And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

二人のバレエダンサーのための春の海のテーマによる尺八とコントラバス二重奏曲第2番OP.28

2017-12-31 08:11:08 | 日記
「三文役者」映画面白かったけど、新藤兼人の本もまた面白い。最初から苦労を共にした友人。隅々まで知っている。映画は相当な数作っているし、全部ソフト化されていないのですべてを集めることはできないけど、また何枚か集めた。「夜明け前」も新藤兼人が脚本書いたと初めて知った。これもビデオしか出ていないけれど、何も出ていないよりはいいか。小説もなかなかよくわからなかったけど、映画も地味だったのでDVDにできないのか。新藤兼人の映画自体、裕次郎だ加山雄三だという時に渋い映画を作っていた。世の中、世界の国からこんにちはという時代に「鬼婆」乙羽信子が上半身裸で出るのだから。それでもつまらない映画もある。「どぶ」を観てがっかりした。乙羽信子のオーバーなメイクと演技。もちろん監督の指示だろうけど、そういう役をするには不向きだった気がする。もう一つはレビューにも書かれているがラストが長い。めそめそと泣いて、それが続くとしらけてしまう。「禁じられた遊び」で少女に最後の最後まで泣かせなかったのとは対照的。元々日本映画はそういうめそめそが多いのだが、新藤兼人はそうではなかったので期待外れも大きかった。もう観ることはないだろう。「砂の女」もDVDで観た。面白い小説は大抵映画化すると期待外れというのが多いのだが、これも例外ではなかった。でも小説でイメージできなかったところを観ることできたのがよかったかくらい。ラストが変わっていたのが不満だったけれども、それ以外はあまりに小説に忠実で、まあどちらにしても不満は出てくる。
今年も終わろうとしている。どれが先など過ぎれば忘れてしまうのだが、いつも年の初めは何を聴くかと考える。酔って年末にかけていたのをそのまま聴いたということもあった。たいした問題ではないけれどロックやフリージャズはいやだ。やはりピアノ。ピアノといえば「手紙は憶えている」の重要なシーンにあった。主役の役者が昔ピアニストを目指していたというので、自分で弾いているのだろう。というよりだからピアノを弾くシーンを入れたのかもしれない。とにかく年末に観て一番ショックを受けた。毎月有料のCSに金払っていて何本映画を観るのか。テレビドラマは割と録画しているのでまあいいか。
山のようにCDやDVDが積み上げられていて持っているCDを全部聴いてみたいものだ。と他人事のようにいうしかない。たとえばミンガスを全部聴こうとかそれくらいならできそう。前マイルスもCBSコンプリート聴いてるから。でもジョン・ケージ、シュトックハウゼン全部はきつい。シュトックハウゼンは1枚すらきついかも。

クリストファー・ロビンと僕は並んで歩いていた

2017-12-19 11:07:46 | 日記
もうほぼロックは聴かないし、聴いたところで10分も聴けば止めてしまうけれどもエマーソン、レイク&パーマーの「展覧会の絵」は別。ピアノ原曲、ラベル編曲オーケストラ、冨田勲シンセサーザーそれぞれ持っていてピアノでいえばホロヴィッツのすごい演奏も知っているのだけれど、やはりこの曲はELPだろうと思う。原曲がたいした曲ではなく、普通に演奏したのでは面白くないというのもある。冨田勲であれば「惑星」がよかったけれどシンセだけでは飽きるのと、原曲はオーケストラでそこそこ聴けるという違いがある。ウィンディ・カーロスのバッハも数回で飽きる。ベートーヴェンは「時計仕掛けのオレンジ」で使われ、たまに聴くと映画を思い出す。高校生の時、ブラームスを口ずさんでいて友人にその曲なんで知ってるのよと聞かれたことがある。そのとき自分は原曲知らなかったのだが、イエスがブラームス交響曲4番3楽章を編曲してアルバムに入れた。今思うとずいぶん渋い曲を選んだと思う。「恋人たち」という映画でブラームス弦楽六重奏1番2楽章が使われたと知って映画は観てないのに弦楽六重奏のレコードを買ったことがあった。本当に2楽章は映画音楽かと思えるくらいのロマンチックな曲で確か白鳥英美子のアルバムにも入っていた。でもブラームスといえば「さよならをもう一度」。サガン「ブラームスはお好き」の映画化で交響曲3番3楽章の編曲。あれこそ知らなければ映画音楽にしか聞こえない。今年上というと老婆になってしまうが、あの頃年上女性に惹かれた。ましてやバーグマンみたいな女性なら。
エクソシストのテレビ版が始まったので観てみた。こういう系は好きではないので予約はしてあるけどいやになったらいつでもやめよう。ただ本当に悪霊を退散させる神父はいるらしい。日本でも病院行かないで霊媒師にというのありそうだからどこにでもそういうのはあるのだろう。もちろん昔大ブームになったときも観に行っていない。チューブラベルズだけは覚えているけどレコードも買っていない。それも懐かしくてだいぶ前にCD買ってしまったけれど、やはりつまらない。昔聴いたロックやポップスは今買い直しても何度か聴くことができるのに、名前は知ってたけど聴いていなくてというのは今買うととても聴けたものではないというCDによく当たる。若いときの感性でしか聴けないものある。逆に70年代ポップスを子どもの世代は聴かないだろう。今、新しいベルイマンはいるのだろうか、新しいポール・サイモンはいるのだろうか。反戦のないロックなんてクリープを入れすぎたコーヒーだ。もうロックは聴かない。

わたしたちは時のメリーゴーランドにつかまったまま引き返すこともできず

2017-12-17 00:28:29 | 日記
何となくナチもので面白そうだから「手紙は憶えている」を録画して観たらびっくり。退屈だなと思っていたら、すべての設定がラストにつながっていた。一度観たらもう観ないと思うのだけれど、あまりの衝撃にDVDを注文してしまった。たまに予想もしないシナリオものに当たるのはうれしい。ナチスものでしかも関わった生存者が少なくなった今こういう角度で作るなど思ってもみなかった。新藤兼人の「三文役者」も期待以上に面白かった。これは竹中直人のおかげというのもある。そのときには亡くなっていた乙羽信子もうまいところに使った。前に作るつもりで中断したときのフィルムなのだろう。やはりこれも役者というより脚本か。レビューではよく書いていない人もいたが、そういう人は新藤兼人のファンではないのだろうと思う。まだワイダの最後の2作も残っていて、楽しみはたくさんある。正月前に楽しみを減らすこともないのだけれど、時間があるのにとっておくこともない。新藤兼人ものの本も2冊。「新藤兼人私の十本」と「三文役者の死」を中古で買った。私の十本の中で1本だけ持っていないDVDがあったので、これも中古で買う。新藤兼人の文章は読みやすくて面白い。昔新藤兼人より溝口健二に興味あって読んだ「ある映画監督の生涯」も面白く読んだ記憶がある。
ふとオーネット・コールマンを思い出す。タウンホールとクロイドンのドーナッツずっと同じ曲とは思えなかったのだが、よーく見るとタウンホールは単数ドーナット、クロイドンはドーナッツとなっている。今さらだけど英語でドーナッツはと調べるとdoughnut.すると正確にはドーナットゥという読みになるのか。まさかスパゲッティは1本で食べることないから複数で言うのと同じく、アメリカ人はドーナッツ2個以上はいっぺんに食べるから必ず複数で言うとかでもあるまい。まあコールマンの曲名は適当だから深く考えることはない。コルトレーンのライブインジャパン。日本で3枚組で出てしばらくしてから輸入盤2枚組で出たことがある。肝心の「 マイ・フェイヴァリット・シングス」抜きの2枚組だったので買わなかったが、ジャケットがその時代にしてもあまりに日本を曲解したようなジャケットが印象的だった。そのジャケットでCD1枚になって出たので買った。驚いたのが国内完全版としてでているCDではカットされている司会のイントロが入ってる。普通逆だろう。そういえばウエザー・リポートの「アイ・シング・ザ・ボディ・エレクトリック」でも初期の輸入CDはいソノてるヲの司会が入っているのに国内盤はカットというのもある。今聴くとそういう司会の声は当時が思い出されていい気がする。アンコールの拍手まで延々入れるキースよりはいいだろう。


旅行用の彫刻

2017-12-06 12:24:48 | 日記
新藤兼人の「竹山ひとり旅」を観て悪くないのだけど、林隆三がどうもミスキャストのように思えた。もっと地味な役者にやらせたらいい映画になっただろうというのと乙羽信子を出したいためにやたら母親が出てくるのも映画として不自然。新藤兼人は好きなだけにこの程度では満足できない。これからまだ観てない何枚かがまた楽しみ。
ピンク・フロイド昔も今も大して好きじゃないのだけれど、何となくウォーターズが抜けてからのライブを安い中古で買った。何でロックはスタジオ録音をそのままライブで演奏するのだろう。いまだにポール・マッカートニーが昔のままヘイ・ジュードを歌うのと一緒。ピンク・フロイドは昔コンサートでは新しい曲ばかりやっていただろう。要するに昔のヒット曲ばかりやるようになったら終わりだ。70年代に活躍したグループはよくそれで日本に来て稼いでいく。それもベンチャーズと変わりない。ピンク・フロイドの安っぽいライブ盤がこれまた大売れするのだから。でも他も同じか。ロシアの指揮者にはチャイコフスキー演奏させる。ドイツ人にはベートーヴェン。ストーンズには日本ではアンジーを歌わせる。ロリンズにはモリタートとセントトーマス。キース・ジャレットに金積んでケルンコンサートを再現してくれと頼んだが断られたと。当たり前だ。リチャード・クレイダーマンでないのだから。そんなこと頼むのは日本人ではないかと思う。それどころか知ってる曲など演奏されることはない。スタンダード曲も毎回変わる。ジャズを聴き始めたころ驚いたのが、コルトレーンのライブインジャパン。これってテーマ必要なのか、マイ・フェイヴァリット・シングスとアフロブルーのアドリブの違いあるのかとか考えた。かといってオスカー・ピーターソン系のピアノトリオ聴いてもあくび出るし。マイルスのアガルタ、パンゲアはできるだけ大音量で聴いてくださいと解説に書いてあったが、こういう音楽を大音量で聴ける環境などどれだけあるのだ。
砂の女のDVDは本を読んでから観ようと思うのだが、今さら安部公房を読むというのは60になってから太宰や車輪の下を読むみたいな恥ずかしさもある。でも別に誰かに宣言するわけでもなしいいのだけれど、前も書いたが読む時期ってあるだろうとやはり思う。逆に20代のときに「山の音」を読んだらどういう感想を持ったのだろう。「百年の孤独」は若いとき文庫にならないという理由で読まなかったし今でも読んでいない。そういう面ではこれも学生時代買って、何十年も経ってから読み終えたトーマス・マンの「ヨセフとその兄弟たち」分厚い単行本で3冊なのによく読めたと思う。
君にも僕にも暇がある。
また、百度も決断をしぶり、
見てから、百度も見なおす暇がある。


手をつなぎながら眠る人々

2017-12-03 23:58:25 | 日記
何をどう読んでいたのか。ロバート・ローウェルの「北軍死者に捧ぐ」それほど興味ある詩人ではなかったけれど、「北軍死者に捧ぐ」は読んだつもりでいたのに中身を理解していなかった。別に難しい内容ではない。南北戦争で黒人部隊を率いたショー大佐の話。南北戦争で黒人部隊があったのも驚き。昔は読んでそのまま理解するしかなかった。今ではショー大佐というキーワードを検索するだけでこういうことがあったと知ることができる。ロバート・ローウェルに関してもウィキペディアに日本語で出ているので、たとえ信用できないことが多少混ざっていたとしても本の解説より詳しく簡単に人なりを知ることができる。そして驚いたのがショー大佐の話が映画にもなっている。すぐにDVDを注文して観たのだけれど悪くはない。でも映画として最高かと言われればさてという程度。ボストンの人たちがみんなこの話を知っているのかは知らない。行事に合わせて詩が書かれたのなら、当時出てきたアレン・ギンズバーグに比べてずいぶん弱く感じる。ローウェルは確かにそういう詩人であったであろうから、自分が興味持たなかったのだと思う。けれど二人の詩集はかなり買ったけどオルソン、アッシュベリを読んだといえるのか、わかったといえるのか。電話帳のようなオルソン全詩集やマキシマス・ポエムズなど読むわけがない。全訳が出ていたウイリアムズの「パターソン」すら読み通していない。西脇の「旅人かへらず」だって最初から最後まで読み通したことあるのかすら疑わしい。コルタサルの「石蹴り遊び」も作家の指定順で読んでいって、あと三分の一くらい残っていたのだが別に読む必要ないという作家の言葉で読むのをやめた。もう一つ最初から最後まで読む方法が示されているのだが、今度と思っていまだ読んでいない。「失われた時を求めて」を別として、どんないい小説でも2度目はなかなか読まない。「失われた時を求めて」の場合新訳が出ているので読んでいるがだけかもしれない。
大好きな監督の新藤兼人の映画をまた観ている。好きと言ってもボックスが出た時全部買うくらい好きではなかったけれど、7,8枚はあってまた2,3枚面白そうなのを中古で買った。世代的にも反骨的なところもまた好きなアンジェイ・ワイダと似てると思うのだけどどうだろう。ワイダはDVDで出ているのはみんな買ったと思っていたけど「ワレサ、連帯の男」と「残像」が出たのを知らず注文。やはりネットはだめだ。ワンクリックでどんどん買ってしまう。ここらのDVDはいいのだけど、この間勢いで買った「シン・レッド・ライン」や「二世部隊」もう観ることないだろう。そういう意味ではショー大佐の映画「グローリー」ももう観ることはない。ロバート・ローウェル全詩集も頼んでしまってキャンセル利かない。「北軍死者に捧ぐ」と「人生研究」が入った詩集は持っているので冷静に考えるとそれで十分だったのだけど。