今日は、文学の読書会と映画鑑賞会という趣味的に充実した催しを楽しむ一日を過ごしました。
文学の読書会は、もうかれこれ四年になるでしょうか。気心の知れた仲間と地味に続けています。普段は、三人程度でひっそりとやっているのですが、今日は珍しいことに、三〇代から六〇代までの老若男男が六人集まりました。お昼に集合なので、まずは腹ごしらえをということで、代々木駅界隈のベトナム料理屋に行きました。料理についてのみんなの反応がまずまずだったので、ガイド役の私としては胸をなでおろしました。
そこを一時間ほどで出て、行きつけのルノアールで二時間ほどインテンシヴに文学談義をしました。テキストは、三島由紀夫の『文章読本』(中公文庫)。当ブログをご覧になっているみなさんが、三島由紀夫についてどういうイメージを抱いていらっしゃるのかよくは分かりませんが、一般的には、市ヶ谷の陸上自衛隊の駐屯地に乗り込み、若い隊員相手に時代錯誤のアジテーションをして総スカンを喰らい、総監室に戻って割腹自殺をして果てるという衝撃的な振る舞いをした狂信的右翼、といったところでしょうか。
そういう見方をむげに否定する気はありません。しかし、それだけではくくりきれない高度な知性と論理性を兼ね備えた思想家という側面が三島由紀夫にはあった、というと、驚かれるでしょうか。「それは言いすぎだろう」と思われたあなた。次に三島由紀夫の言葉を引くのでぜひご覧ください。
それ(現代口語文の革新――引用者補。二葉亭四迷の『浮雲』に始まる)は日本の歴史を西洋の世界史につなぐものであり、物質文明の歩調にあわせて、日本の言語を改革しようとするものでありました。その恩恵をわれわれはいま深く蒙っているのであります。その結果、失ったものは決して少いとは言えません。しかし文章は刻々変化して行くものであって、現代口語すらその発生時には、漢語めいた言いまわしや、明治時代特有の言いまわしを数多く固着させて、いま見ると当時の口語文は同じ口語文でありながら、あたかもたくさんの貝殻を附着させた廃船のように見えないものもないではありません。言葉は絶えず時代の垢をつけて死に絶え、また生き変わりしながら発展して行くものであります。
いかがでしょうか。彼が、日本の近代化を、言葉という具体相に即して、不可避の過程としてきちんと押さえるだけの視野の広さと懐の深さを持った、思想家としても及第点を与えうる人物であったことがおわかりいただけるのではないでしょうか(私見によれば、近代がもたらしたさまざまな意味における豊かさを軽く見る手合いは、思想家として一流とはいえません)。ここで短兵急に言ってしまいますが、彼は、抽象概念が欠如した、情緒的で、その意味で女性的な日本の文学風土において、論理と理知という男性的な武器で文学的に自立することに自己投企した文学者であると、私は思っています。その文学的姿勢と、反時代的な構えとが重なっているところに、彼の文学者としてのユニークさがあります。少なくとも彼は、直情径行的に反近代に走ったのではないのです。ここは、もう少し解きほぐしてじっくりと語るべきところではありますが、今日は、この点に関してはこれくらいで筆を置きましょう(いずれまた)。
そうでした。あとひとつだけ付け加えておきたいことがありました。本書中で三島が、自分が読んだ中で最も神に近い美人をあげろと言われれば、それはリラダンの「ヴェラ」であるといっている一節が妙に記憶に残ってしまったので、帰りに書店でそれが収録されている「フランス短篇傑作選」(岩波文庫)を買いました。さて、どうなんでしょうか。
次に、タクシーで隣駅の原宿まで分乗しました。そこで友人の映画会が催されるからです。読書会参加者六人のなかで、G氏は体調が万全ではないからというのでお帰りになりました。マスクでくぐもりがちな声で「最近なかなか美津島さんとお会いする機会がないから」という意味のことを控えめにおっしゃっていました。それだけのために、体調がすぐれないのを押して読書会に参加なさっていただいたことになります。言葉がありません。こういう方を大事にしないとバチが当たります。
映画会には、うろ覚えですが10数人が参加しました。上映されたのは、篠田正浩監督の『少年時代』(1990)。井上陽水の同じタイトルの曲が主題歌の映画です。むしろ、曲の方が人口に膾炙しているのではないでしょうか。少なくとも私は映画の方は初見でした。
内容は、戦中の一九四四年に富山県の親戚宅に東京から疎開した小学校五年生の男の子・シンジの、夏から翌年の終戦の夏までの輝かしくも切ない、そうして当人にとっては十分に過酷な体験です。「過酷な」と申し上げましたが、そこに戦争体験の過酷さが描かれているのではありません。戦争は遠景という位置をキープしながら、克明に描かれているのは、あくまでも《少年共同体》です。シンジは、その《少年共同体》の中心的存在、つまりガキ大将のタケシとの交流において、タケシの、権力者としての絶頂期と、自分に対する理不尽な暴力的振る舞いと、凪の海のような優しさと、王座からの不様な転落のさまのすべてを目の当たりにします。そうして、その転落に加担した自分の卑怯さ・矮小さにも直面することになります。しかし、王座から追放されいたぶられ続けるタケシは、彼とできうることならば和解を図ろうとするシンジに対して、彼の裏切りをなじるでもなく、毅然として「オレはかわいそうじゃない。オレに構うな」と小声で言います。
終戦を迎え母親が東京からシンジを迎えに来ますが、久しぶりに会った母親を懐かしむ余裕など、シンジにはありません。彼の小さな胸は、タケシをめぐるわだかまり・こだわりでいっぱいなのです。それをきちんと映像で表現しえたのを観たところで、私は、この映画を一級品であると心から思いました。つまりこの映画は、″少年にとっては《少年共同体》が世界のすべてであり、そのことを通して、彼はある決定的な心の傷を負うことになる。少年は、そういう痛切な通過儀礼を経ることによって、図らずも大人に変わっていく契機を不可避的に掴むのである″という人間の(男の?)ある時期の真実を描くことに成功しているからです(ネタバレになるのでこれくらいにしておきましょう)。しかし、その真実に気づくには、一定の鋭敏な感受性が必要であることも、映画会に参加なさった方々の感想をうかがっていて気づきました。普遍的なことがらが普遍的に周知されるとは限らないのですね。その事実に、胸の奥がいささか痛みました。人はあくまでも孤独な存在なのです。
ちょっとだけイチャモンをつけておきます。エンディングで流れる、井上陽水の「少年時代」が有するのびやかな情感と、当映画のリアリティの核としての少年の「痛み」とが、どこかずれているような感触を抱きました。曲自体はとても素晴らしい作品ではあるのですが。おそらく、陽水の、作り手としての美的メカニズムが、ある地点で映画のメッセージと遊離して、自律的に作動してしまったのでしょう。
それはとにかくとして、大変いい映画を見る機会を得ることができました。上映者のKさんに感謝します。はい、とても良い一日でした。
文学の読書会は、もうかれこれ四年になるでしょうか。気心の知れた仲間と地味に続けています。普段は、三人程度でひっそりとやっているのですが、今日は珍しいことに、三〇代から六〇代までの老若男男が六人集まりました。お昼に集合なので、まずは腹ごしらえをということで、代々木駅界隈のベトナム料理屋に行きました。料理についてのみんなの反応がまずまずだったので、ガイド役の私としては胸をなでおろしました。
そこを一時間ほどで出て、行きつけのルノアールで二時間ほどインテンシヴに文学談義をしました。テキストは、三島由紀夫の『文章読本』(中公文庫)。当ブログをご覧になっているみなさんが、三島由紀夫についてどういうイメージを抱いていらっしゃるのかよくは分かりませんが、一般的には、市ヶ谷の陸上自衛隊の駐屯地に乗り込み、若い隊員相手に時代錯誤のアジテーションをして総スカンを喰らい、総監室に戻って割腹自殺をして果てるという衝撃的な振る舞いをした狂信的右翼、といったところでしょうか。
そういう見方をむげに否定する気はありません。しかし、それだけではくくりきれない高度な知性と論理性を兼ね備えた思想家という側面が三島由紀夫にはあった、というと、驚かれるでしょうか。「それは言いすぎだろう」と思われたあなた。次に三島由紀夫の言葉を引くのでぜひご覧ください。
それ(現代口語文の革新――引用者補。二葉亭四迷の『浮雲』に始まる)は日本の歴史を西洋の世界史につなぐものであり、物質文明の歩調にあわせて、日本の言語を改革しようとするものでありました。その恩恵をわれわれはいま深く蒙っているのであります。その結果、失ったものは決して少いとは言えません。しかし文章は刻々変化して行くものであって、現代口語すらその発生時には、漢語めいた言いまわしや、明治時代特有の言いまわしを数多く固着させて、いま見ると当時の口語文は同じ口語文でありながら、あたかもたくさんの貝殻を附着させた廃船のように見えないものもないではありません。言葉は絶えず時代の垢をつけて死に絶え、また生き変わりしながら発展して行くものであります。
いかがでしょうか。彼が、日本の近代化を、言葉という具体相に即して、不可避の過程としてきちんと押さえるだけの視野の広さと懐の深さを持った、思想家としても及第点を与えうる人物であったことがおわかりいただけるのではないでしょうか(私見によれば、近代がもたらしたさまざまな意味における豊かさを軽く見る手合いは、思想家として一流とはいえません)。ここで短兵急に言ってしまいますが、彼は、抽象概念が欠如した、情緒的で、その意味で女性的な日本の文学風土において、論理と理知という男性的な武器で文学的に自立することに自己投企した文学者であると、私は思っています。その文学的姿勢と、反時代的な構えとが重なっているところに、彼の文学者としてのユニークさがあります。少なくとも彼は、直情径行的に反近代に走ったのではないのです。ここは、もう少し解きほぐしてじっくりと語るべきところではありますが、今日は、この点に関してはこれくらいで筆を置きましょう(いずれまた)。
そうでした。あとひとつだけ付け加えておきたいことがありました。本書中で三島が、自分が読んだ中で最も神に近い美人をあげろと言われれば、それはリラダンの「ヴェラ」であるといっている一節が妙に記憶に残ってしまったので、帰りに書店でそれが収録されている「フランス短篇傑作選」(岩波文庫)を買いました。さて、どうなんでしょうか。
次に、タクシーで隣駅の原宿まで分乗しました。そこで友人の映画会が催されるからです。読書会参加者六人のなかで、G氏は体調が万全ではないからというのでお帰りになりました。マスクでくぐもりがちな声で「最近なかなか美津島さんとお会いする機会がないから」という意味のことを控えめにおっしゃっていました。それだけのために、体調がすぐれないのを押して読書会に参加なさっていただいたことになります。言葉がありません。こういう方を大事にしないとバチが当たります。
映画会には、うろ覚えですが10数人が参加しました。上映されたのは、篠田正浩監督の『少年時代』(1990)。井上陽水の同じタイトルの曲が主題歌の映画です。むしろ、曲の方が人口に膾炙しているのではないでしょうか。少なくとも私は映画の方は初見でした。
内容は、戦中の一九四四年に富山県の親戚宅に東京から疎開した小学校五年生の男の子・シンジの、夏から翌年の終戦の夏までの輝かしくも切ない、そうして当人にとっては十分に過酷な体験です。「過酷な」と申し上げましたが、そこに戦争体験の過酷さが描かれているのではありません。戦争は遠景という位置をキープしながら、克明に描かれているのは、あくまでも《少年共同体》です。シンジは、その《少年共同体》の中心的存在、つまりガキ大将のタケシとの交流において、タケシの、権力者としての絶頂期と、自分に対する理不尽な暴力的振る舞いと、凪の海のような優しさと、王座からの不様な転落のさまのすべてを目の当たりにします。そうして、その転落に加担した自分の卑怯さ・矮小さにも直面することになります。しかし、王座から追放されいたぶられ続けるタケシは、彼とできうることならば和解を図ろうとするシンジに対して、彼の裏切りをなじるでもなく、毅然として「オレはかわいそうじゃない。オレに構うな」と小声で言います。
終戦を迎え母親が東京からシンジを迎えに来ますが、久しぶりに会った母親を懐かしむ余裕など、シンジにはありません。彼の小さな胸は、タケシをめぐるわだかまり・こだわりでいっぱいなのです。それをきちんと映像で表現しえたのを観たところで、私は、この映画を一級品であると心から思いました。つまりこの映画は、″少年にとっては《少年共同体》が世界のすべてであり、そのことを通して、彼はある決定的な心の傷を負うことになる。少年は、そういう痛切な通過儀礼を経ることによって、図らずも大人に変わっていく契機を不可避的に掴むのである″という人間の(男の?)ある時期の真実を描くことに成功しているからです(ネタバレになるのでこれくらいにしておきましょう)。しかし、その真実に気づくには、一定の鋭敏な感受性が必要であることも、映画会に参加なさった方々の感想をうかがっていて気づきました。普遍的なことがらが普遍的に周知されるとは限らないのですね。その事実に、胸の奥がいささか痛みました。人はあくまでも孤独な存在なのです。
ちょっとだけイチャモンをつけておきます。エンディングで流れる、井上陽水の「少年時代」が有するのびやかな情感と、当映画のリアリティの核としての少年の「痛み」とが、どこかずれているような感触を抱きました。曲自体はとても素晴らしい作品ではあるのですが。おそらく、陽水の、作り手としての美的メカニズムが、ある地点で映画のメッセージと遊離して、自律的に作動してしまったのでしょう。
それはとにかくとして、大変いい映画を見る機会を得ることができました。上映者のKさんに感謝します。はい、とても良い一日でした。