And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

カラヤン ハイ

2014-02-27 12:36:22 | 日記
いい時代になったものだ。
カラヤンはアンチではないが、かといって集めたわけでもなかった。
オペラの間奏曲とかは、これこそカラヤンという演奏だしスピーディなベートーヴェンも好きだった。
確かにある、ドボルザークとかストラビンスキーを全く違う音楽として聴くとか。
逆に個性があるからいやと言えるのであって、評論家の推薦する個性のないただお上手な演奏とか
そういう演奏を精神とか魂とかの言葉で置き換えて絶賛するのを読むと偽物のほうがいいぞと思ってしまう。
それでいくとカラヤンは偉大な偽物作り?
こうしてボックスで買うと当然、個別では絶対買わなかったであろうCDも含まれる。
いつも偏ったものしか買わないから楽しみではあるが、ホロヴィッツ、グールド、ハイフェッツと
コンプリート買ったあとでは逆に偏ってないか?

忘却のための記念

2014-02-27 01:02:26 | 日記
昔好きだったのが、岩波の布表紙の新書。魯迅選集、大江健三郎同時代論集、中国詩人選集など。
魯迅は文庫で小説なら読めてしまうのだが、新書の選集がほしくて、またちょうどその頃復刊されたので買ったが、
汚すのがもったいなく、ソフトカバーの単行本の魯迅文集買ってそちらを読んだ。
今なら字が小さくなおさら読む気がしないだろう。
「吶喊」はもちろん小説以外でも「藤野先生」や「忘却のための記念」とか忘れられないものがいくつもある。
魯迅のエッセイや評論でももちろん日本人を敵として書いてあるところもあるのだが、
それ以上に人としてのまなざしに暖かさを感じ、人間を感じる。
「ベニスの商人」ではないけれど、誰でも殴られたら痛いし、切られたら血が出る。
それを暴力で訴えるのではなく、文章で訴える。
大江健三郎同時代論集に出てたテーマ、飢えて死んでいく子供に「嘔吐」は有効か。
そう有効だ、サルトル銃を置いてくれと今の自分なら言える。


キャンズ・アンド・ブラームス

2014-02-26 15:18:21 | 日記
ブラームスより好きな作曲家はたくさんいる。バルトーク、バッハ、クセナキス、ヴェーベルン、ケージと
古典が出てこないが。
ワグナーやブルックナーに汚いだのぼろくそ言われ、それよりも音楽のいじいじした女々しさ。
そこが昔から好き。
弦楽六重奏の1番などは20代後半に書かれているのに、苦悩に満ちた2楽章は何?
交響曲4番はどう聴いても諦観の境地と思うのだけど、それから12年も生きる。
じめじめした演奏で聴かなければならない。アルバンベルクなんかブラームスではない。
弦楽六重奏はウィーンコンツェルトハウスもいいのだけれど、最初に聴いた、しかもジャケットも魅力的だったアマデウス。
4番はクライバー、ハーディングのよさはわかるがだめ。壮年の覇気がなくなってきた頃のベームが好き。
クラリネット五重奏も当然ウラッハ。「暗い日曜日」でないが、いつか死のうタイプの演奏がいいな。
でロックグループ「yes」が交響曲4番の3楽章を編曲して演奏したのはびっくり。
映画「さよならをもう一度」では交響曲3番の3楽章に歌詞をつけて歌っていた。映画の原作は「ブラームスはお好き」だけど。


未完の対局

2014-02-13 23:42:32 | 日記
映画の話でなく、何気なくアンドレ・ブルトンを思い起こしていたら、
昔買った「ブルトン集成」ブルトンはわからなく丁寧に読んだ記憶がないのだけれど、
全12巻刊行予定が6冊で中断したので、それだけで思い出に残っている。
人文書院、サルトル全集でも世話になった。
プルースト全集、ヴァレリー全集カイエ篇なんかよく全部出したと思う。
全集というのは百科事典と同じで読むものではなく飾っておくものだった。
個人全集はもう滅びたジャンルだろう。ドストエフスキーやフォークナーが全集で出ていたなんて今では信じられない。
ノーマン・メイラー全集というのも出たが、これは選集。
未完に戻るとどうでもいいブルトンとは違い残念だったのがホグウッドのハイドン交響曲全集。15巻の予定が10巻で中止。
G・マリガン「ソングブック」、B・エヴァンス「アット・タウンホール」両方ともVol.1と出されながら2は出なかった。
録音も終わり、ジャケットもすべて決まっていながら発売されなかったT・ブルックスの「バック・トゥ・ザ・トラックス」
高名な指揮者だと気に入らないというだけで止めてしまうというのもあるが、これらは全部レコード会社の都合だろう。
ビートルズが途中で投げ出した「レット・イット・ビー」も未完か。
先に書いたカフカなど未完の典型。面白いね、完成しないというのは。


カフカへの手紙

2014-02-13 11:21:14 | 日記
大学のとき2度目のカフカ全集が刊行された。
半分は書簡なので小説と日記を買って、あとはと思っていたらいつの間にか絶版。
しかも友人に貸した「アメリカ」は戻ってこない。後に全集のみで復刻版が出たので
ダブりは仕方ないと買った。
カフカは小説も面白いのだけれど、日記、手紙を読んでこそカフカを読んだといえるのではないだろうか。
「列車が通りすぎるたびに、見物人たちが立ちすくむ。」
日記の最初の文。これだけで引き込まれてしまう。
カフカの書簡はプルーストの膨大な量で研究者しか読まないのではと思われる書簡と違い、小説になっているようなところもあって面白い。
「父への手紙」のように出されることなく、父親も読むことなく後に発見された「手紙」もある。
あれ以来、人に本を貸すのやめた。戻ってきたためしがないから。