二月十四日付けの「現代ビジネス」 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/34852 に、経済学者ポール・クルーグマンのインタビュー記事が載っています。日本人として、自信を取り戻すことのできる良い記事なので、ご紹介したいと思います。題して、「1ドル100円超え、アベよ、これでいいのだ」。クルーグマンのタイトルって、分かりやすくっていいですね。
いま安倍晋三首相が推し進める経済政策・アベノミクスに批判の声が聞こえ始めている。その代表的なものが大胆な金融緩和をすると「ハイパーインフレ(急激なインフレ)」になってしまうというものだが、まったく的外れだ。
日本と同じように金融緩和をしているここ米国でも、実はハイパーインフレの恐怖が数年前から語られ続けてきた。しかし、現実を見ればハイパーインフレが起こっていないことは誰もが知るところだ。
デフレから脱却するための大胆な金融緩和が、いきなりハイパー・インフレを招くことはまず考えられません。ハイパー・インフレってのは、なにせ年率13000%という凄まじいインフレ率なのですから。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3 。空襲などによって生産設備やインフラの多くを失った終戦直後の1946年でも、日本は年率500%のインフレ率を経験しただけです(それでも大変なインフレ率ですけれど)。とすると、中国が北朝鮮と協力して、日本の豊かなインフラと生産設備を完膚なきまでに破壊しない限り、「ハイパー・インフレが来る!」という「オオカミ少年」たちの「予言」は当たらないでしょう。だから、アベノミクスとの関連で「ハイパー・インフレ」という言葉を口走る(自称)経済学者や(自称)エコノミストを、みなさんは絶対に信用しないようにしてくださいね。
さらに、私はアベノミクスが唱えられ始めてからのマーケットの動向を見ているが、日本の期待インフレ率はちょうどよい値で推移している。いままで市場が日本の物価についてデフレ予測を続けていたことを考えれば、いまは少しのインフレ期待があることで、むしろ経済にとってプラスに働いている状況になっているのだ。
ここで、クルーグマンが「ちょうどよい値で推移している」と評価している「日本の期待インフレ率」とは、おそらく、ブレーク・イーブン・インフレ率(BEI)のことを指しているのではないかと思われます(こまかい話は煩雑に過ぎるので省略します)。これは、市場関係者の間で、市場が期待(予想)するインフレ率を表す情報として扱われている指標です。日本相互証券株式会社のHP(http://www.bb.jbts.co.jp/marketdata/marketdata05.html)に掲載されているグラフによれば、BEIは、2011年12月マイナス0.4%、2012年4月0.5%、2013年1月0.7%と、確かに順調に推移しています。
さらにアベノミクスで大規模な財政出動をやると財政悪化につながるという批判もあるが、これも現実をきちんと見ていない批判といえるだろう。
どうしてか。それは安倍首相が大規模な財政出動を唱えても、日本の長期金利は1%未満の水準を超えておらず、政府の借り入れコストはほとんど変化していないことからよくわかる。一方で、先ほど述べたようにインフレ期待は高まっているのだから、むしろ政府の債務は実質的に減っていることになる。日本の財政見通しは、悪くなるというよりむしろ、大きく改善しているのだ。
インフレとは、おカネの価値が低くなることなので、借金の負担が軽くなります。クルーグマンは、期待インフレ率が順調に推移しているということは、実質的に政府の借金(1000兆円!)の価値が低下している、つまり、借金の負担が軽くなっていることを意味するのだ、と言っているわけです。また、国債借り入れの負担を示す長期金利はいまだに1%を超えていないのだから、新たな借り入れコストはほとんど変化していないと言えます。これは、財政悪化ではなく、むしろ改善を意味しているとクルーグマンは言っているのです。ここでは、詳しくは述べませんが、国債が、日銀の買いオペ・売りオペを通じて、変幻自在に通貨に姿を変える点に着目すれば、これを「国の借金」と呼ぶことにあまり意味がないとさえ、私は考え始めています。この点、三橋貴明さんの『日本は「財政破綻」しない!』(実業之日本社)を参考にしていただければ幸いです。
ギリシャのように国債危機に陥るのではないかと不安視する向きもある。しかし、ギリシャは独自の通貨を持たない国であり、日本とはまったく違う。
この点、かつて民主党政権時代に菅直人元総理が、財務官僚に入れ知恵されて、「日本もギリシャのように財政破綻する!」とあのダミ声でわめきちらし、前言をひるがえして突然消費増税の必要を叫び始めたことは記憶に新しいと思われます。
国債を自国通貨建ての内国債と外貨建ての外国債に分けることは、デフォルト(債務不履行)という意味での財政破綻(それ以外に『財政破綻』にどういう意味があるというのでしょうか?)を考えるうえで決定的に大切なポイントです(高校生にこれをなぜきちんと教えないのか、不思議なほどです)。
内国債を発行した国に通貨発行権がある場合、その内国債がデフォルトに陥いることは100%ありえません。そうして日本の発行している国債は、100%内国債なのです。もちろん、日本は通貨発行権を保持しています。だから、日本政府の債務が対GDP比200%超になったからといって、そのことが直ちに財政破綻を招くことは理論的にありえないのです。
また歴史的にも、内国債がデフォルトに陥った事例はひとつもありません。デフォルトに陥ったのは例外なく外国債なのです。要するに内国債の場合、足りなくなったら、お金を刷れば済むからです。国の会計システムは、家計とは根本的に違うのです。もちろん、そのことで、インフレ率が上昇したり、自国通貨安を招いたりすることはあるでしょう。しかしそれは、財政破綻の可能性とは、おのずと別問題ですね。
仮に日本の財政問題が危ないとマーケットが判断した際にも、そのときは金利が上がるのではなく、通貨「円」が売られ、円安が進むというシナリオが起こるだけだ。円安になるのは、果たして日本経済にとって悪いことだろうか。
国債の利回りが仮に急上昇したならば、すなわち、他に買い手が見つからなければ、日銀が果敢に買い支えればいいだけのことです。それで、市場に大量のお金が出回ることになるので、円はどんどん安くなり、輸出が有利になります。そうすると、貿易収支が改善され、経常収支の黒字が上積みされることになります。それは、内国債発行の基盤を強化することを意味するのです。要するに、日本の経済的な力は、世界的に見て、まだまだ侮りがたいほどのものである、ということです。ちなみに、今日(二月十九日)の段階で、長期十年国債の利回りは0.735%(終値)と相変わらずの低水準です。いまのところ、「オオカミ少年」たちが騒ぐような利回りの急上昇やハイパー・インフレの兆候はまったくありません。
安倍首相の経済政策を、樽に入った豆腐を配るような「利益誘導型」の古い経済政策に戻ったと批判する者もいる。しかし、日本をデフレから脱却させるために必要なのは、何にカネを使うかということよりもどれだけカネを使うか、つまりこれは、質より量の問題なのである。
デフレの定義は、平たくいえば「モノの価値よりもおカネの価値がどんどん高くなること」です。とすると、デフレを脱却するためには、おカネをどんどん刷って、おカネが世の中にたくさん出回るようにすれば良いことになります。その観点からすれば、アベノミクスは正鵠を射た経済政策であると評するよりほかはありません。
日本は過去20年にわたりすでに多額の公共投資を行ってきたが、日本経済が前進する兆しが見えると、すぐに急ブレーキをかけてきた。財務大臣が出てきて、「借金の懸念がある」と言って財政出動を抑えてしまうのだ。
次のグラフを見てください。
GDP構成項目としての「総固定資本形成」は、いわゆる公共事業とほとんど同じものと考えて大過ありません。公共事業の対GDP比低下傾向がはっきりしてきた一九九三年以降に注目してみてください。数値が前年度より上昇しているのは、九六年度と九九年度と〇八年度の三年度だけです。その後は凄まじいばかりの低下がずっと続いていることがお分かりいただけるでしょうか。この非理性的な動きの果てに、笹子トンネル崩落事故があります。ほかにもまだ言いたいことはあるのですが、ここはクルーグマンの「日本経済が前進する兆しが見えると、すぐに急ブレーキをかけてきた」という言葉が、数値に裏付けられた正確なものであることが確認できればよしとしましょう。ひとつだけ。「日本はたしかに公共事業費をどんどん削ったが、やっと先進国並みになっただけだ」というのだけはよしてくださいね。平坦地がその国土の大半を占める他の先進諸国と、世界一の「地震大国」で、国土が狭くて起伏に富んだ島国・日本とでは、公共事業の必要性がまったく異なります。気の狂った言動は、お互いよしましょうね。
日本銀行も金融緩和—つまり紙幣を多く刷ること—によってデフレ退治をすべく立ち向かおうとしたが、ここでも同じく、少しでも経済が回復し始めると、緩和の手を緩める方向に舵を切った。紙幣をばら撒きすぎると、急激なインフレの恐れが出てくると言ってきたのだ。
反アベノミクス派の急先鋒・野口悠紀雄氏は、NHKの日曜討論に出席し、リフレ派の巨頭・浜田宏一教授の面前で「日銀による金融緩和がデフレ脱却にまったく効果がないことは歴史的に実証されている」とまくし立てていました。私はビックリしてしまいました。これほどの大ウソをよくもまあ平気でペラペラと金融経済学の泰斗の前で垂れ流すことができるものだと「感心」してしまったのです。と同時に、私は野口氏の正気を疑いましたし、いまでもずっと疑っています。しかしながら、その肩書きは一応「大学教授」です。日曜日の朝から経済について学ぼうとしている殊勝な視聴者が、野口教授の立板に水のウソ話を聞いたならば、なんとなく真に受けてしまったとしても少しも不思議ではありません。まさか大学教授ともあろうお方が、公共の電波を利用して大ボラを吹いているとは思いませんものね。NHKは公金を使って、歴史認識においてのみならず、経済政策の面においても、日本弱体化路線を強化する放送を垂れ流しているのです。夏の参議院選で自民党が圧勝したならば、NHKはいずれ「仕分け」の対象になる運命にあると私は思っています。それを知っているNHKは、これから必死で安倍ネガキャンを敢行することでしょう。
いささか悪口が過ぎたでしょうか。最近の金融政策の経緯については、高橋洋一氏のいわゆる「白川総裁三度の失敗」がはっきりとした事を言っていると思います(http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121128/plt1211280709000-n1.htm)。
高橋氏によれば、日銀は日本経済がデフレから脱却するうえで三度の大きなミスを犯しています。一度目は、二〇〇〇年八月、日銀が当時の物価の下落を「良いデフレ」(!)と形容しゼロ金利解除を強行したことです。そのとき、白川方明氏は審議役でした。
二度目は、〇六年三月。二〇〇四年初めから、当時のブッシュ大統領が円安を容認したことをうけて、日銀は量的緩和を実施し続けていました。が、〇六年の三月に、強硬な反インフレ論者・与謝野馨氏の意向を受けて、CPIがゼロ・パーセントからプラスに転じたところで即座にそれを解除したのです。量的緩和の余波はその後も日本経済に一年間ほどプラスに作用しましたが、残念ながらそこまででした。安倍政権の失敗は、実はその誕生の前から経済政策の面ですでに用意されていたと言えるのです。この、安倍政権の悲劇を招く遠因を作った日銀の意思決定に、白川氏は理事として関わっていました。
三度目は、〇八年九月、リーマン・ショックのときです。アメリカのFRB(連邦準備制度)やEUのECB(ヨーロッパ中央銀行)などの先進諸国の中央銀行は、デフレの大津波を防ぐためにせっせとおカネを刷って、バランス・シートを二倍にも三倍にも拡大させました。ところが、日銀は「音なしの構え」を貫き通したのです。その結果、日本経済はデフレの渦にさらに深く巻き込まれていきました。そのとき、白川氏は日銀総裁という要職中の要職に在りました。
クルーグマンの「少しでも経済が回復し始めると、緩和の手を緩める方向に舵を切った」という一言が、歴史的な事実に正確に対応していることがお分かりいただけるでしょうか。
さらに、財政刺激策をやる際には金融面でのサポートがなく、金融緩和をやる際には財政面でのサポートがない。日本の政策当局はいつもそんなことを繰り返し、自らの手で、経済が持続的に改善するという望みを潰してきた。結果、長くデフレから脱却することができず、国民は苦しみ続けてきたのだ。そしてこれは、欧米を含めた世界の先進国にも同じことがいえる。
「財政刺激策と金融緩和とは、デフレ脱却のための車の両輪」。これが経済政策の正解であると私は思っています。
財政刺激派は、「デフレとは、潜在生産力(総供給量)に比べて有効需要が少ないことである。つまり、デフレとはデフレギャップのことである。それを、積極的な財政出動によって埋めるのがデフレ時の政府がなすべきことである」と考えます。
それに対して、いわゆるリフレ派は、「デフレとは、モノの価値よりもおカネの価値がどんどん上がっている貨幣現象である。それを解消するには、中央銀行がお金をどんどん刷って、世の中にお金がどんどん回るようにすればよい」と考えます。
要するに、公共事業の是非をめぐって、両者は争っているわけです。しかし、この争いは不毛です。なぜか。デフレ・ギャップがあるとき、家計や企業は積極的に消費や投資をしようとはしません。給料や売上が増えるアテがないのだから、それは当然のことです。その消費行動や投資行動の、理にかなった消極性を貨幣現象としてとらえれば、リフレ派のデフレ定義になるからです。
つまり、両者によるデフレの説明は、同じことを異なった視点から説明しているのです。すなわち、「重ね描き」なのです。私は、こういう説明の仕方を聞いたことがありませんが、論理的にはそこに落ち着くと思われます(「お前ごとき素人に、経済学の大問題が解けるはずがない」と権威主義的に侮らないで、自分の頭で虚心に考えてみてくださいね)。
とすれば、「財政刺激策と金融緩和とは、デフレ脱却のための車の両輪」という結論に至るのは、自明の理なのではありませんか。
しかし、昨年末に再登板した安倍首相は、こうしたいままでの世界の政策当局がやってきたのとはまったく違う政策を唱えている。なんとしても経済の長期低迷を終わらせるという決意をもって、金融・財政両面で大胆な政策を打ち出しているのだ。
私はこのアベノミクスを評価している。これこそが日本がデフレから脱却するために必要な処方箋となりうると思っているからだ。そしてこれが成功を収めれば、日本が先進国の中で先んじて、経済低迷から脱する方法を示すことになるだろう。もちろんそれは、世界の経済政策担当者が過去20年間信じてきた原則が間違っていたことが証明される時の訪れも意味するのだ。
クルーグマンが、アベノミクスを評価するのは、アベノミクスが、デフレ圧力に脅かされた世界経済がそれを突破するお手本になると考えているからです。クルーグマンが現段階で到達した、「財政刺激策と金融緩和とは、デフレ脱却のための車の両輪」という結論に、アベノミクスが最もかなっているから、それを評価しているのです。
次は、アベノミクスがもたらした「円安」とその波及効果についての説明です。
アベノミクスの恩恵はすでに日本経済にもたらされている。いままでデフレが続くと予想していたマーケットが考え方を変え、インフレを期待する方向へと転換を始めているからだ。
つまり、いま日本では名目金利が大きく動かない中で、インフレ期待が高まっている。それは実質金利が下がることを意味し、実質金利低下の「副産物」としてすでに日本で起きているのが「円安・株高」である。これが日本経済にとって非常に多くの恩恵を与えている。
マーケットが注目している金利は、「名目」金利ではなくそれに予想インフレ率を加味した「実質」金利なのです。予想インフレ率がマイナスからプラスへ、そうしてプラスの小さな数字からより大きな数字へ変化するのに対応して、実質金利は少しずつ下がります。日銀が自慢げに継続していると言い続けてきた「ゼロ金利政策」とは、たかだか「名目上の」金利のことを言っているに過ぎなかったのです。
たとえば日本の製造業。多くの日本企業はいまだに国内にhub(拠点)を置き、製品を輸出する態勢を取っているので、円が安くなればそれが輸出増を牽引することになる。
かつて日本が圧倒的な地位を誇っていたモノづくりの技術力に対して、アジア諸国などがキャッチアップしているのは確かだろうが—ちなみに私は、サムスンの携帯電話を使っている—日本企業がかつて持っていた多くの「技術的創造性」は、円高などの悪いマクロ経済要因によって妨害されてきた面が否めない。アベノミクスによる円安で日本の製造業が強さを取り戻すきっかけをつかめるようになるだろう。
さらに、実質金利が下がってくると、企業の設備投資などが活性化されることになる。特に金利に敏感な国内投資—住宅、建設などがその一例だ—は盛り上がりを見通せるといえる。日本はこれから労働人口が減っていく人口減少社会に突入するから停滞一色だといわれてきたが、アベノミクスによって経済成長が期待できるようになってきたというわけだ。
ではこの円安はどこまで行くのか。私は1ドル=100円を超える可能性があると思っている。さらに対ユーロで見ても、円はいまよりさらに安くなるだろう。なぜなら、ユーロ圏は日本と違って緊縮策を余儀なくされているからだ。米国もある意味で日本と同じような政策—小型版アベノミクスといってもいいだろう—を実行していることから、円と同様にドルもユーロに対しては安くなるだろう。
経済に対する、このバランスのよい目配りに裏打ちされた諸見解を、われわれは、記憶の片隅に置いておいた方がいいように思われます。
クルーグマンは、「もし私が安倍氏のアドバイザーに指名されたら、アベノミクスをより効果的にするためにどんな提言をするか? 」という興味深い自問自答をしています。まず、財政出動に関して。
まず言えることは、安倍氏が唱えている財政刺激策は、私から見ればそれでもまだ少し弱いということだ。もちろんインフラ投資についてはこれ以上の水準にするのは難しいだろうから、たとえば一時的な減税策などでいいので、刺激策の「最初の一打」をもっと強化したらいいと思う。
要するに、もっとガンガン公共投資をやれ、と言っているのです。
つぎに、金融政策に関して。
金融政策については、日銀の「心変わり」は大歓迎である。ただ、10年間の期待インフレ率はいま1%ほどであり、これを2%まで押し上げる必要がある。その意味で、日銀はもう少し何にコミットするかを正式に発表することが必要だろう。
インフレターゲットの目標を「2%」以上にする必要性を説くものもいるが、その必要性はない。
私もかつては「4%」と言っていたが、当時ほど日本の貯蓄率は高くないし、今回は金融緩和と合わせて財政刺激策も行われるのだから、そこまで高いインフレターゲットを設定しなくてもいい。2%で十分だし、いままでの日本の政策を考えればかなりの進歩だともいえる。
最後にクルーグマンは、いまのマスコミを賑わしている日銀総裁人事に触れます。
私はいま、あることを期待している。日銀がイギリスの中央銀行がやったのと同じことをする、つまり、イギリスがカナダ人を中央銀行の次期総裁として登用するように、日本も外国人を選択してみたらどうかということだ。
日本がもし外圧なくしてそれを実行したら、市場のマインドセットはガラリと変わり、日本経済に本当の変化が起きるだろう。
たとえ、外国人にできないとしても、日銀総裁には学者を選ぶのがいいだろう。いままでの世界経済の歴史からいうと、政策に劇的な変化をもたらしたい場合は、中央銀行総裁に学者を使うのがいいと考えられるからだ。ちなみにいえば、米国のFRB(連邦準備制度理事会)議長であるバーナンキもイングランド銀行現総裁のマーヴィン・キングも学者である。
繰り返すようだが、安倍氏が唱えている政策は、日本がデフレの罠から脱却するためにまさに必要な政策である。残された問題は、いまはまだ唱えられている段階の政策が実際に実行された際に、十分に強力であることを維持できているかどうかだ。内容は正しくても、いざ実行に移す際に見かけ倒しに終われば、人々の期待感は一気に消えてしまうだろう。
アベノミクスのパワーを支えているのは、主に国民の期待感です。そうして、市場の期待感です。だから、安倍政権が、国民や市場のガッカリするような意思決定をしてしまったら、国民・市場の期待感はしぼみ、アベノミクスはパワーを失います。アベノミクスはまだまだ「シャボン玉」の段階なのです。その点、日銀総裁人事はとても重要なポイントになってきます。私は、総裁・中原伸之氏-副総裁・岩田規久男氏の線がベストだと思っています。また、その逆でも構わないと思っています。それが、金融緩和についての安倍政権の「本気度」を国民・市場に納得させる、発信力がもっとも強い人選であると思うからです。マスコミに名前が上がっている岩田一政氏、武藤敏郎氏、黒田東彦氏などが総裁に就任したなら、事情通が失望すると思います。彼らはせいぜい副総裁に留めて欲しいものです。
考えてみれば、世界の中央銀行総裁には経済学者出身者が少なからずなっています。アメリカFRB議長バーナンキしかり、ECBドラギ総裁しかり、イギリス銀行マーヴィン・キング総裁しかり。
日本の金融政策が世界の注目するところとなっている現状を熟慮すれば、クルーグマンの提案は、一考に値すると言えるでしょう。日本人からすれば、どんなに突飛な提案に見えても、クルーグマンは世界水準で物を言っているだけなのですから。とすると、岩田規久男氏か浜田宏一氏ということになります。伊藤隆敏氏は経済学者ではありますが、きちんと日銀批判を展開したとは寡聞にして存じませんので、発信力があまり期待できないのではないかと思います(彼は、伊藤元重氏と馬が合うのではなかったかしら)。いっそのこと、クルーグマンを三顧の礼でお招きするのはいかがでしょうか。彼なら、発信力抜群でしょう。
次の結びの言葉には、クルーグマンがアベノミクスに期待を寄せる心根がよく出ています。
私はアベノミクスがうまくいくことを望んでいる。日本のためにも、そして世界各国にとってのロールモデルとしても。
このインタビューが出回った十四日の翌日から、G20会議は開催されました。事前の予想では、円安に対する強烈な批判が巻き起こるものと思われていました。けれども実際には、日本が名指しで批判されることはありませんでした。会議の出席者たちは、おそらくこの文章を読んだことでしょう。その一言が世界経済を動かす、とまで評価されている高名な経済学者の言葉が、出席者たちに一定の影響を与えた、と想像するのは愉快なことです。
いま安倍晋三首相が推し進める経済政策・アベノミクスに批判の声が聞こえ始めている。その代表的なものが大胆な金融緩和をすると「ハイパーインフレ(急激なインフレ)」になってしまうというものだが、まったく的外れだ。
日本と同じように金融緩和をしているここ米国でも、実はハイパーインフレの恐怖が数年前から語られ続けてきた。しかし、現実を見ればハイパーインフレが起こっていないことは誰もが知るところだ。
デフレから脱却するための大胆な金融緩和が、いきなりハイパー・インフレを招くことはまず考えられません。ハイパー・インフレってのは、なにせ年率13000%という凄まじいインフレ率なのですから。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3 。空襲などによって生産設備やインフラの多くを失った終戦直後の1946年でも、日本は年率500%のインフレ率を経験しただけです(それでも大変なインフレ率ですけれど)。とすると、中国が北朝鮮と協力して、日本の豊かなインフラと生産設備を完膚なきまでに破壊しない限り、「ハイパー・インフレが来る!」という「オオカミ少年」たちの「予言」は当たらないでしょう。だから、アベノミクスとの関連で「ハイパー・インフレ」という言葉を口走る(自称)経済学者や(自称)エコノミストを、みなさんは絶対に信用しないようにしてくださいね。
さらに、私はアベノミクスが唱えられ始めてからのマーケットの動向を見ているが、日本の期待インフレ率はちょうどよい値で推移している。いままで市場が日本の物価についてデフレ予測を続けていたことを考えれば、いまは少しのインフレ期待があることで、むしろ経済にとってプラスに働いている状況になっているのだ。
ここで、クルーグマンが「ちょうどよい値で推移している」と評価している「日本の期待インフレ率」とは、おそらく、ブレーク・イーブン・インフレ率(BEI)のことを指しているのではないかと思われます(こまかい話は煩雑に過ぎるので省略します)。これは、市場関係者の間で、市場が期待(予想)するインフレ率を表す情報として扱われている指標です。日本相互証券株式会社のHP(http://www.bb.jbts.co.jp/marketdata/marketdata05.html)に掲載されているグラフによれば、BEIは、2011年12月マイナス0.4%、2012年4月0.5%、2013年1月0.7%と、確かに順調に推移しています。
さらにアベノミクスで大規模な財政出動をやると財政悪化につながるという批判もあるが、これも現実をきちんと見ていない批判といえるだろう。
どうしてか。それは安倍首相が大規模な財政出動を唱えても、日本の長期金利は1%未満の水準を超えておらず、政府の借り入れコストはほとんど変化していないことからよくわかる。一方で、先ほど述べたようにインフレ期待は高まっているのだから、むしろ政府の債務は実質的に減っていることになる。日本の財政見通しは、悪くなるというよりむしろ、大きく改善しているのだ。
インフレとは、おカネの価値が低くなることなので、借金の負担が軽くなります。クルーグマンは、期待インフレ率が順調に推移しているということは、実質的に政府の借金(1000兆円!)の価値が低下している、つまり、借金の負担が軽くなっていることを意味するのだ、と言っているわけです。また、国債借り入れの負担を示す長期金利はいまだに1%を超えていないのだから、新たな借り入れコストはほとんど変化していないと言えます。これは、財政悪化ではなく、むしろ改善を意味しているとクルーグマンは言っているのです。ここでは、詳しくは述べませんが、国債が、日銀の買いオペ・売りオペを通じて、変幻自在に通貨に姿を変える点に着目すれば、これを「国の借金」と呼ぶことにあまり意味がないとさえ、私は考え始めています。この点、三橋貴明さんの『日本は「財政破綻」しない!』(実業之日本社)を参考にしていただければ幸いです。
ギリシャのように国債危機に陥るのではないかと不安視する向きもある。しかし、ギリシャは独自の通貨を持たない国であり、日本とはまったく違う。
この点、かつて民主党政権時代に菅直人元総理が、財務官僚に入れ知恵されて、「日本もギリシャのように財政破綻する!」とあのダミ声でわめきちらし、前言をひるがえして突然消費増税の必要を叫び始めたことは記憶に新しいと思われます。
国債を自国通貨建ての内国債と外貨建ての外国債に分けることは、デフォルト(債務不履行)という意味での財政破綻(それ以外に『財政破綻』にどういう意味があるというのでしょうか?)を考えるうえで決定的に大切なポイントです(高校生にこれをなぜきちんと教えないのか、不思議なほどです)。
内国債を発行した国に通貨発行権がある場合、その内国債がデフォルトに陥いることは100%ありえません。そうして日本の発行している国債は、100%内国債なのです。もちろん、日本は通貨発行権を保持しています。だから、日本政府の債務が対GDP比200%超になったからといって、そのことが直ちに財政破綻を招くことは理論的にありえないのです。
また歴史的にも、内国債がデフォルトに陥った事例はひとつもありません。デフォルトに陥ったのは例外なく外国債なのです。要するに内国債の場合、足りなくなったら、お金を刷れば済むからです。国の会計システムは、家計とは根本的に違うのです。もちろん、そのことで、インフレ率が上昇したり、自国通貨安を招いたりすることはあるでしょう。しかしそれは、財政破綻の可能性とは、おのずと別問題ですね。
仮に日本の財政問題が危ないとマーケットが判断した際にも、そのときは金利が上がるのではなく、通貨「円」が売られ、円安が進むというシナリオが起こるだけだ。円安になるのは、果たして日本経済にとって悪いことだろうか。
国債の利回りが仮に急上昇したならば、すなわち、他に買い手が見つからなければ、日銀が果敢に買い支えればいいだけのことです。それで、市場に大量のお金が出回ることになるので、円はどんどん安くなり、輸出が有利になります。そうすると、貿易収支が改善され、経常収支の黒字が上積みされることになります。それは、内国債発行の基盤を強化することを意味するのです。要するに、日本の経済的な力は、世界的に見て、まだまだ侮りがたいほどのものである、ということです。ちなみに、今日(二月十九日)の段階で、長期十年国債の利回りは0.735%(終値)と相変わらずの低水準です。いまのところ、「オオカミ少年」たちが騒ぐような利回りの急上昇やハイパー・インフレの兆候はまったくありません。
安倍首相の経済政策を、樽に入った豆腐を配るような「利益誘導型」の古い経済政策に戻ったと批判する者もいる。しかし、日本をデフレから脱却させるために必要なのは、何にカネを使うかということよりもどれだけカネを使うか、つまりこれは、質より量の問題なのである。
デフレの定義は、平たくいえば「モノの価値よりもおカネの価値がどんどん高くなること」です。とすると、デフレを脱却するためには、おカネをどんどん刷って、おカネが世の中にたくさん出回るようにすれば良いことになります。その観点からすれば、アベノミクスは正鵠を射た経済政策であると評するよりほかはありません。
日本は過去20年にわたりすでに多額の公共投資を行ってきたが、日本経済が前進する兆しが見えると、すぐに急ブレーキをかけてきた。財務大臣が出てきて、「借金の懸念がある」と言って財政出動を抑えてしまうのだ。
次のグラフを見てください。
GDP構成項目としての「総固定資本形成」は、いわゆる公共事業とほとんど同じものと考えて大過ありません。公共事業の対GDP比低下傾向がはっきりしてきた一九九三年以降に注目してみてください。数値が前年度より上昇しているのは、九六年度と九九年度と〇八年度の三年度だけです。その後は凄まじいばかりの低下がずっと続いていることがお分かりいただけるでしょうか。この非理性的な動きの果てに、笹子トンネル崩落事故があります。ほかにもまだ言いたいことはあるのですが、ここはクルーグマンの「日本経済が前進する兆しが見えると、すぐに急ブレーキをかけてきた」という言葉が、数値に裏付けられた正確なものであることが確認できればよしとしましょう。ひとつだけ。「日本はたしかに公共事業費をどんどん削ったが、やっと先進国並みになっただけだ」というのだけはよしてくださいね。平坦地がその国土の大半を占める他の先進諸国と、世界一の「地震大国」で、国土が狭くて起伏に富んだ島国・日本とでは、公共事業の必要性がまったく異なります。気の狂った言動は、お互いよしましょうね。
日本銀行も金融緩和—つまり紙幣を多く刷ること—によってデフレ退治をすべく立ち向かおうとしたが、ここでも同じく、少しでも経済が回復し始めると、緩和の手を緩める方向に舵を切った。紙幣をばら撒きすぎると、急激なインフレの恐れが出てくると言ってきたのだ。
反アベノミクス派の急先鋒・野口悠紀雄氏は、NHKの日曜討論に出席し、リフレ派の巨頭・浜田宏一教授の面前で「日銀による金融緩和がデフレ脱却にまったく効果がないことは歴史的に実証されている」とまくし立てていました。私はビックリしてしまいました。これほどの大ウソをよくもまあ平気でペラペラと金融経済学の泰斗の前で垂れ流すことができるものだと「感心」してしまったのです。と同時に、私は野口氏の正気を疑いましたし、いまでもずっと疑っています。しかしながら、その肩書きは一応「大学教授」です。日曜日の朝から経済について学ぼうとしている殊勝な視聴者が、野口教授の立板に水のウソ話を聞いたならば、なんとなく真に受けてしまったとしても少しも不思議ではありません。まさか大学教授ともあろうお方が、公共の電波を利用して大ボラを吹いているとは思いませんものね。NHKは公金を使って、歴史認識においてのみならず、経済政策の面においても、日本弱体化路線を強化する放送を垂れ流しているのです。夏の参議院選で自民党が圧勝したならば、NHKはいずれ「仕分け」の対象になる運命にあると私は思っています。それを知っているNHKは、これから必死で安倍ネガキャンを敢行することでしょう。
いささか悪口が過ぎたでしょうか。最近の金融政策の経緯については、高橋洋一氏のいわゆる「白川総裁三度の失敗」がはっきりとした事を言っていると思います(http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121128/plt1211280709000-n1.htm)。
高橋氏によれば、日銀は日本経済がデフレから脱却するうえで三度の大きなミスを犯しています。一度目は、二〇〇〇年八月、日銀が当時の物価の下落を「良いデフレ」(!)と形容しゼロ金利解除を強行したことです。そのとき、白川方明氏は審議役でした。
二度目は、〇六年三月。二〇〇四年初めから、当時のブッシュ大統領が円安を容認したことをうけて、日銀は量的緩和を実施し続けていました。が、〇六年の三月に、強硬な反インフレ論者・与謝野馨氏の意向を受けて、CPIがゼロ・パーセントからプラスに転じたところで即座にそれを解除したのです。量的緩和の余波はその後も日本経済に一年間ほどプラスに作用しましたが、残念ながらそこまででした。安倍政権の失敗は、実はその誕生の前から経済政策の面ですでに用意されていたと言えるのです。この、安倍政権の悲劇を招く遠因を作った日銀の意思決定に、白川氏は理事として関わっていました。
三度目は、〇八年九月、リーマン・ショックのときです。アメリカのFRB(連邦準備制度)やEUのECB(ヨーロッパ中央銀行)などの先進諸国の中央銀行は、デフレの大津波を防ぐためにせっせとおカネを刷って、バランス・シートを二倍にも三倍にも拡大させました。ところが、日銀は「音なしの構え」を貫き通したのです。その結果、日本経済はデフレの渦にさらに深く巻き込まれていきました。そのとき、白川氏は日銀総裁という要職中の要職に在りました。
クルーグマンの「少しでも経済が回復し始めると、緩和の手を緩める方向に舵を切った」という一言が、歴史的な事実に正確に対応していることがお分かりいただけるでしょうか。
さらに、財政刺激策をやる際には金融面でのサポートがなく、金融緩和をやる際には財政面でのサポートがない。日本の政策当局はいつもそんなことを繰り返し、自らの手で、経済が持続的に改善するという望みを潰してきた。結果、長くデフレから脱却することができず、国民は苦しみ続けてきたのだ。そしてこれは、欧米を含めた世界の先進国にも同じことがいえる。
「財政刺激策と金融緩和とは、デフレ脱却のための車の両輪」。これが経済政策の正解であると私は思っています。
財政刺激派は、「デフレとは、潜在生産力(総供給量)に比べて有効需要が少ないことである。つまり、デフレとはデフレギャップのことである。それを、積極的な財政出動によって埋めるのがデフレ時の政府がなすべきことである」と考えます。
それに対して、いわゆるリフレ派は、「デフレとは、モノの価値よりもおカネの価値がどんどん上がっている貨幣現象である。それを解消するには、中央銀行がお金をどんどん刷って、世の中にお金がどんどん回るようにすればよい」と考えます。
要するに、公共事業の是非をめぐって、両者は争っているわけです。しかし、この争いは不毛です。なぜか。デフレ・ギャップがあるとき、家計や企業は積極的に消費や投資をしようとはしません。給料や売上が増えるアテがないのだから、それは当然のことです。その消費行動や投資行動の、理にかなった消極性を貨幣現象としてとらえれば、リフレ派のデフレ定義になるからです。
つまり、両者によるデフレの説明は、同じことを異なった視点から説明しているのです。すなわち、「重ね描き」なのです。私は、こういう説明の仕方を聞いたことがありませんが、論理的にはそこに落ち着くと思われます(「お前ごとき素人に、経済学の大問題が解けるはずがない」と権威主義的に侮らないで、自分の頭で虚心に考えてみてくださいね)。
とすれば、「財政刺激策と金融緩和とは、デフレ脱却のための車の両輪」という結論に至るのは、自明の理なのではありませんか。
しかし、昨年末に再登板した安倍首相は、こうしたいままでの世界の政策当局がやってきたのとはまったく違う政策を唱えている。なんとしても経済の長期低迷を終わらせるという決意をもって、金融・財政両面で大胆な政策を打ち出しているのだ。
私はこのアベノミクスを評価している。これこそが日本がデフレから脱却するために必要な処方箋となりうると思っているからだ。そしてこれが成功を収めれば、日本が先進国の中で先んじて、経済低迷から脱する方法を示すことになるだろう。もちろんそれは、世界の経済政策担当者が過去20年間信じてきた原則が間違っていたことが証明される時の訪れも意味するのだ。
クルーグマンが、アベノミクスを評価するのは、アベノミクスが、デフレ圧力に脅かされた世界経済がそれを突破するお手本になると考えているからです。クルーグマンが現段階で到達した、「財政刺激策と金融緩和とは、デフレ脱却のための車の両輪」という結論に、アベノミクスが最もかなっているから、それを評価しているのです。
次は、アベノミクスがもたらした「円安」とその波及効果についての説明です。
アベノミクスの恩恵はすでに日本経済にもたらされている。いままでデフレが続くと予想していたマーケットが考え方を変え、インフレを期待する方向へと転換を始めているからだ。
つまり、いま日本では名目金利が大きく動かない中で、インフレ期待が高まっている。それは実質金利が下がることを意味し、実質金利低下の「副産物」としてすでに日本で起きているのが「円安・株高」である。これが日本経済にとって非常に多くの恩恵を与えている。
マーケットが注目している金利は、「名目」金利ではなくそれに予想インフレ率を加味した「実質」金利なのです。予想インフレ率がマイナスからプラスへ、そうしてプラスの小さな数字からより大きな数字へ変化するのに対応して、実質金利は少しずつ下がります。日銀が自慢げに継続していると言い続けてきた「ゼロ金利政策」とは、たかだか「名目上の」金利のことを言っているに過ぎなかったのです。
たとえば日本の製造業。多くの日本企業はいまだに国内にhub(拠点)を置き、製品を輸出する態勢を取っているので、円が安くなればそれが輸出増を牽引することになる。
かつて日本が圧倒的な地位を誇っていたモノづくりの技術力に対して、アジア諸国などがキャッチアップしているのは確かだろうが—ちなみに私は、サムスンの携帯電話を使っている—日本企業がかつて持っていた多くの「技術的創造性」は、円高などの悪いマクロ経済要因によって妨害されてきた面が否めない。アベノミクスによる円安で日本の製造業が強さを取り戻すきっかけをつかめるようになるだろう。
さらに、実質金利が下がってくると、企業の設備投資などが活性化されることになる。特に金利に敏感な国内投資—住宅、建設などがその一例だ—は盛り上がりを見通せるといえる。日本はこれから労働人口が減っていく人口減少社会に突入するから停滞一色だといわれてきたが、アベノミクスによって経済成長が期待できるようになってきたというわけだ。
ではこの円安はどこまで行くのか。私は1ドル=100円を超える可能性があると思っている。さらに対ユーロで見ても、円はいまよりさらに安くなるだろう。なぜなら、ユーロ圏は日本と違って緊縮策を余儀なくされているからだ。米国もある意味で日本と同じような政策—小型版アベノミクスといってもいいだろう—を実行していることから、円と同様にドルもユーロに対しては安くなるだろう。
経済に対する、このバランスのよい目配りに裏打ちされた諸見解を、われわれは、記憶の片隅に置いておいた方がいいように思われます。
クルーグマンは、「もし私が安倍氏のアドバイザーに指名されたら、アベノミクスをより効果的にするためにどんな提言をするか? 」という興味深い自問自答をしています。まず、財政出動に関して。
まず言えることは、安倍氏が唱えている財政刺激策は、私から見ればそれでもまだ少し弱いということだ。もちろんインフラ投資についてはこれ以上の水準にするのは難しいだろうから、たとえば一時的な減税策などでいいので、刺激策の「最初の一打」をもっと強化したらいいと思う。
要するに、もっとガンガン公共投資をやれ、と言っているのです。
つぎに、金融政策に関して。
金融政策については、日銀の「心変わり」は大歓迎である。ただ、10年間の期待インフレ率はいま1%ほどであり、これを2%まで押し上げる必要がある。その意味で、日銀はもう少し何にコミットするかを正式に発表することが必要だろう。
インフレターゲットの目標を「2%」以上にする必要性を説くものもいるが、その必要性はない。
私もかつては「4%」と言っていたが、当時ほど日本の貯蓄率は高くないし、今回は金融緩和と合わせて財政刺激策も行われるのだから、そこまで高いインフレターゲットを設定しなくてもいい。2%で十分だし、いままでの日本の政策を考えればかなりの進歩だともいえる。
最後にクルーグマンは、いまのマスコミを賑わしている日銀総裁人事に触れます。
私はいま、あることを期待している。日銀がイギリスの中央銀行がやったのと同じことをする、つまり、イギリスがカナダ人を中央銀行の次期総裁として登用するように、日本も外国人を選択してみたらどうかということだ。
日本がもし外圧なくしてそれを実行したら、市場のマインドセットはガラリと変わり、日本経済に本当の変化が起きるだろう。
たとえ、外国人にできないとしても、日銀総裁には学者を選ぶのがいいだろう。いままでの世界経済の歴史からいうと、政策に劇的な変化をもたらしたい場合は、中央銀行総裁に学者を使うのがいいと考えられるからだ。ちなみにいえば、米国のFRB(連邦準備制度理事会)議長であるバーナンキもイングランド銀行現総裁のマーヴィン・キングも学者である。
繰り返すようだが、安倍氏が唱えている政策は、日本がデフレの罠から脱却するためにまさに必要な政策である。残された問題は、いまはまだ唱えられている段階の政策が実際に実行された際に、十分に強力であることを維持できているかどうかだ。内容は正しくても、いざ実行に移す際に見かけ倒しに終われば、人々の期待感は一気に消えてしまうだろう。
アベノミクスのパワーを支えているのは、主に国民の期待感です。そうして、市場の期待感です。だから、安倍政権が、国民や市場のガッカリするような意思決定をしてしまったら、国民・市場の期待感はしぼみ、アベノミクスはパワーを失います。アベノミクスはまだまだ「シャボン玉」の段階なのです。その点、日銀総裁人事はとても重要なポイントになってきます。私は、総裁・中原伸之氏-副総裁・岩田規久男氏の線がベストだと思っています。また、その逆でも構わないと思っています。それが、金融緩和についての安倍政権の「本気度」を国民・市場に納得させる、発信力がもっとも強い人選であると思うからです。マスコミに名前が上がっている岩田一政氏、武藤敏郎氏、黒田東彦氏などが総裁に就任したなら、事情通が失望すると思います。彼らはせいぜい副総裁に留めて欲しいものです。
考えてみれば、世界の中央銀行総裁には経済学者出身者が少なからずなっています。アメリカFRB議長バーナンキしかり、ECBドラギ総裁しかり、イギリス銀行マーヴィン・キング総裁しかり。
日本の金融政策が世界の注目するところとなっている現状を熟慮すれば、クルーグマンの提案は、一考に値すると言えるでしょう。日本人からすれば、どんなに突飛な提案に見えても、クルーグマンは世界水準で物を言っているだけなのですから。とすると、岩田規久男氏か浜田宏一氏ということになります。伊藤隆敏氏は経済学者ではありますが、きちんと日銀批判を展開したとは寡聞にして存じませんので、発信力があまり期待できないのではないかと思います(彼は、伊藤元重氏と馬が合うのではなかったかしら)。いっそのこと、クルーグマンを三顧の礼でお招きするのはいかがでしょうか。彼なら、発信力抜群でしょう。
次の結びの言葉には、クルーグマンがアベノミクスに期待を寄せる心根がよく出ています。
私はアベノミクスがうまくいくことを望んでいる。日本のためにも、そして世界各国にとってのロールモデルとしても。
このインタビューが出回った十四日の翌日から、G20会議は開催されました。事前の予想では、円安に対する強烈な批判が巻き起こるものと思われていました。けれども実際には、日本が名指しで批判されることはありませんでした。会議の出席者たちは、おそらくこの文章を読んだことでしょう。その一言が世界経済を動かす、とまで評価されている高名な経済学者の言葉が、出席者たちに一定の影響を与えた、と想像するのは愉快なことです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます