And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

もしも天国に行けたなら

2014-11-30 19:42:42 | 日記
昔観たアメリカのテレビドラマ、ルーシーショー、逃亡者、コンバット、宇宙大作戦、スパイ大作戦、奥様は魔女、宇宙家族ロビンソン、タイムトンネルetc.どれもが面白かったので、すべてが面白いのかと思っていたが最近CSなどでいろいろなテレビドラマが観られるようになり録画して観ると2,3話で観るのをやめたのが何本かあり、これだけ多ければ「24」のような誰もが夢中になるようなドラマのほうが少ないのだとわかる。一例をあげると「アンダーザドーム」新シリーズが始まるというので毎週録画したが、途中で録画やめた。役者に華がない。美男美女だけがいいというわけではなく面白いドラマというのは主役はもちろん脇役まで引きつけるものがあるが、これは主役すら二流俳優という気がする。面白くない理由はー面白くないものはすべてそうだがー脚本がまずい。どちらかが悪いとつまらないものになる。そう思うと昔のアメリカテレビドラマは厳選されて放映されていたのだろう。日本のテレビドラマも最近やっと学芸会レベルのドラマでは視聴率とれないとわかってきたらしいが、昔子供ながら夢中になったドラマがあった。「細うで繁盛記」など小学生だった自分が観ていて面白いと思ったのだから。残念なことにフィルムは残っていないということなのでもう観ることできないが。木下恵介アワーの何本か。「おやじ太鼓」の進藤英太郎が面白かった。確か「冬の旅」に若き田村正和が出ていたと思う。最近ーといっても70年代だがー「岸辺のアルバム」内容より流れていく家の映像とジャニス・イアンの「ウィル・ユー・ダンス」が頭から離れない。うっかり書いたが70年代はさすが最近ではないな。「颱風とざくろ」は内容すべて覚えていないのだが挿入歌の森山良子の「並木よ…」が忘れられない。でもどういうわけかCDでは聴くことができず、ユーチューブで辛うじて聴けた。真剣になって観てた「クイズダービー」はらたいらってすごいことまで知ってると驚いていたら、すべて八百長だったと後でわかり。それはそうだ、R・レッドフォードが映画にした「クイズ・ショウ」観たらアメリカでは50年代からやってたことなのだから。プロレスもショウだと知ると急激に人気が落ち、テレビなど真実はないとみんなが知るようになる。日本のテレビドラマなど元々相手にしていないし、アメリカものもつまらないものばかりだと、DVDで昔の吹き替えを観て昔はよかったねと年寄りくさいことを言わなければならない。

flesh window

2014-11-29 22:15:10 | 日記
グールドのことを書こうと思ったが、ビートルズはいいねえと書くのと一緒で恥ずかしくなるのでやめた。クラシック聴く人間がみなグールドのCD、レコードを持っていて、みなゴルトベルク変奏曲を聴いてるなんて気持ち悪い。食事も有名店は馬鹿にするのに一度だけ行くことあるが興味なし。有名なほど横柄なのは行かなくてもわかるが、それでは説得力ないので無駄金落とす。並ぶのも嫌いだがフェルメールきたら並ばないと見れないので並ぶ。遠くに見たターバンの少女、やはり誰が言おうといいに決まってる。しかもものすごい人混みの中から自分だけを見つめているようで。19世紀になるまで忘れられた画家だったらしいが、自分にはレンブラントと同じくらいすごい画家だとは思えない。プルーストが見にいったという「デルフトの眺望」これこそどこがいいのかわからないが、ハーグへ行ってターバンと見に行かねばと思う。しかし見るという行為どういう意味があるのか考えてしまう。絶対解説なんて聞きながら見るものではないと思うし10秒絵の前にいて楽しいのだろうか?何枚かの絵、たとえばレンブラントの自画像。絵が自分に語りかけてくるのがわかる。もちろん「牛乳を注ぐ女」を見て、光の表現の見事さはわかるのだが、それが自分の人生に何関係ある?ゴッホが生前から売れまくって豪勢な暮らししていたとしたら、少しは絵の評価変わっただろうかと想像する。ポロックが有名な画家でなかったら、あんな絵飾ったら壁汚れてますねと言われるだろう。マグリットが有名な画家でなかったら、センスのいいポスター?「野いちご」は無名監督の作品であったとしてもよさは変わらない。これからははっきり言おう。この絵は金の延べ棒にしか見えない。

ブタ箱の横に赤いジプシーの馬車

2014-11-28 17:43:59 | 日記
ジャズのスタンダードナンバーに『ジョーンズ嬢に会ったかい?』という曲があるが、ビージーズの『ニューヨーク炭鉱の悲劇』の歌詞に「私の妻を見ませんでしたか?ジョーンズさん」という1節があり、ビージーズが意識して書いたのかなと思ったことあったが、ジョーンズなんて佐藤、田中みたいなものだろうから、ミスジョーンズとミスタージョーンズが似てるくらいで関係あるわけない。だいたいニューヨーク炭鉱なんてあるはずなかったのだから歌詞を深読みすること自体間違っている。ビートルズの「ペニーレイン」「ストロベリーフィールズ」だって意味があるわけでなく語感がよかったからと言ってるくらいで、リズムに合えば何でもいいというのはあるかもしれない。韻を踏みやすい単語とかもあるだろう。ジャズボーカルはスタンダードが多いのでたいていは単純なラブソング。で昔驚いたのが、ロバート・クリーリーの詩にメロディをつけたスティーブ・スワロウの「ホーム」クリーリーの詩は軽い詩なので、どうやってもおかしくなることはないのだが、この詩人の名前がジャズに出てくることが新鮮だった。チック・コリアがカミングスの詩をジャケットに載せたり、キース・ジャレットもCDになってからだがロバート・ブライの詩を載せたりとあるが、アメリカ詩を知らない人にはまったく気にもとめないものだろう。ジャズで変なのといえばブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」か。アートアンサンブルオブシカゴがバックで演奏してるのでジャズに入るのかもしれないが、それ以外はというより「ラジオのように」も含めてシャンソンだろうな。クラシックはいっぱいある。面白いのは当然現代だが。シェーンベルク先生。現代音楽を聴き始めてシェーンベルクに当たった。「浄夜」これが現代音楽?そして「月に憑かれたピエロ」びっくりした。歌うような話すような歌でいきなり「目から飲む酒は・・」だから。シェーンベルク、ウェーベルン、無調で訳のわからない歌詞しかも当たり前だがドイツ語。シェーンベルクの弦楽四重奏2番第3楽章からソプラノが入る。当時の観客怒るのは当たり前だろう。変わり種はビートルズナンバーをクラシックアレンジで歌うキャッシー・バーベリアン。ライブも入ってるが、観客の笑いが示すとおり見事なアレンジ。

Giacomo rejoyce

2014-11-27 08:28:14 | 日記
映画「マイケル・コリンズ」を観た。
2時間でアイルランド独立を詰め込むなんて無理なので、もちろんフィクションも入れながらの歴史を映画にしたもの。ダブリンがどれだけ出てくるか期待したが中央郵便局とフォーコーツ、リフィ川くらい。ジョイスの「ユリシーズ」でしか知らないアイルランド、ブルームズデイの時はイギリス、ユリシーズが出版されたときにやっと独立とは知らなかった。スティーブン・ディータラスがダブリンを放浪していたときはスコットランドのようなイギリスの一部に過ぎなかった。アイルランドの歴史などほとんどの人には興味ないことかもしれないが、映画として退屈させず最後まで一気に観させてしまう。なるほどこの独立の時の妥協で北アイルランドがイギリスに残ってしまい、後々の紛争になるのかと。あとアメリカとの絆。アイリッシュで大統領になったケネディ-しかもカトリック-やレーガンがいるように、力のあるアイリッシュがアメリカにいた。今では両国ほぼ国内線のような感じで行き来きできる。イギリスはもちろんEU諸国とは違い他国とはパスポート検査がある。誰もアイルランドなんて知らないだろうし、興味もない。たぶん今も昔も有望な青年たちはロンドン、パリに出て国を後にするだろう。ベケットなどたまたま生まれたのがアイルランドでたまたま出た大学が有名なトリニティ・カレッジだったに過ぎなくそれ以外にアイルランドと関係あるのかと思う。ジョイスも「ユリシーズ」というダブリンを舞台にした小説を書いたに過ぎず、戻ることはなかった。そこを100年前に思いをはせて歩き回る日本人、それは僕自身なのだ。

わめき立てる響きと怒りはすさまじいが

2014-11-24 09:53:12 | 日記
マラマッドの「魔法の樽」が岩波文庫から出てると思わず買ってしまった。
マラマッドの短編集家に何冊あるのだろうかとふと思ったが、岩波に入るということは古典なんだと思うと手が出てしまった。アメリカ文学に触れたのは早川から出ていた「ニューヨーカー短編集」有名なアーウィン・ショウの「夏服を着た女たち」をはじめとした何気ない風景を小説にした短編が粋だった。そういうイメージだったので、フォークナーのどろどろした小説にものすごい拒否反応を覚えたが今は逆。アメリカは一度も行ったことないし行くこともないと思うが、ニューヨーカーに出てきたおしゃれなアメリカなどあるはずがない。どろどろしているのがアメリカだろうと思ってしまう。ケネディ暗殺やベトナム戦争のドキュメンタリーを観すぎだろうか。ドス・パソスの「U・S・A」だって実験的な手法を使っているに関わらず、泥臭い小説という印象。あくまで自分の好みだが、興味を持てるのはマラマッド、ベローくらい。それに比べアメリカ現代詩は英語がわからないながら、よく買った。英語がわからないのだから翻訳で読めばいいのに、W・C・ウイリアムズの「パターソン」やオルソンの「マキシマス・ポエムズ」のような長大な詩さえ、原書をパラパラのほうがわかったような気がするのは詩の特有な感性のせいだろうか。ハート・クレインの「橋」序詞ブルックリン橋によせてを読むと行く気のしないアメリカでもこの橋の写真撮ってみたいと思ってしまう。するともっとわからないフランス語の「失われた時を求めて」どころかポンジュやアポリネールの詩は読んだことにならないのだろう。でもまだ短いのだったら何とかなるかもしれない。篠田一士が空前絶後の傑作と書いたネルーダの「マチュピチュの頂」はスペイン語だから空前絶後を味わえないことになるが、日本語でも充分味わえているので学者になって研究するわけでないからいいかと妥協する。それでいてノーベル文学賞候補にもなったという西脇順三郎の詩は絶対外国人にはわからないだろうなと思う。
生垣をめぐらす人々は自分の庭の中で
神酒を入れるヒョウタンを磨き始めた。

これどうやって訳したって無駄でしょう。