碩学・宍戸駿太郎と同じくポール・クルーグマンもエクソシストである。私はそう信じています。
クルーグマン
クルーグマンは、1953年、ニューヨーク州に生まれました。1974年に イェール大学を卒業。その後、マサチューセッツ工科大学で博士号を取得。イェール大学で助教授を、レーガン政権で一年間大統領経済諮問委員会委員(政策とは何なのかを知ることができたいい機会だったと本書で述懐している)をそれぞれ務めました。その後、 マサチューセッツ工科大学で准教授と教授を、スタンフォード大学で教授を、それぞれ歴任しました。現在はプリンストン大学の教授です。忘れるところでした、2008年にはノーベル経済学賞を受賞しています。文筆家としては、2000年から、ニューヨーク・タイムズのコラムを担当し、舌鋒鋭く時の政府の経済政策を批判し続けています。
ところで、クルーグマンはSF小説の大ファンです。若い頃、アイザック・アシモフの、あの膨大な『ファウンデーション』(邦題は『銀河帝国興亡史』)シリーズに夢中になったことがあるそうです。彼によれば、その自己形成史において、その小説の内容は彼に大いに影響を与えたとのこと。
それは銀河系の文明を救った社会科学者についての小説です。正確に言うと、作中のハリ・セルダンという心理歴史学者が銀河帝国の滅亡を宣言する予言者になり、やがて帝国を救うことになります。心理歴史学とは、作中では「一定の社会的、経済的刺激に対する人間集団の反応を扱う数学の一分野」と説明されています。平たく言えば、特殊な計算によって人類の未来を予測し、それを善導しようとする学問、といったところでしょうか。もちろん、アシモフが作中で創り出した学問で、そのような学問は当然のことながら実在しません。
で、そういう社会科学者になりたくって、それに一番近い経済学を選んだと、クルーグマンは率直に語ります。彼はどうやら、卓越した頭脳とヒロイックなロマンティズムとを兼ね備えた人のようです。ただし、不思議なくらいに権力欲を感じさせないキャラです。「あなたが財務長官になったらどうする?」とよく聞かれるそうですが、彼は「私は管理者になれる人間ではありませんし、外交の面でもだめです」と言っていて、組織の一員や組織のリーダ-としての適性とか駆け引き上手の政治家としての適性とかが、からっきしないと自分を判断しています。(そこだけは、私は彼と共通しています(笑))根っからの自由人なのでしょう。一匹狼なのでしょう。それは、その闊達な文体によく表れています。クルーグマンの文章を読んでいると、その聡明さと卓抜でイメージの鮮烈な語りっぷりと爽快さとは感じますが、彼がとてもエライ学者さんなのだということはすっかり忘れてしまいます。
本書で一番強烈な印象を残すのは、FRB議長在任中のアラン・グリーンスパン(1987年8月11日 ~ 2006年1月31日在任)との電話でのやり取りの一節です。
グリーンスパンにとっては、それまであった規制がすべて気に入らなかったのです。そして、新しい金融上のイノベーションを大変気に入り、進めていったのです。結局それが、根本的に間違った世界観であることが分かったのです。いまでも忘れられないのが、2001年の彼からの不快な電話です。私が彼について書いたことについて、文句を言うために電話をかけてきたのです。それが彼と最後に話をしたときになりました。そのとき、グリーンスパンがブッシュ大統領の減税を支持していたことを、私は激しく批判しました。彼の議論が間違っていただけではなく、議論が不誠実であると思ったのです。財政黒字が大きくなりすぎないように、ブッシュにさらに減税を積極的にすすめたのです。ですから、私はそのことを痛烈に批判したのです。そうしたら、本人から直接電話がありました。非常に不快な電話でしたから、それ以来は口を利いていません。私はグリーンスパンをあまりにも痛烈に批判したために、FRBのイベントに出席できなくなりました。きっとブラックリストにでも入ったのでしょう。毎年ワイオミング州のジャクソンホールで開かれるFRBのイベントにも招待されなくなりました。
このエピソードの衝撃を理解するには、ちょっとその背景を知っておいたほうがよいものと思われます。
今ではグリーンスパンは、ITバブルと住宅バブルを意図的に招き、その熱狂に油を注いだ張本人であり、その後のバブル崩壊の惨禍のタネを蒔いた災いの主と目されています。おそらく、それが歴史的な評価として定着することになるのでしょう。
ところが、FRB議長としてアメリカの経済界に君臨していた18年間、彼はカリスマ性を帯びた史上最強の金融政策の遂行者と崇拝され続け、やがて神格化されるに至りました。当時、米タイムズ誌は「世界を救う委員会」に彼を推薦し、伝説的ジャーナリストのボブ・ウッドワードは『マエストロ』(名指揮者の意、邦訳『グリーンスパン』日本経済新聞社刊)というお追従本を書き、テキサスのフィル・グラム上院議員は彼を「史上最も偉大なセントラル・バンカー」とたたえ、さらには英国女王さえも「サー・アラン(アラン卿)は世界経済に安定をもたらしている」として、彼にナイトの称号を授与することに票を投じました。
つまり当時のクルーグマンは、「神」に逆らったのも同然の振る舞いをしてしまった、というわけです。その結果、経済学者としていろいろと嫌がらせをされ、また干されもした、と。ぼやいているのではありませんが、クルーグマンによれば、事実としてそういうことがあったのです。
彼が、風評にまったく信を置かず、あくまでも自分の目で物事の真偽・価値を判断しようとする哲人であることがお分かりいただけるでしょう。世界中を敵に回しても、ガリレオ・ガリレイのように「それでも地球は回っている」とつぶやかざるを得ない気質の人なのです。私は、そういうクルーグマンが、人として好きです。
インターネットで2001年のブッシュ減税について調べてみたところ、当時のブッシュは、当減税は中産階級のためのものであり、現状の予算規模で賄えるものであると述べているのですが、実はその言い方は、国民が数字に弱いことに付け込んだ詐欺同然のものであり、個人所得税の減税を柱とした減税措置の真の狙いは、富裕層や金持ちの懐を潤すことだった、ということが判明しました。『ウソつきブッシュのデタラメ経済』(早川書房)で、クルーグマンはそのことを激越な調子で批判しているとのことです。(今度読んでみたいものです。そのときは、またご報告します。)
グリーンスパンは、ブッシュ減税措置のそのような本質を知りながらも、新自由主義を信奉する「小さな政府」論者として、それに賛成したのでしょう。これは私の想像ですが、クルーグマンは、グリーンスパンのそういう態度に、後々大きな災いをもたらす不誠実で、言ってしまえば邪悪なものを感じ取ったのでしょう。クルーグマンは、それに対して決然として立ち向かったのです。エクソシストとしての面目躍如とした名場面です。
また、中央銀行に君臨する海千山千のトップと超一流の若手の経済学者とが、口角泡を飛ばして対等に激しく舌戦を繰り広げるところに、アメリカが世界の覇権国家になった原動力を目の当たりにする思いも合わせて抱きます。日本にもこういうケレン味のない活力があれば、とちょっとうらやましくなるのは、私だけでしょうか。唾のかけ合いも、配役がここまで豪華だと、なんだか絵になりますね。
次は、インフレ・ターゲットについて。
クルーグマンといえばインフレ・ターゲット、インフレ・ターゲットといえばクルーグマンというくらいに、クルーグマンとインフレ・ターゲットとは切り離せない関係にあります。国際貿易論でノーベル経済学賞を取ったくらいですから、ほかにもたくさん業績があるようなのですが、とりあえずそれは措いておきます。いまから、それに絞って話をしようと思います。
まず、インフレ・ターゲットとは何なのか、から話すべきでしょう。これは、平たく言えば、景気回復策の一つです。では、何故この景気回復策の一つにすぎないものがことさらに脚光を浴びているのでしょうか。それは、日本が20年来のデフレ基調から逃れられなくて苦しんでいるからです。
デフレとは、(いろいろな言い方ができおますが)商品に比べておカネの価値が相対的に上がってしまう現象です。だから、デフレ下では、人々はなかなかモノを買わなくなってしまいます。消費を手控えるわけですね。それで、モノの値段はどんどん下がります。どんどん下がるから、人はますますモノを買わないでおカネを持っていよう(貯蔵しよう)とします。つまり、人々の間でデフレ期待が形作られることになってしまうのです。そうなると金利をゼロにしてもおカネが世の中に出回らなくなってきます。(これを経済学で「流動性の罠」といいます)その結果、企業の売上は下がり、新たな投資がどんどん減り、労働者は、賃金がカットされたり、失業の憂き目に遭うことになったりします。(その結果、GDPはまったく成長しなくなったり、縮小したりします)だから、人々の購買力はますます低下し、商品の値段はもっと下げなければ売れないことになり・・・・、という恐怖のデフレ・ループを描くことになるのです。このデフレ・ループに陥ると、社会全体があの輿石幹事長のような疫病神・貧乏神に取り憑かれた状態になってしまうのです。
以上の連鎖反応のつながりをよく見てみると、商品に比べておカネの価値が相対的に上がってしまうところにどうやら突破口がありそうなことに気がつきます。つまり、おカネをどんどん新たに発行し、おカネの供給量を増やして、その価値を相対的に下げてしまえばいいことに気づきますね。商品に比べておカネの価値が相対的に下がる、言いかえれば、物価が上がる現象をインフレといいます。おカネを新たにどんどん発行して、人々に2%程度の穏当なインフレの期待を抱かせることで、デフレから脱却する。これが、インフレ・ターゲットのアイデアの核にあたる部分です。
とても分かりやすいですね。小学生でちょっと頭の回る子なら、すんなりと理解してしまいそうなくらいに分かりやすい。天才的な人物のアイデアは、どこかしら「コロンブスの卵」のようなところがあります。だからこそ、圧倒的な説得力を持つことになるのだと、私は考えます。アインシュタインが、「真理はいつもシンプルで美しい」という名言を残しています。インフレ・ターゲットの基本思想に接すると、私はその言葉を思い出します。
日本でおカネを発行できる権限を与えられている公的機関は、日銀を措いて他にありません。(財務省が発行できるのは硬貨だけです)だからクルーグマンは、日銀に対してインフレ・ターゲットを実施するよう求めることになります。
ところが、日銀は頑なにその要求を拒み続けてきました。日銀は事実上のデフレ・ターゲット路線を、改正日銀法によって保証されたかりそめの「日銀の独立性」にあぐらかいたまま、呑気に突き進んでいるので、クルーグマンの要求に応えようがないし、もともとその気がないのです。日銀は、20年間におよぶデフレのさ中でにおいても、インフレになることをずっと心配しつけてきた強者(つわもの)です。まるで、旱魃のさ中に農民たちが不作で苦しんでいるときに、大洪水を心配しつづけてなにもしない庄屋さまのようなものです。彼らにとってインフレは、たとえそれが穏当なものであっても、いつハイパー・インフレに悪化するか知れたものではない、問答無用の絶対悪なのです。
だから、クルーグマンが、思考が硬直化してしまった日銀を厳しく批判するようになるのは自然の勢いです。「外人が余計なお世話だ」などと野暮なことは言わないでくださいね。経済のダイナミズムは国境をらくらくと超えてしまっています。だから、GDP第3位の経済大国日本の経済的な不調はそっくりそのままアメリカに響くのです。世界の国々に影響を与えるのです。もっと積極的な言い方をすれば、日本には、恐慌の直前のところで危うく踏みとどまっている世界経済を、うまくすればより良い方向へ牽引しうる潜在力があるとクルーグマンは認めているのです。クルーグマンは、世界経済の見地から日本経済に言及してるのですね。さすがは覇権国の経済学者だけのことはあります。
だからこそクルーグマンは、日銀の無責任さに対してとても厳しい。本書が出版されたのは2009年6月17日。リーマン・ショックが起こったのが2008年9月15日なので、それから約9ヶ月後のことです。本書での彼の発言が、政府・日銀の舵取りの巧拙が日本経済の行く末に重大な影響を与える局面が続いている状況下でのものであることに注意してください。クルーグマンは、今日のグローバル化した経済を踏まえての中央銀行の役割についてこう述べています。
中央銀行業の基本に従えば、その目標は完全雇用だけではなく、緩やかなインフレ率を達成することにあります。プラスのインフレ率を確保する理由はまさに、起こりうるデフレ・ショックに対する緩衝材に当たるものを確保することにあります。
日本経済が前もってデフレ状態に追い込まれた状態のまま、外部世界からデフレ・ショックが襲ってきた場合、さらなるデフレ化がダイレクトに激しく進んでしまうことになる。日銀はそういう最悪の事態にならないように、常々日本経済を穏当な2%程度のインフレ状態にキープしておくよう細心の注意を払っておくべきである、と言っているわけです。ここは、クルーグマンの見識の高さを感じるところです。今日の中央銀行に求められるものの核心を突いていると、私は思います。
では、日銀はそういう役割をきちんと果たして来たと言えるのか。クルーグマンはそれについてこう述べます。
日本国内での代表的な日銀批判として、たとえば2006年3月の量的緩和解除、2006年7月と2007年2月には誘導金利引き上げといった日銀の金融引き締めが、デフレを十分に克服しないまま行われ、そうしたツケがいままで続いている、というものがあるようですが、それについてはある程度はそうだと思います。(中略)日銀は実際にプラスのインフレ率になっていないのに、金融引き締めを始めたのです。他国の中央銀行では、インフレが2%になるまで、引き締めを留保するのが常識でした。(中略)すごい金融引き締めをしたわけではありませんでしたが、しかしその軽めの引き締めが時期尚早だったのは確かです。そして、本当に不思議なのは、日本は過去にやった間違いを繰り返しているということです。たとえば、2000年を見ると、ゼロ金利政策解除に動いていますが、これは時期尚早でした。当時は逆のことをしなければなりませんでした。(当時はコアコア消費者物価指数が下降局面にあった。つまり、デフレが進行中だった。ー引用者注)もっとさかのぼって、日本の財政状態を見てみると、(阪神淡路大震災の翌年のー引用者補)1996年に大きな政策の間違いがありました。日本経済が堅実な回復の状態に到底戻っていない状態で、なぜ日本の政策決定者らが拡大することをしようとしなかったのか、疑問に思わざるをえません。
日銀は、今日の世界の中央銀行が果たすべき役割をまったく果たしていないという結論に至りそうです。次のグラフを見てください。
田村秀男氏ブログ「経済がわかれば、世界がわかる」より拝借
2008年9月15日のリーマン・ショックによるデフレ化の影響を最小限に食い止めるために、世界各国の中央銀行が懸命におカネを刷っているのがお分かりになるでしょう。それに対して、日銀はほとんんど何ごともおこらなかったかのような音無しの構えに終始しているのがはっきりと分かります。世界の先進国のなかで、デフレ基調をキープするという珍妙かつ深刻な問題含みの金融政策をあらかじめ実行しておいた上で、日本経済をプロテクターなしでリーマン・ショックというデフレ圧力に晒し、そうしてその後ほとんどなにもしないのですから、日本が本格的なデフレ状態に転落していくのは火を見るよりあきらかです。円高が野放図に進んで、輸出産業がキリキリ舞をしているのは、端的に言えば、日銀の無策のせいなのです。(経団連よ、怒りの声をなぜ挙げないのか。それとも、日本から出ていきゃいいだけよとタカをくくっているのか)
最近では、例の2月14日の、世論の圧力に押されての、白川総裁によるしぶしぶの「1%インフレ・ターゲットもどき」発言が、日銀当局の予想を超えた反響を呼び、それまでずっと続いていた円高・株安が翌日から一転、円安・株高局面になったことにびっくり仰天。慌てて火消しに精を出したという日銀の醜態ぶりが思い出されます。彼らは、日本経済の好転を決して喜んではいないのです。こんな中央銀行が世界にあるのでしょうか。
日銀は、つい先日のフランスとギリシャの選挙結果に実のところほっと胸をなでおろしているのではないかと推察します。「円高・株安は自分たちのせいじゃないもーん」という言い逃れがしばらくは出来そう、というわけです。情けない人たちです。彼らが、来るべきEUの不安定化・崩壊とユーロ安に備えて、金融政策責任者として国民生活を守るためにどうすべきかをめぐって真剣に検討しているようには感じられないことが本当に残念です。自己保身をめぐってしか頭が回らないパワー・エリートって、なんだか最低ですね。
様々な人物についてのコメントが興味深かったので、それをいくつか紹介しておきましょう。
〔現FRB議長バーナンキ〕あまり知られた事実ではありませんが、私が教えるプリンストン大学のなかに学者のグループがあって、10年くらい前、この日本の(「失われた10年」というー引用者補)例について非常に懸念し、どうやって避けることができるのか真剣に考えていたのです。一人はラルス・スヴェンソン教授で、すでにスウェーデンに戻りました。もう一人はマイク・ウッドフォードで、そしてもう一人が現在のFRB議長のバーナンキです。私ももちろんその一人です。そして、我々が「失われた10年」から学んだこと、それが先のFRBの(金融上の刺激対策を行なっていたなら、「失われた10年」は避けることができたかもしれないというー引用者補)結論の下地となるものでした。(略)彼がプリンストン大学にいるとき知ったのですが、彼は人との協調性があり、チームプレイヤーとしても長けています。他人の意見によく耳を傾け、間違いを認めることを厭いません。そういう人こそ、FRBにぴったりの人です。
バーナンキをFRB議長に迎えなかったならば、アメリカはデフレの泥沼に深く沈んでいたことでしょうし、世界はすでに大恐慌の嵐に巻き込まれていたにちがいないと私は思っています。もしも白川方明氏のようなデフレ原理主義者がFRB議長の椅子に座っていたら、アメリカも世界もカタストロフィックな事態を迎えていたことでしょう。こんな想像をするのは、日本人としてあまり愉快なことではありませんけれど。
〔オバマ大統領〕オバマはこの(リーマン・ショックというー引用者補)危機に対して、非常に知性がありました。思慮深く、冷静であり、しかもパニックにならない、そういう人物であることを、人々に強く印象づけました。彼はとてもクールで知性があり、頭脳も明晰な人です。インスピレーションがすごくて、それをみんなが信用するようになったと思います。正しい方向に導いてくれる、とみんなが信用するようになったのです。彼についてどのような批評を読んでも、情熱的な男ではないと言われていますが、そうではありません。彼は「静かなる情熱家」だと思います。ホワイトハウスにいた人のなかで、おそらくケネディ以来のもっとも知性のある人だと、個人的には思います。(ここでは大絶賛ですが、別のところではちゃんと、オバマ政権がウォールストリートの人々に逆らえない弱さを抱えていることを指摘していますー引用者注)
たとえ、クルーグマンがオバマの親派だとしても、お追従を言うようなタイプでは決してないので、この記述を私はおおむね信じます。このくだりに触れて、オバマを見る私の目は少なからず変わりました。
〔アダム・スミスとケインズ〕私は本当に、ケインズをアダム・スミス以来のもっとも偉大な経済学者だと思っています。立派な経済学者はたくさん出てきましたが、そうした経済学者にとっての究極の到達点とは何かと言えば、それはすべての人が、世界を見る考え方を完全に変えてしまうような、経済学の視座を見つけることです。アダム・スミスはそれを成し遂げました。突然すべての人が市場に目を向けたのです。カオスを見るのではなく、「見えざる手」が作用していることがわかったのです。しかも、このことは政策も形成したのです。ケインズはリセッション(景気後退)を理解できるようにしました。突然、不十分な需要(需要不足)の現実が、すべての人にとって明らかになったのです。ケインズを嫌う人にもそうだったのです。
〔フリードマン〕ミルトン・フリードマンを彼ら(アダム・スミスやケインズのことー引用者注)と同じ部類に入れる人もいますが、私はそう思いません。フリードマンはもちろん偉大な経済学者ですが、ケインズが革命家であった一方で、フルードマンはむしろ反革命家でした。すなわち、フリードマンは、ケインズのあとに人々が捨ててしまった考え方のいくつかを復活させた人物だったのです。
最後に、クルーグマンの日本経済への警句をひとつ掲げます。
日本は「失われた10年」ではなかったのであり、いままさに「失われた25年」へと突き進んでいる。
クルーグマン
クルーグマンは、1953年、ニューヨーク州に生まれました。1974年に イェール大学を卒業。その後、マサチューセッツ工科大学で博士号を取得。イェール大学で助教授を、レーガン政権で一年間大統領経済諮問委員会委員(政策とは何なのかを知ることができたいい機会だったと本書で述懐している)をそれぞれ務めました。その後、 マサチューセッツ工科大学で准教授と教授を、スタンフォード大学で教授を、それぞれ歴任しました。現在はプリンストン大学の教授です。忘れるところでした、2008年にはノーベル経済学賞を受賞しています。文筆家としては、2000年から、ニューヨーク・タイムズのコラムを担当し、舌鋒鋭く時の政府の経済政策を批判し続けています。
ところで、クルーグマンはSF小説の大ファンです。若い頃、アイザック・アシモフの、あの膨大な『ファウンデーション』(邦題は『銀河帝国興亡史』)シリーズに夢中になったことがあるそうです。彼によれば、その自己形成史において、その小説の内容は彼に大いに影響を与えたとのこと。
それは銀河系の文明を救った社会科学者についての小説です。正確に言うと、作中のハリ・セルダンという心理歴史学者が銀河帝国の滅亡を宣言する予言者になり、やがて帝国を救うことになります。心理歴史学とは、作中では「一定の社会的、経済的刺激に対する人間集団の反応を扱う数学の一分野」と説明されています。平たく言えば、特殊な計算によって人類の未来を予測し、それを善導しようとする学問、といったところでしょうか。もちろん、アシモフが作中で創り出した学問で、そのような学問は当然のことながら実在しません。
で、そういう社会科学者になりたくって、それに一番近い経済学を選んだと、クルーグマンは率直に語ります。彼はどうやら、卓越した頭脳とヒロイックなロマンティズムとを兼ね備えた人のようです。ただし、不思議なくらいに権力欲を感じさせないキャラです。「あなたが財務長官になったらどうする?」とよく聞かれるそうですが、彼は「私は管理者になれる人間ではありませんし、外交の面でもだめです」と言っていて、組織の一員や組織のリーダ-としての適性とか駆け引き上手の政治家としての適性とかが、からっきしないと自分を判断しています。(そこだけは、私は彼と共通しています(笑))根っからの自由人なのでしょう。一匹狼なのでしょう。それは、その闊達な文体によく表れています。クルーグマンの文章を読んでいると、その聡明さと卓抜でイメージの鮮烈な語りっぷりと爽快さとは感じますが、彼がとてもエライ学者さんなのだということはすっかり忘れてしまいます。
本書で一番強烈な印象を残すのは、FRB議長在任中のアラン・グリーンスパン(1987年8月11日 ~ 2006年1月31日在任)との電話でのやり取りの一節です。
グリーンスパンにとっては、それまであった規制がすべて気に入らなかったのです。そして、新しい金融上のイノベーションを大変気に入り、進めていったのです。結局それが、根本的に間違った世界観であることが分かったのです。いまでも忘れられないのが、2001年の彼からの不快な電話です。私が彼について書いたことについて、文句を言うために電話をかけてきたのです。それが彼と最後に話をしたときになりました。そのとき、グリーンスパンがブッシュ大統領の減税を支持していたことを、私は激しく批判しました。彼の議論が間違っていただけではなく、議論が不誠実であると思ったのです。財政黒字が大きくなりすぎないように、ブッシュにさらに減税を積極的にすすめたのです。ですから、私はそのことを痛烈に批判したのです。そうしたら、本人から直接電話がありました。非常に不快な電話でしたから、それ以来は口を利いていません。私はグリーンスパンをあまりにも痛烈に批判したために、FRBのイベントに出席できなくなりました。きっとブラックリストにでも入ったのでしょう。毎年ワイオミング州のジャクソンホールで開かれるFRBのイベントにも招待されなくなりました。
このエピソードの衝撃を理解するには、ちょっとその背景を知っておいたほうがよいものと思われます。
今ではグリーンスパンは、ITバブルと住宅バブルを意図的に招き、その熱狂に油を注いだ張本人であり、その後のバブル崩壊の惨禍のタネを蒔いた災いの主と目されています。おそらく、それが歴史的な評価として定着することになるのでしょう。
ところが、FRB議長としてアメリカの経済界に君臨していた18年間、彼はカリスマ性を帯びた史上最強の金融政策の遂行者と崇拝され続け、やがて神格化されるに至りました。当時、米タイムズ誌は「世界を救う委員会」に彼を推薦し、伝説的ジャーナリストのボブ・ウッドワードは『マエストロ』(名指揮者の意、邦訳『グリーンスパン』日本経済新聞社刊)というお追従本を書き、テキサスのフィル・グラム上院議員は彼を「史上最も偉大なセントラル・バンカー」とたたえ、さらには英国女王さえも「サー・アラン(アラン卿)は世界経済に安定をもたらしている」として、彼にナイトの称号を授与することに票を投じました。
つまり当時のクルーグマンは、「神」に逆らったのも同然の振る舞いをしてしまった、というわけです。その結果、経済学者としていろいろと嫌がらせをされ、また干されもした、と。ぼやいているのではありませんが、クルーグマンによれば、事実としてそういうことがあったのです。
彼が、風評にまったく信を置かず、あくまでも自分の目で物事の真偽・価値を判断しようとする哲人であることがお分かりいただけるでしょう。世界中を敵に回しても、ガリレオ・ガリレイのように「それでも地球は回っている」とつぶやかざるを得ない気質の人なのです。私は、そういうクルーグマンが、人として好きです。
インターネットで2001年のブッシュ減税について調べてみたところ、当時のブッシュは、当減税は中産階級のためのものであり、現状の予算規模で賄えるものであると述べているのですが、実はその言い方は、国民が数字に弱いことに付け込んだ詐欺同然のものであり、個人所得税の減税を柱とした減税措置の真の狙いは、富裕層や金持ちの懐を潤すことだった、ということが判明しました。『ウソつきブッシュのデタラメ経済』(早川書房)で、クルーグマンはそのことを激越な調子で批判しているとのことです。(今度読んでみたいものです。そのときは、またご報告します。)
グリーンスパンは、ブッシュ減税措置のそのような本質を知りながらも、新自由主義を信奉する「小さな政府」論者として、それに賛成したのでしょう。これは私の想像ですが、クルーグマンは、グリーンスパンのそういう態度に、後々大きな災いをもたらす不誠実で、言ってしまえば邪悪なものを感じ取ったのでしょう。クルーグマンは、それに対して決然として立ち向かったのです。エクソシストとしての面目躍如とした名場面です。
また、中央銀行に君臨する海千山千のトップと超一流の若手の経済学者とが、口角泡を飛ばして対等に激しく舌戦を繰り広げるところに、アメリカが世界の覇権国家になった原動力を目の当たりにする思いも合わせて抱きます。日本にもこういうケレン味のない活力があれば、とちょっとうらやましくなるのは、私だけでしょうか。唾のかけ合いも、配役がここまで豪華だと、なんだか絵になりますね。
次は、インフレ・ターゲットについて。
クルーグマンといえばインフレ・ターゲット、インフレ・ターゲットといえばクルーグマンというくらいに、クルーグマンとインフレ・ターゲットとは切り離せない関係にあります。国際貿易論でノーベル経済学賞を取ったくらいですから、ほかにもたくさん業績があるようなのですが、とりあえずそれは措いておきます。いまから、それに絞って話をしようと思います。
まず、インフレ・ターゲットとは何なのか、から話すべきでしょう。これは、平たく言えば、景気回復策の一つです。では、何故この景気回復策の一つにすぎないものがことさらに脚光を浴びているのでしょうか。それは、日本が20年来のデフレ基調から逃れられなくて苦しんでいるからです。
デフレとは、(いろいろな言い方ができおますが)商品に比べておカネの価値が相対的に上がってしまう現象です。だから、デフレ下では、人々はなかなかモノを買わなくなってしまいます。消費を手控えるわけですね。それで、モノの値段はどんどん下がります。どんどん下がるから、人はますますモノを買わないでおカネを持っていよう(貯蔵しよう)とします。つまり、人々の間でデフレ期待が形作られることになってしまうのです。そうなると金利をゼロにしてもおカネが世の中に出回らなくなってきます。(これを経済学で「流動性の罠」といいます)その結果、企業の売上は下がり、新たな投資がどんどん減り、労働者は、賃金がカットされたり、失業の憂き目に遭うことになったりします。(その結果、GDPはまったく成長しなくなったり、縮小したりします)だから、人々の購買力はますます低下し、商品の値段はもっと下げなければ売れないことになり・・・・、という恐怖のデフレ・ループを描くことになるのです。このデフレ・ループに陥ると、社会全体があの輿石幹事長のような疫病神・貧乏神に取り憑かれた状態になってしまうのです。
以上の連鎖反応のつながりをよく見てみると、商品に比べておカネの価値が相対的に上がってしまうところにどうやら突破口がありそうなことに気がつきます。つまり、おカネをどんどん新たに発行し、おカネの供給量を増やして、その価値を相対的に下げてしまえばいいことに気づきますね。商品に比べておカネの価値が相対的に下がる、言いかえれば、物価が上がる現象をインフレといいます。おカネを新たにどんどん発行して、人々に2%程度の穏当なインフレの期待を抱かせることで、デフレから脱却する。これが、インフレ・ターゲットのアイデアの核にあたる部分です。
とても分かりやすいですね。小学生でちょっと頭の回る子なら、すんなりと理解してしまいそうなくらいに分かりやすい。天才的な人物のアイデアは、どこかしら「コロンブスの卵」のようなところがあります。だからこそ、圧倒的な説得力を持つことになるのだと、私は考えます。アインシュタインが、「真理はいつもシンプルで美しい」という名言を残しています。インフレ・ターゲットの基本思想に接すると、私はその言葉を思い出します。
日本でおカネを発行できる権限を与えられている公的機関は、日銀を措いて他にありません。(財務省が発行できるのは硬貨だけです)だからクルーグマンは、日銀に対してインフレ・ターゲットを実施するよう求めることになります。
ところが、日銀は頑なにその要求を拒み続けてきました。日銀は事実上のデフレ・ターゲット路線を、改正日銀法によって保証されたかりそめの「日銀の独立性」にあぐらかいたまま、呑気に突き進んでいるので、クルーグマンの要求に応えようがないし、もともとその気がないのです。日銀は、20年間におよぶデフレのさ中でにおいても、インフレになることをずっと心配しつけてきた強者(つわもの)です。まるで、旱魃のさ中に農民たちが不作で苦しんでいるときに、大洪水を心配しつづけてなにもしない庄屋さまのようなものです。彼らにとってインフレは、たとえそれが穏当なものであっても、いつハイパー・インフレに悪化するか知れたものではない、問答無用の絶対悪なのです。
だから、クルーグマンが、思考が硬直化してしまった日銀を厳しく批判するようになるのは自然の勢いです。「外人が余計なお世話だ」などと野暮なことは言わないでくださいね。経済のダイナミズムは国境をらくらくと超えてしまっています。だから、GDP第3位の経済大国日本の経済的な不調はそっくりそのままアメリカに響くのです。世界の国々に影響を与えるのです。もっと積極的な言い方をすれば、日本には、恐慌の直前のところで危うく踏みとどまっている世界経済を、うまくすればより良い方向へ牽引しうる潜在力があるとクルーグマンは認めているのです。クルーグマンは、世界経済の見地から日本経済に言及してるのですね。さすがは覇権国の経済学者だけのことはあります。
だからこそクルーグマンは、日銀の無責任さに対してとても厳しい。本書が出版されたのは2009年6月17日。リーマン・ショックが起こったのが2008年9月15日なので、それから約9ヶ月後のことです。本書での彼の発言が、政府・日銀の舵取りの巧拙が日本経済の行く末に重大な影響を与える局面が続いている状況下でのものであることに注意してください。クルーグマンは、今日のグローバル化した経済を踏まえての中央銀行の役割についてこう述べています。
中央銀行業の基本に従えば、その目標は完全雇用だけではなく、緩やかなインフレ率を達成することにあります。プラスのインフレ率を確保する理由はまさに、起こりうるデフレ・ショックに対する緩衝材に当たるものを確保することにあります。
日本経済が前もってデフレ状態に追い込まれた状態のまま、外部世界からデフレ・ショックが襲ってきた場合、さらなるデフレ化がダイレクトに激しく進んでしまうことになる。日銀はそういう最悪の事態にならないように、常々日本経済を穏当な2%程度のインフレ状態にキープしておくよう細心の注意を払っておくべきである、と言っているわけです。ここは、クルーグマンの見識の高さを感じるところです。今日の中央銀行に求められるものの核心を突いていると、私は思います。
では、日銀はそういう役割をきちんと果たして来たと言えるのか。クルーグマンはそれについてこう述べます。
日本国内での代表的な日銀批判として、たとえば2006年3月の量的緩和解除、2006年7月と2007年2月には誘導金利引き上げといった日銀の金融引き締めが、デフレを十分に克服しないまま行われ、そうしたツケがいままで続いている、というものがあるようですが、それについてはある程度はそうだと思います。(中略)日銀は実際にプラスのインフレ率になっていないのに、金融引き締めを始めたのです。他国の中央銀行では、インフレが2%になるまで、引き締めを留保するのが常識でした。(中略)すごい金融引き締めをしたわけではありませんでしたが、しかしその軽めの引き締めが時期尚早だったのは確かです。そして、本当に不思議なのは、日本は過去にやった間違いを繰り返しているということです。たとえば、2000年を見ると、ゼロ金利政策解除に動いていますが、これは時期尚早でした。当時は逆のことをしなければなりませんでした。(当時はコアコア消費者物価指数が下降局面にあった。つまり、デフレが進行中だった。ー引用者注)もっとさかのぼって、日本の財政状態を見てみると、(阪神淡路大震災の翌年のー引用者補)1996年に大きな政策の間違いがありました。日本経済が堅実な回復の状態に到底戻っていない状態で、なぜ日本の政策決定者らが拡大することをしようとしなかったのか、疑問に思わざるをえません。
日銀は、今日の世界の中央銀行が果たすべき役割をまったく果たしていないという結論に至りそうです。次のグラフを見てください。
田村秀男氏ブログ「経済がわかれば、世界がわかる」より拝借
2008年9月15日のリーマン・ショックによるデフレ化の影響を最小限に食い止めるために、世界各国の中央銀行が懸命におカネを刷っているのがお分かりになるでしょう。それに対して、日銀はほとんんど何ごともおこらなかったかのような音無しの構えに終始しているのがはっきりと分かります。世界の先進国のなかで、デフレ基調をキープするという珍妙かつ深刻な問題含みの金融政策をあらかじめ実行しておいた上で、日本経済をプロテクターなしでリーマン・ショックというデフレ圧力に晒し、そうしてその後ほとんどなにもしないのですから、日本が本格的なデフレ状態に転落していくのは火を見るよりあきらかです。円高が野放図に進んで、輸出産業がキリキリ舞をしているのは、端的に言えば、日銀の無策のせいなのです。(経団連よ、怒りの声をなぜ挙げないのか。それとも、日本から出ていきゃいいだけよとタカをくくっているのか)
最近では、例の2月14日の、世論の圧力に押されての、白川総裁によるしぶしぶの「1%インフレ・ターゲットもどき」発言が、日銀当局の予想を超えた反響を呼び、それまでずっと続いていた円高・株安が翌日から一転、円安・株高局面になったことにびっくり仰天。慌てて火消しに精を出したという日銀の醜態ぶりが思い出されます。彼らは、日本経済の好転を決して喜んではいないのです。こんな中央銀行が世界にあるのでしょうか。
日銀は、つい先日のフランスとギリシャの選挙結果に実のところほっと胸をなでおろしているのではないかと推察します。「円高・株安は自分たちのせいじゃないもーん」という言い逃れがしばらくは出来そう、というわけです。情けない人たちです。彼らが、来るべきEUの不安定化・崩壊とユーロ安に備えて、金融政策責任者として国民生活を守るためにどうすべきかをめぐって真剣に検討しているようには感じられないことが本当に残念です。自己保身をめぐってしか頭が回らないパワー・エリートって、なんだか最低ですね。
様々な人物についてのコメントが興味深かったので、それをいくつか紹介しておきましょう。
〔現FRB議長バーナンキ〕あまり知られた事実ではありませんが、私が教えるプリンストン大学のなかに学者のグループがあって、10年くらい前、この日本の(「失われた10年」というー引用者補)例について非常に懸念し、どうやって避けることができるのか真剣に考えていたのです。一人はラルス・スヴェンソン教授で、すでにスウェーデンに戻りました。もう一人はマイク・ウッドフォードで、そしてもう一人が現在のFRB議長のバーナンキです。私ももちろんその一人です。そして、我々が「失われた10年」から学んだこと、それが先のFRBの(金融上の刺激対策を行なっていたなら、「失われた10年」は避けることができたかもしれないというー引用者補)結論の下地となるものでした。(略)彼がプリンストン大学にいるとき知ったのですが、彼は人との協調性があり、チームプレイヤーとしても長けています。他人の意見によく耳を傾け、間違いを認めることを厭いません。そういう人こそ、FRBにぴったりの人です。
バーナンキをFRB議長に迎えなかったならば、アメリカはデフレの泥沼に深く沈んでいたことでしょうし、世界はすでに大恐慌の嵐に巻き込まれていたにちがいないと私は思っています。もしも白川方明氏のようなデフレ原理主義者がFRB議長の椅子に座っていたら、アメリカも世界もカタストロフィックな事態を迎えていたことでしょう。こんな想像をするのは、日本人としてあまり愉快なことではありませんけれど。
〔オバマ大統領〕オバマはこの(リーマン・ショックというー引用者補)危機に対して、非常に知性がありました。思慮深く、冷静であり、しかもパニックにならない、そういう人物であることを、人々に強く印象づけました。彼はとてもクールで知性があり、頭脳も明晰な人です。インスピレーションがすごくて、それをみんなが信用するようになったと思います。正しい方向に導いてくれる、とみんなが信用するようになったのです。彼についてどのような批評を読んでも、情熱的な男ではないと言われていますが、そうではありません。彼は「静かなる情熱家」だと思います。ホワイトハウスにいた人のなかで、おそらくケネディ以来のもっとも知性のある人だと、個人的には思います。(ここでは大絶賛ですが、別のところではちゃんと、オバマ政権がウォールストリートの人々に逆らえない弱さを抱えていることを指摘していますー引用者注)
たとえ、クルーグマンがオバマの親派だとしても、お追従を言うようなタイプでは決してないので、この記述を私はおおむね信じます。このくだりに触れて、オバマを見る私の目は少なからず変わりました。
〔アダム・スミスとケインズ〕私は本当に、ケインズをアダム・スミス以来のもっとも偉大な経済学者だと思っています。立派な経済学者はたくさん出てきましたが、そうした経済学者にとっての究極の到達点とは何かと言えば、それはすべての人が、世界を見る考え方を完全に変えてしまうような、経済学の視座を見つけることです。アダム・スミスはそれを成し遂げました。突然すべての人が市場に目を向けたのです。カオスを見るのではなく、「見えざる手」が作用していることがわかったのです。しかも、このことは政策も形成したのです。ケインズはリセッション(景気後退)を理解できるようにしました。突然、不十分な需要(需要不足)の現実が、すべての人にとって明らかになったのです。ケインズを嫌う人にもそうだったのです。
〔フリードマン〕ミルトン・フリードマンを彼ら(アダム・スミスやケインズのことー引用者注)と同じ部類に入れる人もいますが、私はそう思いません。フリードマンはもちろん偉大な経済学者ですが、ケインズが革命家であった一方で、フルードマンはむしろ反革命家でした。すなわち、フリードマンは、ケインズのあとに人々が捨ててしまった考え方のいくつかを復活させた人物だったのです。
最後に、クルーグマンの日本経済への警句をひとつ掲げます。
日本は「失われた10年」ではなかったのであり、いままさに「失われた25年」へと突き進んでいる。
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