはさみしい感じだった。今日は松山在住の知人に会うことになったのでお遍路は休業。宿に迎えに来て自宅に連れて行ってもらう。彼女の洋服からバッグ靴まで借りて変身。1日松山婦人になる。お昼を御馳走になり、デパートに行ったり映画を見たり浮世を楽しみ、夜は素敵なホテルを予約しておいてくれたので2人で泊まった。2回目の休日、なぜかいつも天気が良い。

3月8日(日)曇り

知人が2寺付き合うと言ってくれて車で52番太山寺、53番円明寺と回る。太山寺の駐車場の車の中でお遍路姿に戻る。11時半彼女にお礼を言い別れてひたすら宿へ向かって歩く。もう少し先に宿をとればよかったと思いつつ、いつもよりのんびりと歩き15時30分ごろ宿に着く。途中、自転車遍路らしき若い人に「がんばって下さい」と声をかけられた。宿のある西条の町は「花へんろの町」とか。夕食はお魚ずくし、ご飯とお漬物以外はみんなお魚が入っていた。朝食は7時からと言われ7時前に出発したかったのでおにぎりを頼んで寝る。


四国旅日記5

2009年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

3月5日(木)曇りのち雨2009_014_4

45番岩屋寺は泊まった宿に荷物を預けて行ってくるのが良いと聞いたので、宿の人にお願いしたら次の宿に荷物届けておきましょうかと言ってくれたので喜んでお願いした。7時40分霧で肌寒く雨支度で出発。岩屋寺は標高670mの山の中に有りこんなところにどうやって資材を運んだんだろうと思った。険しい修行の岩場もあり、バスでお参りする人たちもかなりの坂道を登らなければならない。11時30分に着き12時30分にお寺を出る。遍路道を歩いていたら、反対方向から普通の格好の女性が1人でやってきた。どこからと聞かれて山梨と言うとそんな遠いところからと驚かれた。イチゲを見に来たのだが咲いていませんでしたかと言われたが気がつかなかった。背中のリュックがないので千本峠の遍路道を行くことにしたのが間違い、また道に迷ってしまった。宿に電話をして教えてもらうが、雨の中宿に着いたのが5時30分。岩屋寺では富士山にあると聞いていたバイオトイレが有り、回転するのを覗き込んで見てしまった。

3月6日(金)雨2009_008_2

2009_009_3 夕べは内子で会った脱サラして2年前に遍路宿を始めたと言った人の宿に泊まった。工事現場の寮だったのを改装したという建物だったが、寝具は清潔で気持ち良かった。食事も煮干と昆布でだしをとり自家製味噌の久しぶりにおいしい味噌汁でお代りをしてしまった。ひじきの煮物がついて煮物に飢えていたのでうれしかった。2009_010_2 今日は46番浄瑠璃寺・47番八坂寺・48番西林寺・49番浄土寺・50番繁多寺・51番石手寺と頑張ってお参りした。今夜の宿は道後温泉で夕べの宿の主人のお勧めの宿。予約してからどうも一字違いの別の宿を教えてしまったと言われたが、これも縁と思いそのままにした。


四国旅日記4

2009年03月22日 | 日記・エッセイ・コラム

3月3日(火)雨  ひな祭り

今朝は雨、昨日の1日が少々悔やまれたがおかげで体が楽になったので良しとする。内子の町を通り今日は楽な道ばかり。昨日の大洲の町は「おはなはん通り」がある風情のある街だった。道を聞いたら70代の女性が一緒に歩いて教えてくれて、十日夜橋の話もしてくれた。内子は野菜をもらっている稲田さんの生まれ育った街だそうだ。町のメイン通りの家々にお雛様が飾ってあってお雛様好きの私はついついあちこちで見入ってしまった。ワンボックスカーが停まって酒屋の主人ぽい人が「営業中」と言って袋に入ったお菓子をくれた。内子の町中を抜けてしばらく歩き、お遍路道がないかきょろきょろしていたらさっきのワンボックスカーにまた会った。2年前に遍路宿を三坂峠のところで始めたそうで「営業中」と言ったのはお客さん探しのことだった。大瀬の町には大江健三郎の生家があるそうだが見過ごしてしまった。

3月4日(水)雨<

2009030415300000 宿の主人に教えてもらった近道を間違えてしまったようだ。おかしい・おかしいと思いながら、雨の中何度も立ち止まって遍路地図を見る。12時半ごろにはつけると聞いた道だが、遠い農祖峠回りを選んだようだ。44番大宝寺には3時半に着いた。お参りを終えて座っていたら、夕べの宿で一緒だったご夫婦にあった。お2人は間違わず12時半ごろに着いたそうだ。今夜の宿には女優の故左幸子さんの色紙が飾ってあり、そう言えば彼女がお遍路しているテレビ番組を見たことを思いだした。