And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

見つめていたい

2017-01-25 11:37:15 | 日記
グラムフォンもCD初期くらいまではジャケットまだレコード時代を引き継いでまだいいのがあったのだけれど、今では演奏家のアップ写真しかなくなった。グラムフォンが一番センスよかったので他社など見るものなどない。それどころかかつてのライバル会社が一緒になってしまった。そのおかげでホロヴィッツなどコロンビアとRCAが一緒になったコンプリートボックスを出せるようになったが。やはり手にとって風景画だとインパクトないのだろうか。ジャズは新しいもの滅多に買わないので今どんなジャケットになっているのかわからない。ECMは相変わらずでいいのだけれど新鮮味がない。思い出すとポール・マッカートニーなどひどいジャケットが多かったし中身も常に期待外れだった。かといってジョン・レノンもオノ・ヨーコが出てくるだけで聴く気がなくなる。新聞の形にした「サムタイム・イン・ニューヨークシティ」ジャケットかっこいいのだけど、半分ヨーコのいらない歌入っているし、ジョンの歌もいまいち。昔中古レコード買い取りの広告でヨーコのアップ写真のレコードがゴミ箱に捨てられていて、いらなくなったレコードはみたいのがあった。ヨーコくらい全世界を敵に回した日本人もいないのではないか。ヨーコがいなくてもストーンズのようにビートルズが何十年もやってたとは思えないが。グラムフォンはゴッホのカラス、チャーチルの絵画とかの他にもセンスのいい風景画や作曲家の自画像、カラヤンのベートーヴェン交響曲全集では1から9まで数字をデザインした秀逸なジャケットもあった。もうそれだけで高級感があり、他のレーベルとは格が違うと思わされたものだ。CBSもバーンスタインの二度目の「春の祭典」ジャケットのようにものすごくインパクトのあるジャケットもあった。RCA、フィリップスなどは地味なイメージ。それら紙ジャケットで再現されるとうれしく思うのだが、当然レコードで持ったときのような感動はない。それに比べてジャズはそれほどジャケットを気にしたことがない。好きなミュージシャンは関係なく買うから。思い出に残ってるのはチックの「リターン・トゥ・フォーエバー」と「クリスタル・サイレンス」ジャケット眺めながらよく聴いた。1枚だけジャケットに惹かれて買ったのがバディ・デフランコの「スィート・アンド・ラブリー」どうということない女性の絵。それがやたら魅力的で。中身はクラリネットの普通の演奏。そういえばヴァーブ・レーベルも割と気になるジャケット多かったか。





おれの思い出が本当なら、おれの昔の生活は饗宴だった

2017-01-24 21:17:04 | 日記
久しぶりに書店へ行き語学講座のテキストを買った。毎月7冊、3千円くらいの出費で単語1つ2つほどしか覚えられない。真剣にやれば4カ国語で1から10までくらい覚えられるだろうにドイツ語で9までいって10がわからない。調べればすぐわかるのにそれすらしようともしない。ラジオは録音ためながらも聞いてるが、そんなことではいつまでたっても何語も覚えられないだろう。ただテレビ講座よりは真剣に聞いているつもり。テレビはドイツ、フランス、イタリア、スペインみんな旅番組のようになって、全く役に立たなくなった。フランス語はバカ女がきどってパリを歩くという一番嫌いなパターン。イタリア語もどこの音楽家か知らないがキザのキザ男みたいなやつが気取って歩き回るのを観て何楽しい。それに比べるとドイツ語、スペイン語は感じがいいがそれでも語学を勉強しようという雰囲気ではない。ロシア語はまだ従来の形になっているので観るのが楽しい。テレビはテキスト買わないがロシア語は訳わからないので買う。それだけのテキスト買って、ぶらぶら文学コーナー見ていたら、単行本で漱石全集が出るのを知った。ある意味ショックだった。なんでいくら人気のある漱石とはいえ単行本で出すのというか出せるの。単行本で並べておきたい、昔のファンならあるだろうから今の若い人か。書簡などは知らないが文庫で全集が出ているのにあえて買うファンがどれほどいるのだろう。自分の書棚にも鈴木道彦訳「失われた時を求めて」の単行本が並んでいるけど、文庫が先に出ていたら絶対買っていない。新書版で小田島雄志訳シェイクスピア全集あるけれど、新書でなかったら絶対全部読もうと思わなかった。漱石割と好きで文庫の全集も買ったなと本棚見たらないので、積んでいるほうに混ざっているのだろう。逆にほとんど読まなかった芥川の文庫全集はきれいに並べてあった。思い立って漱石を出そうとしたが、面倒になって文庫のセットで出ているようなので取り置き注文した。何てことだ。この際全部山を崩してどうせ積んである文庫など読まないのだから出してしまえばよかったのに。売ってたとえ何十円でも部屋がきれいになるからとは思うのだけれど、そうする気力もなく。探し物をしながら何か音楽をと久しぶり「ベスト・オブ・リー・モーガン」をかけてみた。ジャズのベスト盤など買うことないのだが、リー・モーガンは熱心に聴く気もなく、代表作の「サイドワインダー」と「クリフォードの思い出」の2曲が一度に聴けるからとCDが出始めた頃買ったのだ。1曲目の「CEORA」がよくてこればかり聴いていたので、今でも聴くと当時がよみがえる。しばらく音楽を聴いて本の山を忘れることにしようか。

ハート・クレインに嫉妬する

2017-01-16 16:38:40 | 日記
しばらく使っていなかったプリンターを処分してしまい、大きなスペース空いたなと喜んで、ちょっと本を並べたらそれで終わり。なんてことない、床に置いてあった文庫、CDが整理され、とはいっても面積でいうと15センチ四方、高さで1メートルくらいのタワーがなくなっただけで部屋のスペースは全く変わらない。上をぶち抜いて吹き抜けにして階段をつけ全部に棚をつければ、床の半分以上見えてくるのではと思うのだが全く無理。せめて床に投げてあるNHKラジオ語学講座のテキスト、12月分終わらせればその6冊はなくなる。今日もロストロポーヴィチのDGボックスがきて、またそれも床に置いた。とにかくカラヤン60年、70年、80年、EMI、ルービンシュタイン、グールド、ブーレーズコロンビア、エリントンRCA、それに加えて大人の超合金シリーズのアポロ11号、それらの横に文庫山積み、その上にDVDとそれらが2歩でドアに届くスペースにあれば楽にゴミ屋敷を想像してもらえると思う。机もノートを広げるどころかメモ書けるスペースすらない。机の上も本とDVD山積み。そんな状況なので掃除機もかけられない。ふと部屋にあるものの半分以上なくなっても何も困らないと思うことがあるけれど、なくなってしまっては人生つまらない。「失われた時を求めて」の解説に筑摩世界文学大系でも「失われた時を求めて」が出ていたことが書かれていて懐かしく思った。それで「失われた時を求めて」を読んだわけでなく、何か1冊くらいそのシリーズを買ったと思ったが、三段組みで重くとてもでないが読む気のしないシリーズだった。とにかく詰め込んでしまって、あとは飾っておいてくださいといわんばかりの全集。日本文学、世界文学ともに全集は出ていたし、その中で次々読んでしまおうというものはなかったけれど、あれは最悪だったという印象。共同訳「失われた時を求めて」は二段で、中身がよくわからないこともあって読むのつらかった記憶がある。今は二段でも読みたくない。集英社版世界の文学はソレルスとジョイス読んだだけであとは並べてあるだけ。文庫で出たコルタサル、ロスなどは文庫で読んだけれど、それもドストエフスキー全集買って文庫で読んでた友人と自分も同じか。文学の全集は読み切ったことがないが、CDは今のところホロヴィッツ、グールド、ルービンシュタインとピアノばかりだがボックスを全部聴いているので、文学全集よりは役に立っている。映画もバラで買ったけれどヒッチコック、黒澤、007など最初から順番に観ているものもある。そういえばトーマス・マンの「ヨセフとその兄弟たち」は分厚い単行本二段組み3冊を読み切ったので、それはなんか全集読み切ったような満足感があった。その訳しかなかったので、それを読むしかなかったのだが。

水の空気

2017-01-11 12:34:14 | 日記
やっと高橋アキの「サティ音楽全集」を8枚揃えた。30年くらい前に出て、それから全く再発されなかった。ボックスで出すとかあってもよかったのに。高橋アキのサティは兄の高橋悠治のサティとともに好きで両方ともコンサートにも行ったことがある。サティのボックスだとたいがい4枚くらい。4枚でもほぼ聴かないのに8枚だと揃えたという満足感だけでこれから飾っておくだけになってしまうかもしれない。高橋アキにはクセナキス、ケージ、サティなどの入った「季節はずれのヴァレンタイン」というすてきなアルバムがあるので、それ1枚で満足してしまう。それでもこれからも再発しなければ何となく気分はいい。文庫版チェーホフ全集もアマゾンで何とか全部揃えたけれど、本、CDなどこれから再版、再発などちょっと趣味的なものだと難しいかもしれない。同じ筑摩の文庫で魯迅文集出たとき単行本持っていたので買わなかったら絶版になって、今のようなネットもなかったのであきらめていたら再版になったからすぐ買ったけど、それも今では絶版。やはり外国文学は消えるのが早い。集英社は現代文学いろいろ文庫で出したが、今はほとんど絶版。「失われた時を求めて」が今、何社かで文庫出しているのが奇跡的。暗く今向きの小説ではないけれど、ノーマン・メイラーの「裸者と死者」作品としては有名なのに文庫で最後に出たのが昭和40年代。ネットで探すしかない。全集こそ今の時代出すのは無理だとわかる。ドストエフスキー、フォークナー、サルトル、ヴァレリー、アポリネールなど全集で出ていて何冊かずつかは買った。日本物は今、夏目、芥川など文庫で全集が買えるのは便利。サルトルの「嘔吐」ガルシア=マルケスの「百年の孤独」などなぜかいまだに文庫にならない。「百年の孤独」は文庫になったら読もうと昔思っていたので、いまだに読んでいない。南米文学はそんな好きではないのでいいのだけれど、外国現代文学好きで「百年の孤独」読んでいないというのは漱石好きだけど「坊ちゃん」読んでないというのと同じような気がして。本が好きでたまに立派な全集もの買ったりするのだけれど、読むのは文庫というのは昔から変わらない。学生の時の友人でドストエフスキー全集持っているけれど、読むのは文庫というのがいた。主立ったものは文庫で読めるし、書簡なんてそう通して読むことはない。するとなんで全集買うの?になる。研究者でもない限り全集隅々まで読まない。昔どの家庭にもあった百科事典のようなもので、あればいい。




二つの梨の研究

2017-01-03 08:46:08 | 日記
オーネット・コールマンはアルトだけ演奏していれば知的な音楽で聴けたのにトランペット、ヴァイオリンのへたくそな演奏を入れるから安っぽいイカサマ音楽になってしまう。オーネットのトランペットを褒める評論家もいるが、そんな耳してるからろくな文章書けないんだ。あの王様は服を着てないとはっきり言えないから評論家はレコード会社のいいなりとか提灯もちとか言われて馬鹿にされる。そうではない、自分の耳で聴いてオーネットのトランペットは素晴らしいというなら、それはもっと重症。これまた現代音楽風なトンチンカンな音楽作って、それもどう聴いても偽物なのだけれど、そのイカサマ音楽がいいか悪いかは別。知性のこれっぽっちもないロック聴いて思わず乗ってしまうのと同じ。ジュリアード音楽院で勉強して演奏も完璧なウィントン・マルサリスが面白くないというのと対岸にある。マルサリスは日本ではあまり人気ないがアメリカでは売れているらしい。マルサリスはコールマンと逆でけちのつけようのない音楽なのだけれどつまらない。思えばマルサリスが出てきた頃からジャズはつまらなくなった。期待の星だったのが、少なくとも日本では出せば出すほど白けていった。ギル・エヴァンスは90年代を待たず亡くなった。マイルスも後を追うように亡くなった。ビル・エヴァンスが死んだと聞いたとき、自分たちの聴いたジャズは終わりを告げようとしていた。ソニー・スティットは病気をおして日本に来て車いすで演奏しようとしたが、それも出来ず緊急帰国、まもなく亡くなった。それがジャズマンだ。アニタ・オデイは長生きして晩年もCD出したりしたが、同世代のカーメンなどハリウッドの豪邸に住んでいたのに晩年も相変わらず安アパートだったという。ジャズミュージシャンは楽しい家庭を築いて幸せな生活をなんて似合わない。今の若い人が真似することはないのだが、時代が落ち着いたときに音楽も落ち着いてしまった。ロックと違って成功したからといって巨額の金が入るわけではないのだけれど。いくらジミー・ペイジに馬鹿にされてもツェッペリンファンが減らない日本人。ステージの上からこのバカ!といわれても乗っているのかと思って声援おくったという日本のロックファン。今でも変わらない。逆にジャズはアート・ブレイキーが日本だけが人間として歓迎してくれたといった話とか、コルトレーンが同じ飛行機に有名人乗ってるのかと思ったら自分たちに対する歓迎だったとかいい話がたくさんある。それが音楽聴く基準にはならないけれど、お前と寝たいみたいな歌詞を単純なリズムに合わせて歌ってるイギリスの東洋人を馬鹿にする奴らの売り上げに協力するつもりはない。