美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

『富国と強兵』の読書会、無事終了

2017年06月13日 00時35分20秒 | ブログ主人より


当月11日の、著者・中野剛志氏を招いての『富国と強兵』読書会、無事終了いたしました。

中野氏を含めて、総勢31名が当イベントに集いました。はるばる福岡県から参加していただいたO.Rさん、山口県から参加していただいたT.KさんとM.Mさん、そうして、お忙しいなか当イベントに参加していただいたみなみなさま、どうもありがとうございました。

当イベントの主役・中野剛志氏には、格別の謝意を表したいと思います。氏の存在なくして、当イベントに集った人々との交流はありえなかったのですから。

当イベントで中野氏が語られた内容については、いずれ何かしらの形でみなさまにお伝えいたします。一言でいえば、中野氏は、日本における現有の屈指の思想家である、という印象を受けました。優れた思想家である、というのは、自分の思考パターンに関して極めて自覚的である、そうして、論の展開においてまっとうな人間観を貫き通そうという強靭な意志を持っている、というほどの意味です。

ここで、「まっとうな人間観」とは、《人間は、安易な数値化・実体化を拒む関係的存在である》とする考え方を指しています。この場合における「人間関係」とは、横の関係としての「市場」などの非国家的つながりの展開と、縦の関係としての「国家」の交錯の総体のことです。

それはさておき・・・

主宰者として会の終わりに、「あっという間の四時間でした」と申し上げました。まったく退屈する間がなかったということです。

レポーターを務めていただいた藤田貴也さん、ありがとうございました。あなたの、バランス感覚あふれたレポートなしに、当会の成功はありえませんでした。

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3 コメント

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とても有益な勉強会でした。 (天道公平)
2017-06-15 21:03:37
この度の勉強会に参加させていただいた者として、お礼を申しあげたいと思います。
中野氏は、「経済ナショナリズム」を自己の専門分野とされた、経済学者ですが、なぜなのか、わが日本国では、欧米人は別にして(欧米では極右主義となるらしい。愚かしい認識ですね。)、ひたすら「ナショナリズム」という言葉にすら嫌悪を抱く、浅薄な風潮があるところです。私は、常々、「健全なナショナリズム」を原点にしており、何故、国民国家日本の中から、それは、日本国の歴史的累積、歴史、伝統、国民性、思想、気風とあらゆるものを含みますが、その優性を評価し、媒介する学者が出ないのか、と残念に思っていました。近代、明治以降の奇跡のような父祖の奮闘に誰か応えてくれ(私にできないのは悲しいことですが)と、考えていました。それが、より若い、中野氏や三橋氏たちに担われていることは、幸せなことです。
このたび、何度もうなずく(感嘆)ことがありましたが、現代では、「軍事」と「経済」が不可分であること(東シナ海に面した覇権国家を見れば明らかでしょう。)、社会科学としての経済学においては、「貨幣(の動きでしょうか。)」、「人間関係」などは数値化できない、リレーショナリズム(相互関連主義とでも訳すのでしょうか。)でないと規定できない、「国家」ですら、国際関係で規定されることがあるなど、重要な指摘がありました。今後美津島さんのレジュメを待ちたいと思います。
また、自らの立ち位置についてでしょうか、英国の上流階級出身で、政治的にも大きな影響力を持ったかの天才ケインズすら、その理論を理解してもらえず、真価を理解してもらえるまで多大な時間を要したこと、シュムペーターも然り、優れ優った中野氏の理論も、世に入れられるのも困難かも知れない、と私には受感されますが、しかし、腐らず、怠らず、精進される中野氏を、官僚としていただくわれわれも、まだ、希望があるのかもしれません。
いずれにせよ、私たち国民大衆は、誰かのように外国に逃げることも、数パーセントの勝ち組になることもできません。まず、早急にデフレから脱却し、われわれの子孫が希望の持てる経済対策ができるよう、あらゆる機会に、政府のしりを叩くことしかない訳ですが。
なお、今回小浜氏の推薦された「真説・企業論」(講談社現代新書)(中野剛志著)、キャッチコピー、「アメリカに学んではいけない」は、極めて良い本です。僭越ながら、私も推薦いたします。
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遅れてすみません! (美津島明)
2017-06-18 21:13:24
天道公平さま。
はるばる山口からおいでいただいたことを、心より感謝いたします。当イベントをきっかけに天道さんとお会いできたこと、とても嬉しかったです。お友達にもよろしくお伝えください。

すぐにでも返事をしなければならないのは百も承知だったのですが、天道さんの心のこもったコメントに返事を差し上げるには、それ相応の時間をとらなければならないように思われたのにもかかわらず、現状ではなかなかそういう時間がとれない、という事情があったのですね。

私事に亘りますが、仕事の忙しさもさることながら、いま私は四つの病院に通っています。歯の治療と、高血圧の管理と、口のなかの「扁平苔癬」という症状の改善と、神経の痛みを伴う頚椎の変形のリハビリのためにそれぞれ違う病院に通っているのです。中性脂肪の数値が高いのでそれを改善するための一日30分のウォーキングも欠かせません。そのうえ、手間暇のかかる個別指導の生徒たちへのケアのあれこれが目白押しです。

今日は日曜日で、朝の9時から夜の7時まであれこれと生徒たちを教えていました。いまやっと、こうやって返事をしたためる時間的精神的余裕が出来ました。

天道さんと同じく、中野さんのお話しをじかにうかがって触発されるところや興味深く感じた点が、少なからずありました。率直に言えば、今後の自分の読書の方向性に(つまり当会の方向性に)大きな影響を与えられることになりました。ざっくりと言ってしまえば、今後の私の読書は、マクロ経済への視線を伴った形で、安全保障に関する見識を深めるようなものにしたいと思っております。あくまでも国益を重視するリアリストとしての自分をよりいっそう鍛え上げたいという思いを強くしたのですね(もちろんそれは、天道さんのいわゆる「老かいな大衆」としての自分を鍛え上げることでもあります)。

もうひとつ、戦前も戦後も、中国問題が、日本にとっての最大の死活問題なのだという思いも強まりました。それが列島・日本の地政学的な運命なのでしょう。つまり、日本の安全保障問題の核心は、いかに大陸中国の軍事的経済的脅威を強靭に撥ね返して、日本が国として生き残るのかである、ということです。

そういう観点から、中野さんの『富国と強兵』を読み返して、書けることがあるならば書いて、みなさまにお見せしようかと思っております。だから、天道さんがおっしゃるような、レジュメという形はとらないでしょう。

お勧めの『真説・企業論』、近所の書店にもブックオフにもなかったので、先ほどアマゾンに注文しました(それと伊藤貫氏の『中国の核戦力に日本は屈服する』(小学館101新書)も注文しました)。本屋には、中野さんと柴山圭太さんの『グローバリズム その先の悲劇に備えよ』(集英社新書)が置いてあったので買ってきました。100ページほど読みましたが、これはこれでなかなか興味深い内容です。よろしかったらお読みください。あのイベントの後なので、中野さんの肉声が響いてくるように感じられます。

いつか山口におうかがいしたいと思っております。そのときは、どうぞよろしくお願いいたします。私は、中原中也を、日本語の良さを生かし切った詩人ではないかと思っております。酷愛していると申し上げても過言ではないでしょう。そういう人物を生んだという一事からだけでも、山口県人を尊敬申し上げております。

長くなりました。では、再会の日を楽しみにしつつ、このあたりで失礼いたします。
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過分な言葉をありがとうございます。 (天道公平)
2017-06-21 19:58:10
 もうひとつ、私が聴いたのは、「経済は活物(かつぶつ:いきものという意味でしょか。)である」というのが、当日の中野氏の真情の発露であったとも思えます。それは、「経済」の考察が、時代や歴史また現実経済状況による可変性なのか動的なのか、あるいは世界市場における他国との相互関連性(リレーショナリズム)による影響なのか、「理論どおりにはなりませんよ」というのが、思想者としての中野氏の苦い認識であろうと思われました。それは、個人の突き詰めた思惟が現実にどこまで肉薄できるのかという氏の熱意と意欲の現われであり、あるいは韜晦(とうかい)であるのかもしれません。あらためて思えば、剣の刃の上を渡るような、際限のない厳しい道行ですね。中野氏が、荻生徂徠などの近代儒学者、思想家が、当時の限られた時代と条件の中で、ひたすら考え抜いた努力と達成を、評価するのがよくわかります。
 「観念論」であるとか、古臭いとかいわれようと、私はヘーゲルの歴史哲学の中で、「・・・人間はその歴史をつくる、各人が各自の意識的に意欲する目的を追うことによって・・・」という一節が好きですが、その優劣(?) は別にして、われわれ無数の個々の人間の取り組みが「人間活動の総和」に参加しているということは、慰めになります。
 実は、このたび、わが大学のサークルのイデオローグ(?) が卒業以来東京に在住しており、その友人たちと久闊を叙する機会でもあったのですが、なかなか昔のようにはいかないものです(そういえば昔昔、高橋和己に「憂鬱なる党派」という小説がありましたね。当時もつまらないと思った本でしたが。)。今では、お互いに、女房との付き合い(戦い方)、老後の不安が、まず大状況であり、寂しいところではありました。
 彼は、かつて、「大衆が目覚めるまで待つ」といっていましたが、元アジテーターの私に言わせれば70年代後半、80年代を通じて資本主義の高度化やバブルの時代を経過し「もはや貧困は大多数の問題ではない」との時勢を経過しましたが、「大衆」は、ついぞ、「生活の幅」を踏み出すことはありませんでした。私も、そのうちの一人ではありましたが。
 それはそうとして、まだ、余力のある人間(その後消息のわからない当時のわれわれの友人は数多いところです。)の一人として、私は、今後とも、払うべき努力は払いたいと思っています。
 過分な言葉をいただき、恐縮です。このたびは不勉強で出席して申し訳ありませんでした。しかしながら、若い人たちを含め、勉強会は興味深く大変楽しいものでした。
 つまらないおやじですが、引き続きよろしくお願いします。
ところで、小浜氏のブログの「ジャズ評論」で教えていただいた、JR御茶ノ水駅のそば、ジャズライブハウス「NARU」に、このたびも行くことができました。
先の連休にも、妻と一緒に先の連休に行きクインテット(ドラムスがバンドリーダーの全曲オリジナルのバンド)の演奏に心底感動しました。いなかではなかなか機会がありませんので、このたびはまた楽しい体験をさせていただきました。いい音楽には、聞く方にも生きる喜びを与えていただくようなところもありますね。
 山口の人自慢は私に言わせれば、詩人中原中也、シベリアシリーズを描いた洋画家香月泰男くらいです。 その節は、お任せください。
 6月20日付けの、小浜氏のブログ、「もうすぐ、「いざなぎ景気」だとよ!」を読めば、敵は実に明快ですね。御用経済学者の名前、曲学阿世の学者先生の名を心に刻み、あらゆる局面で、今後も戦ってまいりましょう。
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