〔ブログ編集者より〕
以下の論考は、編集者の強い要請により、小浜逸郎氏に書いていただいた消費増税に対する抗議文です。私は、前回申し上げたとおり、安倍首相が消費増税に関する態度表明をする十月一日まで徹底抗戦をするつもりです。今回小浜氏にご協力を要請したのも、その意思表明のひとつの現れであると受けとめていただければ幸いです。この場を借りて、小浜氏には深謝の念を表したいと思います。
*****
拝啓。安倍総理大臣殿
小浜逸郎
初めまして。評論家の小浜逸郎と申します。
総理が昨年12月の総選挙において、あの著しく国益を害した民主党政権を見事に打ち倒し、第二次安倍政権の長として返り咲いた時、私は心の中で快哉を叫びました。そうしてそれからわずか二、三か月の間にデフレ脱却に向かっての明らかな兆しが見え、「アベノミクス」という言葉が定着するに至った事態をたいへん喜ばしく感じてきました。黒田日銀新総裁による大胆な金融緩和と、これに連動する形での機動的な財政出動の路線こそ、長い間円高デフレ不況に苦しんできた日本国民に光明を与えるものといまでも信じております。特に国内中小企業の経営者に投資意欲を掻き立て、雇用の改善や給与の上昇や消費の促進を実現させることにとって、この政策は不可欠のものと思われます。
ところで、目下、消費増税問題が国論を二分しており、まさに総理が10月1日にどのような決断をされるのかという点に国民の目が集中しております。
私は長いこと評論活動を続けてまいりましたが、元来、経済問題が苦手で、不得手なことには手を出さないほうがよいという警戒心から、ほとんどこれに触れないできました。しかし戦後未曾有の国難に直面した今の日本の現在と未来を考えるにあたって、言論人が経済のイロハも知らずに発言することは許されないと思い至り、この一年半ほど、いろいろな政治経済論客の力を借りつつ、おぼつかない足取りながらに政治経済関係の勉強を続けてきました。この論客の中には、総理が経済政策の決定にあたって参考にされたと言われるポール・クルーグマン氏、浜田宏一氏、宍戸駿太郎氏、現内閣官房参与の藤井聡氏などが含まれます。
さて現在の時点で、消費増税に踏み切るべきかどうかという点についてですが、私はこの政策が、その出発点からして、根本的に誤っているという確信を抱いております。この確信を抱くに至ったのにはいくつかの理由がありますが、最も重要なものは、次の二つです。
一つは、この政策の根拠となっている「財政再建の必要」という課題が、一部の財務官僚によって作られてきた虚構に過ぎないという事実です。日本国家はいま、そしてこれからも、財政危機状態などにありません。喧伝されている1000兆円の借金(GDPの2倍)という話は借りている金額だけを強調しているので、持っている資産とのバランスシートをとれば、約400兆円、これはGDPを下回ります。たとえばアメリカは純債務のGDP比は日本よりもはるかに高く、財政危機を言うなら、こちらのほうが深刻です。
もう一つは、増税によって税収が増え、それがいくらかでも、財政再建に貢献するという話がまことしやかに語られていますが、この話は、増税によって企業の投資や生活者の消費などの実体経済が冷え込むという当たり前の流れを無視したところで成り立つ机上の空論です。ごく普通に考えれば、一般消費者(ある生産者も、自分の生産が可能となるためにお金を投じるとすれば、その投じ先に対しては消費者です)にとって、税金をこんなに取られるならちょっと財布のひもを締めようと考えるのは当然の反応です。つまりデフレ期に増税などをすれば、投資や消費の欲求にブレーキがかかり、その結果、せっかくのアベノミクスが「腰折れ」になるのは目に見えているのです。本当にデフレ脱却、景気回復が庶民のレベルで実感できるためには、最低でもあと1年は必要ですね。
総理。こんなことは、もちろん織り込み済みだろうと思います。しかし私が危惧するのは、総理の周りの騒音があまりに激しくて、総理をして、冷静に判断させる余裕を許さない雰囲気になっているのではないかということなのです。この「騒音」の中で、最も顕著なのは、言うまでもなく、この間のマスコミの暴走です。
つい二、三日前、新聞各紙、およびテレビが、「安倍首相、消費増税を決断」という報道をいっせいに流しました。えっ、そうなの、と思って記事を読んでみると、そう決断したという証拠がどこにもないのですね。せいぜい法人税減税の方向性を示唆したという程度。なんでこれが「増税」決断の証拠になるのか。総理は別に「私は決めた」などという表明を公式にしたことは一度もありませんね。菅官房長官も、一貫して「そんな事実はない」と言い続けています。
私は、こういうマスコミの姿勢に限りない憤りを感じています。なぜこういうことになるのかについては、いろいろな考察や憶測が可能ですが、今はそれについては控えましょう。ともかく事実の歪曲を平然と垂れ流して世論を操作するその汚いやり口があまりに見え透いているので、ああ、「大本営発表」とおんなじね、ちっとも変ってないのね、と思いました。
で、総理。私のような者の言葉が届くのかどうか、そんな可能性はほとんどないのですが、総理を取り巻くものすごい増税圧力の群らがりがあり、やっぱり誰でも一人の人間なので、そういう流れにまったく影響されないでいられるかと言えば、これはかなり難しいと想像します。実際には国民の7割近くが増税に反対しているのに、総理のもとに届くのは、権力を手中にしている声の大きい者たち、ということになるのでしょう。
ですが、いくら身近なところでの影響を無視しえないと言っても、最終的な決断が総理一人の胸にかかっているのは事実なのですから、この事実を大いに生かしてほしいと思っております。端的に言えば、この問題に関して総理は独裁者なのです。あれもこれも聞く、多様な意見を尊重する、でもそのために決断できないというのが民主主義政治の特徴ですが、私はこういう民主主義の弊害をそれなりによく知っていますので、私がいま総理に求めたいのは、「賢明な独裁者たれ」ということです。どんなに周りが総理を増税承認の方向に誘導しようと仕掛けても、そんなことを気にする必要はありません。民のためを思えばこうするのが最適、という決断ができる立場に総理は現にいるのです。
総理はその職業柄、毎日分秒刻みのスケジュールに追われ、ゆっくり考える暇もないのが実情でしょう。そのたいへんさを想像するだけで気が遠くなるほどです。そういう超多忙な生活というのを私は経験したことがありませんが、その百分の一くらいの経験を通して、少しばかり言えることがあります。
私は物書きですが、締め切りに追われることが何度かありました。そういう時、何日までにこれ、何日までにこれ、と、一応頭に入れてはおきます。でも自然、質的に見て優先順位というのがあって、早い締め切りのものよりも、あとの締め切りのもののほうが気にかかってしまうということがままあります。この数日間における総理のスケジュールはいつも通りぎっしりだと思いますが、おそらく消費増税に関しては、ちょうどこれと同じように、ほかのことに比べれば最優先事として前々から気にかかっているのではないでしょうか。
さて私のささやかな経験からお勧めしたいのは、もう十分考えてきたのだから、ここ数日はほかのことに専心して、消費税に関しては意識から追い払ってペンディングしておけばよいということです。決断は、前夜、または当日直前でも構いません。人はくよくよ長く考えればより良い決断ができるのかというと、意外とそうでもない、と私は言いたいのです。
実情も知らず、勝手なことを申し上げました。どうぞご寛恕ください。
それはそうと、私が一番心配するのは、消費増税に踏み切ってしまうと、安倍政権の掲げている重要政策のいくつかが実現困難になってしまうのではないかということです。私が安倍政権の掲げる政策の中で、支持しているのは、原発政策、安全保障政策、憲法改正問題の三つです。これらはいずれも国家的課題であって、長期政権が保証されてこそ実を結ぶ政策ですね。もし景気回復が確実に保証されない今の時点で消費増税に踏み切った結果、国民の信頼が揺らぎ、政権基盤が崩れたりすれば(その可能性は大いにありうると私は思っています)、せっかくの「長期安定政権」の下でなしうることが、すべておじゃんになります。どうかそういうことになりませんように、総理のご賢察に一縷の望みを託す次第であります。
敬具
以下の論考は、編集者の強い要請により、小浜逸郎氏に書いていただいた消費増税に対する抗議文です。私は、前回申し上げたとおり、安倍首相が消費増税に関する態度表明をする十月一日まで徹底抗戦をするつもりです。今回小浜氏にご協力を要請したのも、その意思表明のひとつの現れであると受けとめていただければ幸いです。この場を借りて、小浜氏には深謝の念を表したいと思います。
*****
拝啓。安倍総理大臣殿
小浜逸郎
初めまして。評論家の小浜逸郎と申します。
総理が昨年12月の総選挙において、あの著しく国益を害した民主党政権を見事に打ち倒し、第二次安倍政権の長として返り咲いた時、私は心の中で快哉を叫びました。そうしてそれからわずか二、三か月の間にデフレ脱却に向かっての明らかな兆しが見え、「アベノミクス」という言葉が定着するに至った事態をたいへん喜ばしく感じてきました。黒田日銀新総裁による大胆な金融緩和と、これに連動する形での機動的な財政出動の路線こそ、長い間円高デフレ不況に苦しんできた日本国民に光明を与えるものといまでも信じております。特に国内中小企業の経営者に投資意欲を掻き立て、雇用の改善や給与の上昇や消費の促進を実現させることにとって、この政策は不可欠のものと思われます。
ところで、目下、消費増税問題が国論を二分しており、まさに総理が10月1日にどのような決断をされるのかという点に国民の目が集中しております。
私は長いこと評論活動を続けてまいりましたが、元来、経済問題が苦手で、不得手なことには手を出さないほうがよいという警戒心から、ほとんどこれに触れないできました。しかし戦後未曾有の国難に直面した今の日本の現在と未来を考えるにあたって、言論人が経済のイロハも知らずに発言することは許されないと思い至り、この一年半ほど、いろいろな政治経済論客の力を借りつつ、おぼつかない足取りながらに政治経済関係の勉強を続けてきました。この論客の中には、総理が経済政策の決定にあたって参考にされたと言われるポール・クルーグマン氏、浜田宏一氏、宍戸駿太郎氏、現内閣官房参与の藤井聡氏などが含まれます。
さて現在の時点で、消費増税に踏み切るべきかどうかという点についてですが、私はこの政策が、その出発点からして、根本的に誤っているという確信を抱いております。この確信を抱くに至ったのにはいくつかの理由がありますが、最も重要なものは、次の二つです。
一つは、この政策の根拠となっている「財政再建の必要」という課題が、一部の財務官僚によって作られてきた虚構に過ぎないという事実です。日本国家はいま、そしてこれからも、財政危機状態などにありません。喧伝されている1000兆円の借金(GDPの2倍)という話は借りている金額だけを強調しているので、持っている資産とのバランスシートをとれば、約400兆円、これはGDPを下回ります。たとえばアメリカは純債務のGDP比は日本よりもはるかに高く、財政危機を言うなら、こちらのほうが深刻です。
もう一つは、増税によって税収が増え、それがいくらかでも、財政再建に貢献するという話がまことしやかに語られていますが、この話は、増税によって企業の投資や生活者の消費などの実体経済が冷え込むという当たり前の流れを無視したところで成り立つ机上の空論です。ごく普通に考えれば、一般消費者(ある生産者も、自分の生産が可能となるためにお金を投じるとすれば、その投じ先に対しては消費者です)にとって、税金をこんなに取られるならちょっと財布のひもを締めようと考えるのは当然の反応です。つまりデフレ期に増税などをすれば、投資や消費の欲求にブレーキがかかり、その結果、せっかくのアベノミクスが「腰折れ」になるのは目に見えているのです。本当にデフレ脱却、景気回復が庶民のレベルで実感できるためには、最低でもあと1年は必要ですね。
総理。こんなことは、もちろん織り込み済みだろうと思います。しかし私が危惧するのは、総理の周りの騒音があまりに激しくて、総理をして、冷静に判断させる余裕を許さない雰囲気になっているのではないかということなのです。この「騒音」の中で、最も顕著なのは、言うまでもなく、この間のマスコミの暴走です。
つい二、三日前、新聞各紙、およびテレビが、「安倍首相、消費増税を決断」という報道をいっせいに流しました。えっ、そうなの、と思って記事を読んでみると、そう決断したという証拠がどこにもないのですね。せいぜい法人税減税の方向性を示唆したという程度。なんでこれが「増税」決断の証拠になるのか。総理は別に「私は決めた」などという表明を公式にしたことは一度もありませんね。菅官房長官も、一貫して「そんな事実はない」と言い続けています。
私は、こういうマスコミの姿勢に限りない憤りを感じています。なぜこういうことになるのかについては、いろいろな考察や憶測が可能ですが、今はそれについては控えましょう。ともかく事実の歪曲を平然と垂れ流して世論を操作するその汚いやり口があまりに見え透いているので、ああ、「大本営発表」とおんなじね、ちっとも変ってないのね、と思いました。
で、総理。私のような者の言葉が届くのかどうか、そんな可能性はほとんどないのですが、総理を取り巻くものすごい増税圧力の群らがりがあり、やっぱり誰でも一人の人間なので、そういう流れにまったく影響されないでいられるかと言えば、これはかなり難しいと想像します。実際には国民の7割近くが増税に反対しているのに、総理のもとに届くのは、権力を手中にしている声の大きい者たち、ということになるのでしょう。
ですが、いくら身近なところでの影響を無視しえないと言っても、最終的な決断が総理一人の胸にかかっているのは事実なのですから、この事実を大いに生かしてほしいと思っております。端的に言えば、この問題に関して総理は独裁者なのです。あれもこれも聞く、多様な意見を尊重する、でもそのために決断できないというのが民主主義政治の特徴ですが、私はこういう民主主義の弊害をそれなりによく知っていますので、私がいま総理に求めたいのは、「賢明な独裁者たれ」ということです。どんなに周りが総理を増税承認の方向に誘導しようと仕掛けても、そんなことを気にする必要はありません。民のためを思えばこうするのが最適、という決断ができる立場に総理は現にいるのです。
総理はその職業柄、毎日分秒刻みのスケジュールに追われ、ゆっくり考える暇もないのが実情でしょう。そのたいへんさを想像するだけで気が遠くなるほどです。そういう超多忙な生活というのを私は経験したことがありませんが、その百分の一くらいの経験を通して、少しばかり言えることがあります。
私は物書きですが、締め切りに追われることが何度かありました。そういう時、何日までにこれ、何日までにこれ、と、一応頭に入れてはおきます。でも自然、質的に見て優先順位というのがあって、早い締め切りのものよりも、あとの締め切りのもののほうが気にかかってしまうということがままあります。この数日間における総理のスケジュールはいつも通りぎっしりだと思いますが、おそらく消費増税に関しては、ちょうどこれと同じように、ほかのことに比べれば最優先事として前々から気にかかっているのではないでしょうか。
さて私のささやかな経験からお勧めしたいのは、もう十分考えてきたのだから、ここ数日はほかのことに専心して、消費税に関しては意識から追い払ってペンディングしておけばよいということです。決断は、前夜、または当日直前でも構いません。人はくよくよ長く考えればより良い決断ができるのかというと、意外とそうでもない、と私は言いたいのです。
実情も知らず、勝手なことを申し上げました。どうぞご寛恕ください。
それはそうと、私が一番心配するのは、消費増税に踏み切ってしまうと、安倍政権の掲げている重要政策のいくつかが実現困難になってしまうのではないかということです。私が安倍政権の掲げる政策の中で、支持しているのは、原発政策、安全保障政策、憲法改正問題の三つです。これらはいずれも国家的課題であって、長期政権が保証されてこそ実を結ぶ政策ですね。もし景気回復が確実に保証されない今の時点で消費増税に踏み切った結果、国民の信頼が揺らぎ、政権基盤が崩れたりすれば(その可能性は大いにありうると私は思っています)、せっかくの「長期安定政権」の下でなしうることが、すべておじゃんになります。どうかそういうことになりませんように、総理のご賢察に一縷の望みを託す次第であります。
敬具
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