And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

やさしい死神

2015-12-31 10:16:42 | 日記
クラシック全般は聴くけれど、嫌いなのはブルックナー、マーラー、チャイコフスキー、モーツァルト。嫌い以前に関心のない作曲家もいるので嫌いはまだましか。好きなのは現代音楽は割と好きな作曲家が多いので除くとバルトークとバッハ。バルトークは昔からセザンヌ、ヴァレリーとともに気になるのだがわからなかった。わかるという定義こそわからないので説明のしようがない。現代音楽、現代絵画、現代詩なら難解なのもわかるというかいい悪いの区別はつく。この3人は良さが見いだせなかった、かといって嫌いではないし興味はある。セザンヌ、ヴァレリーは正直今もそういうところがあるが、バルトークは明確に好きだといえる。極端にいうならバルトークは弦楽四重奏だ。レコードでジュリアード弦楽四重奏団の全集を買ったが、一度針を通したきり。「管弦楽のための協奏曲」「弦、打楽器、チェレスタのための音楽」くらいしか聴いていなかった。あと「ルーマニア民族舞曲」やピアノ協奏曲とか管弦楽はいいのだけれど、弦楽四重奏のよさがわからなかった。それならシェーンベルク、ウェーベルンの弦楽四重奏曲のほうが興味を引き何度も聴いた。惹きつけるメロディがあるわけでない、革新的なアイデアで驚かされるわけでもない、これがベートーヴェンと並ぶ弦楽四重奏?CDになってアルバンベルク四重奏団のバルトークが評判になって買ってみたら聴きやすい。なるほど、これなら聴ける。CDということもあったかもしれない。レコードのときはバルトークに限らずさあ聴くぞという構えが必要だった。チャーリー・パーカーもCDになって聴くようになった。3つも4つも同じ曲のテイクをそのままレコード半面聴き続けるのは大変だった。ノイズの一番気になったピアノソロ、ピアノ曲が気にしないで聴けるようになったのは自分にとってCDの一番の功績。話を戻すとアルバンベルク四重奏団は何でも評論家好みの四角な演奏なのでバルトークに限らず聴かなくなったが、自分にとってバルトークの弦楽四重奏を聴くきっかけになったのでそれだけでも役に立った。バルトークの弦楽四重奏曲を初めて聴いたときバルトークは私を気ちがいにさせたいのかと思ったと五味康祐は書いた。バルトークは現代音楽でモーツァルトに比肩し得る唯一の芸術家だとも書いている。自分は初めて聴いたときつまらなかったし、モーツァルトは嫌いなので比肩しなくてもいいと思う。iPodに入れて聴かないし家でも気持ちののった時しか聴けないのだけど、四番のピッチカート楽章をウッディ・アレンは映画に使ったのを聴いてさすがだと思った。そうだ堅く考える必要はない。今度iPodに入れて旅行中聴こうかと思うが、音楽を聴きながら電車に飛び込んでしまいそうで怖い。


ローツアルトミックス

2015-12-29 22:19:26 | 日記
モンクのコンプリート・リバーサイドを買ってからモンクばかり聴いている。この間はマイルスのコロンビア・コンプリートを1枚ずつ聴いててジャズはマイルスばかりだった。シェイクスピアも面白かったのもあるが全集を一気に読んでしまったし、文学も映画も音楽も浮気しないでそればかりというのが多い。個人全集は揃えるから始まるので全部読むことは少ない。最近こそ安くボックスで出るので買ってしまうが、音楽は1枚ずつ揃えるので買ったが一度も聴いてないというのはない。ただ一度しか聴いてないというのは数多くある。レコードのときは表裏必ず聴いたが、CDは最初の5分でやめてしまったりすることある。たまに懐かしくて買ってしまったロック、シュトックハウゼンその2種類かな。シュトックハウゼンの場合、現代音楽はそんなものだ、最初から別に聴かなくてもいいと勝手に解釈する。ロックは悔やむ。何でこんなもの買ってしまったんだと。昔、小林秀雄の「ゴッホの手紙」を読んで感化され、ゴッホ書簡集を全部買って少しは読んだ記憶あるが、小林秀雄がうまい文章で引用するから面白いのであって、そのまま読んでもそう面白いものではないと若いときは気づかなかった。小林秀雄はそう好きではなかったが、「モオツァルト」のト短調弦楽五重奏を「哀しみは疾走する、涙は追いつけない・・」と書いたのを読んで、好きでないモーツァルトもその曲は聴くようになった。ブダペスト弦楽四重奏団のレコードの何てことない並木道のジャケットも気に入って、数少ないモーツァルトの思い出となった。音楽評論、エッセイでいいと思う文章に当たることは最近めったにないが、この「モオツァルト」と五味康祐の「マタイ受難曲」今でも記憶に残っている。ジャズ喫茶マスターの文章など大抵だめだ。知識があればいいというものではない。しかも気取った文章が多い。自分より若い世代もだめだろう。せいぜいジャズを聴きだしたのは70年代から。本で読んだ知識、今ならネットで調べた知識など書かれなくても自分で調べる。これからはもっと若くなるのだから、人を引きつける文書の書けるごく一部しか読む気しない。つまらんこと書くやつは減らないだろうが。たまに国内盤買って、解説のくだらなさに腹が立って音楽自体も聴く気が失せるなんて勘弁してほしい。クラシックだと年配の評論家は逆にいまだに推薦盤フルトヴェングラーかよとなったりする。昔から本は解説から読んでしまう。先入観を持つからだめだといわれるのだが構わず読む。推理小説も先に読んでしまう。そういう人もいるのを見込んで核心に触れたりしない場合が多いが、たまに重大なヒントも読んでしまうこともある。推理小説以外に筋を知ってしまったから読んでつまらなくなったという小説があるなら、それは知らなくてもつまらない。DVDもほとんど解説なし。紀伊國屋から出るDVDは厚い解説がついてくるけど何せ小さい字は読めなくなって。



君は毀れた偶像の山しか知らないのだから

2015-12-27 23:09:01 | 日記
アルバート・ハモンドの「カリフォルニアの青い空」が懐かしくてダウンロードして聴いていたら、やはりCDが欲しくなり買ってしまった。国内盤は一度出てしばらく廃盤だったらしく、そうなると今は当たり前にCD1枚で6千円、7千円などという金額でネットで売られる。そんな値段ではどんな物でも手を出さないが今年再発されて普通の値段で買えたので手に入れた。あと知っている曲は「ダウン・バイ・ザ・リバー」「落葉のコンチェルト」だが聴くと「カリフォルニアへ愛をこめて」も聴いたことがあって「安らぎの世界へ」はオリビア・ニュートンジョンの歌で知っていた。解説を読むとアート・ガーファンクルの歌で持ってる「ひとりぼっちのメリー」「L.A.より99マイル」もハモンドの曲だと。「カリフォルニアの青い空」だけの歌手ではなかったんだと初めて知った。歌詞も君が好きだみたいなものだろうと思っていたら、シリアスなものが多く、表題曲もカリフォルニアに雨は降らないが、どしゃ降りもあるとは教えてくれなかったと意味のあるフレーズだった。曲自体はビートルズ調の聴きやすい、まあこれ1枚で終わったのもわかる程度のもの。昔も聴いた「落葉のコンチェルト」はどこからこんな邦題つけるのだろうと思うが、そのおかげで日本だけでヒットした。ラジオで洋楽を聴いていたから、ちょっと思い出すだけで1曲で消えた歌手、グループはいっぱいあるのを知っている。思い出深いのはドン・マクリーン。シングルもLPも買った。ヒットした「アメリカン・パイ」は長くシングルのABに別れていた。1曲を裏返して聴かなければならないのはそうなかった。欧米では「ヴィンセント」もヒットしたが日本ではそうでもなかったように思う。自分もLP買っていなければ知らなかっただろう。ヴィンセントとはヴィンセント・ヴァン・ゴッホのことで優しくゴッホを見つめるドン・マクリーンがいる。ロバータ・フラックの歌で大ヒットした「やさしく歌って」はドン・マクリーンのことを歌ったことで有名。「アメリカン・パイ」の前に1枚アルバム出して、そのあとも出しているが国内盤で出たのはせいぜい2,3枚だろう。CDになって国内盤は出ていない。輸入盤紙ジャケットCDで出たとき歌詞もついたが、赤いバックに字は小さかったので読めたものではない。レコードの歌詞を見て、バディ・ホリーが死んだ日を思い出しながら過去を振り返るドン・マクリーンの歌を聴いて戻ることのない日々を振り返る。


ネオン輝く日々

2015-12-24 14:03:01 | 日記
娘の友人に今回の「スターウォーズ」楽しみにしていてという話を聞くととても「ロッキー」と共に馬鹿にする映画の見本などと言えなくて、かといって興味のあること言えないので黙っているしかない。好みがあるから自分は嫌いだからと盛り上がりたい人をじゃますることはしない。でも私映画好きなんですと言われ、どんな映画好きと聞いて「ジョーズ」と言われても話を続けられなくて自分も映画好きといった手前、その手の映画は内容知らないわけではないのでスピルバーグならと話題を振ってから別の話するとかして逃げる。人生経験重ねるとプルーストの登場人物でないが酒の席などで、こちらの興味のない話を永遠とする人に何人にも出くわすことがあって、そういうので鍛えられると若い人相手にはわざと自分の興味のない話をさせて知識を得ることもするが。映画の話に戻ると「スターウォーズ」は興味ないが「スタートレック」は「宇宙大作戦」のときから観てるので好きとか好き嫌いは理屈ではない。人の好みも食べ物の好みもそうだが、まったく理屈では割り切れない。世代の違いはあるだろう、007、今の人はアクション映画の一つとして観るだろうが、自分はショーン・コネリーの延長として観てしまう。M、Q、マニーペニー、初代はみんな亡くなっているだろう。メンバーも車も装備もすべて変わってしまっているのだが、「ロシアより愛をこめて」のスパイとしての原点をいまだ見出そうとしている。それより好きだったナポレオン・ソロ、なぜDVDにならない。ブルース・リーはブームの時観に行ったが、関心のなかった香港映画。あるときテレビで「ミスターブー」観て大笑い。単純に笑えるものだといいのだが、モンティパイソンは笑うつぼが違うのかと思った。マルクス兄弟も早口の英語を聴き取れないと面白さ半分。当然聴き取れないから全部集めたけど面白さがわからない。その点、森繁久弥の社長シリーズ、笑いまくれる。社長シリーズコンプリートなんて出たら買うのに。LDでは持っていたのだが、ふとDVDで欲しくなったのが「白い恋人たち」当時売れっ子のクロード・ルルーシュとフランシス・レイのコンビ。ちょっと疑惑もあったのだがキリーの三冠王。クナイスルのスキー板、あこがれだった。それとミュンヘンオリンピックの「時よ止まれ、君は美しい」ー原題は8人の監督のオムニバスなのでVisions of Eightという味気ない題ーくらいか、オリンピック映画で観たのは。ああ懐かしい日々よ。






秘められた音に

2015-12-20 23:04:42 | 日記
推理小説も最初は夢中になって読むのだが有名なのを何冊か読むとパターンがわかってきて、最初に疑われる人間はシロとか召使いなどは犯人にならないとかアリバイがはっきりしてると逆に怪しいとかわかって読むので、犯人わかってもそうだろうになってしまう。それは推理小説全盛のクリスティ、クイーン、カー、ダインなどの場合。そうなると面白くなくなるので、次に手を出すパターンは清張か。「点と線」「ゼロの焦点」など面白いが、実際にあった事件の推理、帝銀事件、下山事件なども夢中になって読んだ。帝銀事件はとても平沢にはできない、下山事件は自殺ではないだろうとか。その中で読んで暗くなったのがスチュワーデス殺人事件。初版で表紙を聖書に似せて作って「黒い福音」という題をつけた。カトリックが悪いことをしていたのは中世の話で終わりではなかった。それに戦後間もない頃、まだ日本は欧米とはフェアプレイではなかったというのもあるだろう。その系統で面白かったのが高木彬光の「白昼の死角」これも戦後間もない頃実際にあった詐欺集団の話なので手形はこうパクるのかと変な勉強になった。角川で映画になり観て面白くて本を買い、他の作品も買い集めた。それらはすべて一度読むともう読むことはなく、売るかどこかいくかしたので手元になくなった。SFなら二度と読むことなくても棚に飾っておくのに。しかし愛着はSFより推理小説のほうがずっとあったのだ。その点、純文学は文庫でも粗末にすることなく学生の時読んだものも未だ手元にある。どこかにいっててもおかしくない学生時代に読んだ米川正夫訳のドストエフスキーなど手に取れるところに置いてある。最近買った本こそどこにあるかわからないものもある。文庫こそ自分の読書だと思う。「ユリシーズ」は文学全集しかなかったから単行本で読んだが、カフカもウルフも文庫で主要作品は読んだ。カミュも文庫で何冊も出てたがよかったのは「異邦人」だけで、それもあとで読み返すとがっかりした。今出てるかわからないが「エデンの東」も文庫4冊で出ていて、単行本なら絶対読まなかっただろう。単行本特に全集は汚してはいけないと思ってしまう。パラフィン紙など捨ててしまっていたが、大学教授がそのままにしているのを見て自分もそうしたら、なおさら開きづらくなって2.3ページ開いたらそのまましまうみたいになってしまった。でも今歳を重ねるとそのまましまっておいてどうすると思うのだが、重い本を読むためには読むぞという環境から作らなければならない。それより解説だけ読んでしまっておいて、文庫を音楽聴きながら気軽に読んだ方がいいだろうと思うと並べてある全集は一生読むことないのかと思ってしまう。