And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

夢の三十棺桶島

2016-02-29 20:20:07 | 日記
デアゴスティーニのサンダーバード2号をネットで見て、どうせこんなの作ったところでじゃまになるだけと思ったが、何度も広告を見ると今からなら1号から間に合うかなと予約してしまった。前にDVDが出たときも別に観たくはなかったけど、サンダーバード2号のミニモデルが欲しくて全巻買ってしまった。解説にも出てるが子どもの時作った今井科学のプラモデル。正月のお年玉でサンダーバード基地を買いに行ったのを覚えている。その前に出したというサブマリン707のプラモデル。ああ作った。そういうのを未だ引きずるのかと思う。今も何でもミニチュアが好きだから懐かしさだけではないと思いつつも、みんなそうだ。コンバット、タイムトンネルのDVD、ビートルズの紙ジャケットCD、昔を追いかけている。持ってはいるがレコードなど聴くことはない。でもレコードを思い出して紙ジャケットCDを買ってしまう。一度もカラヤンのファンであったことはないけど、かといってカラヤン嫌いの評論家の言うことは信じなかったけど、10年ごとにまとめられた紙ジャケットのボックスを見ると何かうれしくなってしまう。グラムフォンのレコードジャケットはものすごくセンスのいいのが多かったというのもあって紙ジャケットを手に取ると、持っていなかったものがほとんどだが、レコード店で視聴する自分を思い出してしまう。外国行って自分用の土産はミニチュアもの。たいていは美術館だが何年か前に買ったのがダブリンを走る観光バスのミニカー。はとバスのミニカーがあるのかは知らないが売れるの?乗った思い出にはなるが別に特殊なバスではない。前に写真出したがケネディが暗殺される直前のリンカーンを再現したミニカー。ちょっと趣味悪くないかと思うが興味あるので買う。変わり種はノースビッグランというカーフェスの記念ミニカー。赤平で行われるので、地元企業のネームの入ったたぶん実際に昔使われていた三輪トラック。懐かしいのはサンダーバードに続いて今井科学がプラモデル出しておおコケしたというキャプテンスカーレット。プラモデルも作ったけれど、やはりずっしり重い戦闘装甲車のミニカー。これだけ書いて何だけど、こんなオタク趣味みたいなことは書かないで自分の思い出にしておけばいいのにと思うが、でも消すのも惜しいし、せっかく書いたのだから。

パイロットに連れていって

2016-02-28 11:39:32 | 日記
雨が降らず、よかったと思う曇り日、空港へ向かうバスで何を聴こうかと考えると、この雲はヘンリー・パーセルだと思いつく。パーセルはイギリスだったか、それならわかる、いつも曇り空ばかりだから。言われているように、いつも小雨が降ったり止んだりという天気が多かったと思う。でもそれがいいんだ。突き刺すような日差しなどごめんだ。急用ができて飛行機乗り遅れると思って空港行ったが、何とか間に合った。それで思い出したのが洞爺丸の事故。そういう事故で必ずつきものなのが、何とか間に合ったので乗ったとか乗る予定が乗りそこねたという事例。運命の分かれ道だが、人間にはわからない。スカパーのメーデーという番組を観てると、飛行機事故には様々なパターンがあるとわかる。パイロット、管制官、整備士。コンコルドの時は前の飛行機が落としていった定規程度の部品が原因とか。離着陸が多いが、空中衝突もある。でも一番怖いのはパイロットがおかしくなって、自ら落としてしまうケース。さすがにそれは1、2例しかない。世界中で飛んでいる飛行機に比べれば事故など宝くじ程度の確率かもしれない。宝くじが当てようとしても当たらないのと同様、事故も避けようとしても避けられない。3月15日にご用心と教えてくれる占い師がいたところで大抵は当たらないし、そんなことに用心ばかりしていたらどこにも行けない。こんなことを思う時間も確実に通り過ぎていく。

あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう

2016-02-23 16:37:46 | 日記
アイザック・スターンは若手の育成に積極的でパールマン、ズーカマンなどのユダヤ系ヴァイオリニストなど支援した。有名ヴァイオリニストはユダヤ系がほとんどだが、すべて仲がいいわけではないだろう。共通するのはスターン世代はドイツに嫌悪感を持っていたということ。その中でメニューインは反ユダヤだったという。ボビー・フィッシャーもそうだったのだが、ユダヤの血が入った人間がなぜ反ユダヤになれるのだろう。ヴァイオリニストとしてのメニューインは20過ぎればただの人の典型だったので、それ以外のことも別にどうでもいいが戦後みんな感情的になっているときにフルトヴェングラーと共演したのは一理あるかもしれない。フルトヴェングラー以上にナチスに協力したと言われるカラヤンが欧米で大スターになるのは皮肉だ。しかしユダヤ系ヴァイオリニストとの共演は聞いたことがない。クレーメルなどの戦後生まれは違うのかもしれないが、特に同世代は。ピアニストもそうか。ポール・サイモン、ボブ・ディランなどもいるが、さすがドイツでは演奏しないとは言わない。逆にカラヤンはイスラエルへ行ったことがあるのだろうか。日本人にとってドイツはフランスなどよりずっと親しみやすい。バカなフランス人はプライドで英語を話さないのではなく、ただバカなだけで話さないけれど、ドイツ人はタクシーの運転手でも英語で話してくれる。すぐ降参したおかげでパリの町並みは残っているが、それが戦勝国か?ドイツの荷物になったイタリアと変わらない。もう少し働いてフェラーリみたいな戦車作ってみろよ。ベルリンフィルハーモニックホールはいつも満員。というよりネットで発売時間にすぐ買わないと無理。無名な指揮者の時もそうなのかはわからない。ラトル指揮でベートーヴェンを聴いたが、よさがわからなかった。少なくとも日本で演奏するときより力入れて演奏してろと思うのだが。欧米のオーケストラが日本に来るときは湿度が高いので、ヴァイオリンとか普段使っているのよりも落としたものを持ってくると聞いたことがある。昔ベームがウィーンフィルと来たとき若い指揮者も連れてきて地方は若い指揮者に行かせ、しかも値段は一緒。馬鹿にするなよだ。レコードでは完璧な演奏が売りのポリーニが演奏会ではミスタッチだらけ。自分が行ったときもそうだったし、レビューにも書かれている。その点アシュケナージは絶対コンサートのよさはレコードではわからないという演奏だった。ホロヴィッツがあの歳できて、ひびの入った骨董品になるのは当たり前。ヒストリック・コンサートだって、ホロヴィッツを見たという観客の熱狂しか伝わってこない。本当にすごかったのは50年代前後くらいか。今までコンサートに行きそびれて行けばよかったと思うことも多かったが、行かないほうが正解だったかも。



もし君の名がマルセルと同じ名前であったら

2016-02-22 18:18:33 | 日記
ネットの記事で最近のアカデミー作品賞はヒットしないと書いていた。ネットの記事なのだから、適当なこと前提で読んではいるがスピルバーグやルーカスの作品みたいのばかり選ばれてると思っているのだろうか。逆に「ロッキー」や「タイタニック」のようなお子様映画が選ばれることに驚いているのに。かといって権威があるとか特に素晴らしい映画が選ばれているとはこれっぽっちも思っていない。元々保守的な団体なのでリベラルなものが選ばれることはない。アメリカ、イギリス以外選ばれない。スピルバーグはどうしてもほしくて、黒人もののシリアスなもの作ったが取れなくて、ユダヤものを作ってやっと取ったら、またゴミ映画に戻った。ジョン・ウェインは主演男優賞がほしくて晩年クソ映画で取ったが、コネか圧力で取ったのだろう。俳優としては3流だと誰もが知っているのに。若いときいい演技をしていて取れなくて、「ハスラー2」で取ったポール・ニューマンにもがっかり。「ハスラー」とは比べものにならないくらいひどい映画だった。ピーター・オトゥールは8度もノミネートされながら1度も取れなかった。「アラビアのロレンス」では迫真の演技を見せたが、大根役者のグレゴリー・ペックに取られた。ハリウッドは公平とか正義なんてない。敗者には何もやるなの世界で、そこまできれいならいいが金と欲が渦巻いている。役をもらうために女優は何人のプロデューサーと寝なければならないのか。でも映画を観るのにそんなことはどうでもいい。ベルイマンが何度離婚しようとヴィスコンティがゲイであろうと関係ない。映画は仮想の世界なのだから。アメリカンニューシネマを観て一斉射撃で撃たれるのにあこがれたが、死ぬというのはそんなきれいなものではない。「ライトスタッフ」に出てくる間抜けなジョンソン大統領。実際は尊敬されていたなんて思えないが、それでも映画ではドキュメンタリーではないのだから架空の人物。「JFK」の暗殺推理、その通りだと思うがこれも映画。「カティンの森」に出てくる虐殺されたユダヤ人。これも映画で架空の話。殺されたユダヤ人の悔しさ、無念さなど映画にできるわけがない。「史上最大の作戦」ではプロレスの正義の怒り爆発のようにノルマンディで大勝して勝ち進んでいくように描かれるが、実際はオマハビーチのように第1陣、第2陣がほぼ全滅のような戦いをしていて「プライベート・ライアン」の最初でその様子を映像にしている。どちらが映画としていいのかははっきりしている。たかが映画じゃないか。悲惨なものを観たかったら映画ではなく、ドキュメンタリーフイルムを観ればいい。でも全部と言わないが中身のないハリウッド映画はごめんだ。時にはコルチャック先生について考えたい。時にはソラリスの海について考えたい。


旅立ったものは一人としてもどったためしがない

2016-02-18 23:45:09 | 日記
「白い恋人たち」買ったときに「時よとまれ、君は美しい」もDVDで見つけて買った。懐かしいなと思って買ってもなかなか観ることはない。字が読みづらくなって本を読むスピードが遅くなったのと同じく、映画に対して夢中になって観る集中力もだんだんとなくなってきているのかもしれない。一度観たものはなおさら。かといって暇つぶしに録画した最近の映画など、結末を観ないままやめて消してしまったりする。昔ジャズ評論家の部屋の写真が雑誌に載っていて膨大なレコードが写っていたが、死ぬと家族はさっさと売ってしまったり寄付したりするのだろう。自分もそれらに囲まれて聴いたり観たりするのもあと何年。死んだらどうしようといいけれども、家族が積まれた本やCD、DVDをみてどう思うのだろう。少なくとも形見に残しておこうなどとは思わないだろう。CDはさほど思い出すことはないがレコードは手に取ると何となく買ったときのことが忘れてきた自分とともに思い浮かぶ。これ出たら絶対買うと思っているCDやDVDはいくつかあるけれども、もうこれ以上買っても聴くことはできない、観ることはできないのなら買うのをやめてしまってもいいのではと理論的には思うけれども、すると新しいものが何も入ってこなくなる。自分の新しいがジョン・アッシュベリで止まってしまうのは自分で老化に追い込むようで恐ろしい。ジャズなど自分の生まれた頃に録音されたものばかり聴いていて、新しいものは聴こうともしない。ロックだってニューロックと日本で命名した頃からもう半世紀も経っているのに、半世紀前で発展は止まってしまった。学生の時サルトルが死んで、すでにそのときサルトルの価値は薄れていたが、サルトル全集もなくなった今、読む人はいるのだろうか。ノーマン・メイラーの書いた第二次大戦はもはや南北戦争くらいに遠くなっているかもしれない。北園克衛は興味持った頃もう亡くなっていて最後の詩集「BLUE」を買った。那珂太郎はいつ亡くなったか調べたら、まだ2年も経っていないのに驚いた。新聞に出たのだろうか。ネットになど出るわけがない。持っているのが40年近く前に出た定本・那珂太郎詩集。熱心な読者ではないがこれ1冊でいいのでは。その頃はアメリカン・ニューシネマも終わりを告げ、スピルバーグ、ルーカスのお子様映画が出てきた頃か。もう新しい映画は観なくなってきて、リバイバルを観に行った。唯一感動したのがアンゲロブロスの「旅芸人の記録」。新しいのがくるたびに観に行ったのだが、残念なことにアンゲロブロスは「旅芸人の記録」だけだった、よかったのは。