And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

わたしたちは時のメリーゴーランドにつかまったまま引き返すこともできず

2017-03-20 08:51:31 | 日記
たまたま映画「Uボート」を観た。3時間超えるディレクターズカットだったけれど、連休前だからゆっくり観ようと。原作者の体験を元にと解説にあったので、ということは帰還したのかと思いUボートの悲劇は戦争後半ほとんど戻ることが出来なかったことなのにと観る前から結末を知ったような気がした。けれどハリウッド映画と違い勝った勝ったで終わるのではないだろうという予測はあったが、逆にあの終わり方は無理があった。思うに結末はどうでもいい映画。潜水艦の中の息詰まる様子を味わうこと。要するに観ていて楽しくもなんともない映画。それならかつての「眼下の敵」のほうがずっといい。でも思うのは戦争というのは「眼下の敵」のような美しいものではない。「Uボート」が現実なのだと。日本でも玉砕なんかせず生きて家族に会いたいと思っていた兵士もたくさんいたはず。それを無謀な指揮官のために犬死にさせられてそれを指示した将軍、政治家は戦後悠々と生きながらえている。そんな戦争の反省を描いた日本映画はない。戦後になっても国のために死んでいくのは美しいなんて映画がまだ作られるくらい。まあ地球を守るなんていうクソSF映画以外、戦争映画はもう滅びた。西部劇もしかり。ハリウッドはあいかわらずボーイミーツガールのハッピーエンド。最近本はといえば高遠訳「失われた時を求めて」が半分以上いってとまっている。「失われた時を求めて」はどこでとまろうが話がわからなくなることはないので、いつでも再開できる。この間何かのきっかけでフレドリック・ブラウンの「狂った星座」を読みたくなり、それの入った短編集「宇宙をぼくの手の上に」を買おうとしたら絶版。創元推理文庫のブラウンはいつも全部出てるのだと思っていたからちょっと驚いた。アマゾンで探すと安くきれいな本が手に入った。実はサンリオ文庫の「フレドリック・ブラウン傑作集」に入っていて持っているのだが、あまりに字が小さくしかも古いので紙も茶色くなり、これでは読めないと創元を買った。創元も小さいがサンリオよりはまだまし。例によって短編は2,3読んだらそれ以上読むのが面倒になる。チェーホフも全部買ってみたものの進まず。書店で文庫の「悪魔の辞典」見て懐かしく思って買った。昔完訳版というのを買ったのだけれど人にあげてしまった。これは辞典とはいえ最初から読むものなのだろうなと今になってわかった。しかしこれも短編と一緒で何ページかめくって面白いなと思ってそれで終わりだろう。ショスタコーヴィチは7,8枚買ってしまったのでもう終わりにしなければと思いながらヤルヴィを全部揃えようかと注文。ブルックナー、マーラーの隣に並べあと何年後に聴くのだろう。マレーヴィチに思いを寄せながら。

狂った星座

2017-03-11 22:21:43 | 日記
最近ブログを書く間隔が空いてきた。たいして新鮮なこともないというのもある。この間の続きでショスタコーヴィチを聴いているが、政府にコントロールされた音楽など面白いわけないと思いながら聴いているので夢中になれるわけがない。ただタワーレコードで復刻されたプレヴィンのショスタコーヴィチが廃盤になりそうだから買っておくかと。コレクターにとって限定とかなくなるという言葉に弱い。実際また今度にしておこうというものに限ってなくなり、しばらく手に入らなくなる。そう思って買っておくといつまでも出ているし。前にも書いたが高橋アキが80年代に出したサティ全集、30年経っても今だ再発されず。海外演奏家はみんなボックスにして安く出ているというのに。三枝成彰の「ラジエーションミサ」レコードで持っていたのでCDになったとき買わなかったら、すぐ廃盤になってそれもずっと出なかった。また紙ジャケットになってCD化されたのが2,3年前だからこれも30年くらい廃盤になったままだった。まだ一度でもCDになっていれば探せるけど、まだまだジャズなどではCDにならないレコードはある。オーネット・コールマンのインパルス盤だけがCDにならないとか、ギル・エヴァンスのRCAから出たライブとか。アーカイブシリーズでやっと「いちご白書」もDVDになったけれど、画像悪いのは我慢しろということか。ポール・サイモンの「セントラルパーク・コンサート」もどういうわけかDVDにならない。ジャズの有名ミュージシャンが出ているから版権の問題か。ペリー・メイスン7から9まで出ていて1から6はどうした?シービュー号を6巻も出してどうする?ヒットしなくてすぐ打ち切りになったという猿の惑星のテレビ版も今は出ていないようだ。昔もテレビで観たがストーリーが煮詰まってしまうだろうというのは予測がついた。昔観たもので日本でDVDになっていないアメリカドラマはたくさんある。その中でも好きだった「タイムトンネル」と「スパイ大作戦」がDVDになったときはうれしかった。「タイムトンネル」のLDは前に割といい値段でオークションで落としたからそれが無駄になったが、もうレーザーディスクのハードが壊れたら観ることが出来なくなってしまうのだから仕方がない。LPと同じ大きさ半面に1時間しか入らないのだから今思うと不便だが、ビデオ時代はとてもありがたかった。レンタルのLDもあったくらい。今ならまだ1枚50円で引き取ってくれるところあるけれど、そして置いてあっても観ることはないが前も書いたようにそのスペースが空いたところでレコード以外に入れられないし、レコードもそんな買う予定もないからそのままにしておく。昔フランス人は日本人のことを猿の惑星と呼んだが、今はパリに来る日本人を中国人と呼ぶ。それでも若い姉ちゃんたちはパリに行ってきたのと自慢する。よかったよねパリは戦争の被害受けなくて。腰抜けがすぐ降伏したおかげで。

かんたんに燃える原稿

2017-03-04 16:44:08 | 日記
忠臣蔵に一時期夢中になったときがあって、何度も観もしないのにDVDを何枚も買ったことがあった。テレビの録画も含めると5、6本は観たのではないだろうか。筋は知っていてもどれもそこそこ楽しめる。でふと思った。自分が作らせてもらえるなら大石をテロリストにして、とてもいい人だった吉良を惨殺するというのはどうだろうと。どうも同じ見方というのは面白くない。ペキンパーの「戦争のはらわた」たいした映画ではなかったけれど、ドイツ軍が主役というのは珍しかった。戦争映画でそれ以外に観たことない。もちろん他にもあるのだろうが。戦争はすべてそうだ。勝った方が主役になるのは。スターリンがした悪いことは暴かれてもアメリカ、イギリスは常に善人ばかりで正しいことをしてきたとベトナム戦争まではなっていた。日本もドキュメンタリーでは取り上げられることがあるが軍人を悪く描く映画はない。それどころか今だ英雄視した映画が作られることがある。愛は死にますかだ。まあインパール作戦を映画にしたところで楽しくないだろうが、アメリカでは、アホなアメリカ人でさえ「プラトーン」のような映画を作る人もいる。「アメリカン・スナイパー」を観たとき、「ディア・ハンター」を思い出した。アメリカは常に正義で相手は悪なのだ。それは当たり前かもしれない。戦争は殺し合うものだし、正しい殺し方などないのだから。ただ「アメリカン・スナイパー」では戦争に行って心身おかしくなる人々が少なくないことも描いているのは救いだ。勝った負けた以外のことを描いている日本の戦争映画は観たことない。「真空地帯」や「人間の条件」で軍隊のリンチが少し出てくるくらい。「人間の条件」より「戦争と人間」のほうが史実にそった内容だったので面白かった。それらの映画はまだ山本五十六がどうのという映画よりはましだが、スピルバーグとハンクスが作った「ザ・パシフィック」に比べたらホームドラマみたいなものだ。ショスタコーヴィチは政府のいいなりに気に入る音楽ばかり作った作曲家という目で見られていたが「ショスタコーヴィチの証言」で見直されたこともあった。またそれが偽物どうのこうのと二転三転したけれど、実際はスターリンに処刑されなかったのだからうまくやったのだろう。ブルガーコフやザミャーチンとは違う。最近ショスタコーヴィチを何となく聴いてみようかという波になっていても、バルトークが「管弦楽のための協奏曲」でショスタコーヴィチをあざ笑ったメロディがいつも思い浮かぶ。やはり好きになれない。と思ってももう2,3枚たぶん聴きもしないであろうショスタコーヴィチのCDを注文してしまった。棚の奥に何枚もショスタコーヴィチの交響曲や弦楽四重奏のCD入っているのに。

君の名はアルバート・アイラー

2017-03-01 08:35:58 | 日記
カーペンターズは当時馬鹿にしていて「ナウアンドゼン」以外聴くこともなかったしレコードも買うことなどなかったが、最初の「涙の乗車券」を聴きたくて紙ジャケット復刻CDを買った。当時はLP出た当初は国内盤出なくて「遙かなる影」がヒットして日本独自にそれをLPに入れて「遙かなる影」という題で出したという。しかも最初ののオリジナルジャケットはセンスのない記念撮影みたいなものだったので後に変えさせた。それが全部紙ジャケットCDに含まれているのだから音楽聴く以前に楽しい。時代はもうビートルズの時のようにレコード会社が曲を勝手に入れ替えてという時代ではなかったが、まだそういうことがあった。狂ったように日本でヒットしたポルナレフの「シェリーに口づけ」も同じようにLPに入れた。カーペンターズは2枚目のLPに「遙かなる影」をいれて題もそれに。日本ではまた使えないので「愛のプレリュード」。その一昔前、デル・シャノンの「悲しき街角」がヒットしたら、次から出る曲片っ端から「街角」つけた。ビートルズは極めつけ「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」まだ映画の題として我慢できるかもしれないけど、「A Hard Days Night」にもその題名つけたのだから。今度のビートルズの新曲いいよな「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」。いくら半世紀前とはいえ恥ずかしい気持ちは同じだろう。ビートルズは個々の曲でも大笑い邦題があるがそれを言ったらきりがない。それに比べると映画の邦題は原題以上というのがよくある。トリュフォーの「突然炎のごとく」原題は「ジュールとジム」でそんな題だと誰も観に行かない。トリュフォーは訳のわからない題だといってたらしいが、プライドの高いフランス人は特に東洋人なんかに自分の作品変えられたくないという姑息な心があるのだろう。「ボニーアンドクライド」が「俺たちに明日はない」。「ブッチ・キャシディ・アンド・サンダンス・キッド」が「明日に向かって撃て」。「廃馬は撃つだろう?」が「ひとりぼっちの青春」。アメリカンニューシネマばかりになったが、古くはデュヴィヴィエの「望郷」原題は「船乗りのぺぺ」だろうか。メル・ブルックスの「高所恐怖症」を「新サイコ」くらいは仕方ない。ニューシネマで恥ずかしい題は「真夜中のカーボーイ」牛でなくてなぜか車になっている。そしてそういう題はなかなか直されない。「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」だってやっと最近になってなくなった。遅くとも最初にCD化なったときに直されるべき。たぶんそのときはそのまぬけな題をつけたやつがまだ会社にいてとかそういう理由かもしれないが、いまだに「こいつ」とか「恋を抱きしめよう」なんてのも残っている。さすがに小説は適当な題はない。ただ最初に読んだ「失われた時を求めて」は共同訳で「スワン家のほう」が「スワンの恋」、「ゲルマントの方」が「ゲルマント公爵夫人」になっていたが、それは珍しいほうか。それも意味がわからん。