And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

シンバルのためのデュエット

2015-12-16 09:01:24 | 日記
昔、鍵谷幸信という慶応の先生が音楽エッセイを書いていた。ジャンルは現代音楽とジャズ。「春の祭典」を聴きまくってあれがこれがとか、「句読点のないサウンド」という題でまだ有名になる前のミニマルミュージックを紹介したり自分の好きなジャンル限定で書くのはいいが、セシル・テイラーを褒めてその対照としてオスカー・ピーターソンをけなしたりとか、よく言えば個性のある悪くいえば偏見に満ちた文章だったが、文章はうまくてつい引き込まれて読んでしまった。周りから人間的にもクセのあるように書かれていたからいい印象はないのだが、音楽エッセイの中で自分の専門の西脇順三郎、エリオット、W・C・ウィリアムズなどをうまく引用したので、こちらも西脇って誰と調べたりするようになった。そういう面では自分だけではなく、文章を読んでアメリカ現代詩に興味を持った読者はたくさんいただろう。音楽を利用して自分の専門を広めた意味ではその分野で感謝されてもいいのかもしれない。反発しながらも文章読んでいたけれど別に思い出したい訳ではない、ジョン・ケージのことを書こうと思って思いついただけだ。ケージはこの先生の文章読む前から知っていた。前にも書いたかもしれないが、ケージのレコード買って針おろしたとき中身違ったレコードはいってると思った。突然新世界の第4楽章が鳴りだしたから。ブーレーズ指揮で弦楽六重奏版「浄夜」を聴いたときあっ回転数間違ったと思ったのと同じ衝撃だった。今はもう歳もとって現代音楽でもちょっとやそっとじゃ驚かないが、何かに触れて驚くことができる年代に羨ましさを感じる。ケージを日本に紹介した作曲家一柳慧、奥さんだったのがオノヨーコでそのヨーコから影響を受けたジョン・レノンが「レボリューション9」というケージのテープ音楽のイミテーションみたいなのを作った。それ自体はくだらないと思うのだが、ビートルズの名前で出したかったというレノンの話には納得できる。ジョン・レノン名義で出したって何の意味もない。ケージで一番有名なピアノの前に黙って座って、人のざわつく声や周りから聞こえる音を『音楽』とした「4分33秒」がレコードになったときもびっくりした。そのレコードには「ラジオ音楽」や「マース・カニンガムの62メゾスティックス」のような個性的な音楽も入っていたから、なおさら衝撃だった。もちろん普通のレコード店にはなく、池袋のアールヴィヴァンで買ったと思う。そのマース・カニンガムの曲すごいのはケージも現代音楽も知らなくても、聴けば誰もが大笑いすること。未来派音楽の音声詩のようなもの。現代音楽も相当いろいろなレコードを買ったがクセナキス、リゲティなど有名どこを除くとほぼつまらなく、大半はゴミだったこと。ジョン・レノンが初期にオノ・ヨーコと作ったものなどゴミ以下。大半の人にはケージもゴミだろう。自分にはテレビで流れる品のない音楽よりずっと優しく聞こえるのだが。