And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

ドアの楽しみ

2016-06-27 12:27:07 | 日記
「ペリー・メイスン」がDVDになったので買ってみた。昔は観てなくてレイモンド・バーといえば「アイアンサイド」のイメージなので歩いてるのに違和感。決して主役を張るタイプではなかったのに二つの代表作があるなんてラッキーだ。その「ペリー・メイスン」でもビリー・ムーミーが出ていたにびっくり。「宇宙家族ロビンソン」でウィル役は有名だけれども、子役他にいなかったのかと思うくらいあちこちのテレビドラマにムーミーが出てくる。でも「宇宙家族ロビンソン」以降は聞かないから子役は大成しない、二十歳過ぎればただの人に当てはまるか。高峰秀子のような子役からずっと名女優など珍しく、名前は知られているからそこそこ話題になるであろうが子どもの時のイメージがずっとつきまとう。子どもの頃、神童といわれたヴァイオリニスト、メニューインも二十歳過ぎればただの人で一流ではあっただろうが、同世代のハイフェッツやオイストラフに比べればずば抜けてるとは言いがたい。何歳でオーケストラと共演したとかいうピアニストとかもいるが、そうそう天才など現れるはずがない。コンサートに行ったところで、いい演奏だったくらいはわかるかもしれないが、これは天才だとかすさまじい演奏だなどわからない、自分が行ったコンサートだから前日の演奏よりよかったに違いないと信じたいと思うくらい。その点ジャズはアドリブののりでわかるところがある。クラシックは逆にとんでもなくひどい演奏だと印象に残るだろうけど、なかなかそういうのも聴けない。ほとんどは誰の指揮で、ピアノでシューマン聴いてきたとか前から何番目で顔が見えたというくらい。昨日も飲み歩いたというよりコンサート行ってきたというほうが、同じ金使ったにしても聞こえがいい程度。マイルスもエヴァンスもポリーニもアシュケナージも聴きに行ったけれど、全部忘れている。唯一覚えているのがジュリアード弦楽四重奏団聴きに行った時、楽章の合間にあまりみんなが咳始めるものだからロバート・マンが客席見て苦笑いしていた顔。それだってそのとき何演奏したかなど覚えていない。バーンスタインを初めて聴いたのはイスラエル。84年だったのでもう元気ではつらつとしたバーンスタインではなくがっかりした覚えがある。去年の秋、ベルリンでラトル、ベルリンフィルのベートーヴェンを聴いてそれがCDになったが、つまらないと思ったのでCDは買わない。サンラのようにコンサートを録音して片っ端からレコード会社に売って資金源にしたというのもあれば、カルロス・クライバーのようになかなか発売OKを出さない演奏家もいる。今わかるのは家で聴くのが一番楽しいこと。

King Of Pain

2016-06-24 17:46:17 | 日記
「父親たちの星条旗」を書いたジェームズ・ブラッドリーの父親はあの写真には写っていなかったと最近わかったようだ。だから何だというのだ。映画でもあの兵士たちだけが英雄ではないと逆に自分たちは戦意高揚のために使われただけだといってる。ノルマンディ、オマハビーチの第一陣は95パーセントが死傷したとか映画にできない事実のほうが多いに決まっている。アメリカ人はドイツ人と人間として戦っていたが、日本人はネズミ、ゴキブリと思って戦っていたなどとは戦後友好国になったアメリカとしては映画で言わせることはできない。日本輸出向けはそれより憎きドイツを倒したという映画のほうが受けるに決まっている。イーストウッドは監督になってからいい映画を何本も作った。名優がもちろんみんな名監督になれるわけではない。思想的なものもあるので、「アラモ」ではジョン・ウェインは当然邪悪で残酷なメキシコ軍に勇敢に立ち向かったアメリカ人を映画にする。でももはや極悪非道なインディアンに殺されたカスター将軍なんて映画はできまい。フランケンハイマーの「影なき狙撃者」も面白かったのだが共産党は敵みたいなにおいをさせるし、「ディア・ハンター」でもベトナム人は悪のような表現と非難する人もいた。昔は戦争映画をテレビでよく観た。別に深く考えることなく楽しんだ。書いたようにだいたいはドイツが敵の映画ばかりだったから、そして平和になってアメリカは友だちという感覚があったから、プロレスを観て正義は勝つという爽快感を持ったように映画でもアメリカが勝つ映画に何の疑問も持たなかった。それが70年代過ぎてから「地獄の黙示録」だとか「プラトーン」のように正義と悪ではなく、戦争そのものを考える映画が出てきた。アッテンポローが連合国軍の失敗したマーケット・ガーデン作戦を映画化したり。それでも映画だから戦争当時のフィルム観るよりずっと楽しい。バランスがとれていたのはやはり「コンバット」ではなかっただろうか。相手としてドイツ兵は出てくるがたいした意味はなく、かといってどろどろした悲惨さを描いているわけでもなく、よく話が続いたなと思うくらいだった。吹き替えもよかったのが日本でもヒットした要因ではなかろうか。だがなんといってもチャップリンの「独裁者」まだアメリカがドイツと戦う前にアメリカで作られたという。その頃からチャップリンはヒトラーに危機感を持っていたのか。驚くことに日本での上映は1960年になってからだという。自分はリバイバルで観に行って立ち見までいたのを覚えている。昔は好きだったが、ヒューマニズムが嘘っぽくてしばらく遠ざかった。でも「独裁者」は「ニューヨークの王様」とともに好きな映画。ヒッチコックでさえ「救命艇」のような戦意高揚映画を作っていた時代に「独裁者」を作るなんて誰にもできることではない。

バークレー広場のナイチンゲール

2016-06-22 16:26:26 | 日記
ジョニ・ミッチェル「サークルゲーム」の歌詞で『大人たちが少年に向って言う言葉は、”楽しんでおくがいいさ今のうちに、若い時は長くないもの、足がなえたらそんな風には走れなくなるから”』と出てくる。ジョニ・ミッチェルは今難病で再起は難しい。昨日少年だったはずなのにもう大人を通り過ぎて老人になっていく。こういう歌きっと今の若い人は聴かないだろうから我々の鎮魂歌なのだ。「ひとりぼっちの青春」「いちご白書」「スケアクロウ」「追憶」「グリニッジ・ビレッジの青春」その一つ一つが鎮魂歌。映画館では観なかったけれど「冒険者たち」決して枯れることのない夢。今は明日の仕事のことを考えている。青い鳥症候群と言われたが、夢を持って何が悪い。そんなことを思うともう「サークルゲーム」は聴くべきじゃないのかな。戦争に反対する歌などもっと古くさくなっている。でもそんな歌も歌えず中身空っぽの曲など聴きたくない。ガールフレンドの自殺を歌ったジェームス・テイラーの「ファイアー・アンド・レイン」君にもう一度会えると思っていた。ニール・ヤングの「アフター・ザ・ゴールドラッシュ」1970年代を駆け抜ける。これがルーズベルトのあとにウォレスが大統領になるのを許さなかったアメリカ。ロバート・ケネディを暗殺したアメリカ。アメリカは所詮人の国だけど日本は何をしていた。若大将シリーズにグループサウンズ。メイドインジャパンはすぐ壊れると向こうの漫画で馬鹿にされていた。「楽しんでおくがいいさ今のうちに」なんてそのときわかるわけがない。今になるとわかる。今井科学やタミヤのプラモデル。コーギー、ディンキー、マッチボックスのミニカー。「明日に向かって撃て」「スティング」のポール・ニューマンとロバート・レッドフォード。「パピヨン」のステーブ・マックィーンとダスティン・ホフマン。ケニー・ロギンズでくまのプーさんを知った。クリストファーロビンとは僕は並んで歩いていた。月の光が影を落とす木の下を。ふくろうに僕らの疑問を尋ねてみた。僕たちの日はもうすぐ終わりがやってくる。ポール・サイモンの見た夢。ぼくらはメイフラワー号という舟に乗って、月まで行きつける舟に乗って、時代のもっともさだからぬ時間に到達した、そしてアメリカの曲をうたっている。アレン・ギンズバーグの流した涙。孤独なかあさんの目よ、かあさんの目よ、かあさんの目よ、そして花々に満ちあふれたかあさんの死よ。


私たちは時のメリーゴーランドにつかまったまま引き返すこともできず・・

2016-06-20 08:45:16 | 日記
ESPを持つ人=エスパーと知って、エスパー聞いたことある何だっけと調べたら「光速エスパー」元々は東芝のキャラクターだったらしい。SF用語らしいのだが東芝のおかげでエスパーを覚えた。自分たちの世代でないと当然わからない話。ESP、マイルスだ。解説には題名について触れられていない。題名などどうでもいいのかもしれない。ABCでもXYZでも。マイルス・イン・ザ・スカイもジャケットデザインからも「宇宙の眼」だろう。ウエザー・リポートの「アイ・シング・ザ・ボディ・エレクトリック」もSFから取られていた。あとチック・コリアにあった程度でジャズとSFは接点がない。元々SFは好きではなかったけど、歳を取るとなおさら冷静に読んでしまうから白けるのは当たり前。ラテンアメリカ文学も自分にしたらSFみたいなところがあってどうも夢中になれない。そんなこというなら文学は皆架空の世界なので究極をいうなら透明人間もダロウェイ夫人も変わらないのかもしれない。ヘミングウェイが自分の体験を書いたところで、文章にした段階でヘミングウェイから離れてしまっている。ヘミングウェイもいいと思ったことはない。長編は「日はまた昇る」くらい、短編は全部買ったのだが最初の「われらの時代に」しか読んでいない。フォークナーのどろどろした世界も嫌い。スタインベックはなんか中身がない気がする。アメリカ文学は全般的に中身がないが、それを逆手に取ったW・C・ウイリアムズこそアメリカ文学だと思う。頭いいわけではないのに思考するフランス文学は面白いのが多い。好みであるからフォアグラよりでかい肉を焼いただけのアメリカンステーキがいい場合だってある。アメリカには行ったことないし、これからも行く予定がないのでどういう食事かは想像くらいでしかない。フランスは何度か行ったことあるが美味しいものに当たったためしがない。フランスだけでなくどこ行っても一緒。特にフランス人は嫌いなのでまずさも倍増。フランスがあっさりとナチスに手を上げたのはフランスも反ユダヤだったからとテレビで聞いてなるほどと思った。どこに行っても高級レストランなど入ったことないし、どうせ行ったところで東洋人など今は中国人が多くなったからなおさらおまえも中国人かと見られ、日本人だと言ったって同じく馬鹿にされるだけだ。著名人に友人がいて、一緒にレストランでも連れて行ってもらえば少しは美味しいものが食べられるであろうが、それこそSFだ。マイルスのESPを久しぶりに聴いていいなと思った。今までここらあたりは一番聴かなかったのだが、やっとわかる歳になったか。でもマイルスもそんな好きじゃないんだ。

ESP

2016-06-19 20:14:50 | 日記
「トラトラトラ」を録画して久しぶりに観た。日米合作ではあるが、アメリカが一方的に攻撃されるこの映画当然アメリカ人は観なかったであろう。しかし冷静に観ると日本が勝って万歳という映画ではなくアメリカの反省も描かれているし、ただ撃ち合うだけの映画ではないのでアメリカ人にとっても興味ある話も入っているとは思うが、さすが冷静には観ることはできまい。アルフレッド・ベスターの「虎よ、虎よ!」はこの電信と関係あるのかなと思ったら、ベスターのほうはブレイクからの引用だった。でベスターもう一つの代表作「分解された男」が家にないので買ってくる。SF、推理小説もたまに読もうとするのだが昔のようにあっという間に読んでしまうことはできない。推理小説は感情移入できるのだがSFはなんか子供遊びの発想と思ってしまう。50年代はSFにおいて傑作が次々出たのだなとわかるが逆にアイデアが出尽くしてしまったのか。戦前の推理小説と一緒。それでも読んだのは何十年も前だからまた読み返せるかもしれない。当時読んでいない「分解された男」などはもっと楽しく読めるだろう。「裸者と死者」も文庫のおかげで三分の二くらいまで進んだ。これを読みながらスカパーの戦争物を観ると生き残った人たちが何十年も戦争について家族にすら語ろうとしなかったのが少しだけわかる気がする。「父親たちの星条旗」でも硫黄島に星条旗を掲げた英雄にもかかわらず何十年も家族にも一切体験を話さなかったと聞いて話すどころか忘れようと努力しても頭から離れず、それに苦しめられているのだろうと想像する。テレビでも自分は頭の横を弾がかすっていった。友人はのどを撃ち抜かれた。友人を作らなければよかったと聞いて本当によい時代に生まれたと思うのだが、これからの世代もよい時代に生まれたと思わせてやりたい。いつの時代も権力を持つと国民をチェスの駒のように敵陣に向かわせる。自分たちは常にチェスを楽しむ傍観者であって、負けると悔しいと思うがそれ以上の感情はない。負けても一番先に逃げるすべを知っているから。戦犯だったのに後に総理大臣とか。小林多喜二を殺したところで何の罪にも問われない。「スローターハウス5」を読んでドレスデンに行きたくなったことがある。はたして古い建物が残っているのだろうか。ベルリンと同じで何か冷たい街になっているのでは。フランスにはオラドゥール=シュル=グラヌがある。子どもは1989年に生まれた。ポール・サイモンの歌った「いい時代に生まれて」の年。せめて子どもの時代までいい時代が続いてほしい。