And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

エリック・サティの主題による変奏曲

2014-06-28 14:14:41 | 日記
70年代後半、高橋兄妹がきっかけかサティブームになったことがある。
アンニュイだとかしゃれた言葉に飾り付けられてレコードも数種類出た。
自分はその前、ブラッド スウェット アンド ティアーズの2枚目のアルバムの1曲目、
「エリック・サティの主題による変奏曲」というのを聴いて現代作曲家なんだろうかと思っていたことがあった。
自分はバルビエを買ったが、チッコリーニとかも全集を出していた。
演奏者も限られていたけど、誰が演奏してもいいわけではない。好みは分かれるだろうが、
バルビエ、フェブリエ、高橋兄妹の演奏が好きだった。チッコリーニはつまらない。最近のティボーテなんてサティに聞こえない。
で今も昔もよく言われること、ジムノペディ、グノシェンヌあとジュ・トゥ・ヴなんかのシャンソンが
あれば全集なんていらないんじゃないかと。しかもそれらも何度も聴くと飽きる。
その程度の音楽。だからいいんだな。そういう音楽だからブームもあっという間に過ぎ去り、
今ではBGMでサティなんか使うと安っぽくなったりして。
でもトレンディドラマに使われるくらいなら忘れてくれ。
ルネ・クレールの映画に出てたよねと話せる人とだけ、サティはと話したい。

ノスタルジア

2014-06-25 12:24:10 | 日記
別に今更ビートルズでもない。もう出尽くしたかと思われていたが、日本編集盤までが出るとは。
しかも日本限定というのは許されないのか輸入盤でも出るのにびっくり。
日本盤のミートザビートルズを買ったのはアメリカ盤に比べ圧倒的にヒット曲オンパレードだったから。
イギリス盤ウィズザビートルズはといえば「ステレオ、これがビートルズ」みたいな題でジャケットもまったく違っていた。
「ヤァ!ヤァ!ヤァ!」はあの頃オリジナルジャケットのほうがいい、早く直らないかなと思っていたが逆に今は懐かしい。
「四人はアイドル」は見た目わからないが、自分が買ったときも見開きで
中に星加ルミ子のビートルズに会ってきたみたいな文章が出てたのがそのまま再現。2と5は気にもとめてなかった。
レコードを出してきて、そうこれでこのボックスセットの役割は終わりか。

レンブラントの帽子

2014-06-23 17:31:29 | 日記
レンブラントという名を知ったのは美術館でも画集でもなく、マラマッドの短編集からだった。
そのマラマッドは何で知ったのだろう。ニューヨーカー短編集だったろうか。
アーウィン・ショーは「リッチマン・プアマン」がテレビドラマ化され観たが、小説は「夏服を着た女たち」くらいか。
ソール・ベロウが一番読んだかもしれないが、読んで楽しい小説でなかったので内容は忘れてしまった。
今ではまったく関心ないが、そういう小説の中にアメリカの匂いを感じていたのかもしれない。

そこで関心を持ったのがレンブラント。ユトリロや印象派の風景画みていいねといってるくらいの知識でレンブラントは昔の画家ね
くらい。その中でもちろん有名であるのだけれど興味を持ったのが自画像。その中でもミュンヘンにある23歳の自画像。
画集でみたとき自分も同じくらいの歳だったかもしれない。これから人生が始まろうとする可能性と不安が表情に表れている。
これが晩年になると年表に出てくることがこれもすべて表情になって見つめる姿となる。一番好きなのはロンドンナショナルギャラリーのだけど、
撮影禁止なので、国立アムステルダム美術館のを。





Vincent

2014-06-20 17:45:13 | 日記
ゴッホ、普通に好きだが、オランダならレンブラントにもっと惹かれる。
ゴッホといえば小林秀雄の「ゴッホの手紙」を読んで書簡集6冊も買ったが、小林秀雄の解説くらいでちょうどよかったか。
自分のイメージはそれよりドン・マクリーンの歌った「ヴィンセント」この歌にゴッホのどろどろした生涯を忘れさせる
というよりこれはゴッホを歌ったのではなく、マクリーンの自分を見つめる歌なのだと思う。人はゴッホについて何を語り得よう。
語ってほしくないと書くほどまでに思い入れはないのだけれど、惹かれるのが晩年の「カラスのいる麦畑」
昔のドイツグラムフォンのLPジャケットはセンスのいいしゃれたのがたくさんあった。その中で
アバドもビゼーも大して好きでないのに、思わず買ったのがこれ。

どれもそうなのだがCDになると同じものを使っていても明らかにつまらない。
このジャケットを見つめていたものだから、本物は細長いのに変な違和感を覚えた。
Now I understand
What you tried to say to me
And how you suffered for your sanity
And how you tried to set them free



マーラーの死

2014-06-07 12:58:25 | 日記
ブログは何十万、何百万の人が書いているのかわからないが、赤の他人の文章を読むというのは
よほどだろう。推測するに料理、犬、猫あたりは共通の話題も多そうなので奥さんたちにはつながりができそう。
自分は他人に読んでもらうつもりというより友人にも教えていないので、検索に引っかかったとき見られるくらいだろう。
映画や文学もまったくマイナーなものばかり書いてるわけではないが、
普通に生活している人がエズラ・パウンドという名前を聞くことはあまりないと思う。
「スターウォーズ」や「沈黙の・・」シリーズ系の映画が好きな人には縁のない、かといって熱心なファンもいるルキノ・ヴィスコンティ。
亡くなったときはちょっとしたブームになって、リバイバルもされたし、テレビでも放映された。
その「ベニスに死す」トーマス・マンの短編はどうということない小説のように思えたが、映画は小説家を作曲家にして
しかもマーラーそっくりのメイク、子どもが死ぬ話まで入れ、音楽は交響曲の5番4楽章を中心に3番も使い、
知らない人はマーラーの話かと思ってしまうような映画。清張の「砂の器」とかたいしたことない小説を作り替えてしまうというのは
よくあること。デヴィッド・リーンの「ドクトル・ジバゴ」感動して小説読んだら、たいしてつまらないと思ったこともあった。
小説を読むというのはそれぞれイメージがあり、進むにしたがって膨らんでいく。小説のストーリーを変えないでそのまま映像化すると
膨らむ部分を削ってしまうことになり、それがつまらなくさせる原因になるのではと思う。最たるものはヴィスコンティの「異邦人」
映画は決して小説の映像化ではない。そういいながら「失われた時を求めて」の全篇映像化なんて観てみたいと思うのだが。