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あいとポッポパーティー

あいをさぐりながら、友人に発信。
あいとへいわのあいは、解せなかったけれど注目のテーマ。

あぶれ者が企てたニクソン暗殺

2005-12-29 01:18:21 | 映画
本日(28日)は、私が勤める日本平和委員会事務所の仕事納めの日です。
しかし納まりきらないので明日も出勤することにしました。

どうせ明日も出勤するのだからと、今日は思い切って早く帰り、映画を2本も見てしまいました。イン池袋。
「ベルリン、僕らの革命」 と
「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」です。

「ベルリン、僕らの革命」は、よくある青春時代における革命への憧れを描いたものかな、とも思い、あまり期待しないように見ました。
やや予想通り、そうした感はあったようです。
でも思ったほどただの青春映画ではなく、革命への信念をそれなりに描かれているように思いました。

「革命」というと大げさなのですが、社会制度をよりよくしようと、いろんなNGOなどの活動や政治運動をしている若い人は現代にもたくさんいます。
私も平和運動をする身です。
「革命」という耳慣れない単語を用いて、社会変革に携わることを若気の至りのように描く物語は大嫌いです。
実際そうした人も世の中にはいるとは思いますが、多くは一生をかけ、生身の人間と結びつきながらがんばっているのです。
マ、この映画はそれほどではなかったけど…。

「リチャード・ニクソン暗殺を企てた男」主人公のサム役を演じたショーン・ペンがとてもよかったです。
演技者ですなあー。
個々の関係で見れば、もしサムのような人がそばにいたら私は苛立ちの方が勝るかもしれません。
しかし現代社会における不器用者が、いかに生きにくいかよく表していると思いました。

アメリカでの9・11事件を予見、との評もありますが、それでは問題点を矮小化するのであまり比較するものではないと思います。

2本とも、池袋の「新文芸坐」という映画館で見ました。連続上映。
ともに、資本主義社会においては必ず生まれうるあぶれ者を描いています。
というか、そのように主人公に語らせています。
「ニクソン暗殺…」の主人公は、あぶれ者としてリアリティがありました(実話に基づいているからかもしれませんが)。
冷や冷やする映画でした。


写真は、11月末に神奈川で開催した日本平和大会中、宿から見えた桜木町の夜景。本文とまったく関係ありませぬ。

さらば、ポチョムキン

2005-12-25 01:03:10 | 映画
本日は愚痴の日記です。
行こうと思っていた映画が、25日だと思っていたら実は24日でした。
うっかり八兵衛でした。
がっくしです。

エイゼンシュテインシネクラブの例会で、戦艦ポチョムキンなどの上映と、
私と「戦艦ポチョムキン」 新藤兼人氏 (映画監督)、
ベルリン国際映画祭2005の「戦艦ポチョムキン」 山田洋次氏 (映画監督) 、
マイゼル版「戦艦ポチョムキン」を演奏して 林光氏 (作曲家)、
私の舞台における「階段」 朝倉摂氏 (舞台美術家)、
といったそうそうたるメンバーによるお話付きの企画でした。
神保町の岩波シネサロンにて。

今は夢ばかり。
あーーあぁーーーー。
確認しようと思ってホームページを見、今気がつきました。
明日、実際に会場に行ってから気づくよりはまだましでしょうか…。

「ナビィの恋」と平和新聞とパソコン

2005-12-22 23:59:03 | 映画
師走がその名のごとく、まっしぐらに過ぎ去ろうとしています。
日本平和委員会機関紙「平和新聞」新年号の作成が、ようやく終わりました。まだ完成品は見ていませんが、きっとすばらしいできばえでしょう。楽しみです。
見本紙の申し込みが来ないかなー。来ないなー。おかしいなー。

平和新聞作成だけでなく、いろんな会議やらなにやらで、ばたばたとしています。
てんてこ舞いのはずなのによい考えがうかばずにつまづいたとき、よそ事をしたくなります。
今回のよそ事は、ネットで見る「ナビィの恋」でした。

話題になった映画ですが、私は初めて見ました。
ヤフープレミアムの会員は無料で見ることができたので、つい仕事を置いて見てしまった…(先週末のこと)。

普通におもしろかったのですが、結末にびっくりしてしまいました。
「(恵達は)まだ若いから大丈夫さ~」って、すごいです。

歌はすばらしいものでした。豪華キャストのようです。
沖縄の米軍基地の実態が描かれていない、などの指摘を読んだこともありましたが、私は沖縄の古い風景を伝えるものとしておもしろい映画だと思いました。
恵達が「星条旗よ永遠なれ」を三線で引く場面などは、もしかしたら何かを物語っているのかも。わかりませんけど。

終わったときはショックのあまり悶々としましたが、だんだんとさわやかな気持ちになりつつあります。


そして新聞作成が終わり、昨日は職場の合宿。
温泉&会議でした。

そして本日、中古ではありますがニューパソコンを購入してしまいました。
ジャーン!
ずっとほしいとは思っていましたが、とうとう…。
パナソニックW2(=写真)。W4がうらやましくも見えましたが、やはり高かったのでこちらにしました。
高価な買い物は緊張します。
そして興奮します。

「モーターサイクル・ダイアリーズ」

2005-12-05 02:00:25 | 映画
先週金曜夜、早稲田松竹という映画館で、「モーターサイクル・ダイアリーズ」を観ました。
キューバ革命で活躍したエルネスト・チェ・ゲバラ(1928-1967)が、若き日に貧乏旅行をした際の記録を元にした映画です。
ずっと観てみたいなと思っていたのですが機会に恵まれず、こんなところで久方ぶりに上映されていたので喜んで行ってきました。

ゲバラは、「革命」を志す(夢見る?)青年から、熱狂される存在であることがしばしばあるようです。
それは私たち(20代後半…)の親が若い時代の話かと思いきや、最近いやに日本でもはやっているようなので、不思議に思っていました。ゲバラTシャツを着ている人がたくさんいたり、バッジが売られていたり…など。

あるお酒の席で、若い女性がゲバラバッジを身につけていたのを、スウェーデンからの若い旅行者が見て(英語で)「なぜゲバラのバッジを? 彼は共産主義者じゃないか!」とけげんそうにしていたのに対し、女性は「そうなの? よくわかんない…」との返事。
別の友人に、私が「なぜ今ゲバラは人気なんだろう?」と聞いてみたら、「顔がかっこいいからじゃないの?」との返事。
確かに精かんな顔つき。
もちろん、ゲバラの生き方を本気で評価している若い人も私の周りにはたくさん(いや、数人)いますが、単純にファッションで身に付けている人も多いもようです。
別にいいのですけど。
いや、よくない。
もうちっと、自分が身に付けるものには誇りを持ってほしいものです。
いや、いいや。

映画は、心に染み入るものでした。
イギリス=アメリカ合作なんですと。ロバート・レッドフォードが指揮をとったのですと。
その辺りの心意気はよくわかりませんが、非常にさわやかに、ゲバラとその友人アルベルトの誠実性が描かれていたように思います。

私も実は、ゲバラについてよく知りません。
しかし世の流行を見て、少し知っておかねばと思い、だいぶ前になりますがゲバラの回想記を読みました。
経験したゲリラ戦に触れつつも、思った以上に読みやすいことに驚いた記憶があります。読後感はさわやか、こりゃー誠実な人だったんだろうと思わせるような、共感できる叙述でした。抽象的な感想ですが。

映画の最後に、ゲバラが旅で出会った、抑圧される原住民たちの顔がフラッシュバックのようにモノクロで写しだされます。印象的な場面です。
しかもそのときの音楽がよい。サントラを買おうかと思うほど。
相当にしびれました。

Aくんとチャーリーとチョコレート工場

2005-12-02 00:27:35 | 映画
平和新聞・平和大会特集号(前半)の作成が完了しました。

それはよしとして、平和大会が27日(日)に終わり、その日の夜は学生時代からの仲間と北千住で会いました。
私は疲れていたためか1杯半で酔ってしまいましたが、ともかくも仲間はよいものです。
一生モノです。

翌日は仕事を早々と切り上げ、仕事を手伝ってくれたAくんと「チャーリーとチョコレート工場」という映画を見に行きました。
六本木ヒルズプレミアムシートへ。なんと1人3000円。
ちょっとびっくりしましたが、たまにはこんな(ムダな)ぜいたくもよかろうと思い、奮発してみました。1ドリンク付き、フカフカシートです。

そしてなんと、映画のシーンにあわせ、チョコレートの香りがただよってきていました。
初めは私の思い込みがチョコの香りを感じさせるのかな?と思いきや、どうにも香ったり香らなかったり。鼻をふんふんさせて、懸命に嗅ぎました。
他の映画館ではなかったそうなので、どうやらこれが六本木スタイル…。

単純明快なストーリー、軽快な音楽、個性的な登場人物…。
おもしろかったです。
1人ではきっと観ることはなかったでしょうが、でも観てよかった。もっかい観たいと思いました。

主人公のお父さんの工場が、利益を拡大したために解雇される辺りは、資本主義の矛盾を突いています(褒めすぎかな?)。

1つだけ気になった点もあります。うがった見方かもしれませんが。
ウンパ・ルンパは有能ですが、けれど被支配者の顔をしているような気もしました。
インディ・ジョーンズのあるシリーズでは、インディがインドかどこかで戦う相手は野蛮な現地人でした。そうして、粗野なアジア人という再定義を図っているのではないか(意識的にしろ、無意識的にしろ)。
言葉が違うウンパ・ルンパ、顔がすべて同じウンパ・ルンパ。
でも実はそんな単純なものではなく、ティム・バートンの意図はもっと別のところにあるのかな?
しかし同じ顔のウンパ・ルンパは、肉体労働もすれば受付もする、チャーリーとともに企画会議もするし、ときにはチャーリーの相談にも乗る。

…いや、でももういいや。
ジョニー・デップはかっこよかったです。そのうちテレビで上映されるかもしれません。

一昨晩と昨晩は、Tちゃんがうちへ泊まりました。
あまりおもてなしはできませんでしたが、お客さまが来てくれるのはうれしいことです。
そして今夜、同居人とほんの少しいやらしい話をしました。
いろいろに付き合ってくれる友人がいるというのは、本当にうれしくありがたいことだなと思う日々です。

「大統領の理髪師」…知らなさすぎる韓国

2005-09-15 00:57:23 | 映画
池袋の新文芸坐で、「大統領の理髪師」を見ました。

この映画館、他ではなかなか見られない映画や話題になった映画をマメに上映します。
しかも一日のラスト一本が800円という安さ。

この映画は、韓国のいわゆる軍事独裁政権下、大統領官邸がある町を舞台にした物語です。
主人公の理髪師は、時の権力に従うことを疑いなく是とする「弱い」民衆の一人。
ひょんなことから、大統領や側近たちの散髪を任命されます。
権力に翻弄されながらも、彼は彼自身の暮らしを送ります。
権力に従うだけの無力な主人公のように見えるのですが、しかし国家より何より大切な家族を守ろうとしたとき、彼は勇気を奮い立たせ、それが奇跡を起こすのです。

全体としてはコメディタッチですが、しかし軍事政権の姿や韓国のベトナム戦争への派兵などが随所に描かれ、一層シリアスに見せます。

韓国の歴史は年表程度にしか知らないのですが、実際に人々がどのように生きてきたのか、興味をそそられました。
とてもおもしろい映画でした。


実は昨日と今日、日朝協会会長のYさんが用事で私の職場に来ていたのですが、そのたびにハングルを習ってみなよ、と強く、それはそれは強く勧めてくださるのです。
習ってみたい気持ちはやまやまです。
が、8月に中国に行ってからというもの、中国語を話せるようになりたい、との思いを強くしました。
そしてより強い欲求として、英語を聞いて話せるようになりたい、との思いを強くしています。
先日、いよいよ英会話のテキストを購入してみました。
というわけで、ハングルは次の次辺りだな…と思っていたのです。
日々の暮らしに余裕がない、という理由もあるのですが。
しかしハングルは日本語と似た部分が多く、興味をそそられます。
今日映画を見ていても、単語によっては日本語の発音とほとんど同じようなものがいくつか出てきました。

韓国は、近年の韓流ブームに見られるような華やかなイメージが強く、あまり行きたいとは思いませんでした。
けれど住民の力で米軍射爆場を撤退させた梅香里(メヒャンニ)を思うと、行ってみたいという気になってきます。

どちらにしろ、すぐ隣りの国なのに、私は韓国のことを知らなさすぎると感じた、本日の映画鑑賞でした。

写真は、私の理髪師であるPeace hairという美容院のカード。

「私は貝になりたい」だなんて

2005-08-16 22:51:14 | 映画
昨日、60年目の8月15日(私にとって60年目という意味ではナイ)は、フォーラムやシンポジウムなどおもしろそうな企画がたくさん催されたようです。
私は仕事だったため、というか新聞の締め切り間際だったため、昼間は出歩くのを控えました。
15日を前後して、しかし何もせずに過ごすのは落ち着かないので、映画を見に行きました。

14日は岩波ホール(神保町)で、黒木和雄監督の「美しい夏キリシマ」。
15日は新文芸坐(池袋)で、フランキー堺主演の「私は貝になりたい」。

「美しい夏キリシマ」は、黒木監督の三部作と言われるうちの二つ目。
去年の8月15日、三部作の完結といわれる宮沢りえちゃん主演の「父と暮らせば」を見ました。私も被爆者の話を幾度か聞き、決して及ばないけれど何とか被爆体験の継承をしたいと思ってきた経験が、映画の登場人物への感情移入を助けたように思いました。

「美しい夏キリシマ」は、比べるものではないかもしれませんが「父と…」よりもよかったです。
主人公の少年の負い目が、最終的にはかつてはバカにしていた「竹やり」をその手に持たせました。最後のシーンは愚かで物悲しく、衝撃でした。
戦争に翻弄された、「弱い」人々の暮らしや心情が伝わる映画でした。


そして「私は貝になりたい」。
この映画は傑作です。
私は最後の場面だけ見たことはありましたが、通して見たのは初めてです。
もとは1958年に放送されたテレビドラマだったらしいです。しかも前半はVTR、後半は生放送だったらしい。このことは見た後で知ったのですが、ナマとはまったく感じなかったので驚きました。

私は今は亡きフランキー堺が大好きだったのですが、やはりここでもすばらしい演技でした。
見終わったときの感想は、「理不尽…」の一言につきます。悶々としてしまいました。

赤紙で召集された理髪店の主人(=フランキー堺)が捕虜を上官の命令で刺し殺そうになり(実際は直接は殺していない)、戦争終了後東京裁判にかけられる。そして最後死刑を宣告される、という物語。

東京裁判の不当性を告発するというにとどまりません。
このドラマの本質は、「美しい夏キリシマ」と同じように、戦争に踊らされた「弱い」人びとの姿です。
一市民の前に権力が横暴勝手に振る舞うとき、無防備な市民はたいてい無力です。
戦争とは、国対国の争いのように見えて、実は国対民衆の構図になっているのだと、痛感しました。
もちろん、権力の横暴勝手ぶりと民衆の無力さは、決して不動の関係ではありません。しかしかつてのその構図、そして今また民衆の無力化を図ろうとする昨今の動きは、実に理不尽です。

「私は貝になりたい」のもっとも有名な最後のセリフを、そのままのっけてしまいます。

=====

「ふさえ、賢一さようなら お父さんは二時間ほどしたら遠い遠いとこへ行ってしまいます
 もういちど逢いたい、もういちど暮らしたい…

 お父さんは生まれ変わっても人間にはなりたくありません、人間なんていやだ。
 もし生まれ変わっても牛か馬の方いい
 いや牛や馬ならまた人間にひどい目に遭わされる

 どうしても生まれ変わらなければならないのなら、いっそ深い海の底の貝にでも…

 そうだ貝がいい

 貝だったら深い海の底でへばりついていればいいからなんの心配もありません

 深い海の底だったら戦争もない、兵隊に取られることもない
 ふさえや賢一のことを心配することもない
 どうしても生まれ変わらなければならないなら、私は貝になりたい・・・・・」

「大いなる休暇」

2005-07-23 03:07:01 | 映画
通常、映画は1,800円です。
シネスイッチ銀座は、金曜の最終上映が女性のみなんと900円。

というわけで、銀座では今日が最終上映の、「大いなる休暇」を見に行きました。
金曜でしかも最終上映のためかとても混んでいて、立ち見が出るほどでした。私も前から2列目と、なかなか苦しい席でしたが首のつらさを忘れるほど楽しく見入ってしまいました。

「大いなる休暇」は、カナダの偏狭の島を舞台にした、医者を島に住まわせるために120人の島民全員でお医者様を「だます」という物語です。

かなり笑いました。
笑いのある物語はよいです。
先日見た「ラヴェンダーの咲く庭で」も、実に切ない物語でしたが途中はところどころに笑いがあり、とてもさわやかな気持ちになれました。

笑いとともに、仲間っていいねえ、と思いました。
夫婦もいい。ちょっとした正義感もよかった。
単純に見たら、とても爽快な物語だと思います。

そして映画館で、他のお客もいっしょになって笑うという雰囲気そのものも、私は好きです。

「未だ癒えぬ傷」…平頂山事件など

2005-07-21 02:53:33 | 映画
新聞づくりが完了しました。ほっと一息。
さて友人と電話をしていて、ハッとひらめきました。言葉の使い方ですが。
ときが過ぎるのを待つのではなく、ときを過ごしたい。
これです。私の最近の欲求は。わっかるっかなー?

以上は、それほど重要でない事柄でした。

先日、「未だ癒えぬ傷」というビデオを見ました。
これは1932年に日本軍が中国・撫順の平頂山で起こした平頂山事件という虐殺における、数少ない生存者の証言を元にしたドキュメンタリーです。

30分にも満たないビデオですが、その中身はあまりに衝撃的でした。
証言している揚宝山さんは80歳を超えますが、家族のことや事件を思い出すたびに涙が止まりません。少しのきっかけですぐに家族を思い出し、涙がこぼれるのです。
はらはらと涙を流すその姿が、実に痛々しいのです。

一般民衆3000人を殺りくしたというこの事件は、日本軍もさすがに当時の国際法に違反することを自覚しており、自らの罪を隠すために徹底的に村人を殺し尽くし、村自体を燃やし尽くしました。
事件の生き残りとわかると抹殺される危険さえあったため、家族でただ一人生き残った揚さんは身を明かすこともできず、身寄りもないままたった一枚の衣服で数年を過ごさざるを得ませんでした。「犬よりひどい食事」だったと言います。

以前、海南友子さん監督の「苦い涙の大地から」という映画を見ました。
これは日本軍が敗戦直後、自身の罪を隠すため、自ら開発した細菌兵器を中国に遺棄。これが60年を経てなお中国住民を襲い続けているという、なんとも悲惨なドキュメンタリーです。
政治的な意味だけでなく物理的な意味で、戦争がまだ終わっていなかった、ということを感じました。

60年前に日本が起こした戦争を私たちが今学ぶというのは、次の戦争を起こさないようにすること。
とともに、いまだ解決されない、いまだ人々を攻撃し続ける過去の戦争を一刻も早く終息させ、次々と生まれる戦争被害者に補償の手立てを打つこと。
二つの意味があると思います。

日本軍が中国でいかに戦争を行ったか、いかに人を殺したか、については、「加害」の証言者として少なからぬ人々が記録を残しています。

八月末、私は日本平和委員会主催のピースツアースタッフとして中国へ行きます。
そのための多少の学習のため、季刊「中帰連」のバックナンバーをいくつか手に入れました。
元・中国帰還者連絡会の方々が、自分たちが中国で犯した罪について綴られる文も多く掲載されています。
あまりに具体的な人殺し(虐殺と言うべきかもしれません)の模様は、読んでいてくらくらと気分が悪くなります。

私の知らない時代の出来事ですが、私は彼らが犯した罪を憎みたい。
それとともに、やはり自らの罪を激白する彼らには敬意を表さざるを得ない。
そして被害に遭ってきた中国(他、被侵略地)の人々に、私はいかに接せられるだろうか。
具体的なところとして、現在起きている諸裁判について、もう少し学ぶ必要があると感じました。

辺野古Night in 東京・代々木

2005-06-22 03:08:01 | 映画
昨晩は、お待ちかねの「映画&写真&講演で辺野古Night」企画をやりました。
日本平和委員会&東京平和委員会青年協議会&ステッピングアウト平和委員会主催。東京は代々木オリンピックセンターにて。

辺野古とは沖縄県名護市にある海の町で、米軍の新しい基地を海上につくろうと日本政府が画策中なのですが、地元や日本各地の人々がここに毎日集まり建設させないよう座り込みを続けています。
海上に基地を建設するために、まず政府はボーリング(掘削)調査をしなくてはならないのですが、その調査をするために何箇所かにパイプを組み立ててやぐらを立てるなどの工事をする必要があります。その工事を、辺野古では1年以上にわたって止めています。

会場の廊下では、この辺野古での運動を撮影した写真家、浅見裕子さんの写真パネル~美ら海・辺野古10ヶ月~を並べました。
浅見さんの写真は、色が濃い。
鮮やかなのですが、とにかく色が濃い。
辺野古のたたかいが、情熱的に伝わってくる写真です。
被写体であるオバー・オジーたちの一本一本のしわがくっきりと映し出され、その人間の歴史を思わずにはいられません。
海を見つめる人々、海の上でカヌーに乗る人々、やぐらの上の人々。
そしてまぶしいほどの海の色。

浅見さんの写真パネルは無料で貸し出し中です。
各地の皆さん、ぜひご利用あれ。

そして先々週辺野古へ行った、若き写真家・郡山総一郎さんの講演。
郡山さんが辺野古を訪れたとき、ちょうど米海兵隊の水陸両用車が沈没するという大事故がありました。
郡山さんは、そのときの様子をすかさずカメラに。
事故後カヌーで現場にやってきた米海兵隊が、沈んだ車両をまったく引き揚げる様子もなく、しかし搭載されていた正体不明の赤い箱だけは取り出して行った様子を生々しく話しました。
その赤い箱の正体は、今もって謎…。

その後、昨日の企画メインの映画上映。
ドキュメンタリー映画「Marines Go Home~辺野古・梅香里・矢臼別」。
北海道AALA(アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会)が企画、監督は藤本幸久さんの、135分の映画です。

この1年プラスその前の8年にわたるたたかいで、基地建設を止めている沖縄県辺野古。
半世紀以上、米軍の射爆場として利用され、その間に騒音被害とともに米軍の事故によって住民に死者も出した韓国の梅香里(メヒャンニ)。実はここ、2004年に騒音被害訴訟で住民が勝訴し、韓米政府は05年8月までに閉鎖することを合意しています。
北海道矢臼別は、自衛隊の矢臼別演習場がある広大な原野。数年前から、沖縄の米海兵隊も演習に利用しています。この演習場のど真ん中に、なんと住んでいる人がいる。川瀬氾二さん。自ら開拓したその土地が好きだからという、実直な理由でそこに住み続けて半世紀以上。自分がそこに住み続けられる保障が、実は日本国憲法にしっかり明記されていたと、憲法の意味を訴え続けます。

私たちのような若い世代には、基地に反対するということ自体が戦闘的で、危険を伴った激しい運動のように聞こえるかもしれません。
でも、映画に写っていた人々はまさに平和的で、人間味にあふれている。
住み慣れた土地に安心して住むという、人間として当然保障されてしかるべき自分の願いを、自分の手で守り続ける人々です。そしてその願いを壊すものが、戦争であったりそのための訓練であれば、それに反対をし、なおさら自分の夢を守る努力をします。
そして決して暴力はなく、住み続けること、座り続けること、そして裁判で、対抗してきました。

川瀬さんは朴訥(ぼくとつ)な印象。
ぼそぼそと話しながら、「パウエルは、戦争の責任をどうとるつもりなんだろうね」と言ったりする。
憲法前文や九条が書かれた、川瀬さんの家(か宿舎かな?)の姿も圧巻でした。

梅香里のチョン・マンギュさんは、去年の佐世保で開いた日本平和大会に来てもらったときは、ずっとニコニコしていました。見るからに優しそうなのですが、この人も実はものすごい経験をしています。
映画にはチョンさんのワイフも登場。
毎日毎日、米軍の射撃音が鳴り響き、「誤射」によっていつ自分の身に危険が及ぶかもしれないという恐怖と隣り合わせで暮らす人々の日常生活が、垣間見ることができました。
梅香里を出て安心して暮らしたいという、チョンさんのワイフ。
米軍の誤射によって殺された住民のことを、落とされた米軍の薬きょうを広げながら怒りをにじませて語るチョンさんの姿は印象的でした。

辺野古は、たくさんの人が登場しました。
まさに現在進行形のたたかいが、克明に映し出されていました。
基地建設を止めているのは、まさにこの人たちだ、と思いました。
海上のやぐらを何とかして建設しようと、政府機関の那覇防衛施設局と業者が暴力交じりでそこに座り込んでいる人たちをどかそうとします。海上の座り込みとは、ウェットスーツを着てやぐらにしがみつき、作業を食い止めるものです。施設局が手を挙げてきたとき、無理やり体をつかんで引き摺り下ろそうとするとき、座り込みの人たちはそれでも非暴力でじっとしがみつく。非暴力を貫くことの信念と辛抱強さが、胸を突きました。

沖縄に移住して4年目の、20歳の富田晋くんが、オバーやオジーに学んだこと。
やぐらに座り続ける平良悦美さんの思い。「私たちがこうして止めているのは、時間稼ぎに過ぎない、でもそうしている間に基地建設反対の世論は大きくなり、いまや日本中から応援がきている…」。
名護の住民の具志堅徹さんが、基地建設に反対する原点。母親、祖母のすさまじい戦争の記憶。親子で互いの胸を刺しあう苦しみ、生き残った者の苦しみ。

などなど、貴重な証言と映像満載でした。

みんな、本当に「スゴイ」人なんだけど、人間くささを感じます。
基地建設や演習に反対する運動の最前線に立つ人々の、苦しみや誇り。
決して英雄扱いをしてはいけないな、と思いました。
だれもが迷いながら、でも怒りと誇りを胸に、そこに立っているのだろうと思います。

魅力的な人間がたくさん写ったこの映画、いろんなところで上映してほしいと思います。

今日のミニトマト。葉っぱが続々と。そして緑が濃くなっています。