80年代初めにキース・ジャレットの新譜で「ヨーロピアン・コンサート」という3枚組レコードが出た。1曲30分くらい続くピアノソロで、今のようにぶつ切りでアイデア枯渇ソロとは違う。これも最初の「ソロコンサート」とともに好きでよく聴いていた。ずっと後になってからこの中のプレゲンツコンサートだけ1枚がCDになり、紙ジャケットになったときもその1枚だった。ボックスで出たのに1枚を紙ジャケットにしてもリアルじゃないだろうと思ったら、レコードの時もプレゲンツだけ1枚で出たというのを知った。どんなジャケットで出たのかオークションで見たらなるほど紙ジャケットと同じだ。帯付きがあると見ると笑った。題名が「愛のバラード」ジャズではなかなかこんな恥ずかしい題名ない。それが80年代に出ているのだ。一番恥ずかしいのはやはり「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」だと思うが、これも80年代後半にビートルズが初CD化されたときもまだ使われていた。キース・ジャレットは「ケルン・コンサート」が大ヒットして、ジャズなんて聴かない若い女性がリチャード・クレーダーマンと同じ感覚で聴きだしたというのがあったかもしれない。バブル時の日本制作ジャズでそういう題のCDがよく出たことがあった。演奏も聴きやすいスタンダードばかりで、札束で頬ひっぱたかれながら喜んで演奏しているという風な演奏。「愛のバラード」が入った「ヨーロピアン・コンサート」の原題「コンサーツ」を境として、このあとのキースのピアノソロは重くスローになっていき「ケルン・コンサート」のようにシャンパン飲みながら聴く音楽ではなくなった。そのうち短いぶつ切りになり「ソロコンサート」のときのようなきらめきは失せてしまう。もともとキース・ジャレットはジョージ・ウインストンでないし、前衛的なフレーズもよく弾いていた。キースよりもっと前衛的だったチック・コリアはギターなど入れロックに近くなったりしたことがあったが、キースはマイルスのバンドを離れてからエレピなどほとんど弾かずフュージョン系の聴きやすい音楽に歩み寄ったことなど一度もない。それでもレコードで10枚組で出た「サンベアコンサート」など飽きることなく、退屈することなく聴かせることができたのは凡人には太刀打ちできないきらめく才能があったのは間違いない。しかしどんな芸術家にもあるひらめきの枯渇、裏を返せば解散したあとのジョン・レノンやポール・マッカートニーにビートルズ時代の曲を期待する方が間違っていて、ある時期は本人すら追いつけないくらいの神の啓示に似た閃きがあるのだろう。キース・ジャレットもソロピアノは最初の「フェイシング・ユー」から「コンサーツ」まででないかと思う。トリオは相も変わらぬスタンダードばかりだが飽きたとは言えそれなりに聴かせるのに対し、ソロはまともに最後まで聴けない。今日も「愛のバラード」を聴くか。
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