And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

ユージン斧を振り下ろせ!

2014-09-29 20:16:56 | 日記
何十年も前、予備校で国語の先生が今の学生で大江健三郎を読まないのはモグリだと言ったのを未だ覚えている。
もちろんノーベル賞取るずっと前だ。それから大江健三郎という名を気にしていたので文庫で読んだかもしれない。
そのあとまた大江の名が出てきたのが、大学の文学サークルで「政治少年死す」を読もうと先輩がコピーを持ってきたときだ。
いまだそうだが、その当時も著作集などにも入れられず雑誌のコピーなどでしか読めなかった。読むとこれが何で今でも出版できないんだと思った。
深沢七郎のほうが、雑誌にせよよく出版できたなという内容だったように覚えている。
「新しい人よ眼ざめよ」を読んでウィリアム・ブレイクに興味持ったりしたので新刊が出ると何度か買ったが、そう夢中になって読めなかった。
というより途中で投げ出したのもあった。そこが新刊出るたびに本屋に山積みになる流行作家村上某とは違うところか。
それより面白く興味持ったのが評論。「飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か?」とゼミで友人同士で真剣に話ができるのはあの頃だけだったのだろう。
たぶん大江の原点がサルトルで、自分が学生の時サルトルが死んだとニュース流れたので生きてる間にサルトル読んだのだから自分は最後のサルトル世代と自負したところで「嘔吐」がいいというくらいでは「存在と無」何ページ読んだのと言われそうだが。
人生の中で彼と彼女がいて楽しく過ごしたと思い出すときがあるが、それは同じメンバーが揃ったところで決して再現されず記憶の中で美化されるだけある。
ロックミュージックでよくあるー売れる、エゴが出る、けんか別れする、バラでは売れない、昔のメンバーで売れた頃の曲を演奏するというのも
このメンバーが最高だと歳も時代も考えず喝采を送るバカファンに金儲けだけのためと割り切って演奏するのか、あの頃に戻れると真面目に思ってるバカはミュージシャンにもいるのか。
これまでの人生の思い出以上の体験をこれからすることはないだろう。世界一周できたところで20代の感性は取り戻すことができないから。感性の錆びは自分ではどうすることもできない。かといって昔話をするのはごめんだ。本の中だけが自分を取り戻すことができる。
「大江健三郎よ、再び軍服を着て、子供を飢えさせる敵を撃ちたおしに出発してくれ」

モーツァルト・ミックス

2014-09-26 14:04:50 | 日記
今日新聞にクリストファー・ホグウッドの死亡が出ていた。ハイドン交響曲全集も完成することなく終わった。
ホグウッドといえばモーツァルトの交響曲全集でセンセーションを巻き起こした。
その頃国内盤の組ものはーもちろんレコードー枚数×2500円でしかも1枚に交響曲モーツァルトなら2曲か初期ので3曲くらいだろうからやたら高くなった。
モーツァルトは嫌いだったけれど、当時の演奏スタイルを再現するという今では当たり前の古楽器演奏が新鮮でこれなら聴けると思った。
演奏技術その他の発達で今では逆に古めかしい演奏になってしまったが、ブリュッヘンのような古楽器でもこぶしを入れたような演奏より好きだ。
CDになって輸入盤で何枚かづつ集めていたけど、解説がほしくて高い国内盤を買った。変にリズムやアクセントを変えるわけではなく、感情のないモーツァルトと言ってもいいのだろうか。推薦盤で聴けとワルターなんか聴いてしまったのがモーツァルト嫌いになる原因だったのかもしれない。
ピアノ協奏曲は映画音楽のようで、割と聴いたがもう飽きた。クラリネット五重奏は半年に1度くらい聴く。
ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲の2楽章はヴィスコンティの映画音楽として聴く。
とにかくモーツァルトは嫌いなので文章も進まない。それなら書かないほうがよかったか。

日曜日に耕す

2014-09-25 12:30:21 | 日記
この間「コンバット」のDVDを観て、リック・ジェイソンもビック・モローも出ない回があるのに驚いた。
「奥様は魔女」でサマンサが出ないことあったか?「宇宙大作戦」でミスタースポックが出ないことあったか?
カラーになったころはマンネリで中身のない本になっているのもあるが、少なくとも最初のシーズンは脚本が今観てもどれも新鮮。
戦後の戦争映画で連合国は正義の味方で、やましいことなどないもない、ドイツは虐殺レイプを繰り替えした極悪非道な人間たちという図式に
ドイツ人だって「同じ食いものを食い、同じ刃物で傷つき、同じ病気にかかり、同じ薬でなおり、同じ冬の寒さ、夏の暑さを感じ」たりするというのを
やっと映像で表現できるようになったのではないか。ドイツ人を対等に扱っているものはそれでも少ないが、ヒーローが悪役をぶちのめす話ではない。
戦争という新興宗教を操る政治家に集団催眠術をかれられ、ユダヤ人を虐殺するのは正しい、中国人を虐殺するのは正しい、小林多喜二を殺すのは正しいという世界があったことまで表現する必要はないので、せめて誰でも殴られたら痛いし、刃物で切られたら誰でも血が出ることが表現できたことはテレビにも少しは良識があったということか。
元々コンバットは撃ち合う話ではないのは知っているのだが、主役を出さずに成り立つドラマ、正直驚いた。戦争に主人公などいない。


勝者には何もやるな

2014-09-22 14:01:54 | 日記
映画俳優はいつでもあこがれ。時代によってヒーローは変わる。
自分たちの時代は、スティーブ・マックイーンとポール・ニューマン。
よく言われたのが、マックイーンは成功してにやりとするのがいい、ニューマンは失敗してにやりとするのがいいと。ニューマンは若い頃マーロン・ブランドに似てる、まねしてると言われ、わざとマーロン・ブランドとサインしたことがあったらしい。
二人とも好きだったが、特にポール・ニューマンが好きで代表作は結構観た。最近観逃してると「熱いトタン屋根の猫」をDVDで買った。リズ・テイラーもポール・ニューマンも最高の演技なのだが、ラストがなんかおかしい。変にまとめたハッピーエンドになっている。原作も読んだことなかったので買って調べたら、エリア・カザンに指示されて最後を舞台用に書き直したということがわかった。
当時のカザンは舞台も映画も大ヒットで逆らうことはできなかったのであろう。それで例のアメリカンハッピーエンドにされてしまった。マッチ売りの少女と同じで最後を変えると全く意味をなさなくなるというやつ。しかもカザンは仲間を売った最低野郎。仲間を売るというのはどの時代でもどの世界でもゴミ以下の奴だというのは誰にでもわかること。なるほど最低野郎のしわざだったんだ。
カザンの話などどうでもいい。映画はもっと甘く、これから子どもを作りましょうみたいな終わり方になっている。プロレスのような正義は必ず勝つ、ばんざい的映画ばかりハリウッドは作り続けてきた。
今もそう。地球を救うためにヒーローが悪と戦う映画ばかり。ウッディ・アレンが久々に「欲望という名の電車」を下敷きにしたシリアスな映画「ブルージャスミン」を作ったが、アメリカ人は、ハリウッドという勝ち組のスノッブは「ハムレット」すらハッピーバージョンを作ってしまうに違いない。

昨日はまだ

2014-09-20 19:17:13 | 日記
カミュは最初読んだとき、感銘を受けたがしばらく経ってからまた「異邦人」を読んだらつまらなくて読むのをやめてしまった。
病気も出てきて足腰弱くなったころに中原中也や「ライ麦畑でつかまえて」読むようなものか。
同じ頃読んだカフカはいまだ面白くて、ときたま取り出す。カフカの場合完成されていないものが多く、人の日記を盗み読みするような楽しさがある。
実際日記も書簡も面白く、読まれることのなかった「父への手紙」その他の書簡はもちろん小説にあってもすべてがパーソナルであったように思う。
その中でも朝突然逮捕される「審判」、城に行こうとするがなかなか行けない「城」。まだラストがある「審判」はわかりやすいが、マックス・ブロートが並べただけで
コルタサルの「石蹴り遊び」と同じく章の順番を変えて読んでもいいのかもしれない。
何がきっかけか忘れたが、ルイス・ブニュエルの「皆殺しの天使」をリバイバル上映で観たとき、城に行こうとして行けない主人公と家からなぜか出られない人々がだぶった。
全く前知識もなく観たので、こんな映画があるのかと驚いたが、理由がある必要はなく解釈を付け足す必要も当然ないのはカフカと同じなのだ。
その頃ユリイカでブニュエルの特集をしたが、レンタルビデオもなかった時代。他の映画は観ることできないだろうと思っていたがDVDでほとんど出て
すべて買った。やはり「皆殺しの天使」を観たときのショックはなく面白く観てしまったが、カフカを楽しく読むのと同じで何か間違っているような気がした。
yesterday when I was young