And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

発狂したハッピーエンド

2016-11-24 08:12:53 | 日記
本屋で成瀬巳喜男に関する本を探していて「ワケありな映画」という本を立ち読みして、面白そうなので買ってきた。ネットでは題名だけで面白そうと買ってつまらなかったことよくあるので、こういう本こそ書店に行って確かめないとわからない。しかもこういう系は選ばれる映画ではなく文章が本の面白さを決めるのでなおさら。有名な映画、マイナーな映画それぞれだが、暴力系で問題になるのが欧米。あいつらは日本人と違ってすぐ真似するいかれたのが多いから。戦前に反戦映画作って上映禁止とか問題でとかは興味深い。あと半分以上は観るだけ損という映画と想像できる。成瀬、溝口の映画を検索していたら「必勝歌」がDVDで見つかった。前に溝口健二を全部集めようと思ったら、この国策映画があってビデオで出ていたので買った。中身は何もないというより笑ってしまうが、溝口を全部集めるために注文した。もう1冊は成瀬巳喜男の研究本。映画を観ていれば面白いが、家にあるDVDは10本ちょっと。それ以外の話はたぶん面白くない。成瀬もせっかくだから出てるのを集めてみようかと思う。貧乏くささにも少しは慣れてきて、ストーリーは置いておいて昔の町並みや若き名優を観るのを楽しみに。70年前の銀座を観たところで今のどこかなんてわからないのだけれど。これらも小津、溝口と同じで2度観ることないのだろうと思うともったいない。でも観終える楽しみがあれば、家で楽しみが増える。衛星放送を契約していてそちらでも映画を観られるのにとも思うがスターウォーズだけが映画じゃない。いまだ名前だけは本で知っているが観られない映画はたくさんある。一番観てみたいのが「限りなき前進」オリジナルがどこかで奇跡的に見つからないかと思うのだが、カットされたのでもいいのでDVDにならないものだろうか。神父のスチュワーデス殺しを題材にした「殺されたスチュワーデス 白か黒か」もDVDで観てみたい。「限りなき前進」は戦後GHQが勝手にハッピーエンドバージョンに作り替えたらしい。さすが「マッチ売りの少女」をハッピーエンドにしてしまう国だ。有色人種にはハッピーエンドを許さないのに。よく聖書もハッピーエンドに書き換えなかったものだ。出ないといえば「レット・イット・ビー」だがいくらでもブートで観られる。ただファンには正式に画像のいいのを出してもらいたいだろう。日本はフィルムの保管が粗末で戦前映画の多くは失われ、テレビ時代になってもフィルムが高いと上書きされてしまい、60年代の多くのテレビドラマが観ることができない。昔観ても面白かった「細うで繁盛記」も残っていないという。これこそ今DVDにできれば大売れすると思うのだが。


狂気によって破壊された僕の世代の最良の精神たち

2016-11-21 22:24:47 | 日記
来年もベルリン行くこと決めるとリバプールももう一度とかエルミタージュも一度だけでもとかよぎるけれど関係ない。もう一度乗って地下鉄乗るのに迷ったのを克服しよう。ただ早くブランデンブルク空港ができてくれないと空港で買い物できない。できればきっとベルリン直行ができるようになるのではないか。でも他の人にとってはベルリンより見て楽しい街がある気がするけれど自分にとってはベルリンは興味深い。前回ベルリンの壁博物館に行ったとき、ちょうど小学生くらいの学校の生徒が大勢来ていてゆっくり見ることができなかったからもう一度行きたい。晴れたブランデンブルク門も撮したい。ドイツ語はテレビ、ラジオで勉強しているが、もちろんそんなものでは話せるようにならない。それよりどこに行っても英語で大丈夫なので無理にドイツ語出す必要ない。今年から旅番組のようになったNHKテレビ語学講座でドイツ語はウィーンなのでオーストリアに全く興味なかったが、ちょっと行って見ようかと思ったり。ベルリンフィル聴いたのでウィーンフィルも聴けたら完璧だ。指揮者は誰でもいい。あのきらびやかなホールに入れたら。あとのものには興味ないのでコンサートが行けるかどうかでウィーン行くのを決めよう。コンサートは去年のベルリンフィルが久々でずっと行ったことがない。高い金出してただがっかりするだけだから。もう見たい音楽家もいないし。何年か前小さいホールでディランも聴いたけれど、立って歌うかピアノを弾いて歌うでギターは一切持たず、曲も古い曲やったところでアレンジがひどくてほとんど原曲がわからない。何十年経っても同じアレンジでしか演奏できないロックは聴く価値ないと思うけれど、アレンジにもうまいへたがある。ポリスをやめて最初の頃のスティングはポリスの曲を見事にアレンジしていたが、きっとバックのジャズミュージシャンの協力だろう。元々ディランの曲は本人が歌うより他のミュージシャンが歌ったほうがいい場合が多い。PPM、ジョーン・バエズ、バーズ、ジミヘンなどなど。「ローランドの悲しい目の乙女」はバエズの歌で好きになったが今でもバエズのほうが好き。「はげしい雨が降る」もそう。ディランが悪いわけではないがディランがノーベル賞取るならアメリカの詩人たちの位置はどうなるんだと思う。今までもチャーチルなんてのもいるから価値なんてないのだろうけど、アメリカ詩人は今まで一人もいない。エリオットはアメリカ生まれだけれどイギリス人としてもらっている。村上なんだかという流行作家にやるくらいならレヴァトフは死んでしまったけれど、ジョン・アッシュベリという20世紀を代表するアメリカ詩人にあげてほしいものだ。

王よ、しもべらにその夢をお話しください。そうすればわたしたちはその解き明かしを示しましょう。

2016-11-14 08:49:26 | 日記
ミラーレスを修理に出して戻ってきたのはいいのだけれど、抜いたメモリカードがどこにしまったかわからない。それでいてこれから六カ国語学ぼうというのだから無理がある。ラジオ講座なので金はかからない代わりにすぐしゃべれるようになるとか劇的な効果など期待できない。長くやれば少しは覚えるだろうと思っていたが、プリーズを三カ国語で言えるくらい。数字すら覚えられない。それはそうだ。1日15分で語学ができるようになるのなら、高い金出して英会話スクールになど通ったりしない。NHKの「戦争と平和」を観終わって、本読んだはずなのだが全く記憶ないのは本がつまらなかったと思いたいが本当に読んだかさえ不安になる。ロシア文学でもドストエフスキー、チェーホフ、ブルガーコフ、ソルジェニーツィンは自信を持って読んだといえるが、トルストイ、ツルゲーネフなどは読んだはず。そんなこというなら今まで読んだ本のどれだけが自信を持って読んだといえるのだろうか。棚に並んだCD、2回以上聴いたのは何枚ある。2度観たDVDは記憶がない。今日「桜の園」を初めて読んだ。チェーホフの短編は学生時代読んで好きになったがそれ以上読むことはなかった。何で今頃「桜の園」かというと、これも最近「安城家の舞踏会」をDVDで買ってこれのベースが「桜の園」だというのでこれまで読むことなかったと買った。なるほど日本で昔から人気があるのがわかる。日本人の大好きなペシミズム。映画でいえばデュヴィヴィエ。「マッチ売りの少女」のハッピーバージョンを作ってしまうアメリカでは受け入れられない世界。ニューシネマの数年間以外はスターウォーズにロッキーの世界なのだから。「安城家の舞踏会」はどうかといわれたら、「桜の園」をそのまま映画にした方がいいんじゃないのという映画。最後のダンスも観ていて恥ずかしい。当時の日本映画はこんなものというわけではなく、ドストエフスキーの「白痴」を日本に置き換えて作った黒澤明とか、ペシミズムでいうと「人情紙風船」のような傑作がある。日本映画はすぐ涙を見せる。未だに観ると泣くので観ない「禁じられた遊び」最初のシーンで親が死んでも少女は涙を見せない。最後の最後にママ、ママと泣きながら雑踏に消えていく。書いているだけでも涙が出そうになる脚本、演出。この違いは何なんだろう。でも「自転車泥棒」になると別の意味でもう観ないと思った。ちゃんとした映画でこれ以上後味の悪い映画はなかった。映画はベルイマンのような観念的な映画であっても楽しむものだから、嫌な気持ちにさせられて楽しいかと思ってしまう。それらもすべて砂の本となって消えていく。

通りで怪我した犬にーそれはぼく自身なのだ

2016-11-12 12:39:18 | 日記
昔聞いた曲、グループサウンズのように好きでもなくてもテレビから聞こえて覚えてしまったのもある。それがほとんどだと思うのだけど頭から離れない歌詞とメロディ。【東雲のストライキ、てなことおっさいましたかね】ずっと頭にあったのだけど昨日ふとそれだけで検索しても出てくるかなとやってみたら東雲節という曲だとわかった。芸者さんのような女性の歌でそこのメロディも覚えている。ずっとしののめのストライキってどこなんだとかそんな言葉おかしいから聞き違いかとか考えていたけど東雲の遊郭の女性たちのストらしいが、それは名古屋か熊本かでも分かれるよう。もっとミステリアスなのが、そんな曲テレビで覚えるほど何度も歌われていたわけないのになぜ自分は覚えているのだろう。まだこれは歌詞を覚えているから検索できるが、さすがにメロディだけとなると探しようがない。英語ならこういう歌詞かなと入れてみるけれども、それでは簡単には見つからない。でもそれ以外でパソコンで探し当てたのは数多くあり、今の時代でなければわからなかったもの、手に入れられなかったものに巡り合った。プルーストのようにうまく表現できないが、何かの瞬間にふと子どもの時の一片を思い出すことがある。自分で思い出そうとするのではなくかといって紅茶を飲んでるときや靴紐を縛ろうとしているときではないけれど、消すことのできない記憶となっている。別に悲しいこと、ショックなことではない、だからいいのだけれどそれが死の床につくとき、どれだけ思い浮かぶのだろう。フォークナーを読んだときに時代が交錯してやたら面倒だと思ったが、人生もそうなのだろう。順序よくは並んでいなくて、楽しいことはほとんど覚えていなくて、つらいことは過去ではなくこれからのこととして考える。母親が帰ってくるのを待っていた歩道、買ったレコードを抱えて美術館に行った日の空、機関車、それらの断片は一ヶ月前に行ったヨーロッパよりはっきりと覚えているのはなぜだろう。ダブリンは何度も行ったが空の色など覚えていない。スティーブ・ライヒが「18人の音楽家のための音楽」を出したとき、まだプルーストを読んでいなくて時間の流れを音楽で表現するならばこうなるのではと思った。でも今思うとそんな時間のずれではなく無意識の中にある一瞬の心の変化ではと思う。モーツァルトやオスカー・ピーターソンでは自分を邪魔してしまう。そういう意味でライヒ、グラスは思考を邪魔せず時間の観念に合っているのかもしれない。でもそれは自分自身ではない。そんなことを発狂したアメリカを見ながら考えている。

ジャコメッティの青銅の彫像のように

2016-11-08 17:55:46 | 日記
ビリー・ワイルダーのなかで唯一ではないかもしれないが、なかなかDVDにならなかった「翼よ! あれが巴里の灯だ 」がやっと出た。昔LDで観てワイルダーの中ではたいして面白くないと思っていたのでうれしくもないがコレクションとして、ワイルダーはほぼDVDでそろったのではないかと調べたら「バディ・バディ」がまだ残っていた。ベルイマン、ヴィスコンティ、ブニュエルみんな全部出そうで何本か残っている。好きな監督ではヒッチコックくらいか、初期に1,2を除いて全部DVDで出たのは。ウッディ・アレンもほぼ出ている。本当に惜しいのだが「どうしたのタイガーリリー?」が出ない。日本映画に適当な吹き替えをつけてコメディにしてるのが版権で引っかかっているのだという。その日本映画、どうしようもない三流映画なのに版権もクソもないだろう。デシーカなどまだ何本も残っている。なぜだろう、どの監督も出ない作品が必ず何本かある。フェリーニもアマルコルドだけが出ない。その点日本映画は黒澤、小津、木下が全部出ている。溝口も2,3残ってはいるがほとんど出た。全部観たからどうだとは思うが、ファンの心理は全部集めてこそ私はファンですと言えるところがある。萩原朔太郎、西脇順三郎だってファンであっても全集持つ必要なく、持っていても研究者以外はその半分も読まないだろう。それを本棚に飾っておいて、たまにぱらっと開いて普段は選集を開くというのが一般的なファンかな。昔出た魯迅選集、最初の3冊くらいが小説のたぐいであと10冊は評論その他。魯迅の評論、エッセイも面白いのだけれどなかなか全部読み通そうとは思わない。カフカも小説は全部読んだが、あと半分ある書簡集は所々しか読めそうにない。その点映画は不出来な映画でもその監督ならと観てしまうので、全部集めると全部観る。音楽はピアノが好きなのでホロヴィッツ、グールド、ルービンシュタインとボックス買っても1枚ずつ聴くので聴き終えるけれど、ハイフェッツは好きなのだけれどヴァイオリンはそんな好きでもないので100枚以上のボックスのまだ20枚くらいで止まったまま。カラヤンも30年分のCDを買ったけれど、ロッシーニか飛ばして、なんて聴き方しているうちに聴くのをやめた。ジャズのボックスは録音順で並べるのが多いので全く聴く気がなくなる。ただ所有するだけ。ありがたかったのはマイルスのセラー・ドアとフィルモアのライブがまとめて出たことくらいだけど、それも先にブートが出て正規盤が出てもありがたみがなくなったこと。しかもフィルモアは正規盤のほうはチックとキースの左右が逆になっている。正規盤がブート以下ってどういうこと?