2月28日 編集手帳
俳句結社「夢」の創設者で俳人の前田吐実男さんは、
金子兜太さんと評論家・宗左近さんの座談会の席に立ち会ったことがある。
そこで聞き慣れない言葉に出会った。
金子さんが小用に立つと宗さんが言った。
「前田さん、
あなたは非人称存在を信じますか」。
帰って辞書を開いても出てこない。
後に宗さんの造語であるらしいことがわかった。
非人称存在とはいかにも哲学的で難しい言葉だが、
前田さんは名句の中に答えを見いだす。
<猪が来て空気を食べる春の峠>兜太。
人間である作者の「個我」を一切消す表現手法である。
前田さんが昨秋出版した『俺、猫だから』(歴史探訪社)は集大成だろう。
<靴下手袋大嫌い俺猫だから>。
この表題作は猫好きの方は笑みをこぼそう。
<クレヨンの山どう歩いても狸は枯色>。
秋を迎え赤や橙だいだいにクレヨンのように色づく山を歩く、
いささか滑稽な狸たぬきが浮かぶ。
人生は思うようにならないという達観をユーモラスに短い字句に包み込んだ。
先週、
前田さんの訃報ふほうに接した。
享年93。
宗さんに問われた時はすでに古希を迎えていた。
何と意欲に満ちた瑞々みずみずしい晩年だろう。