And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

もしも天国に行けたなら

2016-04-30 16:49:55 | 日記
つまらないとかくだらないと思いつつ、録画してあるので「ツイン・ピークス」を観続ける。日本に比べてアメリカ、イギリスのテレビドラマは面白いとは思うのだけど、どうしようもないのもある。「ナイト・ライダー」もどんなものか録画してみたが、2本目の途中であまりのくだらなさにどうしても我慢できなくてやめて録画してあったのを全部消した。ただリチャード・ベイスハートが出てるというのだけが、おっと思っただけ。リチャード・ベイスハートといえばフェリーニの「道」や「崖」で印象的な役を演じそのあとはと思っていたが、「原子力潜水艦シービュー号」の主役をやっているという。シービュー号は知ってはいるが夢中になって観たわけではなかったので記憶に薄い。と書くと急に観たくなりDVDボックス注文してしまった。なんてこった。昔観たテレビドラマはみんな面白かったのだけれど「宇宙家族ロビンソン」は今観ると特にカラーになってからが異常につまらない。シーズン3は日本放映しなかったのはわかる気がする。日本ドラマで記憶に残っているのが「おやじ太鼓」進藤英太郎がこのドラマで焼き付いた。あとからわかったことだが映画「破れ太鼓」が元だった。歌も同じ。だがテレビで観た「おやじ太鼓」が自分にとっては元祖。それもDVDになったので懐かしくて買って観ると何本かで飽きてしまう。ストップしたまままた続きを観ようと思うのだが面倒。進藤英太郎はずっとそのイメージだったので「山椒大夫」で嫌な役を演じても何かなじめなくて。風見章子は上品な奥様。菅井きんはこういう役以外にやったことあるのだろうかというようなお手伝いー昔の言い方なら女中ー。木下恵介のドラマはいろいろ印象に残るものがあった。田村正和が出てた「冬の旅」もそうだった。今DVD出ていないところをみるとフィルムがないのかもしれない。冬の旅という題がずっと頭に残っていたがシューベルトのパクりか。パクりといえばベルイマンの「秋のソナタ」の題をパクった朝鮮ドラマ「冬のソナタ」にも呆れたけど。そんなこというならどれだけ日本歌謡曲が洋楽をパクったか。何が「ノルウェイの森」だ。ちゃんと自分で考えた題をつけろ。そんなやつが大江と同列になれるわけがない。「逃亡者」も第一シーズンと最終回をDVDで買ったが途中が面白いのであって昔観たこともあって最終回までいかない。逆に「タイムトンネル」なんか最後現代に戻してほしかったとかあっても必要ないのかもしれない。別に「コンバット」で連合国勝利なんてのがいらないように。何度も書いたがまた書いておく。何でテレビドラマ吹き替え版「マッシュ」出ないんだ。ついでに「特攻ギャリソンゴリラ」も観たい。

不幸なレディ・メイド

2016-04-28 21:28:03 | 日記
絵は画集だけではわからない。ゴッホのカラスが意外と小さく細長いのもレンブラントの夜警があれだけ大きいとはと思うのも。フェルメールのターバン少女はあれくらいの小ささとは想像ついた。モネの睡蓮があれだけ長くなるのも想像ついた。絵を見に行くのは、暇つぶしの理由としてはパチンコ行ったんだというより聞こえがいい。フェルメールを日本で見るときのように人の隙間から覗いてはたして見てきたといえるのだろうか。たまに静かな美術館があって、ゆっくり見ることがあったとして絵と向かい合ってはたして何を感じたらいいのだろう。絵がパーソナルなものだとしたら、レンブラントを家に飾ってレンブラントが語りかけてくるものがわかるのだろうか。美術館行っていつも思うのだが、レンブラントとか好きな画家以外はほぼ通り過ぎるだけ、好きな画家もせいぜい10秒くらい止まるだけ、それで美術館に来る意味はあるのだろうか。必ず売店に寄って何か買って、行ったことを忘れないようにする。絶対ムソルグスキーのように行ってきた印象を音楽に残すなんて発想は出てこない。クラシックコンサートも何か気取りがあって好きではないのと似てる。始まる前からジャズやロックとは雰囲気が違う。ー当たり前か。有名演奏家が出てくると演奏前からブラボーというムード。演奏が終わると演奏の良い悪いに関係なく、誰が最初にブラボー言えるか競い合う。そういうときは欧米では立つのが礼儀のようだから、演奏家の機嫌を損ねないためにも立ってみる。満面の笑みを浮かべ、これだけ感動した顔をしたらアンコールやるだろうと思い、半面もったいつけるなと思うのだが我慢する。現代音楽だとまた雰囲気が変わるが耐える時間が長くなるので、本当に好きな人しか来ない。現代音楽を本当に好きな人なんて性格的にアブストラクトな人が多く、それはそれで寒々とした世界。それでも美術館に比べたら寒々しさはない。美術館は人でいっぱいでも独特の空虚感がある。それは趣味で絵を描いている人の絵を見て、知っている言葉を並べて褒めなければならない時の自分の中の葛藤と同じ。この絵は好き以外の何を絵は与えてくれるのだろう。そこで意外と感動するのが大きさ。レンブラントは好きだけど夜警のよさはわからない。でも実物を見るとこんなに大きかったのかと、大きければ隅々見てしまう。その人の表情に何かわかったような気がして。夜警は画集ではわからない。他にもたくさんそのようなものはあるだろう。見たことはないがピカソのゲルニカもそうではと思う。それもそうか。フェルメールを5メートル離れて見たって、よさがわかるわけがない。ハルトマンの絵を見て思う。よくあんなつまらない絵を見てムソルグスキーは曲を書けたなと。あの絵なら目の前で見てもあくびできる。


時の過ぎゆくままに

2016-04-26 00:19:39 | 日記
ビージーズの「メロディフェア」は日本でヒットしたがイギリス、アメリカではシングルカットもされなかったし、日本公演でも歌われなかったと読んでなぜだろうと思ったが、最近やっとわかった。映画「小さな恋のメロディ」が欧米ではヒットしなかったからだった。日本では映画が大ヒットして、マーク・レスターも一躍人気者になたので、欧米でもそうだったと勝手に思い込んでいた。コンサートは主催者が歌ってくれとリクエスト入れておけばいいのに。逆になぜ日本であれだけ受けたのだろう。当時も観に行っていないし今も観てないからストーリーは知っているけど、どんな映画かはわからない。ただ「メロディフェア」のシングルは買ったので、聴くと当時を思い起こす。映画斜陽の時代にあの程度の映画がなぜ日本単独でヒットしたのか。ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」が狂ったようにヒットしたのもその頃だったろうか。今冷静に聴くとポルナレフもいい曲あるのに何であんな曲が。それはどうでもいい。ビージーズは「マサチューセッツ」が外国曲で初めて1位になったというくらいヒットしたこともあり、やはり日本人に合う曲が多いのではと思う。自分もディスコ以前の曲で5,6曲は簡単に出てくる。「メロディフェア」が「オデッサ」という真っ赤なジャケットのアルバムに入っていたのは知っていたけど、ビージーズのLPは買ったことなかった。最近になって何枚か聴くとやはりヒットした曲ばかり集めたベスト盤が一番いいとわかる。ビートルズのように1枚を退屈しないで聴けてしまうというのはロック、ポピュラーなどでそうない。シングル盤を聴く、FMからテープでダビングして聴くことはもう終わってしまった。シングル盤を聴く代わりにネットで買う。テープどころか円盤のメディアも使いづらくなって、ハードディスクからメモリへ。レコードやCDを探しに行っていたのがネット注文。いつの時代も歳を取ると時代から取り残される。今までわからなかったが少しずつわかってくる。別に新しいものいらないと。そう思うのは体だけではなく感覚まで老化してきたから、そしてそれが自分で気づきづらくなってきている。でも今でもいい曲に巡り会えば反応するに違いない。昔ラジオで「ホテル・カリフォルニア」聴いていいなと思ったように。もう家でも車でもラジオ聴かなくなったから、新しいものを取り入れられなくなった。1曲のヒットで終わってしまったけどいい曲だったというのに出会わなくなった。
スピード恐怖感 新しい発明
第3次元のようなもの 不安の種がいっぱいの世に私たちは生きている
でもアインシュタイン博士の相対性理論にはいささかうんざり・・


思いだしてみるといい
キスはキス、溜息は溜息でしかないけれど
それがとても大事なことになっていく 時が経つにつれて






激しい雨が降りそうだ

2016-04-25 08:39:08 | 日記
DVDになっていない映画をビデオで手に入れ、観ようかと思ったら動かない。さいわいもう1台あったのでそっちで観たが動かないほうはゴミになった。レーザーディスクもそうだが、止まったらそのままソフトも一緒にゴミになる。部品がないとかいって直さないのはアップルを見習っているのだろうか。使い捨てと思うと何でも高いものはいらない。他にもDVDになっていない、しかもDVDにダビングしていないソフト何本かあったのでやらないとと思いつつ面倒。その他のビデオただ邪魔なだけだから捨てないと。ベルイマンの初期の映画もDVDになっていなくて、それらはダビングしたのだけれど捨てられない。藤村の「夜明け前」もビデオであってダビングしようと思うのだけど、この次でいいかと。夜明け前は2度読んで映画も観たけど、どうもよさがわからなかった。破戒は両方とも面白かったのだけど。どうも日本文学には愛着がないようだ。夏目と芥川は何冊か読んだ。鴎外は全く読んでない。北杜夫の楡家の人びとのほうがトーマス・マンのブッデンブローク家の人々より数倍面白かった。魔の山もさっぱり面白くなかったがヨセフとその兄弟たちは長かったけれど面白かった。太宰も2,3冊は読んだが、暗いとかいってバカにしてたほうだから。遠藤周作なら10冊くらいは読んだか。カトリックでも読むなという人がいるほどこんなのでもクリスチャンかというのがあるが、逆に本人のいう99パーセントの疑いと1パーセントの信仰が好きだ。芥川賞発表になると読む人いるが年に二人も出てる。賞を取った作家がすべて素晴らしいわけではない。賞を取った作家でみんなが知ってる作家など10人もいないのでは。取る苦労は別だけれど。サルトルはノーベル文学賞を辞退した。ジョージ・C・スコットはアカデミー賞を辞退した。ほしくてたぶん裏から手を回してB級クソ映画で取ったジョン・ウェインとは大違いだ。アクターズスクールでももっと演技のうまいやついるはずだ。この間、何回目のノミネートでやっと取ったと騒いでいたレオナルド何とかとも大違いだ。ポール・ニューマン好きだったけれども、ハスラー2みたいなゴミ映画でオスカー取って、というかもらってがっかりしたことがある。ピーター・オトゥールのように数々の名演技を見せながら取れなかった俳優もいる。そんな賞で人の価値など変わるわけがない。ほしいやつにやればいい。でもパブロ・ネルーダにノーベル文学賞が与えられたのは権威でしかないと思っていた賞に良識を感じた。「マチュピチュの頂」を篠田一士は空前絶後の傑作と評したがその通り。行ってもそれ以上の感動は味わえないと思う。
そして私を涙させてくれ 幾時間 幾日 幾年
盲目の幾世代 星の輝く幾世紀に渡って


日付のないページ

2016-04-22 09:48:37 | 日記
行きそびれたサンベアコンサート。あの頃キースのコンサートというとカップルでないと行けないみたいなイメージが自分の中にできていた。トリオも含めて、それから一度も行っていない。今ポール・マッカートニーやストーンズを聴きに行くようなもので、今は才能の枯渇のようなキースのピアノソロなんか聴く気がしないし、もう聴きに行くことはないだろう。力を見出すのは最初のソロコンサート、サンベア、出た当初ヨーロピアンコンサートと邦題のついたミュンヘン、プレゲンツあたり。ケルンは出た頃から同じフレーズの繰り返しで何面白いのだろうと思っていたし、今もそう。ジャズもクラシックもピアノ好きだ。ジャズのピアノソロはECMからだと思う。従来のスタンダードを演奏するのではなく、自作をしかもジャズの泥臭さを感じさせない。キース・ジャレット、チック・コリア、ポール・ブレイ。3人とも70年代の瑞々しい演奏を超えることはできない。ルービンシュタインの演奏に良さを感じるようになったのは最近。自分が歳取ったからわかるようになったのか、オーディオが良くなったからか、たぶんどちらかだと思う。昔レコード1枚買ってなんだ平凡な演奏と思ってから買うことなかった。ポリーニがショパンの練習曲集、前奏曲集出した頃で、かつての名ピアニストなんて関心なかった。グールドもまだ生きていた。というよりゴルトベルク変奏曲を入れ直して、亡くなったというニュースに驚いた。サルトルが亡くなったのも似たような時期ではなかったろうかと調べたらサルトルはもっと前だった。そんなことを書くとドン・マクリーンの「アメリカン・パイ」を思い出す。バディ・ホリーの事故のニュースを聞いた時のことを思い出しながら様々なことが駆け巡る歌詞だったと思うが、自分はサルトルやグールドが死んだと聞いて二人とも自分より少し前の世代だが、死のニュースを聞いたというだけで同じ時代にいたという気にさせられる。それでいてジョン・レノンはそんな気にはならなかった。サルトルの葬儀には5万人集まったというが、そのうちどれほどの人がサルトルを読んだことあったのだろう。自分だって現象学、実存主義と言われたってよくわからない。行動する哲学者がかっこよかったのかもしれない。晩年は目が見えなくなり動くことはなかったけれど。思い出は誰にとっても美しくねじ曲げられる。古き良き時代なんてあるわけない。私50年代のアメリカにあこがれるのよね。あんたが知ってるのはアメリカじゃなくて映画だ。映画に出てくる格好真似するのは自由だけど、黒人をまだ差別していた時代だ。それのどこがアメリカのいい時代だ。しかし思い出は美しくなければならない。いい時代を生きてきたと今日も自分にいい聞かせる。