「ショッキング・ブルー、ライブインジャパン」なんていう珍しいものがCDになった。日本盤ではないのにレコードジャケットの日本語曲名そのままで。日本でCD化されるならわかるが、こんなのがよくCD復刻されるものだ。ショッキングブルーはヴィーナス、悲しき鉄道員など聴いたので懐かしくつい買ってしまった。他にも悲しき恋心、ショッキング・ユーなんか知ってるなと思い、アメリカではヴィーナス一発で終わりだったけど日本では曲調がマイナーで合っていたのかもしれない。ネットで見ていたら彼らは日本嫌いだったと。当たり前だ。この頃のやつらはー今もそうかもしれないがー日本が好きでどころか東洋人は自分たちのずっと下と思っていたのだから。一人でも父親が日本の捕虜になったことあるなんてのがいたらなおさら。それこそ猿の惑星。猿としか見ていない。レッド・ツェッペリンが日本のホテルを刀でめちゃくちゃにしていっただとか、どうせ英語わからないだろうからと、このまぬけどもと叫んだら、のってるのかと思って歓声起きたとか、マウンテンのレスリー・ウエストが前日の飲み過ぎで立っていられなくなって寝転がってギター弾いたら、それものってるのかと思って歓声おきたとか日本を馬鹿にしたネタはロックで数多い。リッチー・ブラックモアが壊すギターは日本製。ライブインジャパンは欧米ではメイドインジャパンと当時馬鹿にされていた日本商品にひっかける。決してショッキング・ブルーだけが日本を嫌いだったわけではない。それに比べるとジャズは真剣に演奏していくことが多い。もちろん全部とはいえないだろうが、間違いなく日本人はアメリカより真剣に聴いてくれる。コルトレーンのライブインジャパンなどアメリカ人にはわからないだろう。キース・ジャレットなどECMになってから日本のライブ盤は数多い。それに比べチック・コリアは日本ライブ盤少ない。ビル・エヴァンスの有名なヴィレッジ・バンガード・ライブ。音がよくて客の話し声、グラスの音まで聞こえ、真剣になんか聴いてなくて、酒飲んでくつろいでる。それを日本のジャズ喫茶では話一つせず、皆が耳を傾ける。ソニー・クラークの「クール・ストラッティン」アメリカのジャズファンには知られていないというが、日本のジャズファンなら誰でも知っている。ブレイキーやコルトレーンが日本に来て大歓迎受けて驚いた話とか。でも50年代60年代に活躍したミュージシャンがいなくなると、一気にジャズは冷え込んでしまった。ジャズファンは今でもジャズ喫茶にこもりマイルスやエヴァンスを聴いている。でもいいさ、70のポールが歌うイエスタデイなんか聴きに行きたくない。
レコード芸術に連載されていた名曲名盤が1冊の本で出た。中身は前と同じなので驚くものはないが改めてバッハは未だリヒターで無伴奏チェロはカザルス?、前よりましになったが弦楽四重奏は何でもアルバンベルク?、こんな順位信用していないけれど初心者がその通り買ったら絶対クラシック嫌いになる。ピアノはポリーニ、アルゲリッチでブルックナーはヴァント。まだ第九はフルトヴェングラーでなければだめなの?挙げた演奏家、もちろんいい演奏もある。ただ全部がいいわけではない。特に評論家はアルバンベルク四重奏団とポリーニは好きなようでほぼみんな1位にしている。アルバンベルク四重奏団はデビュー当時レコードも買って聴いたし、ポリーニも70年代のショパン、ベートーヴェン、バルトークは鮮烈だった。でもすべて推薦盤にするのは恐れ入る。だからいつもほとんどの音楽評論家は馬鹿にされる。逆にバッハの鍵盤はみなグールドだが自分もグールドばかりというのもあるので好みだろうと言われるかもしれないが、好みでいわなくてもグールドのバッハは初めての人が聴いても引き込まれるだろうし、アルバンベルク四重奏団のベートーヴェンはあくびが出る。もう大オーケストラでバッハやハイドン聴きたくないんだ。クレーメルとアルゲリッチの完璧なヴァイオリンソナタなんてうんざり。これもだめであれもだめと思うから同じ曲を何種類も買ってしまって、結局聴くのはせいぜい2種類くらい。前に春の祭典ばかり30種類くらい入れたボックスが出た。なるほどなんで今までこういうのが出なかったのだろうと思った。自分もレコードの時、春の祭典を何枚も買い集めたことがあり同じことをしていた人も多かったのでは。でもあれは特殊な曲であって運命30種類もボックスではいらない。バッハは好きなのでマタイ受難曲も10種類くらいあるけれど、いつも聴き比べるわけではない。通して聴くこと自体難しい。イースター前でも今日は1枚聴いてあと明日とか。それでもレコードのときは4枚組だったので、まだ聴きやすいはずなのだけれど。レコードのときは買うことなかったチャーリー・パーカー。CDになったら好きにテイク飛ばして聴けると思ったが意外と最初から飛ばざすに聴いてしまう。その何年間でジャズの聴き方が変わったというのもあるけれど、レコードは曲を飛ばすのが面倒、CDは簡単という心の余裕が聴き方も変えているのかもしれない。同じ意味でレコードではマタイ受難曲もいい曲ではあるけれど、聴くことに決意がいる。CDにしても長いけれど好きなところで止めて、ではまた明日とできるところに聴き方も変わってきた。女嫌いではないけれど、マタイ受難曲やフォーレのレクイエムは男性だけの合唱がいい。そういう曲で色っぽいソプラノ、アルト出てきてほしくないから。
連休、何もすることがないので退屈しのぎに観るのをやめた「LOST」をまた観ることにした。レビューに面白いのだけど、遭難の緊迫感がなくてキャンプでもしてるようと評があって、その通りと思った。機体がバラバラになったのに怪我ひとつしない生存者が何人もというところからしておとぎ話。この程度でヒットするんだ。「宇宙家族ロビンソン」の現代版か。同じおとぎ話でも刑事物のほうが楽しいかなと思うが「リーサル・ウエポン」テレビ版は最悪。白人黒人で組めば同じになるとても思っているのだろうか。それでも「LOST」は暇つぶしと観続けられるだけまし。「リーサル・ウエポン」は途中からたまっていた録画を消してしまった。連休天気がいいとじっとしているのは損と本も読めなくなってしまう。「大黒屋光太夫」もロシアに着く前にストップ。川端康成の「山の音」も買ってしばらく経つがそのまま。そんなこと書いているうちに連休も終わり。「大黒屋光太夫」を再開したら「エト・チョワ」がこれ何のロシア語と。「シトー・エタ」(ЧtoЭto)ではないのかとちょっとロシア語やってるので疑問に思ったり。大黒屋光太夫に興味持ったのは元々ロシア語講座で日本で初めてロシア語辞書を作った人と聞いてから。読んでいくとなかなか面白い。逆に映画が何であんなに面白くなくなかったのだろうと思う。映画は井上靖の「おろしや国酔夢譚」のほうを原作としているので、かといってその原作も面白くないはずもなく、吉村昭の「大黒屋光太夫」を読み終わったら「おろしや国酔夢譚」も読まないとだめかと考えた。来月のドイツまであと1ヶ月。そろそろ持って行くものの準備をしなければと思っても、いろいろなことを考えてうきうきした気分にもなれない。すべてを忘れて旅行へ行ける日が来るのだろうか。それより今何とかでも行けるほうが幸せなのだ。何年も前だが飛行機で暇つぶしに何かドラマでも観ようとつけたのが「バーン・ノーティス」後半は話が暗くなって惰性で観たが、最初の頃は何も考えず楽しく観ることができた。映画は絶対家では観ないけど1本観ると2時間つぶれると思って観る映画が多いけれど「鑑定士と顔のない依頼人」とか「SPY」のように面白くて、帰ってきてDVDになるの待って買ったものもある。飛行機は昔好きだったけれど、今は隣に他人が座っていて何時間もというのが嫌になる。「SPY」で女主人公がセレブ女性にプライベートジェット乗せてもらって、すごい私プレミアムエコノミーしか乗ったことないというとああ動物園の檻みたいのねと言われるシーン、笑ったけどまさしくそうかもしれない。それでも外国一人旅は檻が一番安全かもしれない。飛行機から降りるとジャングルが待っているのだから。