And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

野生の骨董室

2017-08-30 11:34:43 | 日記
バルビエのサティ、輸入盤CDになってやっとインデックスも細かくなり、音もよくなったのだけれど、やはり国内盤でCD化された時のオリジナルジャケットに惹かれる。レコードでボックス持っていたことが当然そう思わせる。フランス語の題名見てもいまいちぴんとこないし。今でもサティは高橋アキもいいけれどバルビエかなと思っている。高橋アキはテーマ別に8枚に入っていてバルビエより曲数多いのだけれど、1枚聴いてみようと思う。バルビエは年代順に並べてあるので味気なくて最初のほうしか聴かなくなる。キース・ジャレットがケルンコンサートみたいな音楽ばかりではないのと同じくサティもジムノペディ、グノシェンヌだけの作曲家ではないけれど、たいていはそれだけ聴いて私サティ好きと言ってる人が多い。ルネ・クレールの「幕間」にサティが出ていて確かLDでは出ていたのではと思う。持っているはずなのだが、例によって奥に入っているので探す手間を考えると確かと書いたほうが楽。クレールは全部ソフト化されていないのですべてではないが、手に入る物は全部DVDまたはLDである。と書いてちょっと調べたら「幕間」はDVDでも出ていた。探さなくてよかった。サティーデュシャンーケージは学生の時夢中になっていて今でも聴いたり観たりしている。デュシャンはストックホルムの美術館にあってびっくり。常設かどうかはわからない。3人とも戦争を通り抜けている。そういう時代を通り抜けなければ芸術も新しくならないのだろうか。ジョン・レノンの歌も平和ぼけしている今では真剣に聴く人もいまい。それより一緒についてくるヨーコがいやで聴かないという人も多いのでは。元々音楽も勉強している前衛芸術家なのででたらめに奇声を発しているわけではないというのはわかるけど、ジョン・レノンの音楽の中に入ってこないでくれとたぶん全世界のファンは思っていただろう。別にファンではなかったが、ポール・マッカートニーに比べたらまだ何曲か聴ける曲があるくらい。フラワー・ジェネレーションの時代。ハリウッドも唯一まともなアメリカン・ニューシネマが出てきて、音楽はウッドストック。しかしロバート・ケネディは暗殺され、ニクソンのクソが大統領に。70年代われらの時代だったのに何をしていたのだろう。薄暗いジャズ喫茶、大江健三郎、マイルス、ポリーニ、ニューヨーカー短編集。やはりウッディ・アレンに賛成。古き良き時代なんてどこにもない。

悩み多き人々

2017-08-22 20:15:40 | 日記
そこそこの値段だったので、分厚い解説書を読みたいために昔出たドラティのハイドン交響曲全集を中古で買った。出た当初8万いくらの値段が付いている。その値段で買っていた人は相当好きで金に余裕のある人だったのだろうと普通に想像する。確かその昔レコードで出たときもそれくらいの値段がして、今の感覚なら10万以上になるだろう。クラシック雑誌で見て同じような曲100曲も聴くやついるんだと思っていた。それからずっとハイドンは馬鹿にする材料でしかなかったのだが、クイケンで聴いたときにハイドン聴けるなと思った。要するに古楽器小編成になってやっと本来の良さがわかるようになった。70年代にコレギウム・アウレウム合奏団のベートーヴェンとか出てきた頃から交響曲も古楽器小編成が一般的になってきたように思う。80年代ホグウッドのモーツァルトから一気に増え出して、嫌いなモーツァルトも聴けるようになった。このドラティは普通の編成なのだが抵抗なく聴ける。抵抗なくというのは曲を聴き分けるのではなく流していて飽きないという意味。ベームのモーツァルトならば飽きてしまう。とはいえ今まで3枚聴いて全部後半寝てしまった。それと対照的なのがロスコー・ミッチェルの新譜。いくらECMとはえ、今こういうフリージャズを出せるんだと驚いた。なかなかジャズの新譜は買うことなくなった。キース、チックも最近新譜出さないし、初CD化というのもないしマイルスのブートも買い尽くした。すると何を買えばいいんだ。それで何気なくネットを見ていてロックで名前は知ってるけど買うことのなかったものをこれはどうだったのだろうと衝動的に注文してみるが、昔聴いたものなら思い入れもあるから聴けるんだということを分からされる。それも4枚5枚となると非常にもったいない。衝動的につい買ってしまうのがネットだ。店なら絶対買わないだろう。「プリズン・ブレイク5」をCSで放映したので録画。死んだ人間を生き返らせたりと筋としては最低だけど、シーズン1からつい観てしまう。脱獄だけでよく続いたと感心する。「パーソン・オブ・インタレスト」はシーズン3に入ってマンネリを防ぐためか登場人物を増やして筋を複雑にしたが、それでかえってドラマが安っぽくなった。もうそれまでの期待感はなくなったけれど、それでもそこらの刑事物ドラマよりはずっと面白い。フィッシャーのハイドン交響曲全集まで買ってしまって、これでデイビス、ホグウッドと聴き分け。こんなハイドンあってどうするんだろうと思うが、ジャズの欲しいのがないからこんな余計なハイドン、聴きもしないロックまで買ってしまうのか。

息に向かって予言せよ

2017-08-13 16:01:21 | 日記
これまた好きでなくてほとんど聴くことないパット・メセニー。唯一好きなのが「ラスト・トレイン・ホーム」これの入っているアルバム聴こうと思っても、結局これ1曲で止めてしまう。だいたい眩しい青空に合う音楽など聴かないから、車に乗って「アセンション」聴くとかして車内を曇り空にしてしまう。フュージョン系は例外なく嫌い。航空ラウンジで外を見てるとなんかパット・メセニーを聴きたくなった。聴いているとたまにシューベルトを聴いたときのような後悔が湧き出てくる。家で聴かないからいいじゃないかとも思うのだが、その時間を損したような気がして。この間のホロヴィッツのチャイコフスキー、正規盤で聴くとよくわからないのでプライベート盤も買って聴いたら何か違う。最後の問題の箇所、正規盤で編集したのではないだろうか。録音しておいて半世紀も出さなかったのだから問題があったことは確か。それでも編集すれば出せたはず。それを今更編集というのは不思議。ともかくともかくこれとリヒテルの「熱情」ライブ、こんなすさまじいライブ盤はもう聴けない。きれいに編集した演奏で感動できると思っているのだろうか。コンサートに行っても記憶は消えてしまう。たまに自分が行ったコンサートがライブ盤になってもそうだったかすら覚えていない。「失われた時を求めて」再開。しばらく読んでいなくてもわからなくなるとかないので安心。ドストエフスキーなど中断すると前の話が全くわからなくなってしまう。逆にここでスワンの死が出てきたかとか新鮮な気持ちを持って読める。成瀬巳喜男の「山の音」観て川端康成読もうと思って買ったのだがそのまま。映画たいしたことないと思ったのが読む気をなくしたのか。あいかわらず面白くて観終わるのが惜しい「パーソンオブインタレスト」この間観たエピソードで記憶をなくしかけた科学者が出てきた。妻は20年も連れ添って自分のことがわからないと嘆く。ここからはネタバレになってしまうが、男はふと記憶がよみがえった。妻は2年前に死んだ。その女は誰だ。記憶、時間を考えるときにいつも思い出すのが「禁じられた遊び」女の子は目の前で両親が死んでも呆然とするだけ。それがラスト雑踏で拾われた家族の男の子ミッシェルの名前を聞いてミッシェル、ミッシェルと呼んで探すのだが、それがママ、ママと変わって泣きながら消えていく。そこまで涙を残す感性。LDも買ってDVDも持っているがもう何十年も観てないし、これからも観ることはないだろう。こんな映画は日本人にもアメリカ人にも作れない。
ひからびた岩には水の音もない。ただ
この赤い岩の下に影があるだけだ。


葬儀を終えた棺桶

2017-08-05 23:33:28 | 日記
「パーソン・オブ・インタレスト」もシーズン3になると筋も複雑になってきて、レギュラーも増えるがそれは仕方ないことだ。最初のまま続けていたらマンネリになるから。それでも数多くある刑事物に比べたら断然面白い。他にも何かないかと探しても、たとえば「メンタリスト」は主役はいいけどその仲間がなじめないと「NCIS:LA」など俳優がチープのようにどうもつまらない。「ホワイトカラー」は1話だけで観るのをやめた。刑事物でも「クローザー」「コールドケース」などは脚本もよくまわりの俳優もしっかり脇を固めているのでのめり込んでいける。そこがつまらないドラマとの違い。それでも「24」は別格として「LOST」のようにつまらないと思いながらも最終シーズンまで観てしまうというドラマは少ない。やはり昔はよかったねで「ペリー・メイスン」「コンバット」「宇宙大作戦」「スパイ大作戦」「タイムトンネル」あたりだとDVDを買って、しかもあっという間に観終わる。「宇宙家族ロビンソン」や「特攻野郎Aチーム」のように今観ると腹立たしいのもいくつかあるのだけれど。
久しぶりにハイフェッツのコンプリートボックスから1枚聴いた。ヴァイオリニストを目指す人たちはこれを聴いてどう思うのだろう。自分たちが届くことのない演奏を聴かされて。ヴァイオリンに触ったこともない自分がわかる。誰も届くことのない世界にいると。曲によってはオイストラフがいい、ミルシテイン、スターンがいいはある。でも好みなどどうでもいいと思えてくる。滅多に聴くことのないチャイコフスキー、ピアノ協奏曲1番もセルとやったホロヴィッツの演奏だと最後まで聴いてしまう。なぜこんなすごい演奏がずっと正規で出なかったのだろう。こんな演奏をするから歳取って普通のピアニストになっても観客は熱狂する。クラシックではそう驚くようなライブ盤に巡り合うことないから。裏返せばこれくらいの演奏でないとチャイコフスキーのピアノ協奏曲は聴かない。今は録音が発達した分いくらでもごまかせるので、もうハイフェッツ、ホロヴィッツのような聴いてすごいと思う演奏に当たることはないだろう。どんなすごいシーンだってCGだとわかってるから感動しないのと一緒で。ジャズはもう何年も前から有望な演奏家はいなくなり音楽もつまらなくなったが、クラシックもデジタルでごまかす演奏ばかりだと先はない。そんな演奏ばかり推薦する評論家わかっているのだろうか。アルバン・ベルク四重奏団ばかり推薦していたのではファンは離れていくと。