And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

怒りを込めて振り返れ

2015-07-21 00:32:28 | 日記
ドイツ制作の「タイタニック」がゲッペルスの指示の元に作られたプロバガンダ映画だと初めて知った。プロバガンダ映画といえば「カサブランカ」が有名だが、あの映画のよさがわからない。クサい科白だけでうんざりしてしまう。日本でも今井正、山本薩夫といった社会派もっといえば左寄りの監督でさえ戦時中は戦意高揚映画を作っていたのだから。それらに比べると「カサブランカ」は映画として観られるかもしれない。その当時に木下恵介が軍をだますぎりぎりのところで反戦映画「陸軍」を作ったのはすごいことだった。木下恵介はぬるい映画ばかり作ってというイメージだが「陸軍」を作ったというだけで評価できる。「日本の悲劇」のラストもショッキングだったが。戦争終わったら終わったらで赤狩りがあって、ハリウッドでも思想のないくだらない映画ばかり出てきて、その間に戦争ではお荷物以下の存在だったイタリアから次々と名画が出てきたのは皮肉だ。日本はアメリカのせいで映画に変な希望を盛り込んだが、イタリアは現実そのまま表した。正直なところ今でもイタリアの労働者階級は変わってないのではと思ったりする。松本清張が好きだったので冤罪ものの映画、帝銀事件、松川事件などまた不明のまま終わった下山事件とかの映画はよく観た。日本映画でこの系統が一番面白いかもしれない。それらは映画なので事実とは違うだろうが、ケネディの暗殺犯がオズワルドだとは誰も思っていないのと同じで、犯人は別にいるというのは誰にもわかる。


火星人カムバック!

2015-07-19 21:14:22 | 日記
芸人の芥川賞を疑う人もいる。でも読んでみないことには批評できないと、彼のことを好きな人間も嫌いな人間も本を買う。無名な作家だって芥川賞取ったというだけで本を買う人いるのだから売れるのだけど、あっという間に100万部、出版社も今の時代、久々儲かっただろう。好きな作家がたまたま賞を取ってたということはあっても、賞取ったから読んでみようとは一度も思ったことはない。流行り物ばかり読む人いたって別にいい。友人でいても話が合わせられないだけで。本をたくさん読めば小説書けるようになるわけではないだろうが、本を読まない人間には文章書けないだろう。でもどうやったらプルーストのような文章が書けるのだろう。紅茶を飲むという行為だけのことで、原稿用紙100枚くらい書けるのではないだろうか。たとえ金に不自由なく至る所を遊び歩いたとしても、それを文章に、まあよくある小学生の感想文みたいなエッセイなら誰にでも書けるが、小説にするのは才能がないと無理に違いない。音楽評論なんて本当に読めるのは一人二人。ロックだと名の知れた評論家でさえ、自分の思い出ばかり書いて中身に触れないとか笑ってしまう文章も多々ある。今は読む読まないを別にすれば誰でも文章を出せる時代。だけど小説は読まれなくなってきている。喫茶店で文庫を持ってる人を見るのが珍しいくらい。とすると文学部もいずれ滅びてしまうのか。レイ・ブラッドベリは「華氏451度」でテレビ社会になりつつあることへの警告を発したが、今はそれがインターネットになって強制されなくても本がなくなっていく。別に純文学でなくたっていい。ゲームで敵と戦うのでなく、頭の中で宇宙に旅立てないものか。



ブラームスはお好き?

2015-07-14 08:22:34 | 日記
ウッディ・アレンの映画でどういうわけか、なかなかDVDにならなかった「ボギー!俺も男だ」が出たので久しぶりに観た。アレンの映画は人妻と関係とかいうのはよくあり男女関係では公私ともにモラルがないが、あの時代に戻ってゆく懐かしさを感じさせた。同じユダヤ系のコメディアン、メル・ブルックスは全くのハッピーエンド。笑えるのだが人生は素晴らしい的なところが鼻につく。ウッディ・アレンはアンモラルが気になるが、ひと工夫がある。くすぐるのがベルイマン、バルトーク、モンクなど出てきて知ってることで自分もインテリになった気分になれること。「ボギー!俺も男だ」でもレコード、オスカー・ピーターソンにしようかバルトークの弦楽四重奏曲5番にしようかというのがある。別に科白バルトークだけでいいのだけれど、弦楽四重奏曲5番という科白ににやりとする。「アニーホール」」だったと思うが、観に行く映画がベルイマンでそれも説明がなく、ポスターを見てわかる。そういうのがあったのは初期でだんだんなくなっていった。何だったか忘れたが、バルトーク弦楽四重奏曲4番のピッチカート楽章を映画に使ったのは驚いた。最近はそういうセンスにも気をとめなくなっているが、話は相変わらず退屈させない。逆にオリジナルの音楽をつけることはあまりないのではないだろうか。そういえばベルイマンもクラシックを映画音楽としてうまく使っていた。最後の「ファニーとアレクサンデル」シューマン、ピアノ五重奏の2楽章を出たしに使ったが、それまで聴いたことがなかった。シューマン自体興味なかったのもある。ヴィスコンティの「家族の肖像」はモーツァルト、協奏交響曲の2楽章が印象的。モーツァルトは今でも好きでないが映画を観た学生当時など全く興味外だったので逆に音楽に惹かれた。ブラームス弦楽六重奏1番の2楽章がルイ・マルの「恋人たち」に使われたとレコードの帯で知ったが、いまだ映画は観たことない。弦楽六重奏は高校生の時からの愛聴曲だけど。こう書くと割とというか意外と映画から音楽を知ったのもあったのだ。映画、音楽、小説は絡み合う。だめな脚本でいい映画はあり得ないし、いい映画でも変な音楽でぶちこわされることもある。

マイ ネーム イズ アルバート・アイラー

2015-07-09 08:22:12 | 日記
若い人は知らないかもしれない。笠智衆、じいさん俳優で若いときからじいさん役ばかりだった。「東京物語」で息子を演じた山村聡とは6歳しか違わなかった。科白は棒読みのように読む。何だこれはと思ったが、小津安二郎の映画を何本か観ているとなれてくる。若いときからばあさん役ばかり演じた杉村春子のうまい演技とは対照的。それより若い人はもう小津安二郎の映画など観ないかもしれない。木下恵介や溝口健二も同じだ。黒澤明はつまらないものも混ざってはいるが、まだ今観ても面白いものもある。おおざっぱに言えば、日本映画はそんなものだ。個別には「人情紙風船」とか新藤兼人の作品とか惹かれるものはあるが、洋画のように何度も観たというのがない。何せ40過ぎるまで日本映画なんてまじめに観たことなかった。テレビで観た「兵隊やくざ」のシリーズ面白かったとか、森繁の社長シリーズ笑ったとかその程度だったから。何かのきっかけで名前すら知らなかった小津安二郎の映画をLDで買って観るようになったが、興味はどちらかというと俳優の若かりし頃。みんな面白く観たが、それ以来観たことがない。DVD出たときも買ったのだがそのまま。それは黒澤、溝口、木下みんなそう。何度も観たのが新藤兼人の「ある映画監督の生涯」溝口健二に関わった俳優、スタッフの証言から溝口健二の生涯を追ってゆくのだが、おかしな人間だったというのが映画以上に面白い。たぶんみんなだいぶ柔らかく話してると思うが、それでもこの当時の映画監督は好き勝手、無理難題できたんだとわかる。山中貞雄の「人情紙風船」このペシミズムというよりアメリカンニューシネマだなと思った。ラストシーンは「ワイルドバンチ」「明日に向かって撃て」だ。「砂の器」で親子が放浪するシーン。これは反則だな。「東京裁判」これは映画というよりドキュメンタリー。廣田弘毅が娘に目配せするところが印象的。「破戒」は木下恵介より市川崑。破戒がそのあとなかなか映画、テレビ化にならないのはいまだ微妙な問題であるからであろう。好みの問題だが、すぐ思い出せる映画はそんなもの。やはり「七人の侍」になるのかな。




リフィ川よ、静かに流れよ

2015-07-08 14:08:21 | 日記
なかなか読む本が中途半端で一つずつ片付けたいと思うのだが、思うように進まない。30年近くぶりに読み返しているドストエフスキーの「未成年」やっと半分いった。面白くないわけではないのだが一気にも読めず。ノーマン・メイラーの「裸者と死者」は単行なので家にいるときしか読まず、これも一気に読めるほどは面白くない。魯迅文集3巻の評論面白いのだが、最初から順番に読んでいくものではないと思うと飛び飛びで読み終わったとならない。G・チェスタトンの「ブラウン神父」つまらないのも混ざっていて中断したらそれきり。読み始めたら一番早く終わるであろう「失われた時を求めて」の吉川訳の新刊、なかなか順番回ってこないものだから読めず。ムージルの「特性のない男」四分の三くらいまでいってるのに1年以上ほったらかし。別に冊数を気にしているわけではないから、中途半端でもいいのだけど、ふと自分はアメリカ文学あまり読まないなあと思った。ヘミングウェイ、スタインベック、フォークナーと代表的なのは読んだ。バーナード・マラマッド、ソール・ベロー、ニューヨーカーの短編も読んだ。でもどうも興味がない。なぜだろう、アメリカという国に興味はないのだが、映画、テレビドラマは観る。アメリカ詩は好き。ロシア文学のややこしい登場人物の名前、トーニャならそれ以外の名前で呼ぶなみたいないらだたしさもドイツ文学の重苦しさもないのに、かといって軽いものばかりではないのに読んでも心に残らず、本棚の後ろのほうにいってしまう。学生の時ジョイスの「ユリシーズ」を読んでいつかダブリンに行きたいと思ったが、アメリカにはそういうあこがれがない。ウッディ・アレンが「マンハッタン」で白黒のフィルムを使って見事にニューヨークを撮ったが、ああそうという感じ。刑事物ドラマの舞台になっているロサンゼルスーコロンボ、クローザー、サンフランシスコーアイアンサイド、ニューヨークーコジャック、フィラデルフィアーコールドケースと著名な都市が出てくるが、興味はヨーロッパ。オルソンのグロスターもウイリアムズのパターソンも行ってみたいとは思わない。ハート・クレインの「橋」の序詞「ブルックリン橋によせて」など読むとブルックリン橋を写真に撮ってみたいと思うが、それだけのためにアメリカに行きたくない。アメリカ小説はハリウッド映画と同じか。それはちょっと言い過ぎ?