And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

3月15日に気を付けろ

2014-10-30 23:21:37 | 日記
何でというかいつシェイクスピアを観たのだろうと思い出すと、たぶん学生の時ソ連の関係の主催で映画「リア王」を観に行ってからだろう。金払ってまで観なかっただろうから整理券でも手に入れたと思う。知識としてショスタコーヴィチが音楽付けてるくらいしかなかった。面白い、それではと四大悲劇買ったはずだ。そのあと映像として観たのはレーザーディスクだろうからずっとあと。「オセロ」がいまいち、嫉妬ものはいらいらする。「マクベス」も話が急展開なんか薄っぺらな感じがした。やはり「リア王」と「ハムレット」話が面白い「ジュリアス・シーザー」メル・ブルックスの「大脱走」を観て科白を知ったのが「ベニスの商人」「ロミオとジュリエット」の映画はオリビア・ハッセーで一世風靡したがメロドラマ興味なしだった。
それが全部読んでみようかと読み始めたら、どれも面白い。「ヘンリー六世」「リチャード三世」のあと読んだ「間違いの喜劇」大笑いした。離れ離れになってしまった双子の兄弟と、その2人に仕える双子の召使いが交錯するのだが、それぞれ違うほうと会い、なんで初めて会ったのに俺の名前知ってるんだ、インスピレーションだとでもいうのかという科白に声を出して笑った。とにかく科白の宝庫。そのうちいくつかでも覚えていればしゃれたことも言えるのに覚えられない。映画もソ連映画で「ハムレット」「リア王」ローレンス・オリビエで「ハムレット」「リチャード三世」「ヘンリー五世」オーソン・オェルズで「オセロ」「リア王」などなど片っ端から観た。すべて面白いがやはり「リア王」黒澤がリメイクした「乱」はゴミ。ピーターの道化が全く合わない。まだ「マクベス」をリメイクした「蜘蛛巣城」のほうがいい。BBCの全映像化これさえあればいいが、ローレンス・オリビエの「リチャード三世」DVDにならないかな。

太陽はまだあつく燃えていた‥

2014-10-29 22:40:41 | 日記
ずうっと日本映画は馬鹿にして観てなくて40過ぎてから黒澤を観ようかと思うようになった。日本映画といえば若大将に寅さん、誰がそんなの観るかよだった。
出た当時は高くてなんだと思っていた黒澤明のレーザーディスク、オークションで安いのを1枚づつそろえていった。次は小津安二郎、溝口健二とレーザーディスクで。文藝春秋から出ていた「洋画ベスト150」は高校の時買ったが、「日本映画ベスト150」を古本屋で見つけ1位から探していく。1位から4位まで黒澤と小津、5位に”やるせなきお”の「浮雲」森雅之と高峰秀子いいねえ。6位「飢餓海峡」のめり込むように観てしまう。7位「二十四の瞳」田村高廣が生徒役で出てる。8位「無法松の一生」”阪妻”長門裕之が子役で。9位「幕末太陽伝」よさがよくわからなかった。そして10位「人情紙風船」レーザーディスクでオークション落とそうと思うのだがすぐ価格が跳ね上がってなかなか入手できない。聞いたことない監督、役者、時代劇らしい。何度かあきらめてやっと許せる範囲で落とせた。前知識なく観てなんというペシミズム。監督山中貞雄が手記に「紙風船が遺作とはチト、サビシイ」と書き遺していたらしいが、戦死して本当に遺作になってしまった。小津のように戦争行っても戻ってきたものもいるのに残念だ。山中の作品はこれを含めて3本しか残っておらず、あとの2本も面白いので帰ってきたらどういう映画を撮ったのだろうと思う。涙ちょうだいはいっぱい知っているが日本映画でしかも戦前にアメリカンニューシネマみたいな終わり方する映画があったなんて。主役中村翫右衛門はテレビにも出ている中村梅雀の祖父。河原崎長十郎は河原崎長一郎他兄弟の父親。それくらいの知識しかない。DVDで出てすぐ買ったが、いまだ観ていない。何度も観たい映画はある。でも1度観て記憶に閉まっておこうという映画はあまりない。作家五味康祐が若くて貧乏なとき友達の家でブラームスの「クラリネット五重奏曲」を聴いて涙がぼろぼろ出て、それ以来豪華なオーディオを持てるようになっても二度と聴いていないと書いていたが、それに近い気持ちかな。

通りで怪我した犬に

2014-10-28 18:55:40 | 日記
ブルガーコフの「巨匠とマルガリータ」を読むと主人公の書く小説にポンテオピラトが出てくる。聖書でもほんの数行、妻も一度だけ出てくる程度。それをピラトはイエス・キリストの処刑をためらっていた、苦悩していたとその小説の中で書く。聖書ではそれだけの記述で調べようがないが、ピラトに関する文章が他で残っている。それがどれだけ信憑性あるとなれば全く信用できないが物語としては面白い。バラバその後みたいなものだ。聖書に足したり引いたりして解釈すると、それは異端になる。エホバ、統一協会だけでなく無数にあると思う。自分がイエスの生まれ変わりだという教祖が。なので聖書の話を書くのではなく、ピラトの苦悩について考える。本当に苦悩していたのだろうか。苦悩していたのはピラトではなく自分自身なのだ。自分はそこにいたのだ。ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」は「巨匠とマルガリータ」からヒントを得て詩を書いたらしい。レンブラントの「十字架樹立」という絵で十字架を立てようとする人間の中にレンブラント自身を入れた。初期の作品に「聖ステバノの殉教」もあるように視点はそこにいる自分。「通りで怪我した犬に、それは僕自身なのだ」


Stay illusion

2014-10-27 19:08:09 | 日記
その前もその後も組んでるかもしれないが、自分が買ったのが1978年8月号ユリイカの現代音楽特集。
パラパラめくると出てくる写真はケージ、シュトックハウゼン、メシアンなど。聴くかは別にして今では古典に入れてもおかしくない作曲家。確かこの年だ。ECMからスティーブ・ライヒの「18人の音楽家のための音楽」が出たのは。これが出る前からライヒはフィリップ・グラス、テリー・ライリー、ラモンテ・ヤングとともに知っていた。ライリーだけがCBSからレコード出てたが、他はマイナーレーベルからで普通のレコード店では買えなかった。ECMは「リターン・トゥ・フォーエバー」キース・ジャレットの「ケルンコンサート」などのヒットでジャズ界ではメジャーになっていたので、そこからライヒという現代音楽が出たのは驚いた。初期の「カムアウト」などは音楽というより実験。「フォーオルガンズ」のずれあたりから面白くなってきたように思う。この頃プルースト、ブリジット・ライリーとかと重なり、時間を漂っていた。正確にはこの頃はプルーストの時間は漂えなかったが。ここあたりを境にフィリップ・グラスもCBSから出すようになり「浜辺のアインシュタイン」などマイナーレーベルのレコードで出ていたのがCBSからCD化される頃にはグラスもまたライヒもビッグネームになり、ライリーもロックファンから支持されたりとその間にシリアスな現代音楽を書いていた作曲家もロマン的要素が入ったりとシェーンベルク以降の無調からのむちゃくちゃな不協和音から解放があったかもしれない。ライヒはこのあとECMから2枚出してノンサッチレーベルに移り、新しい曲、昔の曲など出しているが、どれも同じに聞こえる。「18人の音楽家のための音楽」も何種類も出て違いはないように思えるだろうが、自分にとってはECMでないと時間旅行できない。逆を言えばライヒはここで終わり。グラスは「ミュージック・ウィズ・チェンジングパーツ」で終わり。リゲティが「アトモスフェール」だけでいいように。あとはクセナキスがあればいいさ。

Take a train

2014-10-25 23:10:35 | 日記
偏見かもしれない。
ジャズを聴き始めに聴いて、すぐ興味なくなるのはブルーベックかなと。自分がそうだったから。「グリニッジ・ビレッジの青春」に「スリー・トゥ・ゲット・レディ 」が出てきて驚いた記憶と。でも嫌いなわけではない。一度も嫌いになったことはない。興味がないだけ。オスカー・ピーターソンは全く興味なくCDになって何枚も買ってみたが、さっぱりおもしろくない。オスカー・ピーターソンは嫌い。それでもモーツァルト、チャイコフスキー、ブルックナー嫌いのようなクラシックほど好き嫌いはない。そこそこアドリブさえできれば、アマチュアの演奏だって楽しめる音楽なのだが。だからといいって一昔前に出た日本制作のムード音楽なピアノトリオをミンガスと一緒にはできない。ジャズ雑誌「スィングジャーナル」が廃刊になる数年前から、新譜レビューを読んでも買いたいと思うものがなくなった。スタンダードを演奏して中身は何もない、オリジナルで意欲的にやるのだが全く面白くない。もはやチャーリー・パーカーやビリー・ホリディが出てこないことはわかってるが、音楽理論に沿って演奏してますみたいなウィントン・マルサリスなんか聴かされると元気だけが取り柄のロックのほうがまだ健康的かと思ってしまう。
それで昔はよかったねとかスィングしなきゃ意味ないとかいうとエリントンの曲名になってしまうが、その通りかもしれない。アルバート・アイラーだってセシル・テイラーだってスィングしてる。昔はよかったねが問題。そうなのだから。マイルス・デイヴィスの熱心なファンであったことは一度もないがたいしたものだ。60年代後半だったと思うが、マイファニーヴァレンタインを演奏することをファンは期待してるかもしれないが今更やるわけないだろうということを言ってる。70になってもヘイジュードを歌うやつとは違う。最近の曲ばかり歌って昔の曲はアレンジがきつくというかひどく歌ってもわからないというボブ・ディランもどうかと思うが、ストーンズのサティスファクションといい何十年たってもかつてのヒット曲演奏するのがロックだからディランが異質かもしれないが。ジャズに話を戻すとジャズの場合、昔の曲といってもアドリブでくずれていくので、たとえばコルトレーンのマイ・フェバリット・シングス、アトランティックのスタジオ録音とライブインジャパン同じ曲かになる。
てなわけで新譜は買わず、いまだCDに復刻されない古いものが出るのを楽しみにしているが、たまに珍しいのが限定だとかコンプリートとか名前つくとつい買ってしまう。ハイフェッツ・コンプリート、ヴァレリー全集と同じで買ってしまって手つかず、ほぼそのままなのがエリントンのRCAコンプリート。エリントンは好きなのだがこれでは芋粥だ。