And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

時の旅人に戻る

2017-04-27 23:38:32 | 日記
ロシア語を少し始めて、それで「おろしや国酔夢譚」を知ってDVDを買って観たけれどいまいちだった。井上靖よりこちらかなと「大黒屋光太夫」も文庫で買ってみたものの映画の内容からするとこちらも期待できない。今ちょうど読むものがないからいいけれど。来月になったら吉川訳「失われた時を求めて」の新刊が出るのでそちらに期待。サンクトペテルブルクには1度行きたいけれど西欧からは遠いので、メインでいくつもりでないとだめだろう。はたして英語通じるのだろうかとか西欧行くより不安はある。ドイツと違ってロシアのタクシー運転手は絶対英語わからないだろう。少しくらいならドイツ語わかるのだけど、ドイツでは観光地ならどこ行っても英語で通じてしまうのでイギリスと変わらない。スペイン語も挨拶くらいならわかるようになったけれど行く予定ないし、ポルトガル、イタリア、スイス、オーストリア全く興味ない。フランスなんてもうしばらく行かなくてもいい。となるとあとはデンマーク、フィンランドあたりかな。今年はベルリンに泊まって、市内1日、あとケルン、ドレスデンそれぞれ日帰りにしようかと思ったが、ミュンヘンにレンブラントの若いときの肖像画があることを知りケルンをやめてミュンヘンに。ミュンヘンは前に1度行ってるのにそしてそこの美術館も行ってるはずなのに写真が残っていない。ドイツとロシア、文学も音楽も共通して重いというイメージがあり、そういう重いものは好きではないのに意外と読んだり聴いたりしている。ドストエフスキー五大長編、トルストイ「戦争と平和」、ツルゲーネフ「父と子」、ブルガーコフ「巨匠とマルガリータ」、小説より映画のほうがいいと思ったけどパステルナーク「ドクトルジバゴ」、ソルジェニーツィン「イワン・デニーソヴィチの一日」「収容所群島」、ドイツ文学ならトーマス・マン「ブッデンブローク家の人々」ーこれをまねて北杜夫は「楡家の人々」を書いたというが北杜夫のほうが面白かったー「ヨセフとその兄弟」「ベニスに死す」「魔の山」、ヘルマン・ヘッセ「郷愁」「車輪の下」「ダミアン」「シッダールタ」、ドイツ語圏という意味ではカフカ3大長編、短編全部、本は読まなくて映画でしか観なかったけどギュンター・グラス「ブリキの太鼓」それら全部は20代、しかも前半の学生時代に読んだものばかり。正確に言えば「ヨセフとその兄弟」だけは学生時代に買って、あまりに厚いものだからそのままにしてあって10年くらい前にやっと読んだ。小中のときは国語嫌いだったのに友だちも少なくスポーツもできないとこういうほうに走ってしまうのかな。

待ち伏せ野菜

2017-04-23 14:47:52 | 日記
アメリカドラマは大抵、主人公は何でもできるスーパーマン、寄り添う美人の彼女がいてと恥ずかしくもなくそんなものばかり。プレスリー映画の頃と何ら変わっていない。前に「インディペンデンス・デイ」を衛星放送でやっていたけど、ああいうクソストーリーがアメリカ人は何で好きなんだろう。そんなに好きなら映画観てないで軍隊に志願して戦ったほうが感激味わえると思うのだが。ヨーロッパでネオリアリズモの頃、ハリウッドはインディアンやっつけて歓声上げる映画作っていたのだから。それでも日本、韓国のテレビドラマよりはまだましなので、たまにずっと観続けてしまうのもある。「コールド・ケース」はDVDにならないので放映されたのを録画するしかないが、いいのがいくつもあった。しかも設定がなかなか舞台にならないフィラデルフィアなので、アメリカが嫌いでも興味を持ってしまう。「クローザー」も後半のシリーズは暗くなったけれど、脇役もよくて面白かった。逆に「ボーンズ」「ロスト」など大ヒットしたというのだけれど自分には合わず1話で観るのをやめてしまった。コロンボ、アイアンサイド、コジャックなど昔から刑事ものが好きというのもある。前久しぶりにフレドリック・ブラウンの短編を読んで、もうSFはだめかなと思った。あまりに現実離れしたものについていけない。拍手喝采ハッピーエンドは今も昔もだめ。だからナショジオのメーデーが好きというわけではないけれど。昔観た「ロンドン特捜隊スウィーニー」でラスト犯人を逃がして終わるのを観て驚いたことがあった。それなのに不快感が残らず。さすがイギリスのドラマだと。テーマ音楽まで覚えているのだけど、これもDVDになっていない。これも「MASH」などと同じく海外ではなっているのだけれど、英語がわかるわからないの前にこういうテレビドラマはどうしても昔の吹き替えで観たい。「特攻ギャリソンゴリラ」とかまた観たいものがたくさんある。「アルマゲドン」なんかDVDにしなくていいから受注で少しくらい高くてもこういったドラマをディスク化してくれないものか。確かに「刑事コジャック」なんか今観るとストーリーも古くさく感じる。コジャックをデカ長だとか上司をおやじさんと呼んだりとか、その頃の古くさい訳はあるけれど、それ以上に森山周一郎の吹き替えが素晴らしく、それだけでヒットしたといっても大げさではないだろう。だからこういうのは絶対吹き替えでないとこまる。「弁護士ペリー・メイスン」でレイモンド・バーの吹き替えした若山弦蔵が「鬼警部アイアンサイド」でも吹き替えしたとか、アラン・ドロンは野沢那智でクリント・イーストウッドは山田康雄とかみんな決まっていた。テレビで洋画をやらない日がほぼない時代だった。カットもありしかも吹き替えなので今思うと本物ではなかったもしれないが、それがアメリカドラマであり洋画だった。クリストファー・ロビンとプーの懐かしい日々よ。

さようなら夏服を着た女たち

2017-04-17 23:42:51 | 日記
だいぶ前の話になるけれど、昔ラジオで聴いたビョルンとベニーの「木枯らしの少女」はアバの原型だったと知ってびっくりした。それも日本くらいでしかヒットしなかったと。その曲を見つけてきたレコード会社もすごいものだ。いかにも日本でヒットしそうなメロディだったから。その曲が入っている最初のアルバムを買ってみた。「木枯らしの少女」は入れ直しでなくそのまま入っているようだ。他の曲はその頃らしい古くさい曲ばかりで、これが後に全世界的にヒットするようなグループとは思えない。アバもカーペンターズと同じで積極的なファンではなかったけれど「スーパー・トゥルーパー」だけはよかった。特にレコードでいうB面の流れがよくてよく聴いた。「ダンシング・クィーン」なんか今聴くと気恥ずかしさを感じるが、「スーパー・トゥルーパー」だけは今でもCDで聴く。ジャズもマイルス、コールマン、ミンガスなどまだ生きていたし、クラシックはアバド、メータなどが若手として出てきた頃だったけれども、やはり記憶に残るのはポピュラーになるのか。グールドが死んでまもなく2度目のゴルドベルク変奏曲が出てすぐ買ったが、今CDで聴いても懐かしさはない。ミンガスのほぼ最後のレコード「クンビア・アンド・ジャズフュージョン」すり切れるくらい聴いたのだけど何の感傷もないのはなぜだろう。文学ならカフカは学生時代、文庫で3大長編読んで、その頃カフカ全集が出たので書簡以外買って短編もほぼ全部読んだ。カフカを読んでた頃はと思いも浮かぶのに。ましてやCDになってからの新譜など何度聴いていようがいつ買ったかも忘れている。かなりCD持っているが考えると9割以上がレコードで出たものではないだろうか。ジャズならキース、チックくらい。クラシックならカラヤンのブルックナー7番、現代音楽。あとCDの新譜で買ったのあっただろうか。映画も昔観たもの、海外ドラマものがDVDにならないかと待っている。でも映画は仕方ないかもしれない。その年代の感性で観るものだから。「グリニッチ・ビレッジの青春」や「フェーム」を今初めて観たら若いねえで終わってしまう、というより観ないだろう。逆に当時馬鹿にして観なかった「サタディナイト・フィーバー」後で観ると意外とシリアスな映画だったんだと感心したり。アズナブールの「帰り来ぬ青春」の出だし「つい昨日まで僕は二十歳だった。」ウッドストックに行った若者たちももう年金をもらっている。「イージー・ライダー」のラストを観て怒った自分も今では社会に邪魔なあんこはできるなら撃ち殺してやりたいと思うようになった。何てことだ昔のことしか書くことできないなんて。

ブルースでもそっと歌ってみるか

2017-04-15 18:38:02 | 日記
最近なぜかアート・ブレイキー。理由はわかっている。ウッディ・アレンのドラマで使われていた曲のCDを買ってから。昔一通りブレイキーの代表作は買ったけれども、どちらかいうと興味のないほうのただ単純にスィングするジャズなので夢中になることもなく、ただモーニンとチュニジアの夜だけ覚えているくらい。と書こうと思って何で変換しないのだろうと疑問に思ったらそうか。チェニジアだとずっと思っていた。発音的にはどちらでもいいのだろうが日本語としてはチュニジアか。サンジェルマンのライブも昔買ったのがあるのだけれど、最近出た輸入盤は音がすばらしくよくなったというので買ってみた。確かにいい。昔のと比べようと思ったが、奥に入っていて出すのが面倒でやめた。きっとよくなっているのだろうと信じて聴く。ライブインジャパンも音がよくなったというけれど、これは持っていないので比べようがない。油井正一がいうそば屋の出前持ちまでがモーニンを口ずさんでいたという時代。その文章を読んだ頃はへえと思ったが、今思うと出前持ちがジャズ好きで悪いかという話。出前持ちはフランク永井でも聴いているんだろうとでも思っていたのだろうか。それ1つ取り上げて日本中にブレイキーブームがきたかのような書き方だったと思う。たまたま出会った出前持ちがジャズ好きだったにすぎないのに。この大先生生きてる間は俺がジャズ史を作ったくらいの勢いはあった。ブレイキーのバードランドからハードバップは始まっただとか「ビッチェズ・ブリュー」は歴史を揺るがす傑作だとかジャズファンは素直に信じていた。逆に今、50年代からのジャズを経験している評論家はいなくなり、自分と同じくらいの世代もしくはもっと若い世代の評論家がこの時代のマイルスはと書いたところで何の説得力もなく、しかも文章下手なのによく金もらえるなあと思わされるだけ。だから今の音楽について書けばいいのだけど、今のジャズはつまらないものだから文章で盛り上げようがない。ジャズ喫茶マスターの書くものも鼻につく。元々ちょっとでも話したら出て行けと殿様商売してたんだろうって。ブレイキーのライブインジャパンを聴いていると、モーニン、ブルースマーチなどのここではもう古いレパートリーにショーターの戸惑いを感じる。新しい感覚を持っていたショーターには今さらという感覚を持っていたのだろうけど、もちろん日本のファンはこれらが聴きたくて集まったのだから仕方ない。ブレイキーは何度も日本に来てそのたびに必ずモーニンやチュニジアの夜を演奏したのだろう。マイルスやキースのように昔の曲を一切やらないほうが珍しい。いまだにポール・マッカートニー、イエスタディやヘイジュード歌う必要あるのかね。ブレイキーのレコードを撮ろうと思ったらレコード持っていなかった。それだけ関心なかったんだ。今もショスタコーヴィチくらいの関心しかないけれど。

なぜぼくらはベトナムへ行かなかったのか?

2017-04-01 12:34:43 | 日記
吉村昭著「三陸海岸大津波」を古本で買ってはみたものの、絶対これ買って読んだよなと思う。最近アマゾンでウッディ・アレンのドラマ観て「つなみ」という言葉が出てきて、前にも聞いたことあるけど「つなみ」は英語になっていてなぜだろうと思って本を検索していたら当たったのでつい買ってしまった。同じドラマでボビー・ティモンズの「モーニン」がかかり、これもCD買ってしまったけどこれは持っていないだろう。そう言ってもCDを探していてこんなの持っていたんだと自分で感動するときがあるから間違いないとはいえない。この前も「めぐりあう時間たち」のボーナス盤のついた2枚組をネットで見て、持ってはいるけど滅多に観ることのないボーナス盤のついたのが安く出ていたから買ってしまってから自分のを見たらそれも2枚組だった。好きな映画なので目の前に置いてあるのにそれすら確認しようとしない。西脇順三郎全集が3種、全詩集の旧新で普及版、限定版で4冊、その他選集が2種、一般向けの詩集1冊。勘がよくなくてもわかると思うが、それらは全部同じことしか書いてない。これはコレクターとして割り切れる。コレクターなら初版とか集めろと思うが、そこまでのマニアでもない。つい最近の話、西脇順三郎と自宅で話している夢を見た。もう亡くなって何十年にもなるので会いたいという希望ではないし、もちろん会ったこともないので懐かしいなどという思いもない。夢はいつも思ってもみない人が出てくるが、自分にとってなかなか衝撃的な夢だった。その何日か前に読んだわけでもなく、有名人に会いたいなど今まで一度も思ったことがないのに頭のどこからそういうストーリーが作り出されるのだろうかと。文化系の学生なら誰でもはまるフロイトの夢分析。そんなの旧約聖書の頃からあった。殺人やゲイだって聖書に出てくる。誰かの作り話かもしれないが、古代の洞窟にも近頃の若い者はと書いてあったと。すべてはぐるぐる回っている。同じ戦争を繰り返しても今度はうまくいくのではと思う。エリオットのいうように百度も決断をしぶり、百度も見直す暇はあるのだ。見直す、ふと本棚見ると「三陸海岸大津波」見つけてしまった。奥に入っていたのならともかく、もう見つけてしまうと金額的にはたいしたことなくても自分に自信がなくなってくる。新潮のノーマン・メイラー全集も「裸者と死者」以外はこのまま読まれず、死んだとき売られるのだろう。西脇順三郎全集も売られるときに開くとパリパリといい音がするだろう。中は手垢どころか人の息もかかっていない。死んだ後はまあどうでもいい。本もCDもDVDも家族にとって何の思い出に残るものはないだろうからきれいさっぱりなくなって、とそんなこと考えたって仕方ない。だからといって西脇順三郎全集を最初から読むつもりなどないのだから。